-File 3-
長らくお待たせいたしました;;
−File 3 楽園−
扉の先はコンクリートの壁に等間隔に丸い蛍光灯が付けられた廊下で、脇道もなくさらに奥の扉につながっていた。
扉を押すと重い音がして、広いエントランスが僕らを迎えた。ガラス細工の着いたシャンデリアが高い天井からキラキラと光を散らして、木の色に艶を添えている。
カーブのかかった階段があり、エントランスの両壁は窓がいくつも貼られていて、墨に浸かったように真っ黒に塗りつぶされていた。正確にはそれは海の景色だけれど、昼間と違って闇の虚がぽっかりと口を開けているようで、不気味だった。
部屋の一角に女神像が水瓶を持って佇んでいて、そこから溢れた水が足元に丸く広がった石造りの受け皿に溜まっていく。
カーテン、絨毯は全て焦げ茶を基調に、柄はツタ模様の重厚で高級感の溢れるものばかり。一目で一流の内装だとわかった。
とはいえ海上の楽園と言うからにはなにか物凄い見た目か演出があるかと思いきや、割と普通の豪邸の一部だった。
扉のすぐそこには聖卓のような箱型の大きな台があって、入り口を含めその周りだけ床が一段高く作られているようだった。
その台には、一枚紙が置かれていた。白地にツタのエンボス模様。無機質なワープロの文字は何度か目にしている。
ようこそ
ここは始まり 終わりの墓場
ゆるしの秘跡は光の下で
全ては水の満ちるときまで
日没とともにゲームを始めよう
1.あなたは何も明かしてはいけません
2.あなたは暴くものであり、暴かれるものである
3.この扉を潜ったなら、贖罪の機会を得ます
4.何もしなければ、あなたはそれを失います
ここに来る前の扉にもあった文言に、さらに付け足されているようだ。
ゲームって…一体何を勝負するっていうんだ。
最初にそんな疑問が浮かぶ。紙を裏返してみたが、他に何かが示されているわけでもない。
「ねえあんたたち、こっちは食堂みたいよ」
各々部屋の様子を見て回っていたらしい。正面の階段下の扉を開けて、女性が嬉々としてそう告げた。
「食料は問題なさそうです。一週間たらふく食べても余るくらいですよ」
クルーの彼が後ろから出てきて言う。
ひとまず一番の心配事は取り去られたようだ。通ってきた道を思えば、ここは船底に近く尚且つ深層の部分だと予想できる。一番最初のあの部屋から出られない以上閉じ込められたと見て間違い無いし、食料問題は重要だった。
閉じ込められたといってもこの航海の間だ。長くても二週間以内にはどこかの港に着くだろう。当初の目的が果たせないのはかなり番狂わせではあるが、この状況じゃ仕方ない。
早くもこのイレギュラーに順応が働き始めているのは、この空間が妙に寛ぎを感じさせるからだろうか。
*
その後、僕らは二階へと向かった。
円形の階段を上り踊り場に出て、ふと振り返ると、出入り口の扉の上に大きな木の十字架が掲げられていた。扉の前の聖卓と、一段分高くなった床を含めれば、そこはまるで教会の聖堂だった。
十字架の上には丸い小さな採光窓がある。今は夜だからか光は入ってこないが、やがて日が昇れば神聖な気配が満ちるのだろうか。
「なるほどな…ゆるしの秘跡ってつまり告解のことだろ?だからここは教会ってことか」
同じように踊り場からホールを眺めていたシュウが納得したように呟いた。
サクラメントのことは詳しく知らないが、この空間が教会を模していることや、文言に贖罪とか書かれていたのを見るとシュウの解釈で間違っていないだろう。
手すりに肘をついて、シュウは十字架を見遣った。その横顔からは正しく感情は読み解けなかったけれど、考えていることは大方同じだろうと思う。
「…もしもそれで赦されるなら、機会を与えてくれた誰かさんに感謝しなきゃだね」
ここで罪を贖うことで、『神さま』に赦されれば。僕は雁字搦めに繋がれた鎖を外して苦しみから解放されるのだろうか。
…多分、違う。
実態のない不確かなものに、そんな裁断はできない。それはただの自己満足でしかないと、僕には思えた。
それに、赦されたいのかと問われればそれは本当の願いではないかもしれない。
ただ…たったひとつの望みが叶うなら、この苦しみを死ぬまで背負ったって構わない。
「この際、全部打ち明けてみようか。神さまに」
「ふっ…それもいいかもな」
笑みを零して、僕らは先に行った彼らを追った。
二階部分は踊り場から続く一本の廊下しかなかった。両側に3つずつ、全部で6つの扉と、正面にエレベーターがある。そのエレベーターの前には、腰の高さまである筒状の機械が置かれていた。
そこだけ不自然に浮いて見えるのは、他が木色を基調にした内装だからだろう。
「このエレベーター、ボタンも何もないな。扉も当然開けられねーし…」
「動かすにはどうすればいいんだろう」
「そこの機械でなんかできねーかな」
唯一の出口と言えそうなエレベーターだが、案の定動きそうになかった。
ガチャガチャとドアノブをいじる音がして背後に目を向けると、女性とメガネの人が手分けして6つある扉を開けようとしているようだ。けれどどこも駄目だったのか、その様子を伺っていた僕らに首を振って示す。
「おい、なんか出てきたぞ」
機械の前にいたしわがれた声の男性が言った。横から覗くと、ディスプレイにタイプ文字で何か短く書かれている。
-部屋へ
「って言っても、ドアが開かないんだが」
僕の反対側から覗き込んでいたメガネの人が言った。
その直後、僕の後ろでシュウがあ、と声をあげる。振り返って見ると、向かって右側のエレベーターに近いドアが開いていた。
「あれ…そこも開かなかったんだがな」
「あ!ここだけ開いたわ!」
続いて奥の方で女性が声を上げ、シュウが開けた扉の横でアイさんがドアノブを回すと、そこもなんなく開いた。
「…もしかして、このディスプレイを起動させなきゃ行けなかったとか?」
「いや、そうじゃない」
よくあるゲームみたいにフラグを立てなきゃいけない仕組みかと思ったが、メガネの人がすぐそばの、シュウとは反対側の扉のドアノブを下から覗き込んだ。
「指紋認証式だろう。ノブのしたにそのためのパネルがある」
「へえー!ずいぶんハイテクじゃん。てことはこの部屋には絶対あたししか入れないってことよね」
「正確に言うと、あんたにしか開けられない、だ」
女性が言ったことを、メガネの人が訂正した。
僕はシュウが開けた扉を覗いた。扉は6つ。ここにいるのは7人。
「僕らは双子だから、一つの部屋に二人だね」
「ああ。そういや荷物とか全部最初の船室に置いてきたままだな」
それぞれ開いたドアに入ってみることになって、僕とシュウは同じ部屋に入った。ベッドもタンスも机も鏡写しにしたように対称の部屋で、シュウ側にトイレと、バスルームに続く扉が二つあった。
唯一足りないものといえば、窓。落ち着いた雰囲気の部屋ではあるけれど、そのせいで閉塞感が拭えない。
「うーわ、このベッド足ギリギリだわ」
シュウの声に顔を向けると、ベッドに横たわって窮屈そうにしていた。
ギリギリと言うか、もうまんま身長ぴったりだ。
「ほんとだ。他の人たちは足折って寝なきゃ行けないね」
「他もこのサイズならな。ていうか俺らもだろ…」
ふくれっつらでこぼしたシュウに笑った。元の部屋はそれこそ大きすぎるくらいだったから、これじゃ不満も言いたくなる気持ちはわかる。
「指紋認証で開く扉ってことはここに俺たちが入ることがわかってたんだろ?ベッドのサイズまで考慮してるんだとしたら気味悪いな」
確かに、正確な身長まではわからないまでも、こどもだからとわざわざベッドを小さくしているのなら、そこまでする必要はわからない。
徹底されているような、でも実際サイズ感が合わないのを見ると不徹底とも思える。
「主催側の考えていることが見えないね」
ゲームっていうのも、ここに集められた目的も。
いいながらクローゼットを開けると、いくつか服が用意されていた。
「…ここの服も、僕たち専用みたいだ」
体にあてがうと、ベッドと同じように少し小さめに感じたけれど、明らかに僕らに用意されたものだ。
特別上等な衣服というわけでもなく、至って普通の秋めいたものばかりが並んでいた。シュウの言う通り、他の人たちもそれぞれにあったものが用意されているのだろうか。
ふとクローゼットの扉についた鏡を見ると、ぼやっとした無表情があった。
小豆色の髪。癖っ毛なシュウと違って僕はぺたんとしたストレート。
全体的にキリッとした雰囲気を思わせるシュウとは正反対だと改めて思う。
今着ているカットシャツとパンツは、ものぐさをしてディナーコードのジャケットを脱いだだけの格好。パーティの後で疲れてお風呂にも入らずに寝たので、そういえば一度シャワーを浴びたい。
思ったものの、一旦クローゼットを閉めてシュウに言った。
「とりあえず部屋を一通りみたら下の食堂に集まるんだよね」
「そうだったな。聞きたいこともあるし、そろそろいくか」
昨日のパーティで、この『余興』について言っていたらしいし、ここで行われるゲームについても何か知れるかもしれない。
もうすぐ夜が明けようとしているのか、踊り場に出ると唯一ある採光窓がうっすらと白んでいた。
やけに静かだと思えば、廊下には僕とシュウしかいなかった。部屋にも食堂にも、あらゆる扉の向こうは人の気配がしない。
女神像の抱える壺から絶えず水が流れる音がするだけで、夜明け前の仄暗い静けさがあたりに満ちている。
奇妙な感覚だった。不気味とも違う、不可思議で覚束ない、けれど確かに何かを感じさせる気配。
食堂の扉を開けると、僕たち以外の全員が揃っていた。長テーブルを挟んで各々自由に座っている。正面には大きな絵画があって、海底神殿のようなファンタジックな色彩だった。
椅子は部屋の数と違って、ずいぶん余っているようだ。僕らは先に座っていたアイさんの隣に並んで座った。
*
今置かれているこの状況について、全員で再確認と共有をすることになった。
まずウェルカムパーティで言われていた『余興』。ゲストルームに招待された人たちはそこで開催されるゲームを楽しみながら船旅を満喫するという、主催側の謀り。
乗客の中からランダムに選ばれた7人に、コードネームが書かれた招待状が送られる。英単語が書かれた白い封筒のことだが、それを持ってあの何もない部屋に行くよう指示されていたようだ。
「お互いに何が書かれていたかは、多分明かすべきじゃない」
メガネの男性に言われ、おそらく尋ねようとしていたクルーの男性は口をつぐんだ。
「…そうですね。何も明かしてはいけないって、最初の扉にも書かれてましたし」
「ゲームに使うのは間違いねぇんだろうけど…」
シュウはポケットに入れたままだった封筒を取り出した。たった一行、書かれただけのそれは招待状とは思えない。話を聞いていなければ僕らのように誤解されても仕方ない。
何をどれほど明かしてはいけないのか。ここにいる人物たちについてお互いに情報もない。とはいえ僕らは少なくとも2人のことについてはわかる。
アイさんに与えられたコードネームも既に知ってしまっている。
ゲームの流れによってはアンフェアかもしれない。勝負に拘ってはいないが、他の人間がそうとも限らないし、沈黙が吉かもしれない。
「詳しい話はそこでっつぅから来てみたら、閉じ込められちまったってわけだ」
心なしか楽しげに初老の男性はそう言った。椅子にふんぞり返って座り、すでに傍の灰皿の上で2本が潰れていた。
「…でも、みなさんどうして集まったんですか?正直、話を聞いた限りではゲストになるメリットって薄い気がします」
ずっと疑問に思っていたことだった。僕らは事情を知らなかったけど、聞いていたなら来なかっただろう。違う目的があったのもそうだが、単純に興味が沸かない。
僕の問いに、女性が嬉々として答えた。
「そんなの、賞金がでるからに決まってんじゃん」
「賞金…?」
「ゲームに勝ち残ったら、1億」
女性は目を輝かせ、男性は勿体ぶったように眼鏡をクイと押し上げた。
なんだかお遊びのような数字にも思える。けど、この船に乗る人間ならある意味現実的なのかもしれない。
「この船に乗るってことはお金に困ってるわけでもないんでしょう」
シュウは答えを聞いて意外そうに尋ねた。
「いや?この船に乗ってるのはなにも金持ちばっかじゃない。一般人も一定数いる。造船に関わった会社が何かの懸賞にしたり贈与したり、ルートはいろいろあるさ」
「そうそう!あたしも懸賞で当たったの」
「それに金はいくらあってもいいもんだからな。タダでもらえるってなら行かねぇ手はねぇだろ」
1億か…何ができるだろう。貰った後のことを考えるとなんだか怖くて手をつけられないような大金だというのが自分の感覚だった。綾川がどれほどの財閥であったって、その名に肖ったことなどないに等しいのだから。
それに、自分の感覚がごく一般的であることは安心する。
「クルーのお兄さんも?」
斜め前に座っていた彼に尋ねると、困ったように笑って言った。
「はい、まあ…」
すっと翳った視線が気になったが、横から声が入った。
「閉じ込められるとは思ってなかったが、これもミステリーツアーの一環なのかもな」
「ミステリーツアー?」
観光地とか、旅行中に行われるゲームのこと…だろうか。そんな推理小説を何冊か読んだ。内容をぼんやりと思い出しながら、メガネの男性が続けるのを聞く。
「この船のことだ。豪華客船の謳い文句にそうあっただろ」
言われても僕らにはわからなかった。そもそもチケット入手ルートも特異だったし、船に乗ることよりも人に会うことを目的としていたから、正直興味を引かなかった。
ミステリーツアーと言われれば、やけに凝った演出にも納得がいく。
曖昧に相槌を打った僕に男性は微かに目を細めた。
「ぶっちゃけゲームに勝ち残るって言われてもなにすればいいのかわかんないしぃ。部屋にはあたしが使うもん揃ってたからいいけどさぁ、やりすぎだよね」
指の爪先をいじりながら、じとっとした声で女性が言った。
ここにいる誰も、その『ゲーム』についての詳細は知らされていないらしい。
やりすぎという意見には同意だ。主催者でもなんでも、早く出てきて説明してほしい。
そう思った矢先のことだった。
ゴーン ゴーンと突然鳴り出した時計に、全員が息を止めて視線をむけた。それまでそこにあった時計の存在感に急に気づかされて、不自然なほど心臓が跳ねた。
指し示している時刻は午前6時。目が覚めたのは真夜中だと思っていたが、もう明け方になっていたなんて。
いきなり迫り出した心臓の鼓動を鎮める間も無く、ジーっという微かな機械音とともに食堂の正面の絵画がモニターのように光り出した。
【ゲストのみなさま お集まりいただき ありがとうございます】
どこからともなく、声が降った。中性的で特徴の掴みづらい声。強いて言うなら、機械を通した不自然なざらつきがあった。
一度映像が揺れ、ぱっとモニターに映し出されたのは、タキシードを来た黒髪の青年だった。二十歳前半といったところか、顔色が悪いようにも見える色白の肌と、どこか無機質な髪と同じ色の瞳。
【私は ゲームマスター 主の命により これより断罪を行います】
そういって目を潰して笑う。前髪の影が目元を暗くし、その微笑みは静かに不気味に照って見えた。