第6話 奇公子に悩む
朝から賑やかな街を出発した馬車は低い丘をいくつか越えて平野に出た。
ここから王都までは平らな見通しのいい道が続き、次の街の中心地ある尖塔が目に入ったことでミロは少し緊張を緩めた。
あの尖塔はこの一帯を治めるティルズ公爵家の家訓「時は金なり」を象徴する時計台。ティルズの領都であるあの街が『時計の街』と呼ばれる理由である。
(あの街を何ごともなく通過できれば……)
「おい、あれ……」
ミロの思考に先頭を走っていた隊長の戸惑う声が割り込み、緩む速度に嫌な予感がしながらミロが見た道の先には斥候として先に行ったはずの騎士がいた。
些か慌てた様子で戻ってきた形になった騎士は隊長に報告し、報告された隊長の顔が酸っぱいものを食べたような複雑な顔になる。
その理由を聞いてミロの顔も隊長と同じものになった。
「どうしたんだ?」
指示もないのに馬車が止まった上に報告もないことに焦れたらしい。扉を開けたヒューバートの顔には「説明しろ」と書いてあった。
無視はできないが、説明したあとに八つ当たりされると分かっている報告をしたがる者などいない。
その証拠に騎士たちは全員で説明役を押し付け合い、全員の目が向いた隊長に「ミロ」と名を呼ばれたミロが説明役となった。
(お前なら大丈夫、みたいな目で見ているけれど確実に貧乏くじ)
心底嫌だったが、上役の指示は絶対なのでミロは腹をくくった。
「ティルズ公子の馬車がこちらに向かっているそうです」
「進路を変えろ」
間髪を容れないヒューバートの命令にミロはため息を吐く。
「無茶を言わないでください」
街道は整備されているが両脇は獣道。
大きな石や太い枝がゴロゴロある道を馬車で通ることはできない。
(逃げても無駄だとご存知だろうに)
ミロはステファンの性格をよく知っている。
逃げても絶対に何としても追ってくる。粘着質な性格で、捕まえるまで絶対に諦めない根気と軍資金をもっている迷惑なストーカーなのだ。
「おそらく次の休憩地で待ち構えているでしょう」
「停車しているなら好都合だ。見えない振りして全速で駆け抜けろ」
「あの馬車を見過ごしたら護衛失格で私たちはクビになります」
ミロが「クビは困る」と拒否するとヒューバートは諦めのため息を吐き、「分かった」とだけ言って馬車の中に戻り扉を閉めた。
(公子様相手ではどうやっても諦めるしかないのに)
ヒューバートの悪足掻きにミロは呆れた。
***
「どうかなさいましたか?」
アリシアの問いかけに、ヒューバートはこの先の休憩所でステファンが待ち構えていることを渋々説明した。
「侯爵様の花婿付添人をなさった、ご友人ですよね?」
「……よく覚えているな」
(「新妻に尽くす僕。うん、なんかそそる」なんてことを言ったのが印象的でなんて言えないわ)
こういうときに便利な令嬢の微笑みでアリシアはヒューバートの言葉を聞き流す。
「とにかくクセが強い、クセしかない奴で……悪い奴ではないが煩いしお節介だし、とにかく好かれるか嫌われるかがはっきり分かれる煩い男なんだ」
(『煩い』を二回も……)
「すまないが、手短に済ませるので少しだけ付き合ってほしい」
「分かりましたわ」
何のためにステファンがこの先で待ち構えているか分からずアリシアは不安に駆られたが、疲れている様子のヒューバートに聞けなかった。
(あんなに侯爵様が『煩い』と繰り返していた理由がわかる気がするわ)
「派手だね」
鮮血で染めたような真っ赤な馬車を見たパーシヴァルの一言は実に適確だとアリシアは思った。
「あれこそ『ティルズの赤馬車』。見た目の派手さと利用者の変人さで有名な馬車だ」
馬車が二十台は軽く停車できる広さの休憩地の中央にデンッと鎮座する赤馬車。
ほかの馬車は隅っこに固まって停めている。
同じタイミングでここに来てしまった不運な馬車たちにアリシアは同情した。
「どうやって赤くしたの?」
「樹液で作った赤い液を塗ったと聞いた。防水効果が高くて雨に強いと俺も奨められたが、赤以外には黄色しかないと聞いて丁重に断った」
真っ黒な馬車も目立つが、黄色の馬車は論外だとアリシアは思った。
一方でパーシヴァルは「黄色なんて格好いい」と目を輝かせている。
「子どもの人気は高そうですね。遠くからでも直ぐ分かりそうですし」
「それはうちの騎士たちが太鼓判を押している」
親指の爪サイズでも『ティルズの赤馬車』だと直ぐに分かったという具体例にアリシアは苦笑しかない。
「病人を運ぶ馬車にいいのではありませんか? 進路が確保しやすくなりそうです」
「ははは、それは愉快な意見だね」
アリシアの言葉に扉の開く音が重なり、そこにいた金髪に青い瞳の煌びやかなステファンに「王子様だ」とパーシヴァルが歓声を上げる。
「ステファン、盗み聞きは悪趣味だぞ」
「金の種は内緒話と噂話の中に埋まっているんだよ?」
「どうして俺がここに来るのが分かった?」
「隣の街にうちの者を配備しておいたんだ。若い道化師に銀貨を払ったんだって?」
昨日のことをもう知っているステファンに、彼が随分と良い耳を持っていることをアリシアは理解した。
「アリシア嬢と、この子がパーシヴァル君だね。初めまして、ここの領主の息子でステファンといいます」
「お久しぶりです、ティルズ公子様。結婚式のときは大変お世話になりました」
「僕のことを覚えていてくれたとは光栄だね」
(忘れたくても、ちょっと忘れられませんわ)
ステファンはアリシアをジッと見たあと、ヒューバートに向き直った。
「ヒューバート君、今夜はうちに滞在するよね?」
「いや、俺たちは宿に……」
「宿ならキャンセルしたよ。迷惑料として宿泊代と同額を払っておいたから」
「……お前のところに泊まるしかないじゃないか」
ため息を吐くヒューバートの肩をステファンは笑って叩き、その笑顔をアリシアとパーシヴァルに向ける。
「二人も、ね」
「……ありがとうございます」
ステファンの意図が分からず警戒してみせたが、ステファンは飄々とした態度を崩さなかった。
「あまり警戒しないでほしいな。美人は大好きだけど大切な友ほどじゃあないから」
冷たい目をした笑顔。わずかに感じる敵意とまではいかないが探るような視線に、ヒューバートに害がないか見定めにきたのだとアリシアには分かった。
「警戒などいたしませんわ」
探られて痛い腹など持っていない。
それが分かるようにアリシアも綺麗な笑顔を返した。
***
(なるほど、ヒューバートが骨抜きになるわけだ)
最初は戸惑いを隠さなかったが、こちらの思惑が分かったと言うような綺麗な微笑みを向けるアリシアにステファンは感心した。
穏やかな萌黄色に好戦的な光が宿ったときは思わず恋におちそうで、「ヒューバートの大事な女性」と心の中で三回唱えなければいけなかった。
ノーザン王国の国王の妹を母親に持つステファンは『奇公子』と呼ばれる難がある性格をしているが次期公爵としての実力は十分にあるし、男の子が一目で「王子様だ」と喜ぶくらい優れた容姿もしているため先ほどのように好意的に見える微笑みを向ければ相手の心を揺さぶることが大体できた。
この「大体」というのがステファンにとって大事なポイント。
揺さぶることができなかった人もいるわけで、その数少ない貴重な相手がヒューバートなのだが、今日もう一人増えた。
(この七年、誰もヒューバートの心を奪えなかったわけだ)
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