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番外編 女神のお願い

 昔馴染みから久々の呼び出しがあった。

 

 人の世の始まりからある悪神アエーシュマだったが、列王として名高いソロモン王との誓約の後、度々()の召喚に応じ、気紛れに願いを叶えてきた。


 古代、ソロモン王は神から授かった指輪を使い、悪魔や堕天使達を虐げた。アエーシュマも最初縛り括られ、鞭打たれ、挙句に弱点まで無理矢理吐かされた。


 幸い、アエーシュマは生来の悪神であり、ソロモン王の神の力にも完全な言い成りにはならずにいられた。隙を見て指輪を捨て去り、まんまとソロモン王の隷属から抜け遂せた時には、初めて喜びに満ち溢れた気がしたものだった。


 ソロモンの知識が伝聞され、人々が度々魔神達を呼び出すようになってからは、アエーシュマは相手のもてなしが気に入った時にだけ望みを叶えてやり、気に入らなければ従ったふりをして、後から相手を嵌めてやる「遊び」を自ら好んでやっている。


 かつてソロモン王を嵌めた時のように、上手く相手を出し抜けられればこれほど楽しいことはない。


 この世の終わりまで人の狂暴性を司ることが定められた悪神(アエーシュマ)にとって、その悠久の時を有意義に過ごす為に、時に人を誘惑し、時に手を貸し、気の向くままにその強大な力を見せつけることはお気に入りの娯楽の一つでもあった。


 放って置いても人は歪み合い、争い、暴力に勤しむものだ。神であるアエーシュマが自ら動かなくても勝手に人は狂気に落ち入り、それが悪神としての力を更に高めてくれる。


 それは時に放出が必要なほど強大で、「約束の時」まで世界が壊れない程度に解き放たなければならないというのもあった。


 昔馴染み、女神モルガンはそれをよく知っていて、アエーシュマをいつも上手に企みに誘う。


 モルガンは神々の始祖アヌの娘の一柱だ。人であったモルガン・ル・フェイは女神モルガンの転生した姿の一つであった。


 本来なら人としての生を終え、また転生するはずだったモルガン・ル・フェイだったが、異母弟が生き残る世界を作る為に神器である大窯を使用したせいで、以降転生が叶わず永遠にアヴァロンの管理者となる事が定められてしまった。


 二つに分かれてしまった世界を繋ぐ場所アヴァロン。神界と人の世の繋ぎ目でもあるところ。


 久々に降り立ったその場所は相変わらずの清浄な空気と気に満ちている。戦女神であるモルガンには退屈な場所だろうとアエーシュマは可笑しく思った。


 アエーシュマがよく知るモルガンは、戦場に降り立ち、気に入った戦士に祝福を与え、気に入らぬ者に破滅を与える。

 昔からアエーシュマはモルガンに付き合い、よく人同士の戦争を遊び道具にしていた。

 盤上のゲームのように互いに双方に力を与えて勝敗を競う。

 モルガンの異母弟が亡くなったあの戦も、そんな勝負の一つでただモルガンの駒が負けたにすぎない。


 モルガンもその敗北を受け入れていたが、彼女の周りはそうではなかった。一人の湖の乙女が重要な駒であった淫魔のハーフを閉じ込めたことが敗因だと仲間達から責められ、罪悪感に耐えきれず泣きついたのだ。


 モルガンはその願いを叶えるため、人としての生を終え、神としての力を完全に取り戻した。それが永遠の足枷となることを知りながら。




「よく来てくれたわね。怒り(アスモ)(デウス) アエーシュマ、お酒好きな貴方に林檎酒を用意したわ。どうぞ寛いでちょうだい」

 女神は優雅に手を差し伸べて、友を誘った。


 アエーシュマは甘い林檎の香りに頬を緩めた。

 狂暴性を司ると言っても、アエーシュマ自身は常に穏やかだ。人の怒りや暴力がアエーシュマを歓喜に導く事はあっても、アエーシュマ自身がそれらの感情に振り回される事はない。


 アエーシュマが供された林檎酒に口をつけると、その甘みと共に神力が満たされるのを感じた。

 普段口にする神々の酒(エリ・クシール)とは全く異なるもの、それがアヴァロンの林檎酒だ。

 人が口にすれば不死になると言われるそれは、神の中でも限られた者しか手に入れる事は許されていない貴重なものだ。

 人間の激しい感情が力の源であるアエーシュマには関係ないが、一口飲むだけで神力が蘇るそれは、信仰を失い神格を落とした魔神達には喉から手が出るほど欲しい代物だろう。

 

「ご馳走様。それで、どの様なご要件ですか?女神様」


 林檎酒を全て飲み干したアエーシュマは籐椅子に深く腰掛け直し、足を組んだ。交渉毎に前のめりの姿勢は不利だ。この美しい女神がアエーシュマを呼ぶ時は、面白いこと半分、厄介ごと半分なのだ。特に林檎酒を差し出した時点でめんどくさいお願いだろう。


 アエーシュマは召喚されもてなしと引き換えに相手の望みを叶えるという行為を暇つぶしの一つとして楽しんでいる。

 贈り物が気に入れば、相手のどんな望みも叶えてやる方針だった。


 元天使や元神が貶められ成り果てた「悪魔」と違って、アエーシュマは最初から世界の理として振り分けられた「悪神」だ。


 人の望みを自由に叶えてやることは秩序を尊ぶ天使どもの最大の敵対者として相応しい行動だろう。その先にはことごとく混乱が待っており、結果的にアエーシュマの力の糧となる。


 もったいぶるように微笑むモルガンにアエーシュマは一つ予想している事を述べた。

「……ついさっき、世界がまた分かれたようですが、それと関係がありますか?」


 千年以上の時を経て、再び神器が使用された事は神界の誰もが気づいていた。


 モルガンが悪怯れる事無く、嬉しそうに頷いて見せた。

「察しが良くて助かるわ!ちょっと事情があって私の子孫の願いを叶えた所なのよ」


 モルガンはアエーシュマの額にコツンと自分のそれを重ねた。アエーシュマに記憶が流れ込む。

 女神は子孫の男の望むままに、時を遡った世界を一つ生み出したらしい。


「……なるほど。では私は彼を守り支えれば良いという訳ですね」

「そうよ。私の周囲では貴方が一番適任だと思って。だって貴方なら確実に彼の望む通りに動いてくれるでしょ?頭の固い元天使たちには頼めないわ」

 モルガンは満足そうに頷きながら言った。


 原初の神に近い位置にいるこの女神はその後に分けられた善悪二元論的な神々の関係性に囚われることはない。

 元から女神としての役割を果たすよりも箱庭の世界で人と共に生き、楽しむことを望んでいた筈だった。


 それを捨て去ってでも良いと思えるほど心を動かしたことが、彼女にとって僥倖だったのか、それとも愚行だったのかはアエーシュマには判らないが、もう一度あの神器を使っても良いと思える相手が現れたことは幸いに違いないだろう。


 先程流れ込んだ記憶の中に、女神と誓約を結ぶ男の姿と共に歓喜に満ちた女神の感情もあったのだ。


 なるほど。気に入った男を確実に手に入れる為に女神は自分を呼び付けたのかとアエーシュマは合点した。


 男は五十年の時を遡った。

 そのことでどのように世界が変わるのか。


 それはアエーシュマの興味を引いた。

 女神が新しく作った世界だ。多少の好き勝手は許されるだろう。たった五十年という短い遊びだが、存分に楽しめそうな予感がした。


「わかりました。引き受けましょう」

「ありがとう!良かったわ。きっと貴方も楽しめるわよ。終わったらまた林檎酒をご馳走するわね」

「ええ、楽しみにしてますよ。ではまた」




 アエーシュマはアヴァロンから去り、人界の男の方に意識を移した。

 程なくして男は自動人形(オートマタ)に魔神を召喚する儀式を行った。アエーシュマはいかにも召喚に応じた体を装って言った。


「はじめまして、ご主人様。私は怒り(アスモ)(デウス) アエーシュマ。何なりとお望みをどうぞ」

 男の用意した報酬は極上の酒だった。それだけでもアエーシュマは男の望みを叶えてやろうと思えるほどの上質のものだ。


「アスモデウス!?……これはとんでもない大物が来たな。教会にバレたらややこしいな……。まあ良い。アエーシュマ、俺はダネルだ。だが皆はルクロドと呼ぶので、そっちで呼んでくれ。お前の名も変えて良いか?」

 ルクロドはアエーシュマの登場に恐れ慄いたが直ぐに毅然とした態度を取った。

 流石に女神を落とした男だ。人間にしては膨大な魔力に整った顔。知性も実力も申し分なさそうだ。


 アエーシュマはこの新しい召喚主に満足しながら言った。

「ご主人様のお好きなように」


 ルクロドはホッとしたように頷いた。

「じゃあ、ありきたりだがマリアで。これなら教会も大悪魔だと気付かないだろうさ」


「かしこまりました。ルクロド様、全て貴方の御要望通りに」

 深々と一礼してアエーシュマは新しい名を受け入れた。この時、女神の愛し子であるこの男にアエーシュマ自身も惹かれるものを感じた。ソロモンと対峙した時に覚えたような嫌悪は全くない。

 それは男が昔馴染み(モルガン)の血を引くせいかもしれない。


 実際、ルクロドは主人として申し分なく、当初の願いと関係あろうがなかろうが世界をどんどん変えていくその様は痛快だった。

 そこにはかつてモルガンと戦場を駆け巡ったことを思い出させるような刺激があった。


 五十年、それはアエーシュマにとって瞬き程の短い時間に過ぎないが、ルクロドと過ごした日々は、この世の全てが終わる瞬間迄掛け替えの無い記憶になったのだった。


皆様ご無沙汰してます。


短編で、ホーエンハイム一族の出生の秘密に迫る、「短剣の悪魔」を掲載しています。

パラケルススの伝奇小説で、ちょっとダークな雰囲気のファンタジーです。

シリーズリンクからご確認いただけたら幸いです。


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