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英雄伝

作者: 広峰

 その湖に竜がいると聞いて、自称英雄はやってきた。


 彼の仕事は、主にお化けやら妖怪やら化け物を見たと言う者がいる村へ出かけ、たった一人でそれらをやっつけたと報告して金と名誉を手に入れることだった。


 大抵の場合、化け物は単なる噂だった。そうでない時は臆病者の見間違いであった。

 彼は、いつもそのへんに落ちている石ころや死んだ動物の骨を拾って、化け物の鱗だとか骨だとか爪だとかいうことにし、化物退治の証拠として持ち帰った。それで皆は納得して喜ぶのだった。


 彼の評判はすこぶる良かった。

 既に彼に始末されたことになっている化物等は、百匹とも二百匹とも言われていた。

 彼は自慢話が好きで大げさに吹聴し、噂は尾ひれをつけて広まった。


 彼の派手な噂を聞いていた村の住人達は、大喜びで竜退治を頼んだ。

 そして、一人で十分、助太刀はいらぬと断る彼に、英雄にお供がいないのは寂しいし恰好がつかぬと説き伏せて、どう見ても野次馬にすぎない村の若い衆を無理矢理二人つけてやることにした。


 彼は村人達に大見栄をきって沢山の褒賞金と手数料の約束をとりつけていた。

 お金の交渉がうまくいき、この怪物退治も楽勝に見えたが、若い衆が後ろからついて来ているため、今回は何もせずに帰って嘘の報告をすることは出来なかった。 内心、舌打ちしながらも、うまいこと金やら名誉やらを手に入れるため、自称英雄は竜の棲むという山間の奥の森の中にある湖へとお供をつれて出かけた。


 彼は行きの道々心の中で、竜は英雄を恐れ、姿を見られぬよう隠れて逃げていったのだ、という筋書きを組み立て、お供の若い衆にこれを信じさせようと思い決めていた。


 自称英雄は湖の前に立つと、見た目だけは堂々と声高らかに、居るはずが無いと思っている竜に向かって呼びかけた。

「汝、竜よ。姿を見せよ」


 本当は竜など居ないものと信じて、形ばかりは意気盛ん。湖面は静かな上に魚の影もない。彼の声だけが異様に辺りに響き渡った。

 そうれ見ろ、何もないわ、と彼は安心したけれども、二人の若い衆が尊敬の眼差しで彼を見ているから、真剣なふうを装い派手な身振りで両手を広げ、更に大声あげて呼びかけた。


「おお、邪悪な湖の主。村人を襲い多くの命を奪わんとする竜よ。そこに居るのであろう?」


 竜退治を行う英雄は劇的でなければならぬ。

 彼はしばらく返事を待つふりをし、今度は腰に手をあて芝居がかったしぐさでふと笑い、言った。


「竜よ、さては臆病風に吹かれたか」


 調子が出てきて、彼はぺらぺらと言った。

「あるいは罪無き者を襲った己の行いを恥じたのか?いや、そうではないな。やはり英雄の姿を目の当たりにし、恐怖に震えているのだろう。ここより逃げ出そうと思っているのではないか、あわれな竜よ」


 彼が一人いい気分で喋り続ける間、いつのまにやら晴れ渡っていた空は曇りだしていた。

 彼はそんなことには気づかずに、もっと熱を込めて喋っていた。


「……だが、この私を恐れているのでなければ、そして我が剣をも恐れぬとというのであれば、姿を現すが良い、竜よ」


 彼がひとり芝居の末にそう呼びかけたとき、気味の悪い、生臭いような風が音をたてて吹きつけてきた。

 村の若い衆の二人は落ちつかなげに彼に囁いた。


「こりゃ、もうすぐ奴が出てきますよ」

「この嫌な風が吹くのはすぐそばにいる証拠です」

「なんだかぞくぞくしてきた。背中のあたりが寒いようです」

「実は俺もだ」


 二人の言うのを、自称英雄は内心馬鹿にしながら聞いていた。しかし、彼は重々しく頷いた。


「大丈夫だ、私がついている。私は竜など平気だ」


 すると突然水面が泡立ち、曇った空にぴかっと雷が閃いた。

 いかにも竜が出てくる前触れのような変化だった。これには少なからず彼も仰天した。

 それでも彼は、湖には大きい魚でも棲んでいるのだろう、山の天気が変わりやすいのはよくあること、と考え直し、驚いたということを悟られてはならぬと思い、皆の前で胸を張り続けた。


 そうするうちに水面は激しく波打ち、やがて湖面が巻き上がった。それは天まで届くかと思われる太い水柱に変化した。

 彼はここにきて初めて、もしかしたら、という気持ちになった。

 けれども、彼の様子は傍目にはじっと敵を待つ者にしか見えないように感じられたはずだった。


 そのうち、いくつも立ち上っていく水柱のちょうど中央に大きく水が盛り上がった。

 そこから臭気と共に見るからに恐ろしげな竜の巨大な姿がザアーッという大きな水音をたてながらゆっくり現れた。

 ついてきた若い二人は、ひゃあ、と叫んで彼の膝の高さまで飛び上がった。

 互いにしがみつきあい、見てわかるほどがたがたふるえた。もはや一歩も動けない様子だった。


「わしを呼ぶは誰ぞ」


 くぐもった声で竜は言った。

 今度こそ彼はあっけにとられ、まじまじと相手を観察した。

 彼は生れて初めて本当に化け物に出会ってしまったのだった。

 いままでずっと彼は化物の存在など真面目に考えたことはなかった。

 彼は、危険なことが好きなわけではなく、戦うことが好きなのでもなかった。

 だからこそ、この安全なエセ英雄家業を続けていたのだ。


 普通なら、彼は何もかも投げ捨てて飛ぶように逃れ去るところだろうが、今回に限って他人がそばに居た。

 彼は、英雄を自称するものがあわてて逃げ帰った、と吹聴されるよりは、もう駄目だ、と思いつつこの場に踏みとどまる方を選んだ。

 彼は何よりも誇りと見栄を大切にした。

 それで、彼は意識して大きな声で呼ばわった。


「待っていたぞ、人々を襲う悪しき竜め」


 化物を前に彼はとりあえず剣を抜いた。

 二人の若い衆はおろおろしながら彼にすがりついた。

 彼らは彼と違って見栄より命が大切だったし、何より正直だった。


「え、英雄様、俺達もうだめだあ」


 片方が弱々しくそう言うと、もう片方は一層落着きが無くなり、へっぴり腰で後退りした。


 竜は異様に光る眼で、頼りない村の若い衆二人と自分を英雄だと言っている男を上から下まで眺めまわして言った。


「お前は一体何者だ」


 硫黄臭い息と熱をはらんだ声が彼らを馬鹿にしたように上の方から降ってきた。

 よせばいいのに自称英雄は、素性を聞かれたときの癖でふんぞり返って決まり文句を告げた。


「我こそは、数ある英雄の中でもっとも強き英雄と呼ばれし者。人々を苦しめるというお前の首をもらいに来た。我が手の中にある伝説の英雄の剣を恐れるが良い。今日がお前の最後の日だ。覚悟しろ。なれど、お前が心を入れ替え、今後人々に害をなさぬと誓うなら見逃してやろう」


 竜は、見た目は立派ななりをしているが、中身は伝説の英雄と比べて全く比べものにならない弱い者のことを見抜いたのか、その台詞を可笑しそうに聞いていた。

 そして時折、蒸気に似た鼻息や炎を小さく吐いた。


 一方、供の者はすっかり竜の姿に怯えてしまっていたから、彼の喋る間にこそこそ互いに見交わして、以心伝心、ここから逃げて遠くの木の陰にでも隠れていようと決めていた。

 それで彼が喋り終えたとき、村の若い衆の片方が、


「英雄様、我らは邪魔をせぬよう避けてあちらで待ちまする。ここはお任せいたします」


 と、こっそり彼に耳打ちするや否や、二人は我先にと走り去った。

 その速いこと速いこと。彼が何か言おうとする間も無いほどだった。


 村の者が背を向けて走り去ると、とたんに彼は不安になった。

 さっきまでの空威張りは何処へやら、化物の中の化物、竜の前にたった一人で立ち尽くす恐怖で、自然と体が強張ってきた。

 湖上で竜がとぐろを巻くように身をくねらせた。

 巨大でぬらぬらと光る体を見せられると、自称英雄は気が遠くなりそうになった。

 竜は嘲るように火を吹いた。


「真の英雄なればこの首取るのは容易かろうが、果たしてお主にはできようか。ほれ、手が震えておるぞ。膝が笑っておるぞ」


 見せかけばかりの英雄は、竜のこの言葉に、果たしてこの化物は自分が一度も戦ったことが無いのを知っているのだろうか、と不安になった。

 実際、魔性のものである竜は知っているに違いなかった。


 しかし、彼は、これほど虚勢を張り竜に向って覚悟しろなどと言っておきながら今更後には引けないだろう、もし戦わずして逃げ帰ったとすれば、お供の二人が何もかも報告し、自分は笑い者になるなるだけだ、ここまで来てはどうにもならぬ、と覚悟を決め、細かく震える体をぎこちなく動かしてどうにか剣を構えた。

 それへ竜はたしなめる様に言った。


「英雄とやら、剣はしまっておくがいいい。お前には似合わぬようじゃ」


 彼は相手の光る眼と岩より硬そうな鱗と鋭い爪と牙を見た。おどろおどろしい声を聞いた。

 そして自分の持っている剣をちらと横目で確かめた。彼は微かに震える声で言った。


「似合おうが似合うまいが、余計な世話よ」


「だが、その剣はお前に使えまい。今まで鞘の中の飾りであったのだろうが。血の跡も無い剣を持つ英雄とは何者であろうな。どの伝説にも聞いたことがないわ」


 竜は彼をあざけった。彼は本当のことをどうあっても認めるわけにはいかなかった。


「竜よ、英雄の剣を甘くみるでないわ」


「ほう、ではこの首がどうしても欲しいのだな。例え腕に覚えがあろうとも、滅多なことでは取れまいぞ。ましてお前にはな。わしに相対する度胸に免じて、悪いことは言わぬ、鉄屑は鞘に納めて元来た道を戻れ」


 そう言われても、彼は何もせずに素直に帰るわけにはいかなかった。


「竜よ、英雄とは引き返さぬもの。そして我はお前を倒すと皆に約束した」

「愚かな。かつて約束など有って無かったようなもの。今までと同じように、石ころでも拾って帰れ。後のことなど気にするな。皆はそれで安心するのだ」


 竜はあからさまな皮肉を言い、嫌な笑い方で彼を笑った。


「偽の英雄らしく、偽の鱗を持ち帰るのじゃ」

 彼は竜が赤い舌をちらちらさせながらぬっと顔を突き出してくるのを燃えるような思いで見つめた。


 彼は今も心底竜を恐れてはいたが、嘲笑されたことでもう心の中は単なる恐怖だけで一杯にはならなくなっていた。


「さあ、わしを倒したと村に告げるがよい。そして今まで通り旨い人間をここに来させるのだ。あちらに隠れている二人は今日のわしの獲物とするから安心せい。そう簡単にばれはせぬ。お前は金を手に入れる。わしは獲物を手に入れる」


 彼は手に力を込めた。


「そのように我が承知すると思うか。やあやあ、そこ動くな竜め」


 そして叫ぶなり、目をきつく閉じたまま突進した。

 この無謀で自殺めいた攻撃に、竜は火を吹き吹き低い声で笑った。


「これはまた、笑止千万愚かなものよ」


 そうして竜は途方もなく大きな尻尾を一振りし、ぽんと彼を跳ね飛ばした。

 彼の受けた一撃は、竜にとって挨拶代りのような軽いものに相違なかった。

 彼はそれで酷い衝撃を喰らい、きつく握っていたはずの剣が飛び、痺れたようになってしまった。

 彼は放たれた矢のような勢いで地面に叩きつけられ、したたか背中を打った。

 地に転げ伏しながら、彼はもはやこれまで、と覚悟した。


 ところが、運とは妙なもの。振り飛ばされた彼の手から飛んだ、何やら曰くつきというふれこみの、実際は一度も使ったことの無い化物退治用の剣が、弾けて空中舞いながら湖の主めがけて飛んでいった。

 これは竜にとっても予想外であった。 凄まじい竜の絶叫で、失神しかけていた英雄はなんとか正気に返った。

 彼はひどい打ち身をくらいながら、自身が生きているのを知った。

 すぐさま竜は、と見ると、その眉間を剣に貫かれ、長々と倒れている。

 彼の足元には、竜の物らしい硬い石のような鱗が何枚か落ちていた。彼はそっと声をかけた。


「おお、おお、竜よ、死んだのか……?」


 返事は無かった。


 一生に一度起こるかどうかの素晴らしい偶然に、しばし彼はぼうっとしていた。

 それから湖の縁にしゃがみこんで。初めて倒した化物をじっと見つめた。

 彼は一度死を覚悟した自分がまだ生きているのが不思議でならなかった。

 そして竜の血にまみれて刺さったままの剣を抜こうともせず、代わりに落ちている鱗を一枚拾って溜息を何度もついた。

 彼は勝利した気分には決してなれなかった。


 やがて、それまで隠れていた供の者たちが、静まりかえって何事もなくなった様子なので、おっかなびっくり心配しながらそろそろと戻ってきた。

 彼らは、半ば湖に沈み半ば陸地に長々と横たわった死せる竜を見て大喜びし口々に褒めそやした。


「さすが我らが英雄。一突きで悪しき湖の主を倒すとは。それでこそ英雄の中の英雄。それでこそ真の英雄」


 なれど、意気揚々としているはずの英雄は、村に帰る道で一言も話さず、村に着いてからは、受け取るはずの褒美や讃辞を断った。

 そのためますます彼は、正直で素直で素朴な村人に欲の無い人である、と尊敬されることとなった。


 おかしなことに、かつて自慢したがり屋だった彼は、竜退治の一件をお供について行った二人の若者が、とくとくと語るのをつまらなそうに横目で見るばかりで、自分では一言も話そうとしなかった。

 もっと詳しく話を聞かせてくれとせがまれても答えず、とうとう黙ったまま村を去ってしまった。

 その村では、彼の像を湖のそばに記念に建てるほど、彼を称えたにも関わらずに。


 この竜退治で更に彼の評判は良くなった。

 色々な頼みごとが、金と名誉を沢山くれる相談事が、彼のもとに寄せられたが、彼はそれ以来もう英雄稼業に気乗りがしなくなってしまっていた。

 ついに自称英雄は真に英雄と成りながら、竜に跳ね飛ばされて以来、己を英雄と称することをやめてしまった。


 そして今では、毎日そのへんの石ころのような本物の竜の鱗を眺めてぼんやり過ごしている。



 終


読んでいただきありがとうございました。

1996.05初 2008.04修正

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