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−File 6:答え合わせ−
???の手記 n番目 ・月・日
柔らかくてあたたかい。息をするたびに、ぽっこり膨らんだりしぼんだりするお腹が可愛くて、その動きをみながら笑った。
眠っているのをいいことに、俺が髪やほっぺで遊び始めると、彼女は、起きちゃうっていいながら手をぺしっと叩いてくる。
自分と彼女の間に挟まれて眠る姿はただただ無垢で、あどけない寝顔がたまらなく可愛いくて、くちゃくちゃにしたくなった。
これからみんなで何をしようか、考えるだけで幸せだ。
___
*
月が採光窓から去って、濃紺色に塗りたくられた壁は言い知れぬ圧迫感を空間に満たしていた。
止まることを知らない水の流れる音が、意識を微睡の向こうへ溶かして行こうとする。心地いいリズムがようやく耳に馴染み始めた頃。
ビーーっというひび割れた音が、空気を意識ごと叩き切った。
体を震わせ、一気に目が覚めた僕は当たりを見回す。シュウは立ち上がって、目の前の階段の先を見上げた。
【Eyeにより 第二のゲームの真相が暴かれました】
ついで、ゲームマスターの声がどこからともなく聞こえてくる。
静かに、けれど確実に近づいてきていたこの時がついにやってきたらしい。どんな制裁が下されるかはわからないが、まだ心は死の恐怖らしいものを感じていない。
こうも実感が湧かないと、自分は何か感情が欠落しているんじゃないかとさえ思えるくらいだ。自分でも不気味に思うほど落ち着いている。
2階の廊下が騒がしくなり、足音をさせながらゲストたちが戻ってきた。階段を降りてくるのを、僕らは目で追った。
「よぉ。大人しくしてたみてーだなァ?」
「げっ…あんたナイフ無理やり引き抜いたの…?痛覚腐ってんじゃない?」
NoseにEar。その少し後ろにHand。遅れて、アイさんが降りてきた。
「幼い顔して、随分凶暴なことやったんですね。それにしても君たちがまさかあの渦中の綾川家の一員だとは」
Handが今しがた知った真実をひけらかすように話す。僕らの名前は、もうこの人たちに知れたらしい。
「綾川って、最近総裁夫婦が自殺したってニュースになってたやつでしょ?んで、次期総裁候補が行方不明って…これもあんたらの仕業なわけ?金欲しさ?」
さすがにそれは短絡的すぎると思ったが、反論する気力もなかった。どうせ彼らは真実には辿り着けない。
「ケケケッ…こんなとこにこーんな美味そうなネタが転がってたなんて、やっぱ俺ぁ鼻が利くねぇ。こりゃ、死刑執行の前に聞くこと全部聞いとかねぇとなァ?」
ここで暴かれた僕らの罪がなんなのかはわからないけど、彼らが知ったのは僕らが綾川の人間だってことだけらしかった。父さんのことも、実際綾川としての立場なんてないに等しいってこともわかっていないようだ。
「…立てるか?」
シュウが僕に手を差し出した。その手をとったはいいが、腕を上げただけでじゅくりとした鈍い痛みが半身を巡った。穴の空いてない方の手。そっち側は肩が負傷していて、結局足の力だけで立ち上がるしかなかった。
「…ありがと」
シュウは何かいいたげに僕を見つめていたけれど、やがて諦めて、ゲストたちに視線を向けた。
まだ、かろうじて手から血が滴っている。
そこに熱の塊を持っているみたいな、火傷みたいにじくじくするのに、手放すほどでもない妙な感覚だった。それに加え、血濡れたシャツで体は半分寒い。
自分の体なのに、なんの愛着もない温度。
そう、考えた時だった。
走馬灯というには、タイミングがおかしいけれど。
真っ白なフラッシュに眼窩が焼かれて、いつかの記憶が蘇った。
*
アマネ____!!
泣いてるみたいな太陽だった。ゆらゆら揺れて、覚束なくて。
それが、ゆっくり遠ざかっていく。
それが水の中だとわかったのは、太陽が掻き消されて、黒い影が僕を覆ったから。数え切れないほどの泡が、生まれてはのぼって、消えて。
少しずつ重たくなっていく体をそのまま感覚に預けて僕は目を閉じた。
気がついたら、心配そうな顔で家族が僕を見下ろしていた。呼吸が痛かった。頭でわかったのはそれくらい。
太陽は、やっぱりまだ泣いてるみたいだった。
『アマネ…っ!』
『アマネ!!よかった…!!』
父さんと母さんの……声…
『…ぼく…どうしたの……?』
『お前おぼれかけたんだよ。ほんとに…危なかったんだから…っ』
涙声のシュウの言葉。
溺れたという単語を聞いて、そこで初めて自分の体が濡れて、冷たいことに気づいた。
寒くて、でも…
手が、すごくあったかかった。
『おかあさん……泣いてるの…?』
横たわったまま、首だけ動かしてそばに膝をついた母さんをみた。僕の手を、その両手でぎゅっと握っていた。やわらかくて、あったかくて、細いけれどしっかりした母さんの手。僕らと同じ、小豆色の髪。陽の光に遮られて、その顔はよく見えなかったけど…
きらきらした雫がその影から零れてた。
『…アマネ…よかった…っ…ほんとに…』
恐々と震えながら、繋いでいた手だけじゃ心許なかったのか、母さんは堰を切ったように泣き出して、僕をキツく抱きしめた。
肺の痛さなんてまやかしだったみたいだ。母さんの胸の中は苦しかったけれど、母さんの心臓の音がして、それで…なんだかやっと、戻ってこれた気がした。
流れていく水が全部、優しい気がした。
*
懐かしい記憶だ。忘れていたものの一つ。
たぶんその日がきっかけで、母さんは異常なほど心配性になった。
この体がまたあの温もりに包まれることがあるなら、生かしてあげたいとも思う。
けど確証が得られないなら、やっぱり償いとして消費する方が正しい在り方な気がした。
父さんや母さんがどう思うか、僕自身の考えも、世間一般で言う親が子供に対して思う感情も、全部本人じゃない限り当てにならない。
生きて欲しいと思ってるだとか、それは結局ただのエゴでしかない。
だったらこの命は、生まれた時からやっぱり僕だけのもので、たとえ双子でもそれは二つになったり一つになったりもしなくて、どう扱うかも、僕だけが決められること。
過去を思い出しても、頑張って何かを感じてみたところで、恐怖とか、後悔とか、未練とか…何も浮かばない。
いや…浮かんでも、死を前にするのなら全て諦めてしまえるから…。
「……、ぃ…」
僕は本当に……これでようやく終わりにできると思うと…
「おいっ!」
怪我してない方の肩を勢いよく掴まれ、僕は意識を戻された。怪訝そうな顔をしたシュウと正面で目があって、間近でその瞳を見つめる。
「…どうしたの…?」
「いや、お前だろ。ぼーっとしてっから…」
「ああ…いや、昔のことを思い出しただけ。それより、ゲームはどうなるんだろう」
「ヤツからはまだなにも…もうそろそろ次の段階に行っていい頃だけど」
そう思ったのは僕らだけではないようで、Handたちも上を見上げて首を回していた。罪が暴かれたアナウンスからもう程よい時間が経っている。前回なら、すぐに食堂に集まるよう指示があったはずだが…
「ねえ、次の指示はまだなわけ?全員集まったけど、罪が暴かれたならこの二人は負けよね?」
「おいゲームマスター!どうせ見てんだろ!?死刑執行とやらに進んでくれよ!」
声が響き渡り、静寂が訪れた。
シンと冴えた空気の中、数秒の間を置いて、重く震えるように機械音がどこかで微かに鳴った。
【これにて 第二のゲームを終了します】
それは、ゲーム終了の宣言。
なんの抑揚もなく、当然のように告げられた言葉。
僕らはみんな、それっきり聞こえなくなった声を各々で反芻していた。
「……は…?」
理解が追いついた誰かがそう漏らす。
「ゲーム終了?なんで?」
「おいおいおいおい、どう言うことだア?まだ執行人の告発だってあんだろ!?」
「………」
NoseとEarが喚く中、Handも僕らも、アイさんはもちろん、黙ったままだった。
アイさんは相変わらず何を考えているかわからないが、Handは意味深な視線を僕らに向け、そして僕らは…
「…もしかして…俺たち、償いができたってこと…」
全員が生き残る方法。
明確な提示はなかったから、賭けでしかなかった。今日僕らがした償いらしいことは限られている。
「おいゲームマスター!!出てきてちゃんと説明しやがれ!」
「そうよ!勝手に終わらせてんじゃないわよ!」
手放しに喜ぶことも当然できなくて、僕はただただ無感動だった。
強いていうなら、まだ、これを続けなくてはいけないのかという僅かな辟易が、胸の内に落ちた程度。
【特定の段階を経たので 終了したまでです
お疲れ様でした 第三のゲームの指示書を明日の日没…
「説明しろって言ってんだ!俺たちは犯人の罪を暴いただろうが!」
イライラを露わに、Noseは床に叩きつけた煙草を音をさせて踵で踏んだ。もともとの気性の荒さが、時間が経つごとに皮を剥ぐように露見していくようだった。
映像があるわけでもないのに、僕らはみんなエントランスホールで天井を見上げ、彼からの言葉を待った。
【犯人…Brainによる贖罪を確認しました
よってこのゲームは終了となります
お約束した通り 全員が勝者として
次のゲームに進むことができます】
「…贖罪って…じゃあこの二人が昼間やったみたいに、輪っかの中で跪いて手を組めばそれでいいんですか?そんなの、形式だけの自己満足ですよ」
【私は主人の命に従って進行するまでです】
Handのいう通り、それで済むなら全員がやれば勝ち残りは確定する。
だが、僕らはみんな知っている。
ここに、贖罪をしようと思う人間はいない。
それは傲慢だとかそういう話でもなくて。
みんな僕みたいに、罪を懺悔して許してもらおうだなんて体のいいこと、しようとしない。みんな、大人だから。
自分の犯した罪がそれじゃ済まないことを知っているから。
だから僕はすごくずるかった。そして運が良かった。
実際のところ、僕らの行動の何が贖罪として判定されたかは定かじゃない。ゲームマスターもそれを明かす気はなさそうだ。
Handがアイさんに僕らへの報復をさせなければ、もしかしたら今本当に死んでいたかもしれない。
傷つけた当人からの真っ当な仕返し。保身に走っただけの贖罪なんかよりずっと、実質的な方法だ。
「……不自然、だね…」
「?なにが…?」
ふと気づいたことがあってつぶやいた僕に、シュウが尋ねた。
Handは、今回あまりにも執行人として目立ちすぎてた。僕らの贖罪が失敗していれば、あとで自分が告発されることは目に見えてる。
Noseも、協力関係は表向きで、告発する気まんまんの様子だった。
「Handさん。告発されたら、元も子もない」
「……」
「Noseさんは僕ら二人とHandさんの脱落を目論んでたみたいですけど、あなたならそれくらい読めたはずですよね。執行人として目立ちすぎれば危険なのに、どうして表立って今回のゲームを牛耳ってたんですか」
「…ふん。俺は誰も殺してない。だから、俺が執行人である証拠なんてどこにもないんですよ」
ルールの裏をかいたってことか。確かに、ゲームに積極的に参加しても、執行人である確たる証拠を存在させなければ告発しようがない。ゲームの舵を取ることでバランスを取っていたのか。
「はあ?そんなんあり?」
Earが渋い顔をした。
シュウも考え込むように顎に手を置く。
「…執行人としての確たる証拠は、死刑執行の瞬間ってことか」
「ここに呼ばれた目的を考えただけですよ。あなたたち二人だってそうでしょ。Mouthさんのように罪を隠そうとはしなかった」
Handは肩をすくめ、目を逸らして言った。
ここにきて、再び罪を重ねること。それがゲームマスターの狙いであり、断罪ゲームの真髄であることは同意するけど…
自分の体を見下ろして、僕はそっとため息をついた。
殺害といかないまでも、結構な重傷を負わされたんだけど…
けどそれだって、自分が招いたこと、か…。アイさんが納得しているかはわからないけど、償いの一つならば安い方なのかもしれない。
「とりあえず、ゲームが終わったんなら速く手当てしに行こう」
シュウはそう言って、僕の穴の空いてない方の手をそっと掴むと、2階の部屋に向かった。
*
部屋に入ってから、僕をベッドに座らせると、どこからか救急箱を持ってきたシュウは手際良く手当てをしてくれた。
消毒液が傷口に染みるじくじくした痛みは感じていたけど、僕はなんだかずっと、放心していた。天井から見下ろしてるみたいに、別の意識がもうひとつある。そんな奇妙な達観の中で、僕は思い出したもう一つの記憶を、ゆっくり手繰り寄せていた。
「あのね」
シュウの方をみないまま。けれど、シュウが手を止めて僕をみたのを感じながら、ゆっくりと息を吐いた。
「思い出したんだ。母さんがいなくなった日のこと」
波の音。シュウが息を詰めた音。耳の奥で鳴る、微かな…鈴の音。
「クリスマスの夜だった。僕が言ったんだ。母さんに、とっておきのプレゼントをあげようって」
PVというか…ゲーム画面の動画が完成しました!