第12話 不幸を願う
アリシアと離縁して直ぐにヒューバートはレイナード侯爵になった。
実業家として評価されていても領を治める経験がほとんどないヒューバートを領主として迎えることに不安の声もあったが、ヒューバートの父のオリバーは素養もヤル気もない領主だと知られていたので不安の声は直ぐにおさまった。
「当主様の執務室に移動しませんか?」
ボッシュがそう言ったのはヒューバートが当主になってから半年以上経っていた。
レイナード邸には当主用の執務室があるが、爵位を継ぐ前からレイナードの仕事はヒューバートがしていたのでヒューバートは今までと同じ執務室を使っていた。
「特に不便はないが?」
「侯爵家の体面もありまして」
別にヒューバートには部屋への拘りはなかったので、ボッシュの提案を受け入れて三日後に執務室を移動することになり、当主用の執務室の扉を開けて唖然とした。
「何だ、これは?」
未決済の書類を詰めた木箱で埋まっていた部屋の状況に声をあげたヒューバートにボッシュが説明をする。
説明は簡潔で、最初は持ってきた書類をそのまま積んでいたがひたすら高くなる山は片っ端から雪崩れるだけで、「どうせ見ることはないのだから」と思って木箱にどんどん放り込んでいったとのこと。
一応木箱に日付が書いてはあったため時期は分かるが、請求書も嘆願書も全て一緒になっている状態にヒューバートは痛む頭を押さえた。
「全部燃やしてしまわないか?」
「ダメです。ツケの未払いはあとで問題になります」
匙を投げようとしたヒューバートをボッシュは必死に宥め、緊急の書類はないため急ぎ処理する必要はないからとボッシュに説得されて、彼の手を借りながらヒューバートは一箱ずつ片づけていった。
木箱の中身のほとんどを占めた恋文は全て焼却処分した。
酒場や花宿からの請求書は請求金額に色を付け、謝罪の手紙を添えて返済した。
努力の甲斐もあって箱はどんどん減っていき、日付けが一年前の箱に手をつけ始めた頃には書類を捌く速度もあがっていた。大半を占める父親宛の個人的な手紙は送り主の名前だけで内容を察することができるようになり、そんな手紙は開封する手間も省いて焼却処分とした。
その日も焼却、焼却、と言いながら箱の中の三分の一ほどを片付け、休憩しようと思ったときに見覚えのある字の、しかもヒューバート宛の手紙を見つけた。
「……アリシア?」
封筒をひっくり返して、そこに書かれた差出人の名前を無意識に呟き、アリシアからの手紙だと理解したヒューバートが急いで消印を見ると日付けは十カ月ほど前のものだった。
見た覚えのないその手紙が開封されていることに、ヒューバートは嫌な予感がした。
その予感は当たった。
ヒューバートが震える手で取り出した便箋には挨拶と姿を消したことへの謝罪。そして【子どもができました。お気持ちをお聞かせください】と書いてあった。
「ボッシュ!」
手紙に書かれていた連絡先の宿にヒューバートは急いで人を遣ったがアリシアはすでにいなかった。
ただアルマという名の宿の女将が「侯爵家から手紙が来た」と証言したため、ヒューバートはオリバーを問い質すことにした。自分が知らないと言うことは、アリシアに出した手紙を書いたのはオリバーに違いないからだ。
「どうしたんだ?」
先触れなくレイナード領の屋敷に荒々しい足取りで入ってきたヒューバートの姿に母カトレアは驚いたが、ヒューバートにオリバーの居場所を尋ねられるとカトレアはオリバーのいるところに案内した。
「どうしたんだ?」
ヒューバートを見たオリバーはカトレアと同じことを言ったが、ヒューバートの対応はカトレアへのものと違っていた。ヒューバートはオリバーの首を、彼が身に着けていたクラバットで締めあげてアリシアからの手紙にどんな返事をしたのか問い質した。
「す、好きにして構わないけれど、こ、侯爵家は一切関与しないって返事を、だ、した」
ヒューバートの剣幕に押されたか、それとも息苦しかったのか。
必死な様子でアリシアにしたことを白状したオリバーに、その返事の内容にヒューバートは頭に血がのぼって再びオリバーの首を絞めようとしたが、カトレアに止められた。
「母上?」
ヒューバートはカトレアに怪訝な目を向けたが、カトレアはヒューバートを見ておらず燃えるような赤い目をオリバーに向けていた。
「貴様、そこに座って首を出せ」
カトレアは武の名門の出身。自身も剣を嗜んでいるカトレアにヒューバートはオリバーへの制裁は任せることにした。それよりもヒューバートにはやらなければいけないことがあった。
「王都に戻る、馬車の用意を」
とんぼ返りで発とうとするヒューバートを止める声は多かったが、必要な準備を終えるとヒューバートはわき目もふらずに屋敷を発った。
土砂降りの雨が馬車を濡らし、ヒューバートには流れる雨の雫がアリシアの涙のように見えた。
「旦那様!?」
想定外の早さで領地から帰ってきたヒューバートにボッシュは驚いたが、ヒューバートから命じられた内容にさらに驚くことになった。
「コールドウェル子爵がアリシアを探していないかを調べろ」
アリシアの妊娠をあの子爵が知っていたらどうなるか。
「子爵がアリシアを探しているようなら徹底的に妨害しろ。絶対に俺より先に見つけさせるな」
***
「侯爵様?」
アリシアの声に過去を振り返っていたヒューバートはハッとしてアリシアに顔を向けた。
「すまない、領主代理のことを思い出していた。負け戦も多かったから」
「こちらも勝てたばかりではありませんわ」
「話が逸れてしまったが、パーシヴァルを産んで育てる選択をしてくれたこと、感謝している」
再びパーシヴァルの話になったことにアリシアは少しだけ戸惑いを見せたが、首を横に振って応えた。これが謙虚ゆえの反応なのか。それとも「礼を言われる筋合いはない」という拒絶の反応なのか、ヒューバートには分からなかった。
子爵家で抑圧されて育ったアリシアは自己表現が得意ではないようで、こんなときでも薄い反応にヒューバートは困惑させられる。
もっと感情を見せてほしかったが、その資格は家族にならなかった自分にはないとヒューバートには分かっていた。
ヒューバートは先ほどのアリシアとパーシヴァルの触れ合いを思い出す。
感情を見せあえる、遠慮も許可もなく触れあえる、アリシアとパーシヴァルのような家族となるには七日間は短過ぎる時間だった。
(ましてや、俺は子どもを……)
「侯爵様。あの手紙のことですが、あれを書いたのが侯爵様でなかったことは、字が違ったので分かっています」
アリシアの言葉にヒューバートはハッとして顔をあげた。
「ですが、あの手紙に活路を見い出したことは事実です。私の好きにしても構わない、それは侯爵家の総意だと判断して私はあの子を生むことに決めました。あの子のことは全て私に責任があります」
アリシアの言葉にヒューバートが返せるのは「そうか」という同意だけだったが、ヒューバートは一つだけ知りたいことがあった。
「一つだけ聞きたい。君は、いま、幸せか?」
もし幸せでないならば、ヒューバートにはアリシアたちに手を差し伸べらえる理由になる。
(まるで不幸であることを願うようだな)
そんな利己的な考えにヒューバートは反吐が出る思いだったが、ヒューバートは自分に嘘を吐けなかった。




