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番外編 女神の恋 前編

神々の創造主である創世神アヌが、暇な神デウス・オティオースになった時、大洋の端々にいくつかのアヌの「箱庭」と呼ばれる場所ができた。


 アヌの後をエンリルとエンキの二柱が担うことになった大陸を後にし、アヌの子どもたちダ・アーナの多くが、直接自分たちが支配できる場所を持った。それが「箱庭」だった。


 そんな中でも、創造神アヌのお気に入りの場所がある。大陸の北西に位置する大きな島、ブリタニアとアイルと呼ばれる二つの島だ。


 そこはアヌが子供たちダ・アーナを連れて隠居した楽園でもあり、そのために世界最古と呼ばれる文明とほぼ同時期に大きな文明が生まれた場所となった。


 女神モルガンはそんなダ・アーナの一柱で、マッハ、バズウという妹たちと一緒にリンゴの実る場所アヴァロンを守るものでもあった。


 三姉妹は豊饒と戦いを司り、多くの戦士たちを愛し、時には破滅させた。


 そんな時、次女のマッハが恋した人間の王と共に人として生きることを望み、叶えられた。


 モルガンは馬鹿な事だと思ったが、マッハが夫と共に何度も転生を繰り返し、その時々の「生」を楽しむのを見て、不思議な気持ちにもなった。


 しかし、アヴァロンの管理者であり、アヌから与えられた神器を持つモルガンは、女神として気まぐれに人の運命を弄ぶことはしても、共にあろうと思い至ることはなかった。



 時がたち、アイルでもブリタニアでも人が溢れ、度々大きな争いが起こるようになり、モルガンはそれを悪神であるアエーシュマと盤上のゲームの様に楽しんだ。そんな中、モルガンは初めて心惹かれる「人間」を見つけることとなる。「クランの猛犬、クー・フーリン」と呼ばれるセタンタだ。



 赤毛の美丈夫であるセタンタは、アイルの北東部を治めるアルスター王コンホヴァルの妹の子である。


 セタンタには表向き父がおらず、私生児であった。その美しさと強さから光の神ルーの息子と噂されていたが、実際はコンホヴァル王が実の妹と通じてできた不義の子であった。


 そんな禁忌の出自を払拭するかのようにセタンタは技を磨き、身体を鍛え、成人する頃には英雄と呼ばれるほどの男になっていた。


 モルガンがセタンタを見つけた「クアルンゲの牛捕り」と呼ばれる戦いは、セタンタが十七歳の頃に起こった。

 コナハトの女王メイヴがアルスター王国の貴重な財産である種雄牛のドン・クアルンゲを盗むために侵攻を開始したのだ。


セタンタは国境を見張っているはずのその時、恋人のエメルと一緒にいたため、メイヴにアルスターの不意を突くことを許してしまった。


「くそ、コナハトの奴らめ!ここは危ない。エメル、すぐに家に帰るんだ」


「そんな!セタンタはどうするの?今は誰も戦える人がいないわ」


 折しもアルスターの男たちは「セス・ノインデン」という病にかかって動けなくなっており、動けるのはセタンタと御者ロイグのみ。


「俺を誰だと思っている? クランの猛犬は伊達じゃないってことを見せてやるだけだ。ロイグ!」


 セタンタは丘の下で待機していた相棒に声をかけた。


「セタンタ!早く乗れ。見張り台を壊された。コンホヴァル様の大目玉を喰らうことになるぞ。お前のサボりに付き合わされた俺まで巻き込まれるのは御免だぜ」

 軽口を叩きながら御者ロイグは愛馬のマハとサングレンが引く二頭立て戦車を操り、セタンタを乗せ、コナハト軍の中心に突進する。


「クー・フーリンだ!構えっ!ぐあっ!!」

 敵の将が命令を出し切る前に、セタンタの弓が容赦なく相手の喉を描き切った。

 すぐさま弓を置いたセタンタが右手の魔法槍ゲイボルグを操ると、敵を一気になぎ倒した。そのたった一振りの槍の風圧で、コナハト軍は大きく崩れた。

 さらにロイグは馬を駆り、逃げようとする敵を容赦なく追い立てた。それに合わせてセタンタもゲイボルグを振り回し、敵兵をどんどん薙ぎ払っていく。その姿はまるで踊りのようであり、圧倒的な力は嵐のようで、戦いの女神であるモルガンは一目で惹きつけられた。


「アルスターのセタンタ……。面白い男を見つけたわ。当分は退屈せずに済みそうね」

 女神は残酷にも見える笑みを浮かべた。それは新しい玩具を見つけた幼子のようでもあり、ただ不運なだけの子羊をどう料理しようかと舌なめずりする禍々しい獣のようでもあった。

 



 セタンタによって撃退されたコナハト軍だったが、女王メイヴはあきらめてはいなかった。しかし、あまりのセタンタの圧倒的な強さに、このままでは一晩で軍が全滅すると家臣に嘆かれ、セタンタに川の浅瀬での一騎打ちを持ちかけることに決めた。


「一騎打ちだろうとなんだろうと何度、何人が来ても無駄だが、まあ良い暇つぶしだ。受けてやろう」

 セタンタ一人に対して、一騎打ちの相手は数千人、あるいは数万人にも上る。しかし、そんな無茶苦茶な提案もセタンタは不敵に笑い、受けて立つことを決めた。


 セタンタが「クー・フーリン」と呼ばれるきっかけになったのはアルスターの鍛冶屋クランの飼い犬を誤って殺してしまったことだった。クランが可愛がっていた番犬の代わりに、クランの家を生涯守り抜くことと、一生犬は食べないという二つのゲッシュという誓いを立てたセタンタは、それ以来「クランの猛犬」と呼ばれるようになった。


 アルスターを守ることはクランを守ることに繋がる。セタンタの選択肢は誰が何人来ようと恐れず戦うのみだ。

 元より生まれついての戦神のごとき圧倒的な強さを持ち、師匠から譲渡された魔槍ゲイボルグを操るセタンタに敵う者など、このアイルには存在しないのではないかと思われた。


 そんな中一騎打ちが始まり、彼は何か月にもわたる膠着状態の中で、淡々と敵を倒していった。

 

 そして、ある戦いの前に、美しく若い女性がコナハト王の娘であると主張して彼のところにやって来た。


「アイル一の勇者、セタンタ様。どうか私を妻としてお納めください。そうすれば王はアルスターとコナハトの和平をと申しております」


 艶やかな腰まで伸びた赤毛に新緑を思わせる緑の目をしたその女性は、コナハト王にもその妻、女王メイヴにも似ていない。セタンタは他国の王族の人間関係などに疎かったが、この女性が本当の使者だと信じることができずなかった。


――何者だ、この女?ただの人間とは思えない存在感だ。あのくそみたいなコナハトの夫婦の子とは思えない。そもそも人間の気配がしないのはなぜだ?


 セタンタはブリタニアの北部カレドニアの女戦士スカーサハを師匠としていた。カレドニアは魔法使いが多く住まう土地で、スカーサハも魔女であり戦士であったが、このコナハト王の娘を自称する女はそのスカーサハよりも大きな気を纏っている。


 セタンタはアイルの伝説を思い出した。

 アイルにはダ・アーナと呼ばれる神の一族が住まい、時々人に祝福や呪いを授ける。実際セタンタも光の神ルーの祝福を実母が受けて生まれたのではと噂された。

 セタンタの人外染みた強さを思えば強ち嘘でもないような気もするが、師匠のスカーサハからは逆に『神の呪いを警戒するように』と忠告されていた。

 下手に神と関わり、呪いを受けたり、誓約を立ててしまえば後悔してもどうにもならない。


 セタンタは女から目を逸らして言った。

「……駄目だ。俺には愛する恋人がいる。俺は彼女以外に女はいらない」


「……私を拒絶すると言うの?」

 美しい女はセタンタの言葉を受け、たちまちその顔を歪めた。

 そして、女の姿が黒い煙に包まれたかと思うと、巨大なカラスに変化した。


「カラスだと!?まさかお前は!」

 セタンタはその姿を見て確信した。アイルでカラスを化身とする者と言えば、それしかない。


「そうよ。私こそ、ダ・アーナの戦いの三女神の一柱、モルガン!私を拒絶したことを絶対に後悔させてやるわ。覚悟しなさい」

 モルガンの大きな羽ばたきは、突風を生み、周囲のテントもすべて吹き飛ばされた。

 あとには溜息を吐くセタンタのみだ。


「くそっ厄介な相手に目を付けられたな。……まあ何とかなるか」

 セタンタはゲイボルグを握りしめると、次の一騎打ちの場に急いだ。


 セタンタに拒絶され、モルガンは怒りに我を忘れていた。


「この私を拒絶するなんて!」


 セタンタが受け入れたら、セタンタに祝福を授けアルスターどころかアイルの王とするつもりでいたのに、想いを踏みにじられ侮辱された気分だった。


 この軽蔑への復讐として、モルガンはセタンタの一騎打ちを悉く邪魔してやることを決めた。


「忌々しいセタンタめ。絶対に後悔させて、誓約を立てさせ私の虜にしてみせるわ。見てなさい」


 次の日、セタンタは、ロッホ・マクモフェミスという取るに足らない敵との一騎打ちを始めていた。ロッホは身体が大きく勇猛果敢であったが、セタンタの相手としては全く脅威にもならなかった。


「単調な攻撃だな。一気に片を付けるぞ。ロイグ」

「ああ、まかせとけ。セタンタ」

 二人は頷き合い、ロッホに戦車を突進させた。迎え撃つロッホの槍をギリギリのところで飛んでかわしたセタンタは川の浅瀬に飛び降りた。


「うわっ!なんだ、くそめ!」

 セタンタはぬめりとした感触に声を上げた。見れば足に大きなウナギが絡みついている。


「どけ!」

 セタンタは容赦なくウナギを槍で薙ぎ払った。

 愛槍ゲイボルグの棘はぬめぬめしたウナギを逃さず刺し抜き、ウナギはギャーと叫ぶと煙となって消えた。


「なんだ今のは?」

「おい!セタンタ後ろ!」

 ロイグの声にハッとしたセタンタはすぐにロッホに意識を戻し、難なく勝利を手にしたが、消えたウナギのことが頭から離れない。


「まさか昨日の奴か?呪いっていうか、子どもの嫌がらせか?」

 セタンタは女神の残した言葉を思い返したが、あまりの稚拙なそのやり方に呆れたようにため息を吐いた。



「なんだあれは!?」

次の日、今度はなぜか一騎打ちの浅瀬に牛の群れがやってきた。セタンタよりも敵の方が驚いて塵尻になって退散していった。

 牛の群れは大きな狼に追い立てられていたようで、群れの後に現れたその灰色の狼に対して、セタンタはため息を一つ吐くとその目を狙って河原の石を投げた。

 石は見事に命中し、狼はやはり煙となって消えてしまった。


 次の日もやはり一騎打ちの最中に牛の大群がやって来た。今度は群れの先頭に赤毛の美しい仔牛の姿があった。


「なあセタンタ。お前、今度は女じゃなくて牛に求愛されてるのか?」

 ロイグが笑いをかみ殺しながら揶揄うように言った。

「よしてくれ。夢で見そうじゃないか」


 そうこうする内に牛の大群は河原を占拠し、我が物顔でモーモーと大合唱を始めた。

 その煩さにロイグも耳を押さえ顔を顰めざるを得ない。


「まあ、なんにせよこれじゃあ、また戦闘はできないな」

「いやすぐ追い払う」


 セタンタはまた河原の石を掴むと群れの中心でひときわ甲高い声を上げている仔牛の足を狙った。

 仔牛は一声上げて、やはりその姿が煙となって消えていった。


「ロイグ」

「あいよ。……昨日と言い、俺は牛追いじゃなくて戦車駆りなんだけどな。なんだかなあ……」

 ぶつぶつと文句を言いながらも馬を操り粛々と牛を追い払うロイグに、セタンタは流石に申し訳なく思った。


――あいつ、いつまでやるつもりだ?まさかこれから毎日?勘弁してくれ……。


 戦場では敵なしのセタンタもそんな風に頭を抱える羽目になったが、幸いなことにそれはすぐに終わりを告げた。


 その日、セタンタが敵を倒した後、テントの脇に牛の乳を搾る老婦人の姿があった。

 なぜか片目を潰し、足を引きずり、腹から血を流している。

 

 セタンタは今にも死にそうなその老婦人の代わりに牛の乳を搾ってやった。


「飲め」

 セタンタがその乳を与えると、婦人の傷は一つずつ癒えていった。そしてまたあの美しい赤毛の女性の姿になった。


「……なんで、なんで助けてくれるの?」

「さすがにその姿の怪我人を無視できるほど俺は冷酷ではないつもりだ。モルガン」

「……お見通しなのね。貴方本当に人間なの?」

「人間のはずだぜ。でもアルスター王はダ・アーナを祖とする伝説があるから、神の血が混じってるのかもな」

「そうかもね。ルーの気も感じるわ。貴方のその槍はルーの神器だし、槍を通してルーの祝福もあるのかもね」

「そうなのか?これはカレドニアの師匠から頂いたものだ。確かにこの槍を持った俺は誰にも負ける気はしないな」

「そうなの?じゃあこれ以上戦いの邪魔をしても無駄ね。もう金輪際貴方の邪魔はしないと誓うわ」

「そうか、良かった。お陰で昨夜牛の大群が夢に出てきたんだ」

「まあ!ふふっ。夢にまで出てきたの?それじゃあもうこれぐらいで勘弁してあげるわ」

 モルガンは笑いながらそう言うと、ふと真剣な表情になった。


「今までごめんなさい。貴方に戦場の女神の祝福を」

「いや、謝罪は受け入れるが、祝福は結構だ。女神の祝福は高くつきそうだからな」

「まあ!なんて頑固者なの?こうなったら意地でも祝福を受け取ってもらうわ!」

「いや、だからいらねーって!!」


 そんな言い合いをしながらも、セタンタとモルガンはいつしか軽口を叩き、笑い合うようになり、モルガンはセタンタが戦場に立つとき、いつも陰ながら見守るようになった。

 だけど、セタンタが望まないので女神の祝福を授けることはできないままで、それがもどかしく感じていた。


 特に激しい戦闘の後、かろうじて勝ちはしたが、セタンタは重傷を負ってしまった。半狂乱になったモルガンは槍を通じて光の神ルーを呼び出し、セタンタの傷を癒すよう願った。


「モルガンがこんな頼みをするなんて珍しいな。まあ、この青年は我が槍の主だ。だが、七日はかかるぞ」


「セタンタがいないとアルスターは滅びてしまうわ。それは避けたいの。お願い、できるだけ早くして」


 そんな女神の願いが通じて、セタンタが三日後に目を覚ました。

 しかし、彼が眠っている間に、アルスターの青年団がコナハト軍との戦闘で全員虐殺されてしまった。


「コナハト軍め!メイヴめ!絶対に許さん!」

 自身の仲間たちを失ったセタンタは狂戦士と化して、アルスター青年団の六倍の敵を滅ぼした。


「あのクー・フーリンは化け物なの!?誰か止められる者はいないの?」

 女王メイヴはセタンタの猛反撃に恐れおののいていた。コナハト軍はセタンタが引き起こしたあまりの惨劇に意気消沈し、誰も一騎打ちはおろか戦場にも立ちたがらなくなり、これ以上打つ手はないかと思われた。


 そんな中一人の男が前に出た。

「メイヴ、次は俺が行こう」

 それは、アルスターからの亡命者で、過去、セタンタの養い親だったフェルグスだった。



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