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いつかゲームになる日まで  作者: 白藤あさぎ
15/32

第3章 -File 1-

お待たせいたしました…


第3章 _ _ _ _ _



   −File 1 2日目:朝−




悠々とした意識の淵で、柔らかく髪を撫でる温もりが波打っていた。


_母さん…?


なんとなくそう思って重たい瞼を開けたが、どうやら撫でられていたという感触は気のせいだったみたいだ。船上の微かな揺れのせいで、そう感じただけだった。

だんだんと意識が引き寄せられていくようで、自分が寝ていた部屋を見渡しうんざりしたため息を吐いた。


昨日の夜の出来事がまざまざと脳裏に広がっていく。途端に頭痛に襲われ、目頭を強く押さえた。


全て夢だったらよかった。そう思わずにはいられない。ここにきてまだ1日だなんて信じられなかった。あまりにも起こったことが現実から駆け離れすぎて、自分の中で浸透するのにはやっぱり時間がかかりそうだ。

人の死を目の当たりにして、改めて自分の置かれている状況を正しく身に刻むべきだと思っても、心はそれを受け入れられない。

一度泥のように眠ったらまた意識はだらけてしまっている。


もう帰りたい。

そう思った頭をゆるく引っ掻く意識に再び目を開けた。


まだ、手がかりは何もつかめていない。

ここにきた当初の目的を忘れてはいけない。

父さんの行方を…いや…そんな確かな情報が得られるかはわからないけど、おそらく失踪する直前に会いにいった人物がこの船に乗っている。

僕らが追える手がかりの中で唯一の道標。


ようやく手繰り寄せたこの細い糸が切れる前に…


「…起きたのか…?」


背後でそう声がして振り返ると、ベッドに横たわったままでシュウがこちらを見ていた。だいぶ前から起きていたのか、目はぱっちり開いている。

僕を見て、ふっと目元を緩めて微笑んだ。


「…お互い、いい目覚めとは言えないな」

「仕方ないね…。昨日あんなことがあったし」


…悲観しているのはやめよう。なんと言ってもひとりじゃないだけマシだ。ここでやるべきことをやって、生きて帰るしかない。


「今何時かな」

「さあな。風呂にでも入って着替えたら、食堂に何か食べに行こうぜ」

「そうだね。ゲームが始まったら食事なんてままならなくなるだろうし」


朝はいつも食欲がないが、この状況じゃ食べられるときに食べておいたほうがよさそうだ。

夕方までの少しの時間だけ、存分に休息しておこう。


軽くシャワーを浴びたあとで新しい服に着替えて、机に向かった。シュウと入れ違いで1人になった空間で、今後のことを考える。机に肘をついて、引き出しに入っていた手帳を取り出した。

頭で考えるだけではぐちゃぐちゃしてくるだけだから、文字に起こして整理したいことをまとめておこう。


昨日起こったこと。事象だけをつらつらと書き連ねていく途中でふと手を止める。


アイさんのこと。

僕らはきちんと話さなければいけないことがある。ただ僕らが顔見知り…どころか家族同然であることを他のゲストに知られれば、今度こそ公平性に欠けるだろうし…この問題は帰ってから片付けるしかなさそうだ。


そして、僕らの罪のこと。

Mouthのように明確に誰かを手にかけたことはない。だからこれは賭けのようなものだ。赦しの秘蹟を行うことで、もしかしたらゲームの全員生存が可能かもしれない。最初のあの文章の中に全ての答えがあるのだとしたら、ゲームマスターがすでに示してあると言った言葉通りだし、今ならその意味合いも正しく解釈できる。


赦しの秘蹟は光のもとで。なにもしなければ、僕らはそれを失う。


自ら懺悔し告解を行わなければ、僕らはコードネームに準じてその部位を失う。きっとMouthのように。つまり永遠に贖罪の機会も失われる。

この行為に失敗があるのかはわからない。見当違いの贖罪を行えばペナルティなのか、ルールにはその可能性について一切書かれていなかった。だからやってみる価値はあるだろう。


僕らが償うべき罪…ここに連れてこられた原因として可能性があるのは二つ。

ひとつは、母さんのあの日の事件。

そしてもう一つは…アイさんに対してやったこと。


認めたくはないけれど、殺人を犯したと糾弾されるなら前者。直接的に手を下したわけではないし、母さんが本当にもう亡くなっているのかもわからない。が、僕らが引き金だったことは否めない。

後者については、少なくとも“殺人”ではない。

あれから何度もここに来てからのことを思い返した。

これは現状を整理してわかったことだが、ゲームマスターは、あくまで彼の主人についての考えで殺人を最悪として捉えているとは言ったが、ここに連れてこられた理由については『断罪されるべき罪がある』としか言わなかった。


都合の良い解釈と言われてしまえばそれまでだが、今この状況下で僕らが向き合うべきものははっきりしている。


「あースッキリした。けどもう一眠りしたいくらいだな」


背後でベッドに沈む音がして振り返ると、シュウが頭にタオルをかけたまま大の字に寝転がっていた。浴室の方からヴェールに包まれたみたいに膨らんだ熱気と、それに混じって甘い香りが部屋を満たした。

僕が笑って諫めると、ぶすっとした視線を向けてくる。


「そっちはなんかまとまったか?」

「あー…うん。話しておこうと思ってたことがあったんだった」


起き上がって乱暴に髪を拭いているシュウに改めて向き直る。するとストレートの髪がしなって目にかかるのを鬱陶しそうにしながら、先を促した。


「イノハナ ビワのこと。僕らがこの船に乗った目的の人物だけど…」

「ああ。そのイノハナはNoseだって言いてーんだろ」

「なんだ、気づいてたの?」

「お前の雰囲気でなんとなく察した。ただ写真とは随分違ったから気づけなかったな」

「多分整形してるんだよ。その名残だと思うけど、耳の後ろに小さな引き攣れの跡があった」

「なんでわかったんだ?それでイノハナだって」

「…確証があるわけではないけど、僕らが持ってた彼の写真にも同じような跡があったんだよ。それに記者みたいに僕らのデータをとってたでしょ」


ほぼ間違いない。

ただ厄介なことに、Noseがイノハナ ビワだとわかっても父さんのことを問いただすことができない。『何も明かしてはいけない』というルールに乗じて口を割らないに決まってる。

向こうがこちらを綾川だと認識しているかは微妙だが、その武器もここじゃ通用しない。


「同じような跡…何回も整形してるってことか?」

「かもしれないね。なんのためにかはわかんないけど」


見た限り美的願望があるとは思えない。他で考えられる理由といえば、生まれながらの理由で整形が必要な場合か、あるいは…詮索から逃れるため。記者として顔が知られてはまずいのか、それとも犯罪的なことに関与しているからか。美容や医療としての目的以外で、多額の整形手術を重ねて行う理由なんてロクなことを想像できない。


「んで、あいつがイノハナなら、俺たちは奴から情報を得るのに何がなんでも生かして一緒に出なきゃなんねーってことか」

「…そう」


すでに第一のゲームで執行人として殺人を犯した彼を、僕らは生かす必要がある。

協力関係を申し出るなんてことはルール上あまり得策とは言えないし、心情としてもできれば遠慮したい。

だけど、ああいうタイプの人間は敵にするのは厄介だ。下手に刺激せず、かといって他者から脅かされる危険を取り除くにはそれなりの立ち回りをしなくてはいけなくなる。


今後のゲームでどんな役割が与えられるかはわからない。せめて敵にならないことを祈るくらいしか。


「…あいつなら自力でしぶとく生き残りそうだ」

「まさか進んで守ろうとなんてしないよ。ただ目は離さないでおくのがいいんじゃないかな」

「りょーかい。にしても、俺たちが入手したイノハナの写真は結構新しいはずなのに、この船に乗るために直前に整形したってことか?」

「そうみたいだね。追ってるスクープが政治絡みのことみたいだし、顔が割れてたら警戒されるからじゃないかな」


どっちにしろ…当初の目的には近いところにいる。理不尽な状況は変わらないけど、全くの無駄にせずにすみそうだ。今後の立ち居振る舞いさえ気をつければ。


「イノハナだからNoseってことか。Mouthも、阿田口 港。少なからず名前にちなんでつけられてるとしたら、今後探偵になってまた犯人の名前を不意打ちで聞かれたとき、ヒントになるな」

「うん。アイさんも…マダラメ アイだし」


アイさんの名前を出すと、シュウは押し黙った。

まだ話しておきたいことがある。口にするのは重いけれど、ここに連れてこられた以上、向き合わなくちゃいけないこと。


「……僕らの罪…どう考えてる?」


僕が呟くようにそう尋ねると、シュウは髪を拭くのをやめてベッドにあぐらをかいた。まだ少し湿った前髪が視線を暗く覆う。


「俺は……俺が償うべき罪があるとしたら、母さんの事件のことじゃなくて…アイさんにしたこと、だと思ってる」


シュウの答えに、僕はそっと目を閉じた。

息が浅くなる。心臓に何かがつっかえたみたいな若干の圧迫感。不完全な呼吸がゆっくりと頭に記憶を呼び起こす。





もう、3年ほど前になる。

中学にあがる春、父さんが書き置きも残さず家を出て行った。

何日も帰らない。3日、一週間、そのうち一ヶ月が過ぎて、押しつぶされそうな不安の中でようやく気づいた。


捨てられたんだって。


そんなはずない。絶対帰ってくる。

根拠のない自信の裏には切実な願望がこびりついていた。そしてそう強く願えば願うほど、何よりも認めたくない事実を突きつけられているようだった。


『アマネ。大丈夫だから…父さんが俺らを捨てるわけないだろ』

『…じゃあなんで…なにも連絡ないの……なんで…帰ってこないの…』

『忙しいんだよ。なんかの研究してるんだろ』

『前からよそよそしかった…母さんが…いなくなってから…やっぱり僕らのせいだって思ってるんだよ…』

『……。じゃあさ、おっきくなって、ふたりがいつ帰ってきてもいいようにしよ。そんとき、いい子だなって言ってもらえるように。俺はアマネがいてくれたら頑張れるからさ。お前は…?』

『………うん…僕もシュウがいてくれるなら…大丈夫』


何度も何度も、互いを支え合った。

それでも水の流れは止められない。少しずつ少しずつ浸食していく。砂の間から滲み出て、やがて溢れる。


精神的な不安定さに、言動はどんどん荒んでいった。

あの頃の僕はシュウしかなかった。シュウが見えていないと不安で、何かでスイッチが入ったり、夜や、学校でどうしても一緒にいられない時間が長くなったりすると吐き気や癇癪を起こして、症状を鎮めるのにまともに学校に通えなかった。

当然のように周りからは異常者扱いされ、僕らはますます2人だけの世界に溺れていった。



ある日、アイさんの部屋で手紙を見つけた。父さんの字だった。


:もう帰らない。手紙もこれで最後だ。2人を頼む:


それを見た時の感情は、上手く言葉にならない。

絶望?…そんな簡単なものじゃなかった。


その日、僕らは初めて人を故意に傷つけた。悪意を持って、暴力をふるった。

僕らが縋り続けていた細い願望は…わずかに心を支えていた淡い未来は、無慈悲に引きちぎられた。


『あんたずっと知ってたのかよ!』

『シュウ!』

『俺らが父さんのことで苦しんでるのずっと見てきただろ…なのになんでっ…手紙の事黙ってたんだよ!なんで何も言わねぇんだよ!!』

『…アイさん…どういうこと…?僕らは…やっぱり捨てられたの…?』

『………』

『どうして…?嘘だよね…?ねぇアイさん…何か言ってよ…!』


怒号と、破壊音。

泣いてばかりの僕と、そんな僕を慰める事で自分を保っていたシュウ。

全てを知っていながら、伝える手段はいくらでもあったのに、黙って見ていただけのアイさん。


一度壊れてしまったものは、もうどれが始まりの亀裂だったのかわからない。


とにかくあの日、僕らは父さんを失った。

母さんを失った時以上の痛みだった。


アイさんの手の甲にある引きつれの痕。

もう二度と完全に治ることはないあの傷は、僕らが彼女に謂れの無い恨言を叫びながらつけたもの。

ひどく勝手でどうしようもない衝動で、何かをめちゃくちゃに壊したかった。

母さんもいなくなって、父さんまで出て行って、僕らは途方もないかなしみの中で、喉が潰れるまで泣き叫んだ。


お気に入りだったお皿も、僕らのための椅子も、家族で色違いのカップも、思い出と呼べるようなものは全て無惨に砕けた。大切にしていた全ては指の間をすり抜けて失くなっていく。他でもない自分の手が、そうやってなにもかもを葬っていく。そして落ち着いた頃に都合よくその思い出たちを懐かしみ、縋って、求めてしまう。


もっとも愚かで滑稽なのは、その繰り返しから逃れられない成長の止まったこの頭。


静かになった部屋の中で、僕らはお互いのしゃくりあげる声を聞いていた。

数え切れないほどの残骸の中で、同じように動かなくなった彼女の体を見つめて。





僕らの記憶はひどく中途半端で曖昧な部分が多く、いろいろなことを都合よく忘れてしまっている。あるいは、無意識に書き換えている。

日常の些細な出来事などを記憶できるキャパシティは、残念ながら例の事件とその日のことが大半を占めているせいでとっくに限界に近かった。


母さんのことも父さんのことも、大好きでこんなに会いたいと思っているのに、その顔や声をうまく思い描くことができない。ぼやけて、光の反射で輪郭しか辿れない。その口元が笑っているのか、その目元が泣いているのか、頑張っても想像できなかった。

写真を見れば認識できても、それが記憶に残ることはなかった。


実際に父さんが僕らを捨てたのか、事実はわからない。でも僕らが捨てられたんだと感じたら、それは真実だった。

もちろん最初は悲しかったし、勝手だと思った。恨んだし、許せないとも思った。


けれど……そう…。

頭ではとっくに理解できていたんだ。


人間の脳はとてもうまくできていて、ときには心すら及ばないのかもしれない。


あの後の記憶は、また数日を経て始まった。

目を覚ました僕のベッドのそばで、アイさんは心配そうな顔で座っていた。

気を失って、病院に運ばれていたようだ。


看護師さんから聞いた話では、何かが割れたり壊れたりする音が激しくて、心配になった近所の人が警察と救急車を呼んでいたらしい。

後で警察の人にも事情を聞かれたが、特に大事になることもなかった。

アイさんはそこでも声を発さなかった。

明らかに傷害…いや、限りなく殺人未遂に近い出来事だったのに、彼女が黙秘したために家庭内での揉め事程度に収まってしまった。


意識を失うまで僕らに散々暴力を振るわれておきながら、アイさんは何もなかったかのように接した。

ほとんどの傷はやがて見えなくなったが、手の甲の痕だけは、今でも残ってる。


言い訳ならいくらでもできた。精神状態が良くなかったのは嘘ではない。精神科に処方された薬は役に立たなかったし、施設入りを勧められるくらいにはひどい状態だったといえる。

アイさんが話してくれさえすればあんなことには…、なんてたられば話も通用しない。


アイさんを傷つけても父さんは帰ってこなかった。捨てられたんだという事実も、現状も、何一つ変わらない。自分の心が晴れるなんてこともなかった。父さんの居場所だって結局わからなかった。


僕らのやったことは紛れもない暴力で、許される理由など存在しない。

一生背負って行かなければならない罪であり、どんなふうに裁きが下ろうとそれを甘んじて受け入れなければならない。


だから…ここを出るなんて決意は、本当は抱くべきじゃないのかもしれない…


「母さんのことは…俺たちにとっては罪だけど、やっぱり他人から責められることじゃないと思う。それに…罰ならもう、散々受けてるだろ…」


詰まらせた声でシュウは呟いた。


「…そうだね…」

「…んで、お前はどうなんだ?」

「僕も同じ考えだよ。意見合わせをしたかったのは、試したいことがあるからなんだ」

「試したい事?」


ゲームを、全員勝ち残りで終わらせる方法。


「全員が勝ち残る条件。犯人がゲームで勝とうとすれば、自分の罪を隠して探偵たちを欺く必要がある。けど僕らは罪人だから、隠せばそれは更なる罪を重ねるって事」

「…贖罪の機会、ってことか」


シュウの言葉に頷く。


「…ゆるしの秘蹟は光のもとで、ってあったでしょ」

「ああ…あの聖卓にそんな紙があったな」

「エントランスホールは教会そのものの作りだったし、十字架がかけられた壁の採光窓からは円形に光が入ってくる。多分そろそろ、床に光の溜まり場ができるんじゃないかな」

「そこで自分の罪を告白しろって?」

「正しい方法かはわからないけど、やってみる価値はあるんじゃない?」


見苦しく自分の罪を押し隠して、今後下を向いて生き続けるくらいなら。ここで得た機会を利用して贖罪することは、自己満足と罵られようが、少なくとも悪ではないだろう。


『おっきくなって、いつふたりが帰ってきてもいいように』


何より僕は…

まだふたりの子どもでいたいから。



この船の終着点が、怨恨の渦に巻き込まれる運命でも。




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