寝覚めの悪い朝
秋斗のような存在を『神の使い』と呼ぶ。神が使役する存在であり、神の領域で起こる小規模な問題の解決を任されている。
神の使いたちはその存在を人間に知られないように過ごしており、秋斗のように人間のフリをして潜んでいることもあれば。世俗とは完全に縁を切って存在自体を消していることもある。
どちらにせよ、神と神の使いは人間に認知される存在ではない。故に悪意を祓う行為は人間に理解できるものではない。
目には見えない悪意は災いを呼ぶ、そうなる前に領域の整備を行うのも狐の仕事だった。
そんなことを繰り返して今がある。秋斗の母である狐はそうして何百年と領域を守ってきた。
秋斗は狐として生まれて十七年、それに比べて母は何百年と人間たちの災いを鎮めてきた。しかしその母も、他領域の神の怒りには打ち破れていった。街を守るために、自分たちを守るためにその身を盾にした。
母を失った日を夢に見る。
あまりにも大きな災いの影響で姉の体調はすこぶる悪く、そんな姉に寄り添いながらも秋斗は体を震わせていた。激しく空を瞬かせる雷、謎の地鳴り、どう考えても大きな災いの影響だった。まさに神の怒りは天変地異、この街の人々も避難所へ移動した頃、母は身支度を終えていた。
隣街から発せられる大きな災いは徐々に秋斗たちの街を吞み込もうとしている。その鎮めのために母親は髪を結い直した、狐火が彼女の周りを明るく照らす。
『おかぁさん』
秋斗の涙声に母親が振り返る。栗毛色の柔らかい髪が揺れて、泣きじゃくっている秋斗と体調の悪い姉を抱きしめた。
『秋斗、冬香。大丈夫、ここに居て下さいね』
母の柔らかい手が自分の頭を撫でた、そして立ち上がると自分たちに背を向けて家を出て行く。
『春希、秋斗と冬香を頼みましたよ』
『うん、母さんも気をつけて』
兄に秋斗たちを任せ、母は災い渦巻く外へ出ていった。街の平穏は守られたが、母が帰ることはなかった。
***
「……はぁ」
額の汗を手で拭いながら体を起こした、秋斗の体は嫌な汗で濡れていた。疲れていたせいか嫌な夢を見てしまったようだ、スマートフォンに手を伸ばして時刻を確認する。
朝の五時だ、普通の高校生にしては早起きだろう。しかし二度寝する気分にはならない。
秋斗は着替えを抱えながら一階にある浴室を目指す。冬の一歩手前というのもあって、廊下は少し冷える。姉を起こさないように階段を降りた。
階段の入り口から奥手の方に浴室がある、古い扉は不注意に手をかけると大きな音が出やすい。慎重に扉を開けると脱衣所についた。
そそくさと服を脱いで浴室に入る、廊下以上に冷え切っていて寒さに毛が逆立つ。お湯の出る蛇口を捻った。
水音が浴室に反射する中で、秋斗はぼーっと今朝見た夢の続きについて考えていた。
母の死後、子供たちは母が残したものを守るために狐として務めてきた。特に兄である春希は、弟と妹の面倒を見ながら母の役目を引き継いだ。
母が亡くなって本当に悲しかった、それでも兄が献身的に支えてくれた。だからこそ今の生活がある、人間のフリをして世俗と関わって過ごせる余裕は兄のお陰だ。
心優しい兄のお陰で。
秋斗は思考を止めるように蛇口を締める。身を清めてそれ以上の思考を掻き消すようになかったことにした。昔のことを思い出せば、きっと姉に心配されてしまう。考えすぎは自分にもよくないと言い聞かせて、思い出を心の底に沈める。
バスタオルで体を拭きながら服を着替えても時刻は五時半、早めに登校にするにしてもまだまだ時間がある。
上の掃除でもするか、そんなことを思いながら玄関へ向かう。夜、邪念を探しながら歩き回っているせいか運動靴の底が擦れていた、そろそろ新しい靴を買わないとなぁと思いながら外へ出る。
向こう側の空が少しだけ明るいが、まだ朝日は出ない。自宅の位置よりも上に向かう、そこには『北ノ二神様』が住まう場所がある。
人の言葉でいうなら神社というものか。竹箒片手に階段を登り終え、広がった落ち葉を掃きながら集める。
本殿の掃除は姉である冬香がするので、変に手を出すと怒られるが周りくらいなら問題はないだろう。
季節が冬に移るせいか、落ち葉も増えている気がした。落ち葉をちりとりで集めていくと空に明るさが広がり青くなり始める。
そろそろ家に戻ろう、姉ちゃんが朝食を準備している時間だ。そう思いながら秋斗は階段を降りていった。
***
「あ、上の掃除してくれたの?」
帰ってきた秋斗はちょうど玄関で姉と会う、栗毛色の髪をポニーテールにして巫女さんの格好をした姉は爽やかな笑顔だった。
「うん」
「ありがとう、この時期はたくさん葉っぱが落ちてくるから助かるよ」
「まぁ、たまにはね」
素直に褒められると照れてしまう、秋斗は照れ隠しをするように居間に向かった。ちゃぶ台の上にはいつもの朝食、姉が用意してくれるものだ。今日は焼き魚、味噌汁、白米、それから漬物だった。
「今日は起きるの早いね、いつもこれぐらいなら嬉しいんだけどな」
朝食を食べながら姉の愚痴を聞く、言い返す言葉もない。いつもならギリギリまで起きないので、姉が不機嫌になりながら秋斗を起こしに来る。それでも起きない日もあったりするので、このような愚痴になるのも仕方がないことだった。
「ご馳走さまでした」
そうやって手を合わせて、姉の愚痴から逃げるように食事を終えた。必要な科目の教材を鞄に突っ込んで制服に着替える。厚手のブレザーに袖を通して、通学のリュックを背負い一階に降りた。
いつものことなのだが玄関で姉が待っている、そうして秋斗が出かけるのを見送るのだ。
その際に昼食の弁当を受け取る。小さな袋に布に包まれた弁当箱、箸入れと水筒も一緒に入っている。これも姉が用意してくれるものだ。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
「うん、行ってきます」
そうしていつも通りに家を出る。通学路に繋がる階段を降りながら、秋斗は一時限目の授業の科目を思い出していた。