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万民反乱は悪役令嬢と共に

作者: 一般兵A

 底冷えするような薄暗い独房の中、その少女は微睡の淵から再び呼び起こされた。



 鉄格子の窓から差し込む朝日に目を細め、あてがわれた毛布替わりの布切れを畳む。それだけの一挙手一投足にさえ自然と気品を感じるのは、彼女のやんごとなき血筋からすれば至極当然なことなのだろう。



 しかし、荘厳なウエーブのかかった金髪の光沢は煤にまみれ、装いはかつての絶頂の頃からは考えられない程の粗末な虜囚用の服のみだ。両の足に絡む枷は、否応なく彼女にこの屈辱的な現状を突き付けている。



 だがこれだけの痛たましい姿へ堕ちようと、そこには泣きはらした後もなく、凛として覚悟を決めた者の顔があるのみだった。



 約束の刻限まではおよそ半日ほどある。残り僅かな、されど余りにも遠く感じるその幕間に目を閉じ、彼女は己が運命の分岐路となったあの日の出来事を回想する。




――――




 「アルウィウス公爵家令嬢、エリザベート!今宵、この場にて貴様との婚約を解消する!」



 それはおよそ4か月前、国内各地の貴族の子息令嬢の集う教育機関、ヴァ―ナム王立学院主催の社交界でのことだった。



 談笑の木霊するホールに響くその怒声の発信源は、この国の第一王太子、レオナードであった。突然の出来事に戸惑いを隠せぬ衆目からは驚愕、侮蔑、好奇、そして疑問など様々な囁きが漏れ出す。



 婚約者直々の指名を受け、彼の前に対峙したエリザベートを見据え、彼は待ってましたと言わんばかりに口を開く。



 「貴様は己が身分を鼻にかけ、これなるラムヘール男爵家令嬢、アリスへ執拗な侮辱を与えた。そのように性根の腐った者に我が伴侶となる資格など無い!故に俺はこの場にてその罪を糾弾することを決めたのだ!」



 その言葉と共に、おずおずと彼の後ろから進み出た少女こそアリス・ラムヘールその人である。



 長い、ストレートの黒髪とその庇護欲を掻き立てる自信無さげな顔には、誰もが純朴さと清楚な雰囲気を感じずにはいられない。まるで獣に睨まれた生餌の如く、エリザベートを見やる彼女の瞳は微かにうるんでいた。



 ラムヘール男爵の隠し子で平民として育てられたアリスは、本家の急な心変わりに貴族として呼び戻された経歴を持つ。そのままヴァ―ナム王立学院への転入という運びになったが、元々は市井で成長した彼女に貴族社会のマナーなどいきなり理解できるはずもなく、校内での彼女は孤立していた。



 そんな苦境に手を差し伸べたのがレオナードである。人一倍正義感が強い彼は、初めは単なる親切心から彼女に接触した。しかし、事態はそこからねじ曲がり始める。



 日頃から王家の重圧に閉塞感を感じていた彼にとって、彼女の持ち込んだ飾らない平民の自由な気風は真新しいものだった。一方のアリスからしても、右も左も分からぬ日々に突如として救世主が―― しかも美形で、遥かに高貴な血筋の者が―― 現れた状態、二人が互いを意識するのにそう時間はかからなかった。



 己の行動に大義名分を加え、彼らが共にする機会は日増しに多くなっていった。ありのままの君が良い、とでも言うが如く作法の教授どころか無知を容認するその姿は、国の展望を憂える者たちの不安と失望を駆り立てる。対照的にレオナードの学友たちの間では2人に感化され、同じく封建社会のしがらみからの脱却を目指す者も現れ始めた。本来、学院内の模範となるべき上位階級の生徒の体たらくに眉を顰める者は少なくなかった。



 巡り巡ってそれらのヘイトは事の発端であるアリスへ向かう。良く言えば自由奔放、されど悪く言うならば無礼かつ身勝手なその様は、周囲の激しい反発を買ったのだ。



 そして王太子の身辺に漂い出した悪評は当然、婚約者であるエリザベートの耳にも入った。幼い日より政略結婚を定められ、英才教育と献国思想を叩きこまれた彼女にとってそれは看過できない事態であった。



 だからこそ、彼女は事象の渦の中心人物へ警鐘を鳴らした。貴族として相応しい振る舞いを、家柄による縦社会の理解を、そして僅かばかりの婚約者への配慮を彼女は訴えかけたのだ。しかし、それは傍から見たレオナードからすれば、不快極まりないものだったようだ。



 「確かに、時には厳しい言葉をアリス嬢に投げかけもしました。しかし、それはこの国の行く末を案じてのこと、決して私怨からではございません。私はただ、他の者の誤りを正さんと叱責したのみでございます。」



 あくまで冷静に、家の名に恥じぬ堂々たる態度を貫かんとする彼女へ彼はさらに感情を剝き出しにする。



 「その思想こそが傲慢の証なのだ!古き因習による縛りはもはや不要、これからは万民が平等な時代なのだ!」

 「ならばこそもう少し下々の民のことをお考え下さい。この婚約の破談が与える混乱に民草が巻き込まれるのは必定、それを回避するのもまた王族の務めでございます。」

 「黙れ!嫉妬に惑わされた悪逆の徒たる貴様に何がわかる。口を開けばやれ責務だなんだと…まるで俺のことなど傀儡とでもいうようなその態度、昔から不快だったのだ。いいか、今、俺の心は自由なんだ!何者の意思でもない、俺自身が真実の愛を見つけたのだ!」



 後半からの稚拙な人格否定にやや辟易ぎみの聴衆すら、最後の藪から棒な一言には驚きを隠せなかった。エリザベートへの糾弾、傍らに抱くアリス、真実の愛、それらの示すところは――――



 「この心正しき乙女、アリスこそ我が魂の拠り所である!ならばこそ告げよう。俺は彼女との正式な婚約をここに誓うと!」



 唐突に告げられた新たなる婚約の宣言に、周囲の視線は一点に集まる。恥ずかし気に頬を赤らめるアリスを、レオナードは強く抱き寄せた。二人の親密な関係はありありと伝わってくる。



 「お待ちください、殿下!一時の感情に身を委ねてはなりません!お父君、国王陛下の指し示された婚約の意味を思い出し下さい!君主の乱れは世の乱れ、どうか、どうか今一度ご再考を!」



 そんな2人に待ったをかけたのはやはりエリザベートであった。いかにロマンチックに彩ろうと、現実は直視しなければならない。幼き日からの精神教育が、彼女になけなしの抵抗を強いらせた。



 「何より、私には婚約解消に至るほどの罪などありません。弁解の余地さえお与えくだされば、必ずやこの身の潔白を証明してご覧に入れましょう。」

 「罪などない、だと?この期に及んでまだ虚言を述べるとは、呆れたものだ。」



 吐き捨てるような言葉を浴びせる彼の瞳には、激しい嫌悪と侮蔑が渦巻いている。



 「事もあろうに、貴様は刺客を放ちアリスを襲わせたではないか!これを罪業と呼ばずして何と呼ぶ!」



 明らかな重大事実の告発に、会場には水面の波紋の如くどよめきが広がる。しかしその中でも人一倍驚愕の感情を表していたのはエリザベート本人だった。



 「刺客?それこそ私には何の身の覚えもありません!」



 ここに至って彼女は初めて声を荒げた。言われなき罪を当てつけられ、黙ってなどいられなかったのだ。




 「言い逃れは無用!証拠は挙がっているのだ!」



 憎らし気に睨みつけるレオナードの怒気はより一層強まる。



 「あれは2週間前の社交界での帰り、彼女を見送ろうと私が付き添った矢先のことだ。突如闇を突いて斬りかかってきた賊、およそ5名を私と近衛兵が取り押さえたのだ。そして、捕らえた者の口を割らせればエリザベート、貴様の名が出わけだ。」

 「あり得ません!その様な人道に背く行いを指示したことなど一切ございません!」

 「この強情者め!潔くその罪を認めろ!大事にこそ至らなかったが、アリスの心は深く傷つけられたのだぞ!」



 激しさを増す弾劾に誰もが動きを止め、事の成り行きを見守っていた。可憐な少女の怯える様、そしてそれに優しく寄り添う王太子、2人の姿に徐々に心打たれ、衆目の同情は偏り始める。

 


 何時しかその身に向けられる視線の殆どが敵意に染まったエリザベートに、彼は無慈悲な宣告を告げた。



 「貴様には牢獄にでも入ってもらおう。精々、その内で懺悔でもしているがいい。」



 会場に踏み込んできた屈強な兵士たちに囲まれ、縛り上げられた彼女は半ば引きずられるように連行されていった。最後まで己が婚約者へ向け、上に立つ者としての責務を訴えながら。



 しかし馬耳東風、燃えるような熱い恋に捉われた2人に、その言葉は届かなかった。




――――




 それから先はあれよあれよと事が進んだ。



 欠席裁判を経てエリザベートに下った判決は、アリス嬢、及び将来の王たるレオナードへの暗殺を企てた咎による死刑であった。また、事態の重さを鑑みて今回は連座制が採用されることとなり、彼女の生まれ育ったアルウィウス公爵家は身分剥奪の後、国外追放されることとなった。



 そして彼女の身柄は王国の東、ヴィッテルセン辺境伯領の監獄へ送られ、今現在に至る。



 最期まで味方であり続けてくれた家族とも引き離され、誰と話すでもなく暗い牢で彼女は約3か月を過ごし、執行の日を待った。強いて言うならばレオナードから届いた一方的な糾弾の綴られた手紙のみが、唯一の外界との繋がりであった。



 痛烈な批判の文の末尾には、彼とアリスの正式な婚約についても書き留められていた。終ぞ己の忠告は聞き入れられなかったことに啞然としつつ、その感情が所詮敗者たる自分の負け惜しみでしかないことに自虐的に嗤う。



 理想に生きるレオナードと責務に取り憑かれたエリザベート、根底ですれ違っていた2人ならばこそ、この結末は至極当然のことだったのかもしれない。



 後進の未来を憂えこそすれ、彼を憎もうとは思はなかった。彼女にとって自己の存在とは与えられた宿命を成すが為だけにあり、有体に言えば己が生涯の意義も国に尽くすこと、その一点のみだった。故に自身の命に未練など感じれないのが今の彼女の所感なのだ。



 しかし、巻き添えに罰を下される親族へは謝罪の感情を募らせざるをえない。この歳まで立派な貴族令嬢としての教育に腐心してくれたことには感謝している。だからこそ、その恩を仇で返すような結果に終わったことには悔やんでも悔やみきれない。



 彼女にとっての生涯最後の自由は多くの記憶を辿るのには十分だったか否か、それは表情からは読み取れなかった。



 深い思惑の中、鉄格子の扉の開く音に彼女は目を見開く。迎えの衛兵の訪れ、即ち処刑の時間の到来である。




――――




 3か月ぶりの外界の輝きに目を細め、複数人の衛兵に囲まれた私は死への行進を始める。後ろ手に縛られた縄の端を握り、歩みに追随するのはこの領地を担当する首切り役人だ。



 貴族には通常行われない徒歩での刑場への移動が科せられたことに、元婚約者、レオナード殿下の強い憎悪が身をもって伝わる。



 しかし如何な辱めを味わおうと、そこに何ら敵愾心など浮かばなかった。



 すでに受け入れた運命への諦観を噛み締め、一歩一歩、弱々しく地を踏みしめる。うなだれた私の、生を求める瞳の輝きはとっくに失われていた。



 普通、公開処刑ともなれば民にとっての大きな娯楽、歓声と罵声が鳴り響くものだと聞かされてきたが、思いの外街行く人々の空気は重苦しかった。両側に並ぶ王家直営の兵隊からの刺す様な視線に耐え、淡々と進んだ先に最後の舞台が見えた。あの壇を登り、断頭されれば私の短い人生という三文芝居も閉幕する。



 王妃に成る為だけに邁進してきた私には、今の生など価値も無いし必要もない。だから覚悟は出来ているはずだ。



 「エリザベート様、どうぞ、涙をお拭い下さい。」



 四つ折りの布切れを差し出す首切り役人の言葉に私は意識を現実に引き戻す。



 涙?いったい誰のことを?その疑問の言葉は頬を伝う濡れた感触に遮られた。知らず知らずの内に私の瞳は一筋の雫を零していたのだ。



 「如何に貴方が強き心をお持ちでも、墓場まで思いの丈を抱え込むのは厳しいですよ。」



 黒い頭巾から除く眼光が、憐憫と哀惜のない交ぜな言葉を訴えかけてくる。



 その唐突な言語による衝撃に、私の内側の何かの箍が壊れる。



 ダメだ、ダメだ。有終の美をもって最後を迎えようと決めたのに。せめて凛として死に臨もうと思ったのに。堰を切って溢れ出す人並みの感傷の波を抑えることなど不可能だ。気付けば私は心境、即ちあれ程忌諱した言葉を漏らしていた。



 「…まだ…死にたく…ない…。」



 貴族としての面子なんて知らない。私だって自由が欲しかった。殿下の如く、己が望むままに道を選びたかった。生まれてから今日まで、ずっと抑えられてきた感情が暴発する。いつのまにやら私は断頭台の上にうずくまり、惨めに涙をすすっていた。



 そんな私のすぐ前に立った首切り役人が、矢庭に集いし群衆へ向け咆哮を発する。



 「この可憐なる公女のご尊顔を見ろ!これを悪逆の徒の偽善の涙などと思うか!否、否!これこそ我ら人民に等しく与えられし尊厳の破壊の体現だ!これなるただ1人の少女の涙を拭い去らんと欲するならば、今こそその拳を振りかざすのだ!」



 段取りにない壇上での奇行に、慌てた衛兵が駆け上がりサーベルを突き付ける。刹那、それを躱した首切り役人の強烈なカウンターに突き飛ばされ彼は沸き立つ群衆の波に飲み込まれた。



 「さあ、さあ、憎きお国の飼い犬に首輪をかけてやれ!」



 続けざまに飛ぶ壇上の発破を合図に、辺り一面のギャラリーは皆一様に断頭台を囲む兵士に襲い掛かる。いかに武装した者でも、その数百倍の人員が雪崩れ込めばひとたまりもない。



 まったくもって想定外の事態に呆然とする私に、首切り役人は物腰やわらかに語り掛ける。



 「先程は出過ぎた真似を致しましたこと、ここに謝罪いたします。本来はもう少し早い段階でお助けしたかったのですが、衛兵が付きっきりだったこと、群衆の反応を伺う必要があったこともありまして遅れてしまい申し訳ありませんでした。」

 「こ、これはどういう事なのですか…?」

 「内密な話は後程いたしましょう。まずは御身を休めるところからです。」



 あまりの急展開に状況を呑み込めずにいる中、頭を上げ周りを見渡せば、50人程いた衛兵は皆民衆に取り押さえられていた。



 「さあ、参りましょう。」



 首切り役人に促されるままに私は断頭台を下り、遠方に姿を見せた馬車へ向け歩き出す。開かれた群衆の道を通れば、しきりに万歳を唱える賛美の声が飛び交っていた。ここしばらく浴びることのなかった温かい人々の視線に、少しばかり強張った心の緊張が緩むのが感じられた。




――――




 エリザベートを乗せた馬車の辿り着いた先はこの地の領主、ヴィッテルセン辺境伯の屋敷だった。本来王命に従いエリザベートを拘留すべき男が自分を招いたのか、彼女にはなにも推察できなかった。



 到着するや手厚い歓待を受け、生傷への処置を受けた。それが済むや次は湯浴みへと移行し、最後に用意されていた服へ着替え久しぶりに令嬢らしい恰好となる。目まぐるしく押し寄せる行程をこなし、面会の頃には既に日は沈み始めていた。



 使用人に案内され彼女が向かった部屋には例の首切り役人と、ただならぬ威圧を放つ初老の男、ヴィッテルセン辺境伯の2人が座していた。



 ヴィッテルセン辺境伯は王国東部、国境線の防備を任された大貴族の家系だ。数十年平和が続くこの国に似合わぬ兵法家として名高く、その影響力は公爵家にも匹敵する存在なのだ。



 「お初にお目にかかる。この地でしがない領主をやらせてもらっている、コンテオル・ヴィッテルセンだ。その節は多々苦難の連続だったであろうが、無事で何よりだ。」

 「こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します。アルウィウス公爵家が息女、エリザベート・アルウィウスでございます。此度は諸々の便宜をお図り下さり誠に感謝いたします。」



 そんな大物との対面に彼女の内心も僅かばかり緊張する。しかし事態は急務を要する状態、躊躇っている暇などなくすぐに本題に切り込む。



 「閣下、此度のお招きいただき有難うございます。ならばこそ、一体どの様なご算段のもと行われているのでしょう?事の詳細の説明をどうぞご提示下さい。」

 「そうだな、さて、どこから話したものか…。」




――――




 事の発端はその勢力を拡大し続けるアルウィウス公爵家と、現国王の確執にあった。



 何とかしてその影響力を貶め、自身の安寧を盤石としたい彼が目を付けたのが、己が子息であるレオナードの恋心だった。既に亀裂が生まれ始めていた婚約者との溝を広げ、それに乗じて権力を削ぎ落とす事こそが真の目的だったのだ。



 「つまり殿下の申していたエリザベート嬢の刺客の正体は、国王陛下の放った者たちなのだ。おそらく虚偽の自白をする様に予め仕組み、お2人の仲を完全に裂こうとでも考えたのだろう。」

 「その話の確証は如何にでございますか?」

 「宮廷内部の間者からの報告だ。生憎、痕跡は残されてないため立証は不可能だがな。ああ、因みにこの話はレオナード殿下やアリス嬢にも知らされていないぞ。」

 「なるほど。だから、殿下は終始私の弁明に耳を貸してくださらなかったのですね。」

 「しかし関与してないから、という理由で貴人を辱め、断頭台に送った事が許される訳ではないがね。」



 露骨に怪訝そうな顔をし、悪態をつくその姿から彼の王族に対する心象は容易く推察できた。



 しかし、何より肝心な疑問の解決がなされていない。即ち、彼女の命を救った民の暴動の所以だ。



 「皆不満を募らせているのだよ。」



 再び眉間に皺を寄せ、彼は話を続ける。



 エリザベート逮捕の報に大きく動揺したのは他ならぬ貴族たちであった。王族の機嫌1つで己が後継ぎ、果てには我が身さえ破滅へ向かうという前例が生まれたことは、彼らにとってそれだけの恐怖に等しいのだ。皮肉にも、そこまでは権力の中央集権化を目指す国王の意向通りだった。



 しかし、そこから先の出来事は彼の予想を上回る展開と成りつつある。



 行き過ぎた恐怖は反転し、牙をむく。自らの身があるうちに脅威を排除せんと、各地で貴族が反旗を翻す用意を始めたのだ。



 具体的に言えばそれは、増税や身分格差への大体的なプロパガンダを拡散することだった。この辛い生活の元凶は王にある、その意識を民へ植え付けたのだ。元々反乱の火種は燻ぶっているような土壌に燃料が撒かれたことで民衆の不満は爆発し、結果として貴族と結託した反政府組織が出来上がったのだ。



 「そして、この反乱の首謀者こそがこの私、コンテオルなのだよ。各地の同志には貴族独自の連絡網でやり取りを行っているのさ。」



 自らの及び知らぬ所で進んでいた事実に愕然とするエリザベートへ向け、彼はやや食い入り気味に、しかしどこか優しく語り掛ける。



 「君の父上には若い頃大変お世話になった。だからこそその恩を返そうと思い、武装蜂起の第一幕は貴方の救出を合図にしようと決めたのさ。今頃はご家族の囚われている監獄でも戦闘が起きているはずだし、暫くすれば再会できるはずだ。」

 「そんな…わざわざそんな事まで…。本当に…感謝の言葉しか浮かびません…。」



 もはや巡り会うことなど諦めた両親への希望が再び灯り、彼女の瞳に涙が溢れる。刑場での涙とは異なる、愛しさへの熱い涙が彼女の袖を湿らしていった。



 「エリザベート様の涙こそ此度の反乱の鍵となったのです。」



 静寂を突き口を開いたのは今まで押し黙っていた首切り役人だった。



 「あの瞬間の貴方様の涙を見て、我々下々の民は感じたのです。『ああ、彼女もまた、1人の等身大の人間なのだ。』と。」



 貴族も平民も関係ない。生を望むという当たり前の欲望は誰もが持ち合わせている。その事実が同情を呼び、群衆の背中を押して反乱への心を1つに纏め上げたのだ。



 レオナードが夢見た自由など平民にも存在しない。言うならばこの世界の誰もが、それぞれ何かに縛られ生きている。そこから逃れたい、万民が願うその潜在意識が今まさにあちこちで噴出しているのだ。



「左様、だからこそ貴方には腹を括ってもらいたい。」



 辺境伯は首切り役人に同調する様に畳み掛ける。



 「これは単なる下克上に非ず。農奴、商人、労働者、貴族、聖職者、軍人、文化人、全ての人種が立ち上がった革命戦争なのだよ!さあ、今こそ貴方もこの時代の奔流へ身を投じ、新世界へ至るのだ!」



 血走った彼の眼からは狂気と、確かな熱意を感じた。覇気とも言える凄まじい威圧を前に、エリザベートの足が震える。しかし、それでも視線は逸らさず彼女は伝えるべき言葉を放つ。



 「遥かなる大望には確かに感じ入りました。しかし、私はまだ当の臣民たちのことを知りません。ですから、どうぞ私めに猶予をお与え下さい。今しばらく熟考し、決断致します。」

 「ふむ、急性的なのも宜しくはあるまいということだな…。ならば1週間だ。その時間を費やし、答えを見つけてくれたまえ。」



 先程までのおぞましい表情は消え、そこには普段通りの姿で笑う彼の姿があった。どこか試すような、しかして悪意はまるでないその顔に彼女も落ち着きを取り戻す。



 「一般の民を兵士に変えるなど一朝一夕にできるものでもない。指揮系統に組み込んで動かす為にも、最低で1週間は訓練に費やしてしまう。その間の余暇に、是非とも我が領地をご観覧頂ければ幸いだ。」

 「ええ、喜んでその申し出お受けいたします。つきましては、そこの彼に案内を頼みたいのですが宜しいですね。」



 彼が掲示した身近な、かつ地道な手段はエリザベートにとってはひどく魅力的だった。



 一方、彼女が指し示す先の件の首切り役人は、予想外のご指名に狼狽えていたのだが。




――――




 光陰矢の如し。早くも1週間が経ち、遂に全国規模での本格的な武装蜂起をする日が来た。今までは一般市民のやりたいように軽い暴動騒ぎを各都市で起こさせる程度だったが、次に行うのは軍を率いての明確な宣戦布告、つまり反乱の第2幕だ。



 私にはそれまでに僅かな時間が与えられ、その間に多くのものを見て、聞いて、感じた。案内人には随分と迷惑をかけてしまったが、彼は出来る限り私の意向に沿って活躍してくれた。



 そんな助力の元に1つ、重要な学びがあったことはとても幸福だったと言えるかもしれない。つまり、私は民草のことなど何ら理解していない、その事実を痛感させられたのだ。



 恋という理想に燃えた殿下と同じ、私も所詮民衆を上辺でしか分かっていなかった。万民の上に立つ王、その傍らに寄り添う者として私たちは共に未熟だったことを、彼らとの触れ合いで思い知らされた。ならば次はそれを自ら学んでいくしかないのだ。



 故に私はこの反乱に加担することを決めた。生涯最初の自分の意思だけで決めた選択に悔いはない。全ての責任と決定権を1人で抱え込む自由を噛み締める。



 そんなことを回想しながら首切り役人の引く馬に揺られ、私は集いし群衆の群れを割くように進む。宮廷の行進の如く道を開ける人々からは、期待の眼差しがひしひしと伝わってきた。



 かつてとは違う。今の私は刑死者としてではなく、扇動者、もとい宣誓者としてこの場にいるのだ。本来共に立つべきだった男とは袂を分かち、あまつさえ彼と刃を交えんとする、その決意はとうに出来ている。



 新たな戦火の中心となる者の責務か、はたまた自己の存在証明とでも言うのか。私は自然と胸を張り、未来へ思いを馳せ前を向いていた。一歩一歩、力強く足を踏み出し壇上に登る。見渡す限りに広がる老若男女、その熱気は1つの狂騒の波となり渦巻いていた。



 沸き立つ歓声の響きを手で制し、前へ進み出る。



 忌むべき過去に別れを告げよう。進撃の号令を高らかに謳おう。私たちはまだ見ぬ景色を目指して征くのだ。



 そんな決意を胸に、軽く呼吸を整える。私は新世界への第一声を紡ぎ出した。

ここまで読んでくださったことに感謝です。


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[良い点] 面白かったです!  断頭台に向かう場面のエリザベート嬢の独白はグッときました! 何より文章がとても読みやすかったです!
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