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いつかゲームになる日まで  作者: 白藤あさぎ
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第1章 -File 1-




第1章 揺らめく波



   −File 1 乗船−




自分の家柄がどれほどの影響力があるものなのか、僕らは改めて自覚した。


手の中で潮風に揺れる豪華客船の招待状。エンボスのツタ模様が施された白い封筒に入れられ、銀の光沢が出る洒落た文字で、自分の名前だけが書かれた簡素な招待状だった。主催や船の名前、会社のロゴも一切なく、一般的に考えれば不自然だが、これが綾川への特別待遇らしい。


海に出るには少し風が冷たくなり始めた時期だが、空はカラッとした秋晴れで清々しく、日差しが温かく感じられて気持ちがよかった。

潮の匂いはいつぶりだろうか。最後に来たのは本当に記憶がないくらいの時だったか。うみねこの鳴き声を空に聞きながら、しばらく水平線を見つめていた。


「アマネ、受付あっちだって」


シュウが向こうを指しながら言った。僕はそれに頷いて、大きな旅行鞄を転がしてアイさんと一緒に受付に向かった。


この招待状は利賀さんに手配してもらった物だ。綾川の名前を出せば難なく手に入れられた。

お金持ちが利用するこの遊覧船は、1週間航海の旅に出る。

僕らがこれに乗り込む目的は他でもない、イノハナ ビワが乗船するという情報を入手したからだった。大勢いる招待客の中から彼を見つけて接触して、何がなんでも父さんの情報を聞き出さなければならない。


船は近づけば近づくほどその大きさを主張してきた。白塗りに青い筆記体で船の名前が書かれていて、受付の近くに置かれたホログラムで中の構造を骨組みまで紹介していた。窓がたくさん並ぶキャビン、映画館やプール、遊技場まで揃っているまさに豪遊たちの嗜みのための造り。

受付に並ぶ面々も、服装や持ち物で階級と気位の高さがうかがえた。


僕もシュウも一応制服に身を包んでいるものの、すでに気疲れしていた。まず学生と言うだけで目を引くし、親の姿も見当たらず、連れているのはメイドが一人。おまけに双子ともなれば注目の的だ。受付の行列に並んだだけで気づいた人たちの視線が痛かった。綾川家として社交界に出ているわけでもないし、政界には知られていない。好奇の目を向けるのは、ここにいる金持ちたちの誰も僕らを見るのは初めてだからだろう。


子供だけでは怪しまれるのではと心配したが、意外にも簡単に船に乗り込めた。招待状の確認をしていた係の男性は僕らの名前を見て一度目を瞬いた後、別の係員を呼んで荷物を運ばせ、特別に別ルートで案内をさせた。


目の前の子供が本当に綾川のものか疑わないのだろうか。もちろん簡単に手に入る招待状ではないし、確認の際は何やら機械を通していたから本物であるとわかったのだろうが…


「…すっげぇ…」


感嘆の声を漏らして立ち止まったシュウの後に続いて船内に入ると、そこはまるで黄金の宮殿のようだった。


船の中は吹き抜けになっていて、煌びやかなオレンジのシャンデリアの下でどこもかしこも輝いて見えた。僕らがいるのは下の方の階で、見上げると上までレジャー施設が並んでいる。外国の映画で見るようなカジノを思わせるゲーム台や、ビリヤード、ダーツと併設したバー。

上に登っていく途中にいくつも施設を横目に通り過ぎた。スポーツ施設やプール、図書館にサロン、映画館や舞台まで、あらゆる娯楽を詰め込めるだけ詰め込んだ空間だった。

壁のあちこちに熱帯魚と泡のアートを入れた水槽が組み込まれ、光の屈折が椅子やグラス、階段の手すりにも反射して眩しいほどだ。


シュウは目をまんまるにしてその光景を凝視していた。遊び方もわからないだろうに、大人の娯楽がこうも興味をくすぐるように飾られるとわくわくする。僕らは至って普通の庶民的な遊びやゲームしか知らないから、こんなにお金のかかった道楽は背徳感すら覚えた。


「1日くらいは思いっきり遊んでみたいかも…」

「だな。これだけ施設があったらアイさんも羽伸ばせるだろ」


後ろに立っていたアイさんを振り返ると、彼女は控えめに微笑むだけだった。


係員に連れられ、最終的に僕らが案内されたのは船首に近い客室だった。何部屋分あるのかというくらい、その部屋もとても広い空間で、壁一面大きな窓になっていた。向こう側に真っ青な海が果てしなく続いている。寝室とバスルームとリビングが横に長く繋がった部屋で、そこらのホテルよりも立派で豪華な作りかも知れない。

使用人用の続き部屋があって、アイさんはそこを案内された。


「お荷物は隣の寝室にお運びしましたので、ご確認ください。それでは、今夜のウェルカムパーティまでこちらでおくつろぎくださいませ」


案内人はそう言って綺麗にお辞儀をすると、部屋を後にした。

乗客全員の案内が終わるまでまだ時間がかかるだろうし、とりあえずは荷ほどきくらいしかすることもなさそうだ。


「なあ、本当にイノハナはここに来てると思うか?」


寝室に行って、ベッドにカバンの中身を広げながらシュウはそう言った。


不思議に思うのも無理はない。これだけ豪華な内装を見れば、一介の新聞記者が入り込める余地は微塵もないだろう。たとえどんな汚い手を使って金儲けをしたとしても、招待を得るには素性や家柄もものを言う。それとも事前に得ていたイノハナ ビワに関しての情報に不足があって、もともと上流階級だったのかもしれない。


「わかんないけど、いる可能性にかけるしかないよ。今はこれしか情報もないし」


乗船が確かな情報かと言われると正直自信はなかった。子供の僕らにできたことといえば、直近のイノハナの仕事を調べて、関わった新聞社に電話で尋ねることくらいだったから。イノハナが適当に嘘を着いたとすれば、当然この船には乗ってないだろう。

ただ、彼が食いつきそうなスクープがあることは確かだ。なんでも最近汚職疑惑のある政治家がグループで内密にこの船に乗り、非公式の会議を執り行うらしい。これは利賀さんからのリークなので信憑性は高い。


イノハナがこの情報を得ているかは賭けるしかないけど、例え乗船のことが嘘だったとしても、その政治家を追っている事は間違い無いだろう。

ともかく、行動を起こすのは今夜のパーティから。顔も背格好もわかっているし、虱潰しでも限られた人混みの中なら見つけるのも時間の問題だ。


「まあそうだよな…」

「それより気になることがあるんだけど」


あらかた荷解きも済むと、僕はソファに身を沈めながらシュウに尋ねた。


「なんで僕らだけ違う案内のされ方だったんだろう。前の人たちとは別の通路を通ってきたし、招待状も明らかに区別されてた」


確かに最近ニュースになって、綾川の名前はさらに目立つようになったけれど、それとこの船のことは関係ないはずだ。そもそも自分たちみたいな子供が持っている招待状を、機械を通したとはいえ疑いもせずにいるのはやっぱり納得しきれない部分があった。


「利賀さんが用意してくれたものだし、特別なコネを使ったからじゃねーの?俺たちってVIPのなかのVIPってことだろ」


今までそんな扱いされてこなかったし、普通より少し大きめの家に住んでるくらいで、同級生たちと何ら変わらない生活してたのに。この船の豪華さに目眩しを喰らったみたいに、シュウはなんだか鼻高々だった。


シュウの言うことは自然だ。利賀さんがどういう伝で得たのかはわからないが、もしかしたら僕らのことについて関係者に話を通してくれたのかも知れなかった。

自分で考えても納得できなかった事柄も、誰かに言われるとやっぱりそうかと思えるのは常だし、問題なく入れたことを素直に受け止めよう。


「パーティってことはやっぱディナーコードだよなぁ…うえ」


うんざりしたシュウに笑う。堅苦しいのが好きじゃないのは見た目通りだ。

シュウは形式張った場に着ていくためのスーツを嫌そうに持ち上げて眺めていた。


窓に目を向けると、青々とした広い海が静かに波打っていた。地平線の向こうは霞んで、空と海の境界を曖昧に揺蕩っている。

キラキラ光った水面はこの船内みたいに眩しくて、目を細めなければ直視できないほどだ。


『あの方がこれ以上水の底に沈んでしまう前に、どうかすくい上げて欲しいのです』


利賀の言葉がふと頭を過った。

何故だか急に、父さんが恋しい。こんなに眩しい世界のどこかにいるなら、光の中でその姿を見つけられたなら、他に何を望むというのだろう。


「アマネ、アイさんが紅茶淹れてくれたぞ」


シュウの声に振り返って頷いた。ローテーブルに用意された湯気の立つティーカップに手を伸ばす。赤茶の中に花模様が浮かんでいた。


夜までは暇だろうと思って、僕は持ってきていた本を開いた。

シュウはベッドの上で携帯をいじって、アイさんは縫い物を始めた。いつもの部屋での光景を、そのまま切り取って船の中に持ってきたみたいな、心地のいいズレの中でだんだんと本に意識を埋めた。



ー*ー



やがて時間になると部屋の外でノックの音がした。アイさんが応対して、僕とシュウは鏡の前で最終チェックを終えたところだ。ネクタイを直して髪をいじって、呼びにきたアイさんとともに案内人と会場に向かった。


何百人いるだろうか。会場の中は人で溢れていた。

この船の中はどこもかしこもキラキラ輝いていて目が痛い。アクセサリーやシャンデリア、銀食器の輝きまでもが惜しみなく主張してくる。香水と料理の相容れない匂いは、気分を害するのには相性がいいらしい。

人の温度と声の波に若干吐き気を覚えながら、適当な場所に立った。


知り合いもいなければ挨拶しなくてはいけない関係者もいない。それでも双子が突っ立っていれば話のネタになるのか、さっきからちらちらとこっちを見ては隣の人と話し合うグループが目についた。

シュウもおそらく感じているのだろう。不快そうに顔を顰めて、そばのテーブルにあった飲み物を煽った。


「退屈だな。部屋でゲームしてたほうがよっぽど有意義な時間に思える」

「こっそり抜けたってきっとわからないよ。イノハナさんを見つけたらコンタクトを取って部屋に戻ろう」


とりあえず今夜はそれくらいしかできないだろう。もともといるかどうかもわからないし、改めて見るとこの人数の中で探すのは骨が折れそうだ。

下手に動き回っても目立つが、パーティが始まれば照明も落とされるだろうから、探すなら今がチャンスだ。


僕は写真で見た彼の背格好と似た人を探しに、テーブルの食事を選ぶフリをして動いた。

年は50近く、髭面で背は170cm前後。写真では目元にクマがあって、くたびれた格好をしていたから見すぼらしかったが、この場にいるとしたら流石にその風体ではないだろう。

利賀がリークした情報を追っているとしたら、政治家らしき人たちのところにいる可能性が高い。


お皿に盛ったローストビーフを頬張りながら、視線を動かした。無邪気な顔でいればキョロキョロしていても怪しまれない。

自分が子供であることを武器にできる場所では遠慮なくそうする。今はシュウが別の場所にいるし、逸れた兄弟を探している体で装った。


「ところで聞きまして?綾川総裁ご夫妻のこと。ご子息が何年も前に失踪したきりで、後継がいないんですって」


ふっと聞こえた名前に思わず足を止めた。背後で話されているようだ。

自分の名字に反応して心臓が徐々に速くなっていくのを感じた。


「ええ、どなたが次の総裁かによっては、業界に大きく動きがでますわね」

「それにしても自殺だなんて、驚きました…」

「お会いした時はとても将来に不安を持っているご様子ではありませんでしたわ…」


声音は残念そうに聞こえたけれど、腹の内ではわからない。

最初からこの場にいる人間たちを信用する気はないからか、全てが淀んで聞こえた。


「今はご子息を血眼になって探してるんでしょうね」

「そういえば…前にも一度ニュースになったことがありましたね。確か家に強盗が押し入ったとかで、奥方が亡くなられたとか」


耳の奥がキーンと高い悲鳴を上げた。味のしない肉をごくりと飲み込む。


「あらそうでしたっけ。大量の血痕を残して消えたって聞いてましたわ」

「どうやって消えるんです?まさか死体を持ち出したとか?」

「さあ。でも駆け落ち婚でしょう?きっと総裁が裏で仕組んでいたんですわ」

「じゃあもしかして、今回の事件はご子息が復讐のために?」

「だったら今頃後継として出てきているのでは?」

「あまりに上手くできすぎても怪しまれますもの。ほとぼりが冷めるのを待つつもりなんですよ、きっと」


ひどい吐き気と目眩がした。

胸の悪くなる匂いに足がおぼつかないまま、なんとかその場を離れようと必死だった。


忘れていた。父さんが僕らをこういう世界から遠ざけようとしていたことを。みんな汚い。みんな醜くて歪んでいて、誰かの不幸をああして食事にする。


 押し入り  亡くなられた 奥方  強盗   消えて   死体


頭の中で言葉が脳を直接突き刺してくるような痛みが襲った。

断片的なあの日の記憶が飛び散った鮮血と共に塗られていく。荒く呼吸をしながら、僕はその場に頭を抱えて蹲った。


シュウ 助けて。


心の中で片割れを呼びながら、周囲のざわめきにも気づかずに息をするのがやっとだった。


「大丈夫ですか!?」


声と共に肩を叩かれ、顔を上げた。そこにはクルーの制服を着た青年が慌てた様子でこちらを見つめていた。

青年は僕を助け起こすと、そのまま会場の出口の方に向かって行った。


ロビーには他に誰もなく、青年は僕を椅子におろすと大きな手を額にあてがった。たくましい腕がそのまま温度を伝えてくる。


「熱はないみたいですけど…水をお持ちしますね。お連れ様は?」

「……シュウ…と、アイさん…」


視界を目まぐるしく散らついていた激しい光と喧騒から逃れると、かろうじて意識が落ち着いてきた。

名前を伝えてもわからないだろうに、彼はにこりと笑うと頷いて会場に戻って行く。


ひとりになった空間で、ゆっくりと深呼吸した。淀んだ感情を吐き出すといくらか楽になった。

イノハナを探すどころではなくなってしまった。事件についてなにか憶測されることは予想できたし、関係ないと割り切れるはずだったのに。

あの日の…母さんがいなくなった日のことがニュースに取り上げられてたことは知らなかった。

父さんが頑なに隠したのだとしか思えない。


「アマネ!」


意識を破ったシュウの声に顔を上げた。心配そうに側に膝をついて、手を握ってくれた。アイさんが後から水の入ったグラスを渡してくれて、それを飲んで一息つく。


「ありがとう…ごめん、心配かけて。ちょっと気分が悪くなっちゃって」

「俺が一緒にいればよかった。ごめんな…」


さらりと僕の前髪を撫でながら、シュウはとてもやるせなさそうに顔を歪めた。そんなシュウに微笑んで、穏やかな仕草に少しの間甘えた。


「船員の人が、助けてくれた」

「ああ。俺たちを呼びに来てくれたんだ。後で改めて礼を言いに行こう。とりあえず立てるか?部屋に戻って休んだほうがいい」

「もう大丈夫だよ。探し物が見つかるまでは…」

「いや、もうパーティが始まって中は暗い。探すのは明日にしよう」


いいながらシュウは僕を背負おうと後ろを向いてしゃがんだ。

本当はそこまでしてもらわなくても平気だったけど、なんとなく誰かに寄り掛かりたい気分だった。


結局船室に戻ってきて、アイさんが船員に頼んで、用意された食事を少し食べた。スープや果物、サラダやサンドイッチといった比較的軽い食べ物ばかりを選んでくれて、今度はそのどれも味があった。


「ねえシュウ。あの日の…母さんがいなくなった日のこと…ニュースになってたって知ってた…?」


食事の後、アイさんが淹れてくれた紅茶を前に僕は恐る恐る尋ねた。ひとりがけの肘掛け椅子に膝を抱えて座って、腕に顔を埋めながらさっき会場で聞いた話を持ち出した。そうできるくらいには気持ちが落ち着いていたし、シュウが知らないなら言っておいたほうがいいと思ったから。


「…いや。そうか…」


僕が気分を害した理由を察して、シュウは顔を曇らせた。

紅茶を一度飲んでから、声を落として言う。


「…無意識に避けてたのかもな。父さんもそれに関して何かしてたかもしれないし」


会いたいと願っておきながら、それを叶える一番の近道からは逃げ続けている。向き合うだけの心の強さがあれば、父さんは僕らを大人と認めてくれるのだろうか。話すに足ると思って帰ってきてくれるのだろうか。

母さんと一緒に、空白の席を埋めてくれるのだろうか…


黙り込んだ横で、シュウは大きくあくびをした。


「疲れたな。ただでさえ慣れない中でずっと緊張状態なんだ。明日からまた気を張らなきゃだし、今日はもう寝ようぜ」


そう言ってお風呂にも入らずにベッドに突っ伏した。

そんなシュウにつられて、僕もようやく怠さを感じ始める。体を動かしていたわけじゃないし、難しいことを考え続けていたわけでもないのに、確かに疲れた。


寝る前にいつも飲んでいる紅茶。やけに甘く感じたのは疲れのせいだろう。


体の浮遊感に誘われるまま、シュウの隣のベッドに横になった。

今日は眠れないと思っていたのに。ぼんやりと意識が微睡み始めると、もう抗えないほどに引きずられて行った。


アイさんが部屋の明かりを落とすのを瞼の縁に映しながら、僕は深く息をして沈んでいった。




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