3.魔法使いの屋敷
ルクロドは自室の扉を開ける前にエルヴィラを振り返って言った。
「注意してくれ。この屋敷には魔法がかかっている。基本的に俺とお前、そしてマリアはどの扉も開けることができる。同時にどの扉からでもどの部屋にでも行けてしまう。ほらこのように」
ルクロドはノブを回し、扉を開いた。そこには外の景色が広がっていた。
エルヴィラがこの部屋に入った時、確かにそこは屋敷の廊下だったはずだ。
ルクロドは扉を閉め、エルヴィラの驚いた顔を伺うと満足そうに頷いた。エルヴィラは信じられない思いで、ノブに手を伸ばした。
ガチャリと回ったノブを押すとそこには普通の廊下があった。
「どうなってるの?」
「魔力を流しながら回せば屋敷の中の望む所に繋がるんだ。さっきは玄関に繋いだ。お前はまだ魔力の流し方が判らないだろうから、今はまだ只の扉だがな。そうだ。魔力の流し方を教えよう。両手を出してくれ。手をこう翳して」
ルクロドは両手を肩の高さまであげて手の平をエルヴィラに向けた。エルヴィラが同様に手を翳すとピッタリと二人の手を合わせた。
「今からお前の左手に魔力を流し、右手から放出させる。感覚を掴むんだ」
左手がホワッと温かくなった。心地よいエネルギーがエルヴィラの身体を巡り、右手から放出される感じがした。
「流れが掴めたか。そのまま魔力を右手から放出するイメージを続けろ」
ルクロドはエルヴィラの左手からゆっくり手を離した。左手から入ってきていたエネルギーは徐々に感じられなくなっていったが、右手から放出するイメージは保つことができた。
「上手だ。よし一旦止めてみろ」
その言葉にエルヴィラは魔力の放出を止めるイメージをした。ルクロドが頷き手を下ろした。どうやら上手くいったようだ。
「ではもう一度右手から魔力を放出するんだ」
ルクロドが左手を上げてエルヴィラの右手にもう一度添えた。
エルヴィラはもう一度右手から魔力を放出した。
「素晴らしい!ではエルヴィラ、そのイメージを持って玄関に繋がれと念じてノブを回してみろ」
エルヴィラはもう一度ノブに手をかけ、慎重に魔力を流した。
――玄関に繋がって!
扉を開けるとそこにはカールマン屋敷の外に無事繋がっていた。
「おめでとう。生まれて初めて魔法を使ったご感想は?」
「……信じられないわ。こんなことができるなんて魔法ってどんなに素晴らしいの」
「魔法は道具と同じだ。使い方次第だな。沢山のことを教えてやろう。もう魔法を知らなかった頃に戻れなくなるぞ」
「ああ、楽しみだわ!でもお願いだから少しずつにして!驚きすぎて心臓が跳ねて止まらないの」
頰を紅潮させ、目を輝かせながらそう言うエルヴィラに、ルクロドは優しくその頭を撫ぜて言った。
「そうだな。心臓が吃驚しすぎて飛び出さないように気を付けよう」
二人は顔を見合わせてクスクスと笑い合った。
ルクロドはまた扉を閉めて、今度は魔力を流さずに開け直し、二人は廊下に出た。
「俺の部屋は二階の西の端だ。お前の部屋は東端だな。二階にはあと二つの扉があるが両方とも今は空き部屋だ。人が来た時だけ客間として利用している。バスルームは各部屋に備え付けているが、部屋の使い方を教えておこう」
二人は手前の一室に入った。作りはエルヴィラの部屋とよく似ていたが家具類が一切なかった。
クロゼットの扉とバスルームに続く扉が右手にあり、奥にはバルコニーを備えた大きな窓がある。
「手前がクロゼットだが、収納制限はない」
ルクロドは自分のローブを脱ぎ、空っぽのクロゼットに放り込んで扉を閉めた。
クロゼットを再び開けるとそこにはローブが無かった。
「さっきの扉と同じだ。魔力を流しながら扉を開ければ欲しいものが現れる」
もう一度開閉すればローブがしっかりハンガーにかかって現れた。ルクロドは再びローブに袖を通した。
「浄化魔法もかかってるから、放り込めば勝手に綺麗にしてくれる」
「何て便利なの」
エルヴィラは感心を通り越して溜息を吐いた。
母国とのあまりの違いに目が回りそうだ。
「この国のクロゼットは大概同じ作りになっている。ところで 服は一人で着られるか?」
「ワンピースぐらいなら。でもドレスは無理だわ」
「じゃあ慣れるまで遠慮なくマリアか新しい自動人形に頼め。慣れればドレスも魔法で脱ぎ着が出来るようになる」
「そんなことまで出来るのね!」
「魔法は本人の魔力とイメージする力で成り立つ。無から有となる訳ではないが、存在する物を思い通りに動かすことは簡単だ。例えばドレスを生み出すことはできないが、ドレスの形を多少変えたり、色を変えたりすることも可能だ」
ではドレスを一着持っていればいくらでも気分に合わせて変えることができるというのか。着る物にこだわりのあるエルヴィラにとって願ってもないことだった。
「次はバスルームだ」
ルクロドはもう一つの扉を開けた。そこにはトイレと大きめのバスタブ、シャワーが備え付けられていた。エルヴィラの国のものとよく似ているように見えた。
「トイレはペンドラゴンのものと同じだ。紐を引っ張れば流れる。風呂の方だが、赤い石と水色の石があるだろう。赤い石に魔力を流せば直ぐに湯が溜まる。水色の石に手を翳せば好きなだけ水が蛇口から出る。シャワーの方だが、シャワーヘッドの下に透明な石の部分があるだろう。そこに魔力を流せばお湯でも水でも好きなだけ出てくる。試してみろ」
そう言って差し出されたシャワーヘッドをエルヴィラは右手に持ってバスタブに向けた。
――お湯!
そう念じればちょうどいい量のお湯が流れ出した。
――じゃあ今度は水!
お湯は直ぐに水に変わって流れ出した。
「上手くできたな。……もしかして湯浴みも一人ではやったことないか?」
エルヴィラは公爵令嬢だったのだ。何人ものメイド達に囲まれて育っている。高貴な者が一から十まで使用人に任せることをルクロドも知っていた。
「……一人ではないわ。でも多分大丈夫」
「無理ならいつでもマリアを呼べ。タオル類は籠にいつでも綺麗なものが現れる。使い終わったものは、バスタブかクロゼットに入れておけば勝手に綺麗になる」
エルヴィラは頷いた。
「わかったわ。でもなるべく自分でやってみる」
ここは公爵家ではないのだ。自分ももう十二歳で幼児ではない。風呂ぐらいなんとでもなる。何より普通は一番大変なお湯が勝手に出てくるのだ。これだけ便利なら一人でも問題なく湯浴みができそうな気がした。
「そうか。じゃあ次は一階を案内しよう。それから庭だ」
ルクロドは満足そうな顔をしてエルヴィラを誘った。
階段を降りると玄関ホールがある。今朝はここにいきなり着いて驚いたものだった。
「降りて左手が応接室で右手がダイニングだ」
ルクロドはまず応接室をエルヴィラに見せたが、特に何の変哲も無い部屋だと言って、直ぐに扉を閉めた。そしてすぐダイニングに移動した。そこには大きなテーブルと二脚の椅子が置かれていた。
壁には暖炉があるが九月の終わりの現在は灰も何もない。
「食事は毎食ここで俺と一緒に摂って欲しい。もちろん食欲のない時や、時間が合わない場合は好きにしてくれて構わない。どうしても部屋で摂りたい時もマリアに伝えてくれれば用意させる。さて、そろそろ昼食の時間だ。ちょうど良い」
ルクロドはエルヴィラを席に着かせ、自分はその前に座った。広すぎず、狭すぎないダイニングルーム。母の実家のように広すぎるテーブルで、遠くに親戚の顔を見ながら摂る食事とは全く違う「家族」との食事。
エルヴィラは母が亡くなって以来誰かと食事を共にすることは滅多になかった。
父が継母とリーナを連れて来た時は怒って部屋に閉じこもっていたのだ。昨夜や今朝も食欲はないと言って何も食べずにいた。
二人が着席したのを見計らったように、マリアが食事を載せたカートを押して部屋に入ってきた。
クラムチャウダーとバゲット、マッシュルームフライ。エルヴィラの大好きな組み合わせだった。
「肉は嫌いで魚介類が好きだと聞いている。他に食べたいものがあったらすぐ用意するから遠慮なく言え」
「……いえ、大好きな物ばかりよ。ありがとう……」
エルヴィラがそっと口にするとチャウダーはとても優しい味がした。食事とはこんなに美味しいものだっただろうか?エルヴィラは久方ぶりの暖かな「食事」に知らずに涙した。
ルクロドはそんなエルヴィラの様子に気づいていたが、敢えて声をかけずに静かに食事を続けた。
デザートのプディングまで堪能して、エルヴィラはすっかり幸せな気分になっていた。
「エルヴィラ、お前は俺の養女になった。俺は伯爵だが、この国では爵位は名誉だけであって領地などはない。しかし俺にはいくつかの特許収入があり、俺の死後はお前に引き継がれることになる。それがあれば、お前が死ぬまで不自由なく生活できる」
「死後って……、まさかどこか悪いの!?」
エルヴィラはショックを受けた。まさか母に続いて養父まで亡くしてしまうのか。
エルヴィラの絶望に満ちた顔を見てルクロドは慌てて訂正した。
「違う!もしもの話だ。まだこの国でお前が頼る者は俺だけだろう。万が一の時の準備は済ませてあるから安心しろと言いたいだけだ」
エルヴィラはホッとしたがまだ心の中は乱れていた。それはキツく寄せられた眉根に現れ、ルクロドを焦らせた。
「大丈夫だ。俺は何処も悪いところはない。それに俺は大魔導師と呼ばれる男だ。皆から『殺しても死なない』と言われている」
ルクロドの言い訳染みたその言葉は、それでもエルヴィラの心を落ち着けるのに役立ったようだった。
「食事も終わったことだし、腹ごなしに庭を案内しよう。離れには俺の実験室もある」
――実験室!今度はどんな驚きがあるのかしら。
エルヴィラはワクワクする気持ちに突き動かされるように、ルクロドの後を付いて行った。




