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【書籍化】七年間婚約していた旦那様に、結婚して七日で捨てられました。  作者: 酔夫人
第2章

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第4話 雨が降る

長いです。

 昨夜の祭りの片づけに賑わう朝の街を抜けて街道に出ると、昨夜眠るのが遅かったパーシヴァルはすぐに舟をこぎ出した。


「このままでは昼夜逆転生活になりそうだな」

「今夜は雨。宿の部屋に閉じ込められれば飽きてすぐに眠るでしょう」


 アリシアがパーシヴァルのまだ華奢な肩を引き寄せてその頭を自分の膝に乗せると、ヒューバートは用意しておいたひざ掛けをかけた。「君もどうだ?」とすすめられたひざ掛けをアリシアも礼を言って受け取る。


「気温が下がってきましたね」

「雨のせいだろうな」


 そう言ってヒューバートは窓の外に険しい視線を向ける。


「これ以上雨足が強くなったら次の街にしばらく逗留することになる」


 次の街の先には山があり、峠道を雨のあとに通るのは土砂崩れなどの危険がある。


「安全が第一ですもの……ただ、侯爵様はいいのですか?」

「仕事なら問題はないが、なぜ?」

「難しい顔で外を見ていらしたので」

「ああ……雨が嫌いなだけだから」


 昼間だというのに夕刻のように暗い空、窓を伝う雫はヒューバートに悪夢を思い出させる。


(眠りたくないのに)


 そうは思うが、昨夜は祭りの高揚感とアリシアたちと過ごした幸福感が重なって寝つきが悪く、馬車の中もパーシヴァルが眠ったことで話すことがなくなり静かになったため、ヒューバートは瞼の重みに目が閉じそうになる。


 しばらくすると、アリシアもパーシヴァルを膝に乗せたまま寝息をたて始め、それに誘われてヒューバートも眠りに落ちた。




「――またこの夢か」


 雨で濡れるステンドグラスを見上げながらヒューバートはため息を吐く。

 夢はいつもあの聖堂のパイプオルガンが荘厳な音を立てるところから始まる。雨雲の影響で聖堂の中は暗く、婚礼を祝う明るい曲が哀しい葬送曲に聞こえる。


 重たい扉が開く音がしてそちらを見れば、あの日と同じようにアリシアがいた。

 古ぼけたウエディングドレスと、ヒューバートの母カトレアが贈ったヴェールの真新しさが醜いコンストラクトを描く。


「今回は笑ってくれるんだな」


 揺れるヴェールの縁から見えた、緩く弧を描くアリシアの赤い唇にヒューバートは目を細めながら一人呟く。


 花嫁のアリシアが泣いている夢もあれば、微笑んでいる夢もある。

 アリシアが泣いて入場する夢を見たあとは眠ることが嫌になり、睡眠時間を削って仕事に打ち込んだ結果、商会で倒れて医師を呼ぶ騒ぎになったりした。


 今日は笑ってくれることにホッとして、アリシアが一人で歩いて祭壇まで来るのを待つ。

 目の前に立つアリシアにヒューバートが手を差し出すと、わずかに顔を上げたアリシアがヒューバートの手に自分の手を重ねる。


「うわっ!」


 手袋をした白い手が重なる瞬間、今日の夢は初めてだと思った。

 アリシアのドレスに刺繍されていたアイビーが生い茂り始めて、ヒューバートは驚いて声をあげる。アイビーはヒューバートの手足に絡まり、子どもの手を思わせる緑の葉がヒューバートの視界を覆う。


「ヒューバート様? どこですか?」


 自分を探すアリシアの声、ヒューバートはここからの展開をよく知っている。

 この先を見たくなくてヒューバートは俯いて唇を噛んだが、悲しそうに自分の名前を呼ぶアリシアの声を無視することなどヒューバートにはできないのだ。


「アリシア」


 声のするほうに手を伸ばし、何かに触れたと思った瞬間に視界を遮っていた葉が全て消えた。


「この野郎……」


 目に飛び込んできた光景に食いしばった歯の間からヒューバートは唸り声を漏らる。

 そこには両手を前で縛られて引かれるアリシアと、アリシアの手を縛る縄を引っ張る子爵がいた。アリシアを家畜のように扱いながら笑う子爵の姿に頭に血が昇り、食いしばった歯が軋んだ瞬間、頭上のステンドガラスが割れた。雨が吹き込んできてアリシアの悲鳴が上がる。


(振り返りたくない)


 しかし夢はヒューバートの思い通りにならず、振り返ってアリシアの胸にガラスの大きな破片が突き刺さっているのを見てしまう。ガラスが刺さった場所から血が流れ、胸から下がどんどん赤く染まっていく。




「街に着くようですね」


 アリシアの声にヒューバートは目を覚ました。


(寝てしまっていたのか)


「顔色が……パーシヴァル、お水を」

「ああ、すまない……ありがとう、パーシヴァル」


 パーシヴァルが差し出した携帯水筒を受け取ると、ヒューバートは何とか笑みを浮かべて心配そうな顔をするパーシヴァルの黒髪を撫でる。


(彼女は生きている……子どもを産んで、ここにいる)


 一夜の行為で孕んだ子の母になる選択をアリシアがするとヒューバートは思っていなかった。

 後ろ盾も仕事の経験もない十八歳の少女が一人で子を育てることは無謀に近いことだからだ。


(それなのに、アリシアは一人で立派にここまで育ててくれた)


 パーシヴァルがこうして人を気遣えるのは優しさを学び、優しさを与える余裕があるからで、そんな人間にパーシヴァルを育てたのがアリシアだ。


(欲とは際限がないな)


 最初はアリシアが無事かどうかを知りたかっただけなのに、こうして二人が生きているのを見ると自分を受けいれてほしくなる。


 ヒューバートは上着の上から手帳に手をあてた。

 手帳に挟んでいるのはアリシアが捨てていったウエディングドレスの一部。ヒューバートが見つけたウエディングドレスは胸から足元まで赤黒いシミが広がっていて、それが何でどうしてこうなったかはミシェルが話してくれた。


(俺に……そんな資格はあるのだろうか)


 夢の中で血を流すアリシアを思い出し、自分もあの血を流させた者たちの一人だとヒューバートは分かっていた。


 ***


「わあっ」


 ヒューバートたちの乗る馬車は貴族の家紋付きなので街の検問は簡単な確認で終わり、あっという間に抜けた門の先は色の世界だった。


「この街は二つの交易路が重なったところにある。どちらも主要な交易品が糸や布だから、それらを扱う店が多いんだ」


 色の洪水に興奮するパーシヴァルにヒューバートがこの街の説明をする。

 ここは建物から街を歩く人まで異国情緒に溢れていて、天井から布をぶらさげる店が並ぶ市場がとても美しい街だ。


「この街には正式な名前があるが、糸布(しふ)の街と呼ばれることが多い」

「しふ?」


 聞き慣れない言葉に首を傾げるパーシヴァルに、「糸と布という意味よ」とアリシアが簡単な言葉で意味を教えている間も熱帯魚が泳ぐように色鮮やかな布が舞う街中を馬車は進み、今夜の宿の前にゆっくりと停まった。




「雨による影響は問題なさそうだ。明日は予定どおり出発することになる」


 割り当てられた部屋でアリシアが荷解きをしているとヒューバートが来て、騎士の誰かに伝えさせればいい内容を直接伝えにきたヒューバートにアリシアは思わず首を傾げる。


「その……疲れていなければ、これから市場に行かないか? 西からのキャラバンが来ているらしいし、どうだろう?」


 ヒューバートの緊張が移って答えに困るアリシアの背を押したのは、意外なことにパーシヴァルだった。


「お母さん、市場巡りが好きじゃないか。せっかくだから行っておいでよ」

「ヴァルは行かないの?」

「僕はまだ眠いから宿にいるね。侍女のお姉さんもミロさんもいるから大丈夫だよ。侯爵様、お母さんをよろしくお願いします」


 パーシヴァルのまるで保護者のような口ぶりにヒューバートが笑いながら了承すれば、アリシアに侍女が外套を渡した。


 小雨が降る中、二人並んで宿から一番近い市場に向かう。


「俺のことは気にしなくていいから、君が好きな物を見てくれ」

「ありがとうございます」


 普段は遠慮しがちのアリシアだが、どこもかしこも布と糸だらけの市場では好奇心のほうが先に立ち、ヒューバートの言葉に甘えて気の向くままに見て回る。

 目をキラキラさせながら首を巡らせ、垂れた布地にそっと触れては感嘆の吐息を漏らす。


「可愛い奥さんとデートかい?」


 アリシアが目をつけた布や糸を、金に糸目をつけずに次々と注文するヒューバートを店主が揶揄(からか)う。


「デート……」


 ヒューバートとアリシアの戸惑った視線が絡まる。


 お互い二十代半ば、少年少女のように手を繋いで歩くデートなどできない。

 でもアリシアはいま楽しいし、自分が背伸びしているのに気づいて高い位置にある布を取ってくれるヒューバートは優しい。


「ええ、デートですね」

「そうか。デート、だな」


 これがデートだと確かめ合う二人に店主はキョトンとしたあと大きな声で笑った。


「ははは、幸せそうで何よりだ。気が向いたらまた寄ってくれよ」


 品物を受け取った二人はさらに奥に向かう。美形の二人は人目をひき、二人の間に漂う初々しさを店頭にいる女性たちが陽気に冷やかす。


「美人さん、うちには赤色の刺繍糸がたくさんありますよ」

「隣の格好いい彼の髪みたいな黒の絹がお薦めよ」

「あら、赤の刺繍なら白の布が一番映えるわ」


 彼女たちの言葉にヒューバートは反応に困っているようなのに、彼女たちが薦めてくる商品を全て購入していく。そんなヒューバートにアリシアが困惑する。


「こんなにたくさん……」

「せっかくだから俺も買い物を楽しもうと思って。しかし、なぜみんな赤色の刺繍を勧めてくるんだ?」


 首を傾げるヒューバートにアリシアは驚いた。


「ヒューバート様なら赤い刺繍のハンカチをもらっているのでは?」


 赤色の刺繍は『あなたに心を捧げる』という愛の言葉。

 ヒューバートが当主になってからレイナード侯爵家は雪だるま式に資産を増やし、今では国でも指折りの資産家。さらに独身とあってヒューバートが女性にとても人気があるという話は辺境にも届いていた。


「俺ならって、俺は基本的に誰からも何も受け取らないぞ」

「そう、なんですか?」

「なんで疑問形? まあ、いい。それで赤い刺繍はなんでだ?」

「赤い刺繍は愛の言葉、『愛しています』という意味があるのです」


 ヒューバートの反応は「へえ」と興味の薄いものだったが、次の瞬間に考えるような仕草をした。


「そう言えば、ミシェルが婚約したばかりの頃に赤い刺繍のハンカチばかり貰った気がする。ミシェルの刺繍は独創的で、うちの家紋だと言い張っていたがあれはどう見ても獅子ではなく蒲公英(タンポポ)だった」

「ミシェル様、ですか」


 ミシェルの名前に思わずアリシアの顔が歪んだとき、突然強い風が吹く。


「きゃっ」


 アリシアが悲鳴をあげると同時にあちこちの店先で布がはためき、押さえが甘かった布が何枚も宙に舞い上がる。思わずその光景に見とれていると、空を舞っていた一枚の真っ白な布がアリシアを頭からすっぽり覆った。


「ど、どうしましょう」


 降ってきた白い布は長く、アリシアは布を抱え上げて汚れないようにしたが、そうすることで両手が塞がってしまった。その間もアリシアの周囲を白い布がバサバサと舞う。


「ちょっと待っていろ」


 アリシアの頭から白い布を取ろうとヒューバートが手を伸ばした瞬間、余所から飛んできた緑色の布が今度はヒューバートに被さった。


 布を透かして見えたその光景にアリシアが「あ……」と声を出したとき、ヒューバートが突然「アリシア!!」と大きな声でアリシアを呼んだ。

 その叫ぶような声にアリシアは驚いて動きを止める。


 そんなアリシアに倣うように先ほどまで吹き荒れていた風も収まり、ふわりふわりと舞う布のカラフルな雨の中でアリシアは白い布を取り、ヒュバートと向き合う。


「すまない……少し気が動転してしまったようだ」


 先にそう言って目をそらしたのはヒューバートのほうだった。


「いえ、お気になさらないでください」

「いや、すまない」


 二回も謝罪をするヒューバートの顔は青く、「大丈夫か? ケガをしていたり、どこかに痛みは?」と全身を確認する異常なほどの気遣いにアリシアは戸惑う


「私は大丈夫です。飛んできたのは布ですし」

「大丈夫ならいい……大丈夫なら、それならいいんだ」


 そう言うヒューバートの姿が、アリシアには泣いているように見えた。


(小雨が降っているから、よね?)

読んでくださり、ありがとうございました。感想をお待ちしています。


ブログもやっています

https://tudurucoto.info/

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