表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつかゲームになる日まで  作者: 白藤あさぎ
13/31

    -File 5-




   -File 5:答え合わせ-




???の手記 n番目 ・月・日


ストーカーの犯人は彼女の大学時代の同級生だった。振られたことを根に持って、悪質なやり方でしつこく付き纏っていたようだ。動物の死骸や彼女が映った写真をズタズタにしたものを送りつけてきたり、真夜中に無言電話を繰り返したり。簡単に足がつかないようにされていたせいで見つけるのに時間がかかってしまった。


おまけに最悪なことをしでかしてくれた。

やっと…やっと、落ち着けると思ったのに。

あいつらに垂れ込みやがった。また前と同じことになる。


ここから逃げなくてはいけない。家族を守るために、また引越し先を探さなくては。小さくていい。身を隠せる場所を、なるべく遠くに。

誰の手も届かない安寧の家を。


幼い笑い声が、自分たちにとってどれほど癒しだろうか。

大切なものが増えれば増えるほど、失うかもしれない不安に押しつぶされそうになる。けれどそれを滲ませることはできない。悟らせてはいけない。最愛の家族を守ることができるのは、自分だけだから。

____





僕はMouthと松浦のつながりを確定するために、Handが気になったと言っていた業績リストと、破かれていたが数人の顔がみられる所属者プロフィールを広げた。ところどころ汚れていて文字が不鮮明だったが、業績順に営業課に所属している人物の名前が連なっている。月ごとに更新されていて、入社時期の松浦賢一の業績は底辺だったが、やがてベテランも追い抜いて一位に上り詰めていることがわかった。最新の方では彼が常にトップだ。このあたりの変化で、彼が詐欺に加担し始めた頃合いがわかる。


>今月も最下位だった。入社してから間もないなんて言い訳にできない。同期はすでに中位には入り込めてるやつもいる。

>やり方を聞くなんてシャクだけど、タカなら…

>いや、こっちには強い味方がいる。コウさんに相談してみよう。絶対トップになって見返してやる。


松浦賢一 ×上将吾 清水博美 阿田口港 内××司 吉沢史 清水高 

崎×菜々× 向井俊介 厚木隆文 里見詩×…


『タカ』、や『コウ』に当てはまりそうな名前は三つ。それらと写真付きのプロフィールを見比べる。写真がある中にMouthはいない。が、消去法で当てはめていけば…


考えていると、HandとEar、アイさんがオフィスにやってきた。


「ねえ、あんたたちもう事件は解けたの?」

「いえ。まだぼんやりとしか」


まだMouthがどうに松浦の死に関わっているかはわかってない。

Earに答えると、Handと一緒に僕らの向かいに座った。テーブルに散らばっている手がかりに各々手を伸ばす。


「特にやることもなくて。なにか手伝います」


アイさんはオフィスにあったコーヒーメーカーをセットし始めた。

僕は急に出来上がったこの状況を意外に思うほかなくて、目を瞬いて呆然としていた。


あんなに非協力的な雰囲気だったのに。Handはともかく、Earまでいるのは意外だ。Noseは相変わらずだが、むしろ彼らしい行動だった。とはいえ邪魔なわけではないし、この時間の全員のアリバイが確保されるなら願ってもないが…。


「それにしてもさぁ、…松浦だっけ?自殺したんなら殺人じゃなくない?そんなのもカウントされてここに拉致られたとか。あたしの罪がなんだか知らないけど、正直納得いかないんだけど」


マゼンタに塗られた長い爪で書類を摘んで、Earがそうぼやいた。不機嫌そうに細められた目は異様に長い睫毛に埋もれている。


「納得なら最初からできませんよ。でも、確かにそれで言ったらゲームの答えは毎回殺人罪ってことですよね」


Earの後でHandが言う。

謎かけが毎回同じとは限らないが、彼の疑問も一理ある。ゲームマスターのことだから被害者の死因にも何か企みがあるような気もする。


僕はリストと写真を見比べていた視線を上げてEarに言った。


「人の自殺に関われば罪になりますよ」

「へえ?どんな?」

「自殺関与という罪名が存在します。たとえば自殺するつもりのない人間に、死ねと言ったとする。そして自殺した場合、自殺教唆になりえます。他にも自殺の手助けをすれば自殺幇助。同意殺人罪なんてのもありますし…」

「同意殺人はなんかわかりますけど、教唆ってなんか曖昧ですね」

「そうですね。自殺者の心境を正確に汲むことは難しいので、ほとんど適用されないらしいですが…」

「はあ?意味わかんない。自殺するかしないかなんて、そんなの本人の勝手じゃん」

「ええ、本人に選択の余地があることが教唆の判断点です。ですから殺人罪ほど重い刑にはなりません。とはいえ、悪意を伴った言葉で人が死ぬのなら、ひとつの命が消えたという意味では殺人と解釈できなくもない」


凶器が目に見えるかそうでないか。そして言葉による『死』はまた、形を変え得る。生物的な生命活動が停止していなくても、人間は死ぬ。何気ない、1秒にも見たない音のつながりが、どんな凶器より残酷に命を抉る。

なぜなら受け止めた人間自身が、もっとも自分に効果的な傷をつくるよう、刃を変形し、錯覚して身に沈めるから。


発言者に悪意があろうとなかろうと、これは心の真理としか言いようがない。


「バッカみたい。だったらあたしに死ねって言ってきたやつらは運が良かったね」


吐き捨てるようにEarは言った。持っていた資料を乱雑にテーブルに投げ捨て、ソファに身を沈める。誰も何も返さなかった。

アイさんの淹れるコーヒーの香りが、鼻を通り過ぎて口にまで落ちた。立ち昇る湯気の向こう側。霞み歪んだ揺れの中に、彼女の手首の消えない傷を見た。


一瞬で生まれて消えていく。それは何万光年も永続する眩く尊い光にもなり、残像としてこびり付いて、褪せても残る傷跡にもなる。


僕は学校の先生が嫌いだった。彼らの言葉で、自分の未来が操られていくような気がしていたから。簡単に夢を打ち砕く抗えない力を持っていて、それは大人という肩書きで正当化されている気がしていた。

痛みを知らない子供も嫌い。とても攻撃的でずる賢いから。自分が子供であることを十分に理解して、周りの大人を盾に幼さを武器にする。目に見えるものが全てだから、何を言ってもごめんなさいの一言で『終わり』だと思い込んでいた。


僕が嫌いなそれらは、かつての僕自身であり、これからの僕。今の自分は、甘さに浸かってかしこぶってる調子のいい愚か者。中途半端に成長してるおかげで子供以上にタチが悪い。


言葉は一瞬であり永遠であること。だからこそ重く尊いことを知らなかった幼い頃。知った今とこれからは、そのことを忘れ感情に任せてしまった時々をずっと抱えていくことになる。それは自己満足の償いでもあった。


Earに死ねと言った人間は、今もそのことを覚えているだろうか。


決めつけることも想像することも、願うこともできるけれど、きっとどれにも意味はない。それは当人たちの裁量に委ねられる。ただ事実として、彼女の心の中にはアトがある。


ただそれだけ。


「確か、脅迫とかで心理的物理的に追い詰められ自殺以外の選択肢がなかった場合、それは殺人罪でしたよね」


少しの沈黙を経た後で、Handが片手を顎にやって呟いた。


「そのはずです。刑法を学んだわけじゃないので正直曖昧な知識でしかないですが…」


脅迫…この事件に一番しっくりくるのはそれだ。何よりゲームマスターが殺人と呼ぶに値する。でも証拠がない。確たる手がかりがなければ、回答するリスクが高すぎる。


「日記には他に何かなかったのか?」

「新聞記事にあった通り最後のページが破かれてるくらいで、他は特になにも。松浦自身がやったのか、それとも…」


Mouthが証拠隠滅のためにやったのか。だとしたら自殺後に彼の部屋に行ったことになる。

資料の中には、警察の調べについてのものもあった。日記の内容と検死結果から、自殺と彼らは結論づけた。

彼の遺体から大量の睡眠薬が検出されたと書かれている。

殺人や脅迫の可能性について記録はない。つまりMouthは警察の目を完全に退けたということ。もちろん、事情聴取くらいはされただろうが…。


「事件当時に見つからなかったなら、破れたページの現物はここにないだろうな」

「そうだね。内容がわかれば脅迫かどうか決められたかもしれないのに…」

「…最後の方は散々だったみたいだな…」


シュウが日記をめくりながら、険しい顔で呟いた。


>これはひどい裏切りだ 会社も、他のやつらもみんなグルだ。

>ただ言われた通りにやっただけ

>毎晩電話が鳴る チャイムが鳴る 怒号で目を覚ます

死ね 死ね 死ね 人殺し 人殺し 人殺し

>毎晩飲まなきゃやってられない


均整のとれていた文字が乱れに乱れ、圧の高い様が激しい昂りを訴えるように書き殴られている。

ゲームマスターの指標によれば彼は操り人形。いざと言うときのスケープゴートにされた、ある意味では被害者。とはいえ詐欺の被害者はそれを認めないだろう。


松浦が自分の行いを詐欺だと認識していたかどうかは正直微妙なところだった。


僕自身は…彼は『知らなかった』んじゃないかと思う。

キツネと猫に例えた共犯者がいるなら、いくらでも告発する方法はあるのに、それがされていない。引っかかったのはこの二文。

『>これはひどい裏切りだ 会社も、他のやつらもみんなグルだ。

>ただ言われた通りにやっただけ』

共犯者がいたとも取れるし、営業マニュアルに問題があったとも取れる。

だから警察は会社を洗った。マルチ商法がシステムとして使われているなら、そこに違法性がないか詳細に調べられただろう。が、結果はシロ。

キツネと猫も詮索を逃れている。

そしてプロフィールによれば、『コウさん』と『タカ』かもしれない容疑者は松浦の教育担当ではなかった。


ここから僕が推理したのは、ピノキオのように直接的なやりとりではなかった可能性。底辺だった松浦の営業成績。該当する時期の日記から、『コウさん』に何か教わろうということは書いてある。

が、その後については特筆されていなかった。

犯罪だから書くことを伏せたのだとしても、さいごの心境からしてキツネと猫のことについて一切触れないのは不自然な気がした。


>親に縁を切られた 元々思ってないくせに、息子じゃないだとか今更

>もうどうでもいい もう何もかも終わりだ 日__


以降は破かれている。そして誰かを仄めかすような記述もない。

松浦が無自覚に犯行を重ね、キツネと猫をさいごまで信じていたのだとしたら…この不自然さにも説明がつく。


そしてこの日記の最後はMouthが破いたと仮定して、彼にとって不利なことが書かれていた…?


「文の途中で破くなんて、よほど急いでいたのかな」

「これじゃ誰かが破きましたって言ってるようなもんだよな。にしても、決定的な証拠が出てこねーな…やっぱあの寝室の引き出しの鍵探さなきゃ駄目か」


背もたれに体を仰け反らせて伸びをした後で、シュウは首を軽く揉む仕草をした。今他にできることで有益なのはそれくらいかもしれない。

立ち上がったところでバサバサと紙の落ちる音がした。振り返ると、アイさんが棚から資料を落としてしまったようだ。手伝おうと立ち上がって、彼女の側による。


拾いかけた資料の中に、異様に白さを放った細長い封筒を見つけた。他の紙束が傷んでいるから余計に目立つ。僕はそれを拾い上げた。すでに封が切ってあり、送り主も宛名も書かれていない。    >手がかり:謎の手紙


>情報提供ありがとうございます。居場所を特定し真偽を確かめましたので献金をお受け取りください。


中を取り出して読んでみたが、それは新聞記事の一部でもなく会社のデータでもないただの手紙だった。上質な紙に、光沢のあるワープロの文字が並ぶ。


>これに関して他言は無用。あなたの犯罪行為についてこちらで処理する代わりに、彼らへの執着を一切絶つというこちらの“お願い”をゆめゆめお忘れなきよう。


内容からしてやりとりは他にもありそうだったが、今あるのはこれだけのようだ。


Mouthの個人的なやりとりなのか…それとも松浦賢一の…?


どこか既視感のあるその手紙の存在に、この場所との繋がりを思わせる。


「なんだそれ。脅迫文か?」


僕が拾ったそれを後ろから覗いたシュウが眉を顰めた。確かに高圧的にも思える書き方は脅迫と捉えられる。それに、『犯罪行為』だって…?この手紙の送り主が、誰かの罪を揉み消したということだろうか。


「…?」


残った重みに気づいて封筒を逆さにすると、滑るように鈍色の鍵が出てきた。>アイテム:引き出しの鍵


「これ、もしかして寝室の」

「ああ。確かめてみようぜ」


シュウと頷き合って、オフィスの奥の扉から寝室に向かった。



かちゃりと音をさせて鍵がまわる。

引き出しから出てきたのは、ハルシオンと書かれた大量の薬のパッケージ。軽く100個は超えていそうだ。それからぐちゃぐちゃに丸められた紙切れが一枚。破かれたような跡があって、ワープロの文字が打たれていた。

                             >手がかり5:引き出しの中


>明日 コウさんがくる。唯一オレを見捨てないでくれてる人。全部話せばきっとわかってくれる。裁判のときに立ち会ってくれるだろう。


:そして彼は木に吊るされ やがてほんとうの眠りにつきましたとさ


これは破かれた日記の一部…正確に言えば、“かもしれない”もの。手書きじゃないところをみると、本物はすでにMouthに処分されている。

それと、指標が一行。


すべての手がかりを合わせて見えてくる答えは、殺人。


「決まりだな」


脅迫とかそんな間接的なものじゃない。Mouthが、いったいどこまでを“計画”していたのかはわからない。松浦はさいごまで彼を信用していて、自分が嵌められていることを知らずにいた。

重要なのはこの『明日 コウさんが来る』という部分。自殺直前に部屋を訪ねた人物がいるとわかれば、まず別の視点で捜査される。


彼の死体を象徴していたマネキンと検死の結果から、彼はまず睡眠薬で眠らされてから無抵抗な状態で殺されたと見て間違いない。首に策条根が残っていれば捜査されて然るべきだが、自殺と断定されたのもそのせいだろう。

マネキンが資料を握っていたことについての真相はここでは想像しかできないが、多分実際は破いた日記を隠し持っていたんじゃないかと思う。

凶悪な眠気の中で真実に辿り着き、必死に掴んだ証拠はそれでも日の目を見ることはなかった。


キツネか猫か、隠された資料もいくつかあって不確かな部分は多少残っているが、そのあたりの真相は謎かけの答えに直接影響しないだろう。


「答え合わせに行こうか」


証拠を引き出しに戻して立ちあがる。死臭の漂う部屋を一度振り返ったあとで、静かに扉を閉めた。



「あんたたち…その顔は謎が解けたのね」

「じゃあ、この第一のゲームは終わりにできるんですね」


オフィスに戻ると、三人が僕らを見て心なしか安心した顔をした。

僕はどういう反応をしたらいいかわからなくて、頷くだけだった。

その場にいた全員でエレベーターに乗り込む。いざ答えを入力しようとなると、少し緊張した。


機械の前でパネルを押すと、再びディスプレイに謎かけが表示される。


彼の罪は?:絞殺による殺人罪


答えの書き方についてルールはなかったはず。一度指を止めて確認してから、シュウと顔を見合わす。


「いつでも半分な」


そんなつもりなかったのに、シュウは少し笑うとエンターキーを押した。

答えを入力したのは僕。決定したのはシュウ。

なぜか胸がチリチリと痛むのは、罪悪感からか、恐怖からか、正しくはわからなかった。


しばらくの沈黙があった。

正解とも不正解とも、なんの反応もない。静かな時間が少しずつ不安を大きくしていく。


「…終わったの…?」


Earの声に反応するかのように、ぱっと文字が切り替わる。

再び映し出されたのは新たな謎かけだった。



彼の名前は?:



一瞬思考が止まる。彼は謎かけが一つとは言わなかった。隠されたルールが存在するのは厄介だ。わかっているとはいえ、振り回されているというのはひどく不快だった。

その問いを少しの間見つめて、僕はMouthの顔を思い浮かべながら滑るように指を動かし文字を打ち込んだ。





けたたましいブザーの音が、船内に響き渡った。急な大音響にNoseが部屋から慌てた様子で出てきた。

2階の廊下に全員が集まった状態で、頭上からゲームマスターの嫌に明るい声が降る。


『Brainにより 第一のゲームの真相が暴かれました

これより 告発イベントに進みます

ゲストのみなさんは 食堂にお集まりください』


それほど時間も経ってないのに、彼の声はなんだか久しぶりな気がする。


「…ってことは、お前ら正解したみてぇだな」


Noseはひどく掠れた声でそう言った。すっかりくつろいでいたのか、だらしなくシャツを着て髪はあちこちに跳ねている。

一瞬開いたドアの向こうは白けて視界が悪く、本当にあの煙に纏われて過ごしていたらしい。


ゲームマスターの指示通り、全員で食堂に向かった。

すでに絵画は彼の画面に切り替わっていて、椅子に片足を組んで腰掛けたゲームマスターがあの胡散臭い笑みを浮かべて待っていた。


【みなさま お疲れ様です

お早い回答でしたね さすがBrainの名にふさわしい】


口ばかりの賞賛の言葉に何も返す気力がない。

推理なんて名ばかりで、最初から犯人もやり方も分かっているゲームマスター側の指標に沿って思考を委ねただけ。

結局、まんまとMouthに騙されあの事件を間違って終わらせた警察の後片付けをやったようなものだ。

最初だからイージーモードなのか、子供だからとみくびられているのか。終えてみればこのゲームの流れになんの意味も見出せなかった。


犯人も罪もわかっているなら、僕らに改めて暴かせる意義は一体なんだというのか。


僕らはそのまま彼が次の告発イベントとやらを始めるのを待った。


【ではさっそく 告発イベントに移ります

どなたか 確たる証拠を以って 執行人を告発する方はいますか】


その場が静まった。

知っている限りでは、執行人についてなにか探ろうとしていた人物はいなかったはずだ。もちろん目の届く範囲でだが。


【いいのですか? 確信を持っているのでしょう】


ゲームマスターはそっと目を伏せ、誰かが声をあげるのを待っているようだった。その誰かを視線でわからせないよう、長いこと目を閉じたまま。


カツン、と食堂に固い音が響いた。

それまで完全に存在感を消していたアイさんが、一歩前に進み出る。


その場にいた全員が微かに驚いた気配で空気を震わせた。薄肌に滑る緊張感が、彼女が動くたびに皮を剥ぐように研ぎ澄まされていく。

アイさんは一度も死体を見ていない。少なくとも僕の知っている限りでは、部屋にいくことすらなかったはずだ。

つまり彼女は間違った人物を指摘しようとしているか、それとも…


僕の方が間違っていたか。


【Eye 告発を行いますか? 誰が執行人ですか?

Mouthはいったい 誰に殺されたのですか?】


矢継ぎ早に質問を投げる。そのゲームマスターの目に浮かんでいたのは、明らかな好奇の光だった。

予想しなかった人物のアプローチに、彼すら驚きを隠せずにいる。

もっと言えば、楽しんでいた。そこには猟奇的な歓喜も含まれているようで、暗い瞳がぬらりと笑んでいる。


アイさんが腕を上げた。

誰かを指さす、その瞬間。

彼女とその人の間にHandが入って、アイさんの手を掴んだ。


始終無表情だった彼女は、それにわずかに眉をしかめる。見上げたHandの苦しそうな顔に、なぜ、と疑問をぶつけていた。


「ちょっとHand…なんで止めんの!?」


最初に口を開いたのは、アイさんでもHandでもなくEarだった。

執行人は、ただ黙ってつまらなそうに目を細めている。


「まさかあんた、仲間なわけ!?」

「違いますよ。ただ…Eyeさん、あなたは一度も遺体を見てないでしょう…?証拠なんてあるんですか?」


アイさんを諌めるような言葉だが、その声音はこの状況にHand自身が辟易しているように思えた。

確たる証拠はない。形に残るもので、彼を告発できるほど強力なものは何も。言葉と同じ、それは目に見えない。けれど確かに存在するもの。


アイさんは無表情に戻って手をおろした。納得したのかはわからない。けれど告発する気はなくなったようだ。


「告発すれば、どっちかが必ず負け。つまり死ぬ。またここで、Mouthさんみたいに殺される」

「けど、Mouthをあんなふうにしたなら尚更…!」

「俺たちにとって一番大事なのは、この閉鎖的な空間でどれほど精神を保っていられるかです」


切羽詰まった声だった。彼は、もしかしたらずっと不安だったのかもしれない。あまり表には出してなかったけれど、Mouthの死体を下ろして寝かせたのは彼だ。アレを間近で見て平気でいられる方が難しい。死体に慣れてるわけでもなし、Handの今までの様子からしても一番精神的ダメージを負いやすかっただろう。


それきり彼は眉根をぎゅっと寄せたまま押し黙った。

誰もそれから食い下がったりしなかった。


【残念ですね いつライフルを撃ち込めるかうずうずしていたのに】


場違いなほどはしゃいだ機械声。神経を逆撫でするような波長が耳に不快感を与える。わざとらしく肩をすくめて見せて、彼は再び口を開いた。


【誰も告発しないようですので

これにて 第一のゲームを終了します


次のゲームの指示書は明日の日没前にお渡しします

詳細はアナウンスをお待ちください

それまでどうぞ ルールの範囲で ご自由に】


余韻もなにもなく、プツッと画面が切れた。

何気なく時計を見ると、もうすぐ日付が変わる頃だった。夕方から始まったと考えると、思っていたよりも早くゲームが終わったようだ。


どっと疲れが肩にのしかかったようで、体が一気に重くなる。それほど自覚していなかったがこの状況だ。嫌でも気を張らせていただろう。


一度沈黙が落ちた食堂に、しわがれた声が響いた。誰もが彼を険しい顔で振り返る。


「どーもなァ。あんたのおかげで命拾いしたわ」

「…助けたわけじゃありません。あなたのことを信用したわけでもないし、心にもないこと言わないでください」

「釣れないねぇ。まあ…俺も正直あのまま告発されるのは納得いかねぇからな」


納得いかない…?人を、あんな殺し方をしておいて。

それになんの私怨もない、ここにくるまでは関わりもなかったはずの人を。


「大体、このシステム自体理不尽だろうが。俺たちはあいつが決めた役割に沿って行動してる。何もしなきゃ殺すって脅された上でな。なのに、その役割通りやったらこいつらから告発?ったくやってらんねぇだろ」


何のあくびれた様子もない。

確かに役割を全うした。ゲームという名目の上で、正しくルールに則っている。だったら殺人は許されることなのか。そもそもここに集められた目的は、殺人に対する贖罪だったはずなのに。


ゲームマスターの言う断罪は…彼の言った死刑の執行人は、僕ら自身だと、そういうことだというのか。


奥歯をぎゅっと噛み締めた。こんなに誰かに対して頭に来たのは初めてだった。Noseにもゲームマスターにも、喚き散らすなんてもんじゃ足りない。足の裏から伝ってくるどうしようもない破壊衝動を、ぐっと身を堅めて抑えるしかなかった。


「…全部指示通りってこと…?執行人になったら、あんなことやらされんの?」


もしも本当に指示通りなら。

何が書かれているのかはなってみなきゃわからない。もしも僕たちが執行人として動く時が来たら…僕はその人を、コードネームに準じて殺すことになるかもしれない。


その時点で、本当の意味で人殺しの烙印からは逃れられない。


人を殺さなきゃ出られない。そんな場所に閉じ込められて、どうしても出なくちゃいけない理由があって。

そうまでして出た先の未来で、僕は果たして笑えているだろうか。

出る理由になっていたものたちは、果たして僕を歓迎してくれるだろうか。


シュウがここにいて、アイさんがここにいて。

父さんと母さんは……僕の手が血に染まっていても、いつかのように抱き締めて、愛してくれるだろうか。




次回、第二章 最終話

彼の話。



不完全な部分はゲームで詳細に見られる資料として出せたらいいのですが…

小説では必要最低限の指標のみ公開する予定です。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ