第5話 隠れた闇を見る
長いです。
翌日は晴天に恵まれ、糸布の街を出た馬車は水たまりを踏みながら街道を王都に向かって進む。この日の旅は順調で、西日が赤く染まる頃に馬車は次の街の門を潜った。
「この街でもお祭りをやっているの?」
旅も四日目、パーシヴァルは畏まるのをやめてヒューバートに対して素で話すようになった。
そんなパーシヴァルがヒューバートは余程可愛いのか、聞かれた質問に答える前に頭を撫でるのが習慣になりつつあった。
「王立劇場があるこの街は演劇が盛んで、街のあちこちで劇の衣装を着た俳優たちがああやって自分たちの劇のチラシを配っているんだ」
ヒューバートが指さす先には、紙の束をもつ若者が沢山いた。衣装の種類をみるといくつもの劇団が配っているようだった。
「王立劇場ではあんなにいっぱい劇ができるの?」
「王立劇場で上演されるのはワンシーズンに一つで、選ばれた劇はああやって宣伝する必要はない。ああやって自分たちでチラシを配っているのは街にいくつもある小さな民営劇場で上演する劇の団員たちだろうな」
「民営ということは、侯爵様も劇場をもっているの?」
「俺はこういう芸術関係には疎いんだ。友人が出資している劇団の舞台を何度か見にいったが、非現実的過ぎてあまり話が理解できなかった」
窓の外には非現実的な衣装を着た人たちで溢れていて、これがいつもの光景なこの街は演劇の街と呼ばれている。
「この街は演劇関係者が多い。特に役者、一流から卵までいるから『大通りで石を投げれば役者に当たる』と言われている」
「楽しそうだね」
「やっては駄目よ」
アリシアの注意にパーシヴァル素直に「やらないよ」と言ったが、その目は爛々と輝いていて疑いは拭えない。最近のパーシヴァルはこんな悪戯っ子のような発言が増えてアリシアは戸惑っている。
ヒューバートやミロたちといるときのパーシヴァルは『子ども』に見えて、今まで自分といたパーシヴァルは甘え切れていなかったのだとアリシアは感じて寂しさとほんの少しの嫉妬心をヒューバートたちに抱いてしまう。
(駄目よ、パーシヴァルは私の『もの』じゃないのだから)
あの子爵たちと同じになってしまわないように。アリシアは自分を戒め、パーシヴァルのように街の風景を楽しむことにした。
「あれは、寸劇でしょうか。私たちに見せているのですか?」
こちらに向かって何かを演じる数人の男女。
なぜあんなことをするのかヒューバートに尋ねたのだが、尋ねたあとに自分もパーシヴァルのようにヒューバート対する態度が変わってきていることにアリシアは気づいた。
「どこも劇団も常に出資者を求めている。この馬車はパトロンの輿に見えるのだろう。ああやって劇を見せる方法は正攻法で良いが、場合によっては搦め手でくる場合もあって……」
ヒューバートの言葉の途中で突然馬車の扉が開き、咄嗟にパーシヴァルを抱き寄せたアリシアの目の前には劇中でよくみる道化師がいた。
(な、なに?)
急な展開に理解が追いつかないでいると、アリシアの前にヒューバートの腕が伸びてきた。
「近づき過ぎだ」
「失礼いたしました」
ヒューバートの低い声に道化師は馬車の入口まで下がり、馬車から下りるかと思ったら中空で立った。思わずアリシアの喉から「あ」と声が出たが、よく見れば細長い箱の上に立っている。
悪戯が成功したかのように赤くて大きな唇で笑い、道化師はそのまま器用にお辞儀をしてみせた。
「こんにちは、美しい人」
道化師の手に白い花が突然現れる。
「貴女の美しさに惑わされた罪深き私をお赦しください。私の愛の証しです、どうぞお受け取りを」
「え、あ、でも……まあ」
戸惑うアリシアに向かって伸ばされた道化師の腕の先、手に持っていた白い花が赤い花に変わった。
道化師は花をアリシアの近くに寄せたが、アリシアはヒューバートの視線を痛いほどに感じて受け取るのを躊躇してしまった。
これは舞台の一部。しかしこの花を受けとったら、いまの自分とヒューバートの曖昧な関係に名前がついてしまいそうでアリシアは怖かった。
***
(ただのお芝居なのに)
道化師に扮した自分相手に、しかも差し出したのは見切り品になっていた花一輪。
何をそんなに迷うのだろうかと、道化師の男は内心首を傾げながら演技を続ける。
「貴女のためならば悋気に染まった男とも戦いましょう」
「それは面白いな」
横から聞こえた低い男の声に、道化師役の男は演技を忘れて恐る恐る横を見る。
暗く光る男の赤い目に、「あの馬車に行ってこい」と背中を押した先輩たちを深く恨んだ。
「え、演技ですよ」
「それはそうだろう」
(そうじゃなかったら容赦しない、と聞こえるのは気のせいだよな)
道化師の男はいますぐにでも逃げ出したい気持ちになったが、自分でも知っている大商会『レイナード』の家紋をつけた馬車なのだからと自分を奮い立たせる。
「えーっと……これ、うちの劇団のチラシです。よろしければ……本当によろしければ、ぜひ見にきてください」
何とか自分の劇団のアピールはできたと満足し、逃げようとした道化師の男の背中に「待て」とヒューバートの制止を命じる声が投げつけられる。
「な、何でしょう」
「演技で金をとるプロが手ぶらで戻ってどうする。持っていけ」
ヒューバートが放った硬貨を道化師の男は勢いよく後に下がりながら受け取る。
手首のスナップだけでそこまで飛ばした手首の強さに感心しながら、取った硬貨の輝く銀色に驚く。彼の劇団のチケット価格は銅貨十枚なので百人分の売上げだ。
「ありがとうございました!」
***
「驚いたね」
馬車の扉が閉まると、ずっと黙っていたパーシヴァルがアリシアの腕の中で呟いた。
アリシアもパーシヴァルの言葉に同意するように頷き、守るように抱きしめていたパーシヴァルを解放する。
「護衛が嫌がりそうな街ですね」
「貴族の馬車には身体検査を受けてから入ってくるが、馬車の外のことは分かりにくいから中にいる者からすれば突然馬車に侵入されるのと変わりはない。俺がこの街に初めて来たときには殴りかかりそうになった」
ヒューバートの言葉に二人は同じ萌黄色の瞳に驚きを浮かべたが、その後パーシヴァルの目に灯った尊敬の光をヒューバートはくすぐったく感じた。
しかしそんな高揚感は次の瞬間に弾ける。
「私は乗合馬車に乗ってきたので、あんな宣伝があることは知りませんでした」
「乗合馬車、だと?」
二十歳にもならない若い女性が一人で旅をするなど危険極まりなく、しかも貸馬車ではなく乗合馬車を使うなど無事であったことを神に感謝するレベルの話だった。
確かに当時のアリシアの状況を思えばその手段をとるしかないだろうし、それをヒューバートが一度も考えないわけではなかったが、凄惨な結果に耐えきれずそのことは考えないようにしていた。
「巡礼の修道女さんたちと一緒だったので一人旅に見えず、運が良かったです」
「……そうだな」
自分の知らないところでアリシアが危険に晒されていた事実を改め認識させられ、走る衝撃に拳を握ってヒューバートは堪える。
(本当に運よく何もなかったのか? 言わないだけではないか?)
ヒューバートは眉間が痛むほど眉を顰め、悪い想像を振り払おうとしたができなかった。
その日の宿は街の中心地にあるホテルだったが、観劇する予定はないのだから街の外れの静かな宿にすれば良かったとヒューバートは後悔した。
「今夜は眠れそうにないな」
街の音が耳障りだったし、馬車でのアリシアの話がまだ尾を引いていて悪夢を見る予感もした。
ベランダに出て夜風に当たる。
観劇を楽しんだ人々が街中で食事や酒を楽しむため夜も賑わい、街中の灯りが消えないことから『不夜の街』とも言われている。
甘ったるい声がしたほうを見れば、建物の間の暗がりで男女が絡み合っていた。
こうして俯瞰してみればこの街には劇場だけではなく酒場に賭博場そして娼館と、一夜の夢を見る場所が沢山ある。光に闇はつきもので、ここは街道沿いの宿場町の中では最も犯罪率の高い街だ。
今度は女性の甲高い声がヒューバートの耳に届く。
それが犯罪被害者の助けを呼ぶ悲鳴ではないことを祈りながらヒューバートは目を瞑った。
――コンコンコン。
ノックの音にヒューバートは寄りかかっていたベランダの欄干から体を起こす。騎士の誰かだろうと思って扉を開けるとパーシヴァルがいた。
「どうした?」
「これあげる」
パーシヴァルが胸に押しつけたものを受けとって広げてみれば、レイナード家の家紋が刺繍されたハンカチだった。
「お母さんが侯爵様に渡すつもりで作ったやつ。せっかく作ったのにさ。いつまでも渡さないから、代わりに僕が渡そうと思って」
「代わりにって……勝手に取ってきたのか?」
「ちゃんと言って持ってきたよ。お母さんはお風呂に入っていたけれどね」
それでは止めたくても止められなかったに違いない。確信めいたパーシヴァルの行動にヒューバートは苦笑するしかなかった。
「ちゃんとお母さんにお礼を言ってね。それじゃあ僕は隠れるから」
後ろを見たパーシヴァルの視線を追えば、ミロが護衛騎士たちが使っている部屋の入口から手招きをしていた。
ミロのところに駆け寄ったパーシヴァルは「お母さんには内緒だよ」と言って扉を閉めてしまう。
(計画的犯行だな)
扉を開けてそのまま待っていると、パーシヴァルが隠れて五分もたたずにアリシアが部屋から出てきた。
「侯爵様、ヴァルはどちらですか?」
急いでいたのがまだ雫が落ちる濡れた髪から分かる。ふわりと漂う石鹸の香りにヒューバートの心臓が弾んだ。
「かくれんぼ、だそうだ」
ヒューバートの答えにアリシアは騎士たちの部屋を見る。
息子の行動は母親にお見通しのようだ。
「あの子から受け取ったが、本当にもらってしまっていいのか?」
そう言うと、なぜかアリシアは驚いた顔をした。
「構いませんが……贈り物は受け取らないのでは?」
ヒューバートは前の街での会話を思い出し、パーシヴァルの機転に深く感謝した。
「全部を拒否しているわけではないし、ミシェルからは受け取る」
「ミシェル様は……侯爵様がよろしいなら今回のことのお礼として、稚拙なものですが受け取ってください」
礼を言ってヒューバートはハンカチを広げ、拙さなどどこにも見当たらない見事な獅子の刺繍に微笑む。
「ちゃんとうちの家紋だ。ミシェルの蒲公英とは大違いだ」
「言わせていただくならば紋章の獅子が細かすぎるのであって、一歩間違えばそれも蒲公英になりますわ」
ミシェルの刺繍を貶める自分の発言を責めるアリシアをヒューバートは意外だと思った。ミシェルがしたことを思えば、アリシアはミシェルのことをよく思っていないと思ったからだ。
アリシアが部屋に戻るのを見送ってヒューバートが自分の部屋の扉を閉めると、扉の向こうから駆けていく小さな足音が聞こえてきて口元が緩んだ。
そのまま扉に寄りかかって耳をすませば、叱られたパーシヴァルは飄々とした口調で笑いながらアリシアに謝っていた。
叱った効果はなさそうだが一件は落着したことにヒューバートはホッとし、もう一度ハンカチを広げる。
(赤い刺繍に意味があったように、この緑色にも何か意味があるのかもしれない)
深読みして勝手に期待する自分に呆れながらも、ヒューバートは部屋を出て宿の者を探した。
「その話は『 THREAD』ですね」
さすが演劇の街。宿の者に刺繍の色にまつわる劇の話を聞いたら、その劇の原作の本を借りることができた。眠らない言い訳ができたヒューバートはベッドに寄りかかり表紙を開く。
読み終えたのは空が白み始める頃だった。
「緑色の刺繍は出てこなかったな」
––愛する人には赤色の刺繍を、心を込めて贈りましょう。因縁の相手には黒色の刺繍を、素敵な笑顔で贈りましょう。
「黒色じゃなかったことを喜ぶことにしよう」
ヒューバートはハンカチを丁寧に畳むと、スーツの上着のポケットに丁寧にしまった。
読んでくださり、ありがとうございました。感想をお待ちしています。
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