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いつかゲームになる日まで  作者: 白藤あさぎ
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第0章 -File 1-




第0章 探しに行こう



   −File 1 報せ−




水面下でゆっくりと…。溢れ漏れ出していた慟哭は誰にも伝わらない。水は様々なものを流して潤しても、苦しみもがく声は飲み込んで埋めてしまう。

身動きの取れない深く暗い空間に投げ出された体は、揺蕩う波に揺られてまるで存在ごと溶かしていくようだった。


幾度となく絶望を味わった。目の前が真っ暗になる感覚を何度も味わった。指先の感覚がなくなり、周りの音も遮断され、何を食べても味のわからない日々を送った。噎せ返るような血の匂いが、やがてトラウマの引き金になった。


けれどそのすべては絶望ではなかった。

むしろそれらは希望の前触れ、幸せに気づくための試練だったのだと今なら思える。


大切なものを失くしたことこそ、もうこの腕に抱けないことこそ、本当の絶望。


あれから、少しも生きた心地のしない時間を消費するだけ。真っ白になってしまった全てを彩り染めるものは、もうこの世界にはない。


いや…もう染めようもない。報いを与え全てを投げ打とうとするこの心は、真っ黒だ。



ー*ー



その報せは晴天の霹靂だった。焼きたてのパンの香ばしい匂いと紅茶の甘い香り。普段通りの穏やかな朝食になるはずだったのに、テレビから流れてきたそのニュースが僕らの思考を止めた。


綾川総裁とその妻が、自宅で首を吊って自殺。


僕らの祖父母にあたる2人。そんな言い方をできるほど近しい間柄では決してない。自分の心情に正直に言うなら、一度も会ったことのない赤の他人だが、もたらされた衝撃は大きかった。日本の財政界屈指の名だたる人物が何を血迷ったか、政界の裏を考えてしまう。


「…本当に自殺か…?」


シュウも同じことを思ったのか、そうに呟いた。

焼きたてのトーストにバターを塗る手を止めて、僕らはテレビに釘付けだった。アナウンサーが語る言葉を追ったが、自殺というワードは最初から最後まで決まりごととして報じられた。他殺の疑い、とか自殺の線で、とか。不確定な要素を一切含まず。

事件の真相がどうであれ、市民には自殺であること以外に情報は与えられないだろう。


「どう考えても急に自殺するような人物じゃねぇのに。事実を言えないなら最初っから隠せっての」

「確かに。お得意だよね」


二親等とはいえ、あいにく情が湧く余地はない。色々と調べたら黒いことばかりしてた人たちだし、恨みも相当買ってるだろう。


「動機も、後継のいないことに将来の不安を感じ、なんて適当に言われちゃってるし。こんな杜撰な隠蔽の仕方、すぐに解明されちゃうよ」

「ま、動機が嘘だとしたら裏ではもしかしたら真面目に他殺の線で捜査してんのかもな。俺たちにはカンケーねぇけど」

「……でも、父さんは?葬式には呼ばれるんじゃない?」


綾川本家にとって後継は父さんだけ。さすがにこんな大きなことになったら、父さんも呼ばれるはずだ。

行方知れずになってる父さんを探しもしなかった本家の人たちも、この局面じゃそうもいかないんじゃないだろうか。

最悪、見つからなければ子どもである僕らに接触しようとしてくるかもしれない。


じわじわと自分たちとの絡みが見えてくると、テレビの報道はもうどうでもよかった。

今すぐにでも父さんと連絡を取る必要があるのに、その術がない。


「かもな。俺らに捜索させないように手引きしてたってことは、本家は居場所知ってんだろうし…。けど、呼ばれようが来ないだろ」


そっか…。そうだよね。

でも、可能性はゼロじゃない。だったら、父さんに会えるかもしれない。


「…アマネ。本家に行きたいのか?」

「…父さんに会える可能性があるなら、行って損はないと思うんだ」

「……」


シュウは黙った。ゼロじゃないにしても、限りなくゼロに近い。それを彼はわかってるから、渋ってる。


「とりあえず、ほとぼりが冷めるまではやめとこうぜ。行ったところで、報道陣のいいカモにされるのがオチだ」


そうか…不自然な自殺であることは確かで、ともすれば他殺として世間が見た時、一番動機がわかりやすいのは父さんだ。


「でも……」


引き下がる僕に、シュウは言い聞かせるような声音で制した。


「父さんだってわざわざそんな格好の的になりに行かないだろ。もしすれ違いになっても、来たってことがわかれば十分な収穫だし、気を急いたところで飛び火したら、それこそ父さんがなんのために俺たちを遠ざけたのかわかんなくなる」

「…そう、だね…ごめん」

「謝ることじゃねぇよ。それに、そんな落ち込むことでもない」


シュウが力なく笑うのをみて、申し訳なさがじわりと滲んだ。僕はやっぱり、まだ幼い。


自覚しているよりずっと、僕は父さんに会いたいらしい。

けどそう強く思っても、いざ実際に顔を合わせたらきっと何もできない。

どうに接したらいいかわかんなくなって、ぎこちなくなってしまうだろう。容易く想像できるけど、会いたい気持ちも嘘じゃない。


すっかり冷め切ったパンと紅茶をもう食べる気にはならなかった。


「アマネ。俺だって父さんに会いてーよ。たぶんお前が思ってるよりずっとそう思ってる。でも焦んなくていいんだよ。こんだけ我慢してんだから、いざ会えるってわかったときは邪魔もなく家族だけがいいだろ」


隣の席に座るシュウは、にっと悪戯っ気に笑うと僕の頭をかき回すように撫でた。

思わず鼻の奥がつんとなった。シュウの仕草に、おぼつかなくなった心が落ち着いていく。

ひとりじゃないだけ幸せだ。シュウがいてくれなかったら、こんな寂しさは乗り越えられる気がしない。


目の前のふたつの空席。いつか埋まることを、未だに僕は願っている。



ー*ー



あの衝撃的なニュースがあってから丸一日が経った。一般的に考えると葬儀が行われているだろうが、孫といえど一度も会ったことのない自分たちのところには、なんの通達もなかった。


今更上流階級にはなれないし、呼ばれなくて安堵したものの、その代わりというように歓迎されない来訪があった。


「はじめまして。綾川桂士の弟、利賀柾と申します」


アイさんが応対し通したこの初老の男性は、僕らの祖父、つまり綾川総裁の弟と名乗った。父さんの叔父にあたる人物。

真っ黒な袴を着て装いは喪に服しているが、顔つきはとても親族を亡くしたばかりの人物には見えなかった。年老いた威厳のある風格は嫌でも感じるが、わずかにさがった目尻に刻まれたシワがどことなく穏やかな人柄を滲ませている。年の功、なのだろうか。悲しみに暮れるというより、死をあるべきものとして受け入れているそんな眼差し。


その人はゆっくりした仕草で懐から名刺を取り出すと、テーブルの上にそれを滑らせる。


「利賀金融の経営アドバイザーを務めております」


年下の僕らに対して敬語で話すのはこの人の元々の性格なのか、それとも綾川家本家の子息として形ばかりの敬意を損なわんとしているのか、僕はこの人から出る声音からそんなことを考えていた。

そしてぼんやりと、前者であるような気がする。

そぶりも話し方も落ち着きがあって、高圧的でもない、いたって普通の大人の男性。僕の思う綾川の人柄はこの人からは感じない。

が…簡単に気を許すつもりもなかった。

飾り気のない誠実さを主張した名刺を渡され、シュウはそれを睨み見る。


どうして綾川姓ではないのかといえば、この人は婿養子だからだろう。次男だから本家の後継にはなれないし、有力者の家に入ってその家業を担えば実質綾川のものという昔ながらの政略。

そういえば家のことについて書かれた資料の中に、綾川の家の男子には木の名前を、後継には士の字をつけるってあったっけ。

父さんはその習わし通り柳士って名前だけど…僕もシュウもそれとは全く関係ない名前の付けられ方。


綾川の人物というだけで、僕らは警戒心剥き出しでその人に突っかかった。

自分たちを守るためではなく、心の中にずっと抱えている『綾川』に対する攻撃心から。


そうして僕らが目の前の男の目論見を見極めようと凝視している間、アイさんは淹れた紅茶をテーブルに並べていた。彼はといえば、そんなアイさんの手元をなんともなしに見つめて、セッティングが終わるのを待っているようだった。


「…お二人にお会いするのは随分久しぶりですね…」


ぽつりと、利賀が呟く。

ちらり視線をやると、目尻の皺を濃くした眼差しで見つめられていた。

久しぶり…?確かに名前だけは資料で見たことがあるけど、あったことのあるような口ぶりだ。急に親近感を持たれても反応に困った。なにせ、今まで本家からは見向きもされなかったのだから。


湯気の立ち上るティーカップを我先にと指に絡める。僕らの反応を待たずに、利賀はそうして一口喉を鳴らした。


「俺たちには覚えがありませんが」


敵対心を隠しもせずにシュウが言う。それに頷いて、彼はまた言った。


「無理もありません。まだ生まれたての赤ん坊でしたから。でも、あなた方のことは、お父上の柳士さまからいつもお話を伺っておりました」

「父と…関わりが…?」


父さんの名前が出て、思わず反応する。

利賀と名乗っているし、本家とは別のところにいるのなら、両親と折り合いの悪い父さんが叔父を頼るのも頷ける。


「ええ…名付け親として、私も彼を可愛がっていましたし、懐いてくれていました。実の両親と上手くいかなくなってからは殊に、相談しに訪ねてこられる回数も増え、私も柳士さまのために何度か兄に進言したことがあります」


父さんに親身になってくれる存在がいたなんて…

利賀の言葉を聞いて、僕は少し安心した。家族を守るために必死になってくれた姿は幼いながらも感じていたし、今になってからも、孤独だったのかとその時力になれなかった自分を悔いることもあった。

出て行ってしまったのは、ひとりで抱えきれなくなったからだと思っていた。


この人の人柄を確信して、ゆるゆると警戒が解けていく。


「父は…今どこにいるんですか…。あなたはそれをご存知なんでしょう?」


綾川が後継である父さんを探していなかった理由は、それ以外考えられない。

利賀はティーカップをソーサーに戻すと、重く口を開いた。


「いいえ。残念ながら、綾川本家の者も誰も、柳士さまの行方は存じておりません」

「だったらなんで探さないんだよ。後継が行方不明なんて、世間体的にも問題だろ?」


シュウがすかさず尋ねる。僕も、それに続いた。


「それに僕らの捜索を邪魔したのは、知っていたからじゃないんですか」

「…総裁は彼を血眼になって探しました。シュウさまの言うように、世間体を守るためにメディアには内密に。足をつけないルートも手段も、綾川にはたくさんありますから…」


利賀は目を伏せたまま言う。


誰も知らないなんて…。だったら、父さんは本当に行方不明ってことじゃないか。僕らだけが知らないわけじゃなかった。

真剣に探していなかったわけじゃない。けど、誰も知らないという事実が、考えたくない方向の信憑性を増す。


「知っていて隠していたのだとばかり…」

「あなた方の詮索を阻んだのは、柳士さまたってのお願いだったのです。ですから私が根回しをしました。本家はあなた方が柳士さまを探していたことなど知りません。言い難いことですが、総裁はあなた方を柳士さまのお子と認めておりませんでした」

「そんなの、言われなくたって感じてましたよ。俺たちのことなんかつゆほども気にしてないって」


シュウは悔し紛れにそう言った。

認めてほしかったとは思ってない。けれど僕ら家族の存在自体が否定されているような気がして、今の僕らにはそれを撥ね付けるほどの心の強さはなかった。


「総裁も亡くなって、父さんもいなくて、綾川はどうなるんですか」


答えに興味はない。どうなろうとも、それは報いだ。一種の蔑みを込めて僕は言った。利賀はそれをどうとったのかはわからないが、愚直に答える。


「…今その行く末を決める会議が行われております。けれど政財界のことなど、あなた方には関係のない話です。柳士さまはあなた方を遠ざけて正解でした。あんな汚いところに踏み入らなくていいのです。踏み入らせるつもりもありません」

「…家の話でもなくて、父さんの居場所を知ってるわけでもないなら、あんたはどうしてここに来たんですか」


シュウに尋ねられ、利賀は顔を曇らせた。


「私は、あなた方お二人に…いえ、使用人のマダラメ アイさんも含め三人に、お伝えしなければならないことがあるのです」


シュウと僕と、アイさんも…?


テーブルのセットを終えた後、いつものように部屋から出ていたのだと思った。それほど存在感を消してそこに立っていた彼女を、僕らは見つめた。

それから、利賀のほうに視線を戻す。


一体、何を伝えようとしているのか。漠然とした心当たりはあるものの、大きな仄暗い何かが聞くのを躊躇わせる。


父さんが唯一頼っていた親族。

彼の僕らを見る瞳の中に、やりきれない憐憫が揺れていた。




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