魔法使いの秘密
俺はマーリン公国のクラウディウス救貧院で生まれ育った。
昔は別の名前があったはずだが、「クラウディウスの子」という意味でいつのまにかルクロドと呼ばれるようになった。
母は母国から追放されて、魔力持ちだったので公国に身を寄せることにしたらしいが、途中で悪党に騙され、捕まり、犯されたらしい。「らしい」というのは母はその時以来狂ってしまい、実際に何があったか誰にもわからず仕舞いだったからだ。
監禁される中、ある日魔力が暴走して建物が吹っ飛ばされた様で、その瓦礫の中に既に身重だった母が倒れていたというのは、後に救貧院の院長から俺が直接聞いた話だ。
母は保護されてから死ぬまで狂ったままだった。
幼いながら母の為に花を摘み、せっせと母の元に運んだことはよく覚えている。
俺はただ、自分の母だというそのやせ細った女性に微笑んで貰いたかった。抱きしめて貰いたかった。愛していると言われたかった。
しかし、その望みは五歳の誕生日を迎える前に永遠に叶わぬものになった。
母を亡くした後も引き続き救貧院で良くしてもらい、十三歳になって魔法の才を認められ、学園で学ぶこともできた。
主席で卒業し、天才の名を欲しいままにして金も女も名誉も手にした俺だったが一向に満たされることはなかった。
俺の望みは幼い時から少しも変わらない。ただあの人の笑顔が見たかった。愛していると言われたかった。
二十五才になって国の筆頭魔導師となった時、母の形見の日記帳を救貧院の院長から渡された。
そこには母の怨嗟に満ちた半生が綴ってあった。
母の家名が判明し、俺の祖父と思しき人物にも会い、日記だけでは分からなかった詳細な事情も知ることができた。
なぜ母が追放されたのか、なぜ母が怨嗟に満ちた日記を綴ったのか、それは俺の心の穴を更に大きく押し広げることになった。
愛を与えられなかった母が息子に愛を与えられるわけがなかったのだ。ただその事実のみが重くのしかかった。
ある日、俺はアヴァロンの魔女の秘術に関する禁書を読んだ。
それは「死者を蘇らせる釜」に関する記述だった。驚くべきことに、初代大公 マーリンは、初代ペンドラゴン王をその釜の力で生き返らせたとあった。
アヴァロンの魔女、あるいは女神モルガン。俺の母はモルガンの息子を始祖とする一族の出だ。俺にもその血が流れているはずだった。
俺は釜を求めて旅に出た。
アヴァロンは湖の彼方にあるという。
文献を読み解き、湖水地方のいずれかの湖だと当たりをつけた。
霧の夜に船を出し、アヴァロンを一人目指した。
湖の半ばまで来たところで突風に煽られ呆気なく水の中に落ちた俺は、その冷たさに凍え、死を覚悟して意識を手放した。
「あら気がついたわね」
目を開けると俺は柔らかなベッドに寝ていた。白い世界でフワフワとした感覚に、「ああ、俺は天国に来ることが出来たのか」と思った。
しかし柔らかな女の声がそれを否定する。
「冬の湖で泳ぐなんて正気の沙汰じゃないわ。私の匂いがしたからとメロウがここに連れて来なけりゃ確実に死んでたわよ、ルクロド」
女の顔をよく見るとこの世の者とは思えないほど美しい。豊かで艶やかな赤い髪と緑の瞳が林檎を思い出させる。そして禁書に載っていた女性にもよく似ていた。
「……まさか、女神モルガンか……?じゃあここはアヴァロン!?」
女神は微笑みながら頷いてくれた。
「ええ、そうよ。ようこそ林檎の実る場所へ。貴方に流れる私の血が、貴方をここに導いたのよ」
俺は生きたまま女神の下に辿り着いた。マーリンのように。
「女神よ!お願いがあるんだ。どうか死者を蘇らせる釜を貸してくれ!」
俺は土下座して女神に請うた。女神は首を傾げた。
「死者を蘇らせる釜なんて持っていないわ」
「そんな!マーリンがそれを使ってペンドラゴンの初代王を蘇らせたと書物に残していたんだ。どうか何でもするから、願いを叶えてくれ!」
「……その言葉に嘘はないわね」
女神は思案顔で言った。
「私の釜で死者が蘇る訳ではないの。証拠を見せてあげる」
俺は女神の後を付いて、銀の枝に実る林檎の木立の中を進んだ。先にはガラスの棺があり、数人の乙女が守っていた。中を覗くと男が横たわっており、ペンドラゴンの国中に掲げられている人物の若い頃に良く似ていた。
「この方は?」
「私の弟、アルトリウス・ペンドラゴンよ」
それはペンドラゴンの初代王の名前だ。知られているよりかなり若い姿だが、数多く残る肖像の面影がある。
「この子は、貴方の世界のアルトリウスとは違うの。彼が敵と相討ちして、志し半ばで亡くなった世界のアルトリウスよ」
「ん?どういうことですか?」
「マーリンは湖の乙女の虜だったから、アルトリウスが亡くなった時、アヴァロンにいたの。私はアルトリウスの死を悔いた湖の乙女とマーリンの願いに応じて釜を貸した。でもそれは死者を蘇らせる訳ではないの……」
女神はそこで言葉を切った。
「ねえ、約束して。貴方の願いが叶ったら迎えに行くから、私の虜になると。先祖返りかしら?貴方は私の夫に良く似ているわ」
女神は熱を帯びた瞳で俺を見つめた。
「虜!?」
「ええ、そうよ。永遠に私とここで暮らすの。大丈夫よ。ただこの楽園で私の傍らに居れば良いだけだから」
女神の要求はその口調とは裏腹にとてつもなく恐ろしい物のように耳に響いたが、元より俺には選択の余地はない。
唯一の望みが本当に叶うなら、その後永遠に女神に囚われようとも構わないと思えた。
「約束しよう!願いが叶った暁には永遠に貴女の側に!」
「約束よ」
女神――モルガンは嬉しそうに頷いた。
「さて、私の釜は死者を蘇らせる訳ではないの。ただその人物が生きていた頃に行けるのよ」
「生きていた頃に?つまり過去に行けるのか?」
「ええ、マーリンはアルトリウスが生きていた時に戻って彼を助けた。アルトリウスが死んだ世界とは別に、生き残って国を統一して初代王となった世界ができたの。この棺の中のアルトリウスは最初にできた方の世界の者なの」
「死んだ世界がなくなる訳ではないのか?」
「世界が二つに分かれるだけね。アルトリウスが死んだ世界では魔法も失われ、別の民族がブリタニア島の支配者になってるわ」
驚いた。世界を巻き戻せても起こったことを「なかったこと」にはできないのか。だが、もし、俺がこの釜を使えば、母が笑っていられる世界を作ることができるのか?その世界にはもしかして俺は存在しないかもしれないが。
しかし、母の笑顔を守る事が出来るなら、不幸な記憶のなかった世界が出来るなら、それは最善なのではないか?
「……貴方が取り戻したいのは母親、エルヴィラ・エスティマね。今考えた事をやっても、新しい世界で貴方は彼女の子供では無くなるわ。貴方の存在が消えることはないけど、親子でないなら思っているような愛は貰えないわよ」
「子供になれなくても家族にはなれるだろ。俺が母を愛情持って育てる。全力で守る」
俺は決意した。俺が養い親として母を亡くした少女を守れば良いのだ。
モルガンは少し呆れたように溜息を吐いた。
「……そう。じゃあいっそのこと五十年ぐらい遡って、その姿のまま公国に行けば良いわ。貴方の実力なら、二十年もあればそれ相応の地位と権力を手に入れられるでしょう」
そう言ってモルガンはいつのまにか目の前にあった釜を五十回掻き混ぜた。
「五十年経ったら迎えに行くから、どうか頑張って私の子孫を幸せにしてやってちょうだい」
モルガンはそう言って俺に口付けを落とした。
「ああ、では五十年後に!」
気づけば俺は湖畔に立っていた。
こうして、俺の心の穴を埋める旅は、不幸な少女を幸せにするという新たな長い旅になった。
皆様、お読みくださりありがとうございました。
お陰様で無事完結となりました。
ご感想、評価等お寄せいただけたら幸いです。次のモチベーションに繋がりますので(*^^*)
また、各電子書籍サイトで販売中です。
https://www.hoshi-suna.net/entry/tuihoumae
電子書籍版限定の書き下ろし番外編は3篇で合計1万5千文字超となっております。
タイトルは「エルヴィラの初仕事」、「ユーサーのお見合い」、そして「魔法使いの国の結婚式」です。
新キャラも登場します。
活動報告にて、今作の後書きをアップしてますので、ご興味ありましたらご確認下さい。
Twitterでも各話の解説をコメントしてます。そちらもよろしければチェックしてみてください!
@joekarasuma
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます(*^^*)




