番外編 マリアとマヘス
月明かりの深夜、マヘスは屋根の上で給金代りの砂糖菓子を食べていた。色付き砂糖を花の形に固めたそれは、口の中でシャクシャクと解け溶けていく。
エルヴィラが寝静まった後は、夜が明けるまで家の外で過ごす。
それは、ひと時魔神としての自分に戻ることが許される、ある意味貴重な時間でもあった。
「あらこんな所にいたのね」
月に照らされメイド姿の自動人形が目前の空中に現れた。
「マリア……」
マヘスは同僚の登場に明らかに嫌な顔をした。このカールマン邸に来てからは日が浅いが魔神としては随分古い付き合いになる。
「あらそんな嫌そうな顔をしなくても良いじゃない?」
人形の顔に張り付いた微笑が薄気味悪く見えるような妖しさを含む声色は何時もの完璧な先輩メイド姿のそれとはかけ離れている。しかし、ある意味にはマヘスのよく知る彼女の姿でもある。
「悪神が何でこんな所にいるんだ……」
マヘスは何時もの可愛らしい声とは全く違う低い声で唸った。
「うふふ、だって地上のお酒が飲めると聞いたら、来ない訳にはいかないでしょう?」
マリアは首を傾げて悪びれなくそう言った。
「どうせ女神様と林檎酒を引き換えに取引したんだろう?お前はそういう奴だ!」
アヴァロンの林檎酒はただの酒ではない。
多く飲めば神力を取り戻し、依代がなくても地上に顕現することも可能となる。
本来なら地上に災禍をもたらす悪神の手に渡ってはいけないものだ。
「やあね!いくら私でもそれぐらいで何十年もあの方にお仕えしないわよ!」
「どうだか!どうせ我ら『忘れられた者』は現役の神には勝てん。だが、狡猾なお前の事だからルクロド様を御守りしてその望みを叶えると甘言でもほざいて、擦り寄ったのだろう!」
マヘスの攻撃的な言動にも気にした様子のないマリアは、つまらなさそうに指先の手入れをしながらおざなりに答えた。
「モルガンの方から直々に頼まれたのよ。林檎酒は持て成しで一口戴いたっきりよ。いやあねえ、今更大層な神力なんていらないわ。ルクロド様は気前も良いし、世界中に好きなように行ってお酒を買いに行って良いと言ってくださるのよ!こんなに良い御主人様はいないでしょ〜」
愛する酒を思ってか身を捩って喜びに身体を震わせるマリアを見て、マヘスは相容れないと痛感した。
「あらあら子猫ちゃんはご機嫌斜めでしゅね〜」
よしよしと撫でようとする手を払い除けて、マヘスは屋根から宙に逃げた。
「うるさいっ!良いか!エルヴィラとルクロド様を傷付けるような真似をしたら、八つ裂きにしてやるからな!」
「あら、大きく出たわね。たかだか子猫の癖に私に敵うとでも思っているのかい。お前の母神だって祖神だって私を鎮めることはできなかったのにね」
マヘスの魔神としての気が震えた。マリアの顔は全く変わらない白い人形のままだったがそのオーラは禍々しく、古の悪神としての顔を覗かせた。
古代、創造主となる神々と対立した悪神の一柱 アエーシュマ。マリアに宿った魔神の真の名前だ。
マヘスは格の違いを見せつけられ、恐怖を感じたが、彼のことを思い浮かべ、自身を奮い立たせた。
マヘスは元々人間の王に飼われていた子ライオンであった。王を守り亡くなった後、その骸は弔われ、王家の守神として祀られた。
そして偉大なる母神により神格を与えられ、神の一柱として名を連ねることになった。
しかしマリアにしてもマヘスにしても、数千年の時を経て、もう人の記憶からは忘れ去られ、その神格は以前から比べると随分下がってしまった。
女神モルガンなどは元来半神、半人であるが、未だ信仰の対象であることと、林檎の園の管理者としての役割を持っていることで、マヘス達「忘れられた者」とは比較にならないほどの高い神格を誇っている。
しかし、悪神は信仰ではなく、人の凶暴性を糧に育つのも事実であって、油断のならない相手なのだ。悪神としての神格は元は中級であるはずだが、未来で救い主に討たれるまで人の心を貪り食う絶対悪でもある。
そんな者になぜ女神が愛人を託したのか理解に苦しむ。
「まあ忠義者の子猫ちゃんを虐めるのはこれくらいにして、屋敷の中に戻るわ。じゃあね」
マリアはいつもの様子を取り戻しそう言った後、掻き消えるように見えなくなった。
マヘスは緊張が解けて、屋根の上に寝そべった。
「う〜〜〜ニャーー!」
寝そべったままの姿勢で伸びをして、目をパチリと開けて星を見る。
彼に出会ったのもこんな星の夜だった。
もう一千年以上前になる。まだマヘスが獅子神として顕現可能なほど神力があった時代だ。
マヘスは敵対する邪神、大蛇と闘っていた。それは創造主の最大の敵だった。闇と混沌の象徴にして、悪神の王とも言われるもので、永遠に祖神と対立し続けるものとされていた。
そんな巨大な敵と運悪く身一つで戦うことになったマヘスに、絶対絶命と思われる瞬間救世主が現れた。
女神モルガンの息子であるその男は、華麗な剣さばきをもって大蛇を追い払ったのだ。
それに恩を感じたマヘスは守護神として彼に付き従った。それ以来男は「獅子の騎士」と呼ばれるようになったのだった。
「ユーウェイン様……」
マヘスは夜空に今は亡き主を想う。
時を超えて主人の子孫とまた契約を結ぶこととなったことは奇跡に近い。
願わくばこの奇跡が末長く続くようにと。
彼と果たした数々の冒険を思い出す。
森で大鹿と格闘し、巨人と戦い、三人の騎士と戦って哀れな女性を火炙りになる寸前に救ったこともあった。
胸のすくようなユーウェインの流麗な剣技はどんな巨大な敵でも叩き切っていった。
圧倒的な強さを持ちながら、少年のような冒険心と優しさを持ち合わせた最高の騎士、ユーウェイン。
最後の戦いを前に、神力を失ったマヘスは主人の元を去った。
神界から彼の死を視て絶望したマヘスだったが、しばらくして女神の奇跡で、彼が生き残った「もう一つの世界」ができたことを知った。そしてその血が脈々と受け継がれていく様を見守っていた。
エルヴィラとルクロドの数奇な運命の中に冒険の旅路はありそうもないが、マヘスは彼らの幸いのためにただ心を尽くそうと改めて誓った。
※ Yvain, the Knight of the Lion より
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