第11話 芽が出る
「大丈夫かい? 昨夜はヒューバート君に抱きかかえられながら帰ってきたからね」
「穴があったら入りたいです。公子様、私のために大きな穴を掘ってくださいませんか?」
項垂れるアリシアの眉間には深い皴が刻まれている。
「僕も同じような失敗を何度もしたなあ。不思議なことに失敗しても全然学ばず、懲りずに繰り返すんだよね」
「私はもう二度とお酒を飲みません」
「そう言って失敗し続けるのが『大人の酒道』って言うでしょ? 上り坂か下り坂かは知らないけれど、昨日の失敗はその初めの一歩だよ」
「誰の言葉ですか?」
「ステファン・イル・ティルズの言葉」
(あなたですか)
アリシアは頭痛が一層酷くなったような気がした。
「アリシア嬢は酔っているときのことを覚えている派なんだね。僕は覚えていない派なんだけど、覚えている派の友人は酔った翌日は必ず『羞恥で死ねる』と言うんだ。そう言うもの?」
「そのご友人に深く同意いたします」
アリシアとしては「毎回後悔するなら酒をやめろ」と思うが、そこは人それぞれなのでアリシアは黙っていた。
「どんな調子だい? 吐き気は?」
「吐き気はありませんが、頭痛はあります」
「秘伝の丸薬をあげよう。吐き気があったら秘伝のジュースだったよ、運がよかったね」
丸薬は苦いだけだが、ジュースはそこに甘みと酸味が加わって何とも言えない味だというステファンの評価に、吐き気がないことを神に感謝しながらその丸薬を受けとった。
しかし、苦味があると思うと飲むのに躊躇してしまう。
「今日も馬車に揺られるんだから飲んでおいたほうがいいよ。出発を明日にしてもいいけれど、早めに例の手続きをしたほうがいいと思う」
その言葉に含みを感じたアリシアはステファンの目をジッと見る。
「少々不穏な雰囲気のある者が数名、君の店を尋ねたそうだ。あの街の住民はずいぶん親切なのだね、君の店が休みの理由や君が子どもと一緒に貴族の馬車に乗っていったことなどを事細かに奴らに教えてあげたそうだ。ご丁寧に、その貴族がレイナード侯爵であることも含めてね」
「そんな……」
「大丈夫だよ。そのくらいヒューバート君も予想して行き先はレイナードだと触れまわってきたみたいだ。レイナードの領都は要塞、あそこに逃げられては困ると奴らは碌に確認せずレイナードに向かった。いま追ってきている者はいないよ」
ステファンの話に安心はできたが、それ以上に落ち込んでしまう。
「ご迷惑をおかけしているのですね」
責任も義務も全て自分が背負うと決めていたのに、こうしてヒューバートの世話になってしまっていることにアリシアは落ち込んだ。
「迷惑などと思っていないさ。むしろヒューバート君は喜んでいると思うよ」
「……喜んでいる?」
「そこは、まあ、彼も男だからね。だから昨夜のことも含めて、謝罪じゃなくてお礼を言ってきたら?」
人付き合いは得意ではないと自覚しているので、アリシアはステファンの助言に従うことにした。
「侯爵様がいまどこにいるかご存知ですか?」
「さあ。僕が最後に見たときには、鼻歌を歌いながら馬車の掃除をしていたけれど」
「鼻歌……それはどなたのお話ですか?」
アリシアから見て、ヒューバートは感情をあまり表に出さない。
鼻歌などあり得ないと、アリシアは嘘つきのステファンに批難のこもった視線を向ける。
「君の前では格好つけて落ち着いた雰囲気を装っているようだけど、彼は喜怒哀楽が結構顔に出るタイプだよ。いまの彼は、恋するオーラ全開。それはアリシア嬢も分かっているよね?」
反射的にアリシアはステファンの指摘を否定しようとしたが、昨夜のヒューバートとの会話やヒューバートが自分に向ける熱い瞳が誤魔化してはいけないとアリシアを諫めた。
「少し真面目な話をしようか」
ステファンの纏う空気が変わり、貴族の表情になった彼にアリシアは背筋が伸びるのを感じた。
「君は、これからどうしたい?」
「……分かりません。いまは王都に行って……行くことで精一杯です」
王都に行ってパーシヴァルと新しい生活を始める。
そう思ってあの街を出たのに、いまのアリシアにはこれからの自分たちが霞の向こうにあるようによく見えなかった。
「質問が曖昧だったかな。それでは、もしヒューバートがあの子を彼の嫡子とし、次期レイナード侯爵に指名したいと言ったら?」
「パーシヴァルがそれを望むなら私は反対しません」
その言葉が本当なのか探るようなステファンの目に、アリシアは怖いと感じそうになるのを堪える。
「ただヒューバート様が再婚なさる場合は、パーシヴァルの将来と身の安全を保障していただきたいとは思います。妻との間に子ができたら、場合によっては家督争いとなりますから」
貴族の家督争いでは命が危うくなることも大いにあり得るし、そうなった場合により危険なのは母が平民で後ろ盾のないパーシヴァルである。
***
(うーん、これは予想外。ヒューバート君の片思い、なのかな?)
ヒューバートとアリシアの間に流れる雰囲気がじれったくて背中を押すつもりだったステファンだが、この事態に失策だったと後悔する。
「君は僕が思った以上に貴族なんだね。ヒューバート君が見せてくれたハンカチの刺繍が緑色だったから、そうだと思ったんだけど」
「……ご存知でしたか」
「ヒューバート君は知らないよ、僕も教えていない」
アリシアがステファンにくれたハンカチに刺されていた刺繍の色は黄色。
あのヒューバートがその刺繍が『友情』を意味していると知っていたから、ステファンは彼が原作の『THREAD』を読んだことは聞き出した。
(残念だけど、緑色は原作にはないんだよね。僕も演劇好きのご夫人と縁がなければ知らなかっただろうけど)
緑色の刺繍は一部の貴族夫人たちから始まった最近の流行。
『THREAD』の続編と話題になった『GARDEN』の「春の庭は彩り鮮やかだけれどそれは一時のこと、庭で常に美しいのは緑色。私の運命はどんなときもずっと傍にいてくれた緑の目をしたあなた」という主人公の台詞がもとになっている。
「緑の刺繍は『運命の人』とか『永遠の人』とかだよね」
「愛する息子の父親で、これは内緒にしていただきたいのですが私の初恋の方ですもの。初恋は忘れられないというのは本当ですね、公子様も経験がおありでは?」
「そうだね。僕の場合はもう初恋の女性の顔も朧気だけど、パーシヴァル君はヒューバート君に瓜二つだからね」
「ですからつい比べてしまって、出会ってもなかなか好意にまで至らず。二度目の恋は縁遠いまま七年、でも子どもを育てていれば一日は長くとも七年なんてあっという間ですわ」
そう言って微笑むアリシアに笑顔を返すも、ステファンは心の中でヒューバートに同情していた。
(焼け木杭には火が付きやすいというけれど、これは手ごわい)
***
(神殿の告解室に人がいく理由が分かった気がするわ……少し気持ちの整理ができた気がするもの)
隣人のジェーンなど世間話ができる程度の人はいたが、友人と呼べる相手のいなかったアリシアは自分の心の中のことを誰かに話したことが初めてだった。
「侯爵様が公子様を『友人』と言った意味が分かった気がします。そしてパーシヴァルにも公子様のような友だちができたらいいと思いますわ」
「光栄だね。パーシヴァル君はヒューバート君に顔はそっくりだけど彼の百倍は素直だもの、きっと僕以上に素晴らしい友だちができるはずだ。本当にいい子だよね」
なんの含みもなく屈託なく褒めるステファンに、アリシアは不意に目の奥が痛くなり、次の瞬間に視界が滲む。
「え、待って、泣かないで。僕、ヒューバート君に殺されるよ」
「そんな、大袈裟ですわ。ただ、あの子を産むと決めたときのことを思い出して……あの子を産んだのは、宿った命を尊ぶ気持ちや家族への憧れもありましたが、侯爵様への未練とか意地とかもあって……結局はあの子に負担を、寂しい思いや哀しい思いをさせてしまったことが……」
ミロやステファン、そしてヒューバートに対して、母親の自分へとは違う甘え方をするパーシヴァルの姿に、自分一人では十分ではなかったことを痛感していた。
もしあのとき諦めずにもう一度手紙を出していれば、ヒューバートに会いに行っていればとパーシヴァルの笑顔を見るたびに後悔が胸にわき上がる。
「選択の決め手なんて、みんなそんなものじゃないかな? 何が正しいなんて他人には分からないし、その選択が正しかったかなんて結果で判断するしかないよ。パーシヴァル君は素直ないい子、君がそれで良いならいいんじゃない?」
そう言ってステファンはにっこり笑う。
「そうして考えると僕が『GARDEN』を好きになれなかったが分かるな」
「お嫌いなんですか?」
「んー、正確には『分からない』かな。まあ、植物に詳しくないのも原因だけど、愛を宿根草にたとえられてもねえ」
(宿根草……)
冬になると地上部は枯れるが、根は残って春になると再び芽吹く宿根草を思い浮かべたアリシアは、それに重なるようにヒューバートのことを思ってゾッとした。
七年前、ヒューバートへの想いは四方八方に伸び拡がってアリシアの心を包み込んでいたが、「好きにしろ」と突き放す手紙を読んだときにそれはポキリと音を立てて根元が折れた。
根元が折れれば枯れて朽ちていくだけ、そうやってヒューバートへの想いも朽ちて消えたと思っていた。
でも、根は生きていた。
パーシヴァルという愛しい存在が、アリシア本人も気づかないほど細い水脈を繋いでその根を活かし続けた。びっしりと心に張った根は新たな種を受けいれない、アリシアが誰にも恋をできなかったのは当然だ。
(まるで呪いだわ)
そしてヒューバートと再会してしまった。
水脈はあっという間に太くなって乾いていた土壌を湿らせ、誰かに頼ったり甘えたりして隙間ができた心に光が差し込んでくる。
(だめよ、彼はレイナード侯爵なのだから)
この先はない、そう思えば芽は出ない。
芽が出たら終わり。七年、そんな時間をゼロにするような勢いで茎が伸び、ツルが拡がり緑の葉が生い茂っていくだろう。
(その選択の先には後悔しかないのだから)
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