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−File 2 1日目:夕−
???の手記 n番目 ・月・日
今日、また会社からの帰り道を間違えた。新居にはまだ慣れない。
真っ暗な玄関、薄暗い廊下、誰もいない部屋。今日もそういう部屋に帰らなくちゃいけないのかって、無意識に感情を無くしていた。
でもそれも数日前に終わった。
玄関先で迎えてくれる最愛の人がいて、自分の帰りに合わせて作られたあたたかい出来立ての夕飯があって、慣れていたはずの孤独は一瞬で、耐えきれそうもないほどの恐怖に変わった。
この場所を守りたい。
これから新しく迎える家族のためにも。
___
*
ゲームマスターから配られた指示書にはこう書いてあった。
:第一のゲーム コードネーム『Brain』
あなたは『探偵』です:
紙にはそれだけで、他に何かが隠されている様子はない。ゲームマスターからの謎かけを解いて犯人の罪を暴くことが勝利条件だから、肝心の謎かけがわからなければ推理しようもないはずだけど…
ただ、この指示書は今から有効だから、開始までの一時間の間に何かできることがあるかもしれない。
モニターが完全に消えると、また食堂に静寂が訪れた。さっきと違って、今度は確実に敵味方別れた状態。誰がなんだかわからないこの状況で気安く話しを持ちかける人はいなかった。
「これって、昔流行った人狼ゲームに似てますよね」
お互いどんな目を向けていいのか、ぎこちない視線のやりとりがあった後でHandが苦笑を共にそう言った。
「昼と夜に行動が分かれてるところとか、役職があるところとか…人狼である犯人を脅かす存在がいるのは特殊かもしれないですけど」
「どっちかっつぅと人狼は執行人だろうぜ。犯人は別に、役がバレたって問題ねェんだから」
そういえば…執行人は処刑を行うって書いてあったっけ。勝ち残るにはバレないことが最優先だから、そのことしか考えてなかった。
『ルール違反は問答無用で処刑します』
ゲームマスターの言葉がするりと首筋をなぞった。
さっきの光景を思い出せば、処刑が言葉通りの意味であることは疑う余地もない。わざわざ役割として犯人を処刑する存在を作ったことには意味があって当然で、それが負けの条件に抵触しないということは、こちらに選択の余地があるということ。
ただ…それは果たして『何もしない』というルールにはどうだろうか。何もしなければまずバレることはないとしても、それはルール違反になる可能性がある。
ゲームを理解すればするほど、想像以上に難関な状況に立たされていることを思い知った。頭を抱えたくなるほど逃げ道がない。
みんな気づいているのかいないのか、昼間の時も思ったが自分ほど深刻に考えている様子はなかった。
Mouthがそこで、一つ提案を出す。
「だったら市民会議…この場合、陪審員会議でもするか?何も明かすなってルールがある以上、人狼でよくやるカミングアウトはなしで、全員が市民前提で話を進めなきゃだが」
「でも議題は?人狼ってのはいないし、何も明かせないんじゃ全員黙るしかないんじゃないすか」
シュウは会議に意味を見出していないようだ。確かに話し合う必要性がある事柄がなければただ探偵のタイムリミットに迫るだけ。
「んじゃ、こういうのはどうだ?ゲーム開始までに、順番に新しく解放された部屋を見にいく。そこで得た情報を開始後の会議で共有する」
「でも、それじゃ何も明かすなっていうルールに違反するんじゃ…」
「そもそも見つけた情報っていうのは、すでに俺らに公開されている状態だったってことだ。どのタイミングで知るかまでは細かく操作されてないだろ。つまり誰かが後から隠したとしても、明かされてあったものを改めて全員で共有するってだけだ。これはルール違反じゃない」
「なるほど…」
Mouthはもっともな見解を示した。Handも納得したように頷く。
「確かに…誰かが隠したのか、それとも隠すようにあったのか、見ただけじゃわかりませんしね」
彼は頭がいい。そして先導力がある。乗り気じゃなかったシュウも、少し考えた後でそれなら、と納得したようだ。
「…どういうふうにゲームが進行していくかわからないので、最初はそれもありだと思います」
「ったく、ゲームマスターってんならきちんとその辺も先導してくんきゃ困るよなァ?」
ルールだけなら聞いたことのある人狼ゲーム。学校でも、昼休みとか宿泊行事のときに集まってやってる人たちがいた。僕らは何かと距離を置かれていたから、そういうグループに混ざったことはなかった。
とりあえず大多数の賛成が得られたので、ゲーム開始直後にこの食堂に集まることになった。
「で、順番決めはどうすんだ?」
「そこはジャンケンでいいんじゃないですか?コードネームごとに調べるとして、6組だから…開始まであと大体50分か…1組8分程度ですね」
手がかりをフロアから移動してはいけないから、誰かが隠そうとしても限られた場所にしか無理だということを考えれば、隠す意味もあまりなさそうだし先でも後でも結局探す手間は変わらなそうだ。
僕がみんなとジャンケンをして、結果は
Ear→Mouth→Nose→Eye→Hand→Brain
となった。8分経ったら次の人を呼びにいくことにして、Earは早々に食堂を出て3階に向かった。
僕らは呼ばれるまでの間、昼間気になったところを調べてみようとエントランスに出た。
アイさんの役割が気になるところだが、それとなく教えてもらおうにもさっきのことが頭を過ぎる。
いついかなる場所でも彼の監視下。
つまり個室でさえも監視されているということだ。AI相手じゃ人間の頭脳には限界がある。まんまと手のひらの上、盤上の駒だ。
ここで下手にアイさんに役を教えてもらっても、貴重な味方を一人失うことになる可能性の方が大きい。さっきのEarのように無理やり奪って知ることもできるけど、僕たちの関係について下手に勘繰られても困る。特にNoseは、僕らのことを何か手帳に記していたようだから。
それよりも彼女を信頼する方が得策だろう。
たとえ来歴を知らない人だとしても、これまでずっと過ごしてきたことは事実だし、両親がいなくなってからも僕らの面倒を見て、たくさんよくしてくれた彼女は紛れもない恩人だ。
出会う前の…僕らが生まれる前の彼女のことは、ここから出た後で考えればいい。
*
「これからどうなるんだろう」
エントランスの女神像の前で、水の溢れる音を聞きながらそう呟いた。
ここだけ石造りで、足元の窪みに水が溜まっていく。空気の混ざるこぽこぽという軽い音が心地よくて、この場所はなんだか落ち着いた。
考えるには個室はうってつけの場所だけど、あそこには開放感がない。この空間は広いし、採光窓もある。
残念ながら、エントランスの両脇に並んでいた窓はただの絵で、額縁にカーテンがついていただけだった。最初に感じた通り、真っ黒に塗りつぶされた夜の海が描かれている。
だから時間感覚が無意識に狂わされていたのだと、あらためてこの空間を見て気づいた。
上を見上げて木の十字架を眺める。そうした後で、やろうとしていたことがあったのを思い出した。
採光窓から降り注ぐ日没間際の細い光。それを辿っていくと、ちょうど祭壇の前に小さな光の溜まり場ができている。多分、昼間の太陽が高い位置にある時ならもっとちゃんと円形に広がっているだろう。
ゆるしの秘蹟は光の下で
神様に赦しを求めたって、とここにきた時は思っていた。本音じゃそれは今も変わらない。でも…縋れる存在に寄り掛かりたい気持ちの方が大きかった。
赦されるとはもちろん思っていない。それでもきっと口に出せば、毒が抜けるように少しは息がしやすくなる気がした。
シュウは僕の呟きを聞いているのかいないのか、さっきからしゃがみこんで噴水の水をばしゃばしゃと掻き回していた。
ゲームマスターのおかげで、もうすでにメンタルはボロボロだ。滅多に哀情を見せないシュウも、ずっと気がかりだった母さんのことをこんな形で知らされれば、乱されて当然だった。
もちろん信じたくないし信じられない気持ちの方が優ってる。けど、一度想像してしまえば止まらなくなるのは仕方のなかった。
「…ゲームマスターって、この船のどっかにいると思うか?」
突然脈絡のないことを言われ、思考が止まった。
「え…っと、わかんない。もといた船と切り離されてるとか、プログラムで動かしてるって言ってたから、ここにはいないんじゃない?」
「でも仮にも海の上なら、電波はそう遠くまで通じないよな」
「そうだね。この船の規模はわからないけど、可能性があるのは最上階かな…でもどうして?」
「別に。もしこっから出られたら、一発ぶん殴ってやろうと思って」
野蛮なことを考えていたみたいだ。気持ちはわからなくもないけど、殴っても多分こっちが痛いだろうに。
「量産型なら壊したって平気だろ」
「あんなに生身の人間らしく振る舞われたら、壊すのも気がひけるよ」
「知らね。この船に乗ってんならどうせ一緒に沈むんだろ」
シュウは何気ないつもりで言ったのだろう言葉が、僕には恐ろしく思えた。僕はまだ、彼を完全に機械だと割り切れない。心があって、迷いや笑いを見せる人間に思えるから、船と沈む運命を平気で受け入れていることがどうにも胸を落ち着かなくさせる。
もっともこの船にいると仮定した話で、彼自身は憂いなど微塵も感じていないのだろうけど。
「あ。君たちはここにいたんですね」
穏やかな声がして振り返ると、Handが食堂から出てきたところだった。
彼に何をしていたのか尋ねると、ゲームの前に腹ごしらえをしていたらしい。これから深夜まで長丁場だからと、明るく笑った。
パーティで彼に助けられたことを思い出して、昨日のことがなんだか遠く感じられた。ここに閉じ込められてからまだ一夜明けただけなのに、すでにどっぷり疲れている。
ここにいる中じゃ、彼が一番温厚で親しみやすい人だと感じていた。感覚が僕と近いし、頼もしい雰囲気もあるからかもしれない。
そういえば…僕が倒れた時、彼に連れはいるのかと聞かれてシュウとアイさんのことを言ったっけ。この人は僕らが知り合いだってことはわかってるはずだけど、それを知っていても何も言わずにいてくれてるんだ。
まあ…ここでも『何も明かすな』が活きてくるのかもしれないけど。
「とんだことになっちゃいましたよね。遠回しに殺人者なんて言われたけど、俺自分の罪がなんだかわかんなくて。実感湧かないんです」
この状況においても彼の持っている朗らかな雰囲気が変わらないのは、それが理由らしかった。
「けど、それが一番罪深いことだってのも自覚してます。昔のこと思い出したら、直接的にじゃなくても人を殺したかもしれない。むしろ心当たりがありすぎて、その全部をこれから暴かれるのかなーなんて…ちょっと怖いですよね」
女神像を見つめながら苦笑した彼の横顔を覗く。笑える心情ではないくせに、どうしてそんな顔をするのか不思議だった。
なんとなく彼に聞いてみたくなった。
「あなたは、これが償いになると思いますか」
僕より頭ひとつ分くらい高いHandがこちらに顔を向ける。見下ろす瞳の奥に、どこかで見た憂いが水面のように揺れていた。
「これで全部赦して欲しいとは思ってます。でも自分の罪がわかったら…そんなこと多分思えないでしょうね」
俺が遺族なら、たとえ死と隣り合わせでもこんな場所に閉じ込められた程度じゃ絶対に赦せないから。
Handはそう言ってぎゅっと拳を握った。
「それでも俺はここで死ぬわけにはいかない。帰らなきゃいけない理由があるから、どんな手を使ってでも出るつもりです。自分が殺人者かもしれないならなおさら…」
彼が何を抱えているのかはわからない。それはきっと僕らに明かされることはないだろう。
コツン、と床を叩く音がした。階段から降りてきたEyeさんがエントランスに靴音を響かせたらしい。Handに視線をやって、上階を指し示す。どうやら彼に順番が回ってきたようだ。
僕らに軽く会釈して、Handはこの場を去った。
再び耳は水の音を大きく拾い始めた。
「…この水、海水だ」
Handと話している間もずっと縁に座り込んで水を眺めていたシュウが、ぽつりとそう呟いた。
「汲み上げてるってこと?」
「ああ。手がベタつく」
僕を振り仰いでシュウは言った。さっきより少し明るくなった気がする。
「引っ掻き回すからだよ。部屋に行って洗ってこよう」
去り際アイさんに笑いかけて、僕らは呼ばれるまで個室にいることにした。
もうすぐ日が沈む。
2階の踊り場でふと背後を振り返った。シャンデリアが灯り、採光窓はすでに藍色に染まっていた。
*
Handから声がかかって、僕らは新しく解放された部屋に来ていた。
相変わらず雑な造りのフロア。入り組んだ廊下を数回曲がって、一番右端に位置していた部屋に入ると、その部屋は会社の社長室を思わせる内装だった。
大きなデスクの後ろはブラインド、ファイルが整然としまわれた灰色の棚と、応接のためのローテーブルに向かい合った革製のソファ。戸棚にはティーカップや紅茶、コーヒーとお茶菓子が入っていた。デスクの上にはパソコンとペン立て、子機が置かれている。もちろんブラインドは壁についてるだけで、子機も繋がるわけない。
程よく空間が余らせてあって、部屋自体はそこまで広くなかった。
デスクの後ろ側に奥へ続く扉があり、そっちに入るとまたガラッと景色が変わった。
今度はマンションの一室なのか、やけに生活感のある1LDKに繋がっている。
「ここは…また脈略のない続き部屋だな」
「大きな一つの部屋ってことは、第一のゲームに関係があるんだろうけど…」
この部屋に心当たりのある人物が犯人という目星で良さそうだ。罪状はともかく、誰だかわかれば推理しやすいだろうけど…
「さっきざっと見たけど、資料が所々破かれてたから、犯人がどっかに隠したかもな」
シュウがリビングの引き出しを開け閉めしながらめぼしいものを探していた。隠す意味はあまりないとはいえ、すでに他全員が来た後でめぼしい情報が見つかるかはやっぱり怪しいところだ。まあ調べる場所は限られているから時間をかければ見つけられるだろうけど…
「破かれているってこともゲームマスターからのヒントって考えられなくはないよね。この若干乱雑な部屋の様子も、わざとそうしているかもしれないし」
そういうあれこれも、この後の話し合いで矛盾点が見つかれば、誰がどうに動かしたのか推理できるかもしれない。
ただゲームマスターの言葉と違って、嘘の可能性もあるのが厄介だけど。
「まだ向こうにも部屋があるけど…」
「そろそろ戻った方がいいな」
残りはゲーム開始後に探索にくるしかないな。他の人はどれくらい調べられたんだろう。
「わかったことは、この会社が詐欺絡みのニュースをスクラップしてたってことくらいだな。あっちのファイル、分厚いのが三冊くらいマルチとかそういうのの資料だった」
「僕は日記みたいなのを見つけたけど、読む時間はなかったよ。そばにアイさんが見つけたメモが残ってた」
「まあ話し合いのネタにはなるだろ」
部屋のあかりを消して、マンションの扉をシュウの後に続いて出ようとしたところで、ふと背筋に違和感を感じて振り返った。
「どうした?」
「……。ううん、なんでもない」
暗い部屋の中に佇む家具たちの中に何かが見えた気がして、僕は逃げるように扉を閉めた。




