第12話 緑が茂る
「出発する前に、少し散歩に付き合ってくれないか?」
ヒューバートからの誘いに、朝のステファンとのやりとりで気まずかったアリシアは断ろうとしたが、パーシヴァルに止められた。
「あとは僕たち馬車に乗るだけなんだし、僕は昨日見たけれどとてもきれいだったよ。お母さんが好きそうだった」
そうパーシヴァルに言われてしまったら、アリシアには断ることができない。
せめてパーシヴァルも一緒にと誘ったが、ステファンに馬を見せてもらう約束を理由に断られてしまった。
(男の子はこうやって独り立ちしていくのね)
駆け出していくパーシヴァルの背中を見ながらアリシアは少し寂しくなった。
「きれいな庭ですね」
パーシヴァルの言う通り、自然な姿を活かした宿の庭はアリシアの好みに合っていた。ヒューバートにエスコートされながら散策路を進む。
「通りや家も様々な色が使われていて、きれいな街ですね」
「『花色の街』と呼ばれるだけあるな。君は花が好きだから街を出る前に見せたくて、本当なら昨日のうちに公園の中を歩ければ良かったのだが……」
言葉を濁すヒューバートに、アリシアは昨夜の醜態を思い出す。ステファンとの会話とティルズ公爵家秘伝の丸薬で忘れていた。
「昨夜はありがとうございました。食事に誘っていただいたのに、酔ってしまってお礼も言えず」
「俺のほうこそ楽しい時間をありがとう。あと……君が酔っているのをいいことにあれこれ聞き出すような真似をしてすまなかった」
酔っ払いには覚えている派と覚えていない派がいることを思い出し、アリシアは何も分からない振りをした。そうでなければ、ヒューバートの目に宿るものに心がぐらつき、いまこの瞬間にも芽が出てしまいそうだった。
「この街を出発したら夕方には、遅くても夕食の時間までには王都に着くだろう」
この街から王都まではそう距離がないため、商人の出入りで門が混む午前中を避けて一行は早めの昼食をとって出発することにしている。
(王都……)
七年前、人目を避けて王都をでたあのときは二度と戻ることはないと思っていた街。
子爵はすでに故人であり、除籍手続きがすめば借金の問題もなくなる。しかし、どうしても気になることがアリシアにはあった。
(どうして夫人は侯爵様に何も言わなかったの?)
アリシアの実母は子爵家の下女だったため、雇い主である夫人が彼女の出身地を知っていてもおかしくはない。
しかし夫人はそれをヒューバートはもちろん、夫である子爵にも言っていない。この七年間一度も、子爵家の金が底をついても、子爵が逮捕されても夫人は誰にも言わなかった。
(夫人は何か他にも隠していることがあるのかもしれない)
知らなくてもここまでやってこられたのだから、いまさら知る必要はないかもしれない。
しかし、仮にそれが実母のことならばルークの過去を悔やむ気持ちを少し軽くできるかもしれないとアリシアは考えた。
(王都についたら……)
「アリシア、王都に着いたらそのまま王都で暮らさないか?」
「……え?」
王都に着いたら夫人に会うことを考えていたアリシアは、ヒューバートの言葉を最初は理解できなかったが、追って脳が理解すると体を震わせた。
***
思いがけないことを言われた。そんなアリシアの反応にヒューバートは苦笑する。
それなりに『家族』になれてきている、そう思っているのが自分だけだと痛感してしまった。
(いや、アリシアにははっきり言わないと通じない)
「俺は君たちにこのまま王都にいてほしいと思っている」
旅の間に分かったこと、アリシアはヒューバートの想像以上に自己肯定感が低い。
常にパーシヴァルの希望を優先するところには「自分なんか」と思っている節がある。
言わなくても気持ちが伝わるというが、アリシアには通じない。それが好意や愛情である場合は尚更伝わらない。アリシアがそれを期待していないからだ。
だからアリシアには自分の気持ちを素直にそのまま言わなければいけないとヒューバートは深く息を吸い込む。
(下手に言葉を飾って誤解されるわけにはいかない、俺にはもう誤解を解く時間はない)
「君にしたこと、君たちにしなかったことを思うと悔やんでも悔やみきれない。でも、どうしたって過去は変えられない。ずいぶんと虫のいいことを言う男だと思われてもいい、君を見つけた、君たちに会えた。俺は君たちを守りたい、君たちに頼られたい。王都なら俺の目と手が届く、帰ってしまったら……俺は寂しい」
子どもみたいな告白しかできない自分がヒューバートは嫌になったが、ここで引いたら『これから』がないと踏ん張る。
「君たちを見かけることすらできないなんて嫌なんだ」
ふうっと大きく息を吐いて、熱くなった頭を冷やす。
言いたいことを言えたこともあって、ヒューバートは自分の頭がやけにすっきりしていることに気づいた。
「王都で暮らすのは、二人にとっても悪くないと思う。王都にはいろんな地方から人が集まっている、よそ者なんてそこかしこにいるから君たち二人がよそ者扱いされることはない」
(まるで仕事の交渉だ)
口説くならもっとロマンチックな方法があるはずだが、ステファンに習うにも時間がないし似合わない真似はしたくない。「アリシアにはこっちのほうが利く気がする」と自分を説得しながら、ヒューバートは勢いを落とさず続ける。
「仕事だって、王都を拠点にすることはメリットの方が大きいはずだ。住むところとか店とかいろいろ準備が必要だけど、いつでも相談に乗るし、いや相談してほしいし、援助だって君が必要なだけ喜んで援助する」
自分の思っていることを素直に、格好悪くてもいいから自分の言葉で全てを語るほうがいいのだ。
「今日の夜には王都に着くから、格好悪いがここで思いきり縋らせてもらう。時間をかければ上手に口説けるかと言えば、そんな自信もないし……アリシア」
名前を呼んだヒューバートは、アリシアが自分と目を合わせてくれるのを待った。
目が合うまでにかかった時間はヒューバートの人生で一番長く感じた。
「俺は君が好きだ。いつからかは分からないけど、もしかしたら君を知るたびに好きになったのかもしれない。一番印象に残っているのは結婚式でヴェールをあげたときだな、あのときも君が好きだと思った。うん、そう考えれば俺はずっと君に恋し続けていて、それに気づいたのがこの告白の真っ最中という大馬鹿者だけど、どうしようもなく、今この瞬間も君が好きなんだ」
(好きじゃなければ、離縁などしなかった)
アリシアに恋をしていたから離縁を受け入れた。
アリシアが唯一ヒューバートに望んだことが離縁だったからだ。
恋をしているから離縁するなんて一般的な理屈じゃないとヒューバートは分かっているが、恋していなければ離縁による手間や損失を考えて離縁を受けいれなかった。
「それは違います。罪悪感やパーシヴァルへの責任感でそう思っているだけです」
青褪めてまで否定するアリシアにヒューバートは苦笑する。
「流石にこの年齢になればこれが好意かどうかくらいは分かるよ。それに罪悪感や責任感から結婚して何が悪いんだ?」
十代の少年少女のような好きから始まるだけの恋は二十代を半分も過ぎれば難しい。
恋の始まりはいろいろで、罪悪感や罪悪感から始まる贖罪めいた恋だって恋は恋、開き直る強かさと狡さが大人の恋には必要だった。
「君の気持ちが何からできていてもいまは構わない。傍にいてくれればそれを君が幸せだと感じられるものに変えてみせるから。七年間、ずっと君が恋しかった」
仕事の移動中に咲く花を見てアリシアを思い出した。
もらった菓子の甘さに、アリシアが好きそうだと思ったりした。
読んで楽しかった本の話、成功して嬉しかった仕事の話、レイナード邸の番犬が産んだ子犬の話。婚約時代に交わした文通のように、日常の他愛のないことをアリシアと共有したい思いを募らせて、気づけば七年たっていた。
「これが俺の恋だ、これは君にだって否定させない」
***
(これは夢ね)
色とりどりの花が咲き乱れる夢のような庭園でヒューバートから恋心を語られるこの状況に、夢を見ているのだとアリシアは思ってしまった。
(ドキドキし過ぎて、どうにかなってしまいそう)
この七年間に男性から誘いを受けたことは何度もあり、中には熱く気持ちを語ってくれる男性もいた。
それでも揺れなかった心をヒューバートはその存在だけであっさり揺らすのだ。
再会したときには揺らめいて、いまこの瞬間には崖から転げ落ちているかのようにガランガランと揺れている。
(もう……どうして……こんな馬鹿みたいな気持ち)
––好きって言われて嬉しい。
頭の中で女の子の声が響く。
気づけばアリシアは明るい陽射しを浴びた荒野に立ち、少し離れたところに小さな芽が一つ出ていた。その隣でしゃがみ込み「嬉しいね」と語りかけるのは幼い自分。
(駄目よ、そんなことを望んではいけないわ)
ヒューバートとの縁は政略的なものだ。
その縁はすでに切れ、自分が望んでいいことではないのだ。
––どうして?
少女のアリシアはなぜかヒューバートによく似た声で尋ねてくる。
その目は呆れているのか、怒っているのか。どちらにせよアリシアを責めている。
––私も、好きって言いたい。
今度は女の子らしい可愛らしい声。
それと同時に双葉の芽が茎を伸ばして若葉になり、蔓が拡がり艶やかな緑色の葉を茂らせ始める。
––やった、嬉しい! 私もヒューバート様が好き、大好き!
小さな子どもの手のような葉が揺れ、アリシアはそれがアイビーの葉だと気づく。
––幸せになりたい。
(そう、あのときもそう思って私はウエディングドレスに刺繍した。ヒューバート様の花嫁として、永遠に幸せに)
––離縁されても仕方がない、なんて思っていないくせに。
少女のアリシアは「嘘つき」と言って、笑って、消えた。
***
「どうして『今』それを言うのですか?」
虚空を見ていたアリシアの目に焦点が戻ったと思ったら、その目に涙が盛り上がる。
アリシアの泣き声が漏れると同時に涙が零れ落ち、ヒューバートの手が勝手に動いた。男性が女性に許可なく触れることはマナー違反だが、アリシアの慟哭はそんな教育をヒューバートに忘れさせた。
「アリシア」
ヒューバートが名前を呼ぶと、涙を拭っていたヒューバートの手にアリシアが自分の頬をすりつける。その甘える仕草にヒューバートの心が思春期の少年のように弾む。
(好意がない相手にすることではない、よな?)
アリシアと婚約していた七年間、アリシアから好意を向けられていると感じたことは何度かある。
結婚式での誓いが初めての口づけだったくらい二人の間に男女の触れ合いはなかったが、誓いの口づけのあとや初夜の閨で向けられた瞳に情熱と甘さがあったことをヒューバートは覚えている。
(でも……)
ここにきて七年という時間がヒューバートに重く圧し掛かる。
思春期をとうに脱した今の自分には、アリシアの行動に好意以外の理由が見つけられてしまう。
過去の記憶に刺激されただけとか、他人の体温が気持ちいいとか。「頬をすり寄せられただけで何を期待して」と呆れた自分の声が聞こえた気がした。
(……アリシアが甘えてくれた、それでいいじゃないか)
「アリシア」
名前を呼んで、頬に触れていた手を後ろに滑らせてアリシアの柔らかい金色の髪の中に潜り込ませると同時に、もう一本の腕でその華奢な体を抱き寄せる。
がっつくなと自分に言い聞かせ、拒絶されればすぐに離すつもりだと分かる程度の力でアリシアの反応を見ながら少しずつ力を込めていく。
幸いにもアリシアが拒絶する様子はなかったので、ヒューバートはアリシアを強く抱きしめ、心からの願望を口にする。
「結婚、してくれないか?」
抱きしめたアリシアの体が大きく震えたことで、びっくりさせてしまったことをヒューバートは反省した。しかし「もう言ってしまったのだから」と開き直ってもいた。言えたことへの安堵もあったのかもしれない。
「……アリシア?」
だから、アリシアの異変にすぐ気づけなかった。
アリシアの体が痙攣していることに気づいたヒューバートは慌てて体を離し、俯くアリシアの顔をのぞき込む。
「どうした!?」
萌黄色の瞳は瞳孔が開き切り、微かに開いた唇からはヒュッヒュッという音が漏れている。
「直ぐに医者を……」
人を呼ぼうとしてヒューバートはここが旅先だと気づく。
しかもアリシアに求愛するつもりだったから人払いをしてしまっている。
「とりあえず宿の中に」
今にもしゃがみ込んでしまいそうなアリシアを抱き上げるため一旦体を離したそのとき、そのタイミングを待っていたかのようにアリシアが自分の腕を思いきり前に伸ばしてヒューバートと距離をとる。
「無理です……私の所為……ヒューバート様、が……幸せ、に……」
蹲りながら、消え入りそうな声を出すアリシアをヒューバートは急いで止める。
「アリシア、無理に話すな」
アリシアが腕を目いっぱい伸ばしてもヒューバートのほうが腕は長い。
ヒューバートは腕を伸ばしたままのアリシアの肩に手を置いて、落ち着かせるように宥めながら、アリシアの異常な様子にどうすべきかヒューバートは必死に冷静を保つ。
「私は、……う、貴族じゃな、あ………パーシヴァ……ダメ……」
ヒューヒューと聞こえていた呼吸音が不意に途切れ、アリシアの眼から焦点が消えた。
「アリシアッ!!」
ぐらりと仰け反ったアリシアを支えたヒューバートは、アリシアが気を失っていることに気づくと急いで抱き上げた。
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