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【書籍化】七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。  作者: 酔夫人
第2章

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第10話 かくれんぼが終わる

 二人の会話は思った以上に弾み、二本目のワインが空になったときにヒューバートは異変に気づいた。


(これに気づかなかったって……俺はよほど浮かれていたようだな)


 普段のアリシアはイスに座るときは背筋を伸ばして座り、長時間でもその姿勢が崩れることはない。

 そんなアリシアが今は頭をぐらぐらと前後左右に揺らし、赤く染まった目元はトロンとして眠そうだった。


「酒に弱いのにどうしてこんなにワインを飲んだんだ?」


 半分以上はヒューバートが飲んでいるとはいえ、アリシアが飲んだ量も決して少なくはない。


「弱い? 私が、ですか?」

「ああ」

「ワインを飲んだのは初めてですが……ワインって美味しいんですね」

「……そうか」


 微妙に噛み合わない会話に戸惑うヒューバートの目の前にグラスがニュッと出てくる。


「もう一杯、ください」

「やめたほうがいい」

「だって……喉が渇いたんだもん」


(完全に酔っている……『もん』って何だ?)


 普段のアリシアからは決して聞けない子どものような口調。

 可愛いなんて呑気なことを考える自分を叱りつけ、ヒューバートは給仕を待つより自分で水を取りにいったほうが早いと判断して席を立った。


「ダメ! ……どっか行っちゃ、嫌」

「――卑怯だよ、それは」


 引き留める言葉と萌黄色の瞳に盛り上がる涙に、ヒューバートは再びイスに座るしかなかった。焦りや戸惑いに混乱する頭を落ち着かせようと髪をかき上げる。


 ここで給仕が来てくれれば水の問題くらいは解決したのに、店内は混んでいてなかなか給仕を捕まえることができなかった。

 再びアリシアの目が焦点を失ってぼうっとし始めたタイミングで、「少しだけ」とヒューバートは水を求めて席を立った。



「どうして、こうなった?」


 すぐに給仕を見つけたため、ヒューバートが席を外した時間は三分もない。

 それなのにヒューバートがテーブルに戻れば、アリシアは空のグラスを危ない手つきで揺らしながら楽しそうに笑っていた。


「ねえ、店員さん」

(店員って、俺のことか?)


 ヒューバートを給仕と勘違いするアリシアへの反応にヒューバートは困った。


「この席に座っていた方をご存知ありませんか?」


 完全に酔っているアリシアにヒューバートは苦笑して、「グラスを交換します」とアリシアの手からグラスを取り上げ水を入れたグラスを渡す。

 すぐにひと口飲んだアリシアはパッと笑顔になった。


「まるで水みたい。とても美味しいわ」


 朗らかに微笑むいまのアリシアは、普段のアリシアとは別人だった。


「どこに行ってしまったのかしら」


 アリシアの瞳は寂しそうで、ヒューバートは申しわけなく思いつつも自分の不在を寂しがってくれることが嬉しかった。


「お待ちの方が戻るまで私がここにいましょう。美しい淑女の護衛も立派な仕事ですから」


 お道化た話し方が楽しかったのか、アリシアは声をあげて笑う。


「淑女だなんて、私はもうそんな年ではありません。七歳の子どももいますのよ」

「七歳ですか、可愛い盛りですね」


 ヒューバートの言葉にアリシアの顔が母親のものに変わる。


「息子さんの父親は……」

「え?」


 反射的に言ってしまったことにアリシアが驚いたので、「しまった」と思いながらヒューバートが口を覆うとアリシアの表情が苦笑に変わる。


「あの子は離縁した夫との子で、あの子は最近父親に会ったばかりで……あの子が父親に懐くのは物珍しいからだと自分に言い聞かせているのですが、やっぱり寂しい思いをさせてしまったようで」

「一人で……大変だったでしょう」


 ありきたりの事しか言えない自分に嫌気がさしていると、アリシアが「そうですね」と肯定した。

 素直に「大変だった」と認めるアリシアに興味が引かれて、ヒューバートは口を噤んだ。


「賢くて気遣いもできる優しい元気な子ですが、赤ちゃんの頃は病気も多くて。熱の高さに不安になることも沢山あったし、咳き込む姿に私も胸が痛くなって」

「そんな……あなたを一人で苦労させた旦那さんを……恨んでいますか?」


 恨むという言葉に心当たりがないようにアリシアがキョトンと首を傾げる。

 ヒューバートは安堵で握っていた拳を緩める。


「恨むも何も、母親になると決めたのは私ですし。妊娠を報せたときに『好きにしろ』と言われたのですが……まさか産んだとは思っていなかったはずです」


 アリシアの言葉にヒューバートは唇を噛んだ。

 ヒューバートはアリシアと彼女の産んだ子どもを探しながらも、アリシアが言う通り産まない選択をしたと思ってもいた。


「それでも、旦那さんはあなた……たちを探していたのでしょう?」

「まあ、そうですわね」


 さして重要ではないという感じで答えたアリシアにヒューバートは焦れたが、「ずっと探していた」と言ってもアリシアには響かない理由もヒューバートに分かる。

 今回再会するまでアリシアにとってヒューバートはすでに『過去のひと』だったのだ。



「子どもを産んだことを、後悔していますか?」


 自分が聞いていいことではないかもしれないが、アリシアが『通りすがり』と話している今しか聞けないとヒューバートは思った。


「いいえ、あの子を産んだことを後悔したことはありません。あの子のことで後悔するなら、もっと私が周りの人と上手くやっていれば、あの子はもっと幸せだったのではと思うのです」


「……再婚を考えたことは?」

「一度だけ。でも意味がないと分かったのでやめましたわ」


 詳しく知りたくてヒューバートは口を開きかけたが、すぐに口を閉じた。

 赤の他人のふりをして踏み込んでいい内容ではない。


(再婚を考えていた……)


 アリシアに寄り添う男のシルエットが浮かんでヒューバートの頭がカッと熱くなったが、「ごめんなさい」とアリシアに謝られてスッと冷えた。


「お仕事の邪魔をしてしまって。本当に、どこに行ってしまったのかしら」


(そっちの謝罪か……)

「気にしないでください」


 大きく息を吐いてヒューバートが嫉妬を抑えた。


「やはり怒っていらっしゃるのかしら」

「怒る? なぜ?」


 アリシアの言葉が理解できずヒューバートは首を傾げた。


「子どものことです。迷惑はかけないと決めていたのに……結局はこうして巻き込んでしまったから」

「あなたの言葉を借りるなら、旦那さんが自分で決めたことでしょう?」


 ヒューバートの言葉にアリシアは後悔の滲む表情を顔に浮かべた。


「望んでそうしたのか……人道的かつ倫理的な理由で『父親になる』という選択しかありませんでしたから」


「知らなかったと無視することもできたのに、そうしなかった。それは『父親になりたかった』と思ったからではいけませんか?」


 酔っているアリシアに他人の振りして言う台詞ではないが、それでもヒューバートは言わずにはいられなかった。



「店を出ましょう」


 店内が混雑してきた。

 食事を終えた者がいつまでもテーブルを占拠していたら迷惑だということをアリシアは直ぐに理解したが、躊躇する仕草を見せた。


「どうしました?」

「勝手にいなくなるわけには……」


 こちらに視線を向けて、今ここにいないことになっている『ヒューバート(自分)』を気遣うアリシアにヒューバートは「多少困らせても(ばち)はあたりませんよ」と笑って見せる。


「でも……」

「それならば、あそこに見える公園のベンチで待ちましょう」


 ヒューバートが指さしたのは外灯で明るく照らされた公園のベンチ。「あそこなら」と受け入れてくれたアリシアにヒューバートはホッとした。


 会計を護衛に任せて、ヒューバートはアリシアと共に店を出る。

 店から見たときは明るく見えたが、外灯では夜の暗さは払いきれず隣を歩くアリシアの表情は分かりにくい。


「これって『かくれんぼ』みたい」


 この状況を遊びに例えたからか、アリシアの声が無邪気に聞こえた。


「かくれんぼは好きですか?」


 アリシアの問いにヒューバートは口の中の苦さに耐えながら、何でもない声を心がける。


「嫌いです。隠れられてしまう前に……もう少し話をちゃんとしておけばよかったと後悔するばかりで」


 アリシアの好きなこと、見てみたいもの、興味のある場所。

 婚約者だった七年間を振り返り、その間に何度も茶を飲み話もしたのに何一つ思い出せず、ヒントもない何もない『かくれんぼ』。


「得意なこととか好きなものとか知っていれば、もっと早くに見つけられたかもしれないのに……」


 ヒューバートの後悔の吐露にアリシアは「うーん」と悩んだ声を上げる。


「『かくれんぼ』って見つからない場合はどうやって終わりにするのでしょう。大きな声で『降参』と言うのでしょうか? でも聞こえないところに隠れていたら大変ですよね」

「……降参なんかしませんよ」


 ヒューバートの言葉に「え?」とアリシアが驚いた声を上げる。


「ずっと探すんですよ、何年でもずっと」

「……『かくれんぼ』はかなり大変な遊びなのですね」


 真面目なアリシアの声にヒューバートがふっと笑みを漏らすと、木の根に躓いたアリシアが小さく悲鳴を上げて体をぐらつかせた。


「足元が少々暗いですね、手を繋いでも?」

「駄目です」


 差し出した手をアリシアにきっぱり断られ、ここまでの気さくなやり取りとのギャップにヒューバートは驚く。もう少しやんわりと断られると思っていた。 


「あなたは似ているけれど、違いますから」

「……どういう意味ですか?」


 ヒューバートの言葉にアリシアは答えてはくれず、ただ微笑むだけだった。

 ただその微笑みは綺麗で一切の陰りはなく、あの日結婚式で見たヴェールの下の微笑みに似ていて、ヒューバートは目の奥が痛くなった。



「……少し、冷えますね」


 結局転びそうになったのはあの一回だけで、ヒューバートはアリシアと並んでベンチに座る。

 そして後ろからそっと護衛が差し出したブランケットをヒューバートはアリシアの肩にかける。


「まあ、用意がよろしいのですね。暖かいです、ありがとうございます」

「それなら、良かった」


 二人は特に会話をすることなく、明るいレストランの店内を見ていた。 

 さっきまで自分たちがいたテーブルに新しい客が案内されていて、もちろんそこにヒューバートが現れるわけはない。


 やがてワインの影響か、アリシアの目がとろんと焦点を失い始めた。


(……眠るか)


 ヒューバートが後ろを見ると、暗がりにいた護衛の一人が頷いて消える。

 十分くらいで馬車が来るだろうと思いながら、懐中時計を出して時刻を確認していると肩にこてっと衝撃が来た。


「! アリシ……」

「かくれんぼ……探……」


 ヒューバートの驚いた声はアリシアの寝言のような小さい声で遮られる。

 途切れた言葉は「探して」か「探さないで」か。


「すまない」


 ヒューバートは体の向きを変えると、腕の中にアリシアの体を閉じ込めてぎゅっと抱きしめた。

 しばらくそうしているとアリシアは本格的に眠ったのか、ずしりとした重みを感じながらヒューバートは静かに涙を流した。


「みーつけた」

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― 新着の感想 ―
[一言] どうなっちゃうんだろう?‥(。ŏ﹏ŏ)心配… 両片思いだよね。|ू•ω•` )
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