9.魔法使いの霊薬
エルヴィラはテオフラストの研究の役に立ちたいとメリッサを使った料理やお菓子作りに色々挑戦するようになった。
味見係になったルクロドとマリー、二人の意見を総合して一番良いと思われた物を冬至祭りのデートの日にテオフラストにプレゼントすることにした。
「今日も楽しかった!ありがとう。あの、私メリッサを使ってお菓子を作ってみたの。クッキーとキャンディよ。どちらも思ったよりも香りがしないのだけど味は保証するわ」
エルヴィラは別れ際にその日の朝に作ったばかりのお菓子を差し出した。箱の中にクッキーと紙に包まれたキャンディが入っていた。
「ありがとう!」
テオフラストはクッキーを一枚取って味わった。
「美味しい!香りがほとんど残らないのはしょうがないんだ。メリッサの香りは揮発性が高くて時間が経つと殆どしなくなるから……」
そこでテオフラストは何かに気付いた様な顔をした。
「そうだ。メリッサの香りは揮発性が高い。すぐ飛んでしまう。でもメリッサの効能は香りにこそあると言われてるんだ。だから、生のままで水やお酒に入れて摂取すると良いとされるんだ……」
エルヴィラはテオフラストが何に気付いたのかよく分からなかったが声を掛けることはできなかった。それ程テオフラストの顔は真剣だった
「……でもパラケルススは大陸中を旅しながらエリクサーを使ったという。どうやって?メリッサを乾燥させて持ち歩いても、数日で香りは無くなる。では香りを閉じ込めるには……?」
テオフラストは、ハッと顔を上げ、エルヴィラを強く抱きしめキスをした。
あまりに突然のことにエルヴィラが顔を真っ赤にして声も上げられずにいると、テオフラストは唇を離し早口で捲し立てた。
「エルヴィラ!君のお陰でエリクサーが出来そうだよ!ありがとう!ごめん。今日は失礼する。直ぐ試してみたいんだ。お菓子ありがとう!じゃあね!」
テオフラストはそのまま走り去ってしまった。
後には顔が真っ赤なままのエルヴィラが一人残された。
「聞いてくれ、僕のエリクサーができた!」
数日後、テオフラストがカールマン屋敷にやって来た。
ルクロドとエルヴィラが出迎えると、テオフラストはエルヴィラを抱き上げそう言った。そのまま踊り出しそうな勢いだった。
「まずは、落ち着いてエルヴィラを下ろせ。部屋でゆっくり話そう」
ルクロドが面白くなさそうにそう言って杖を振り、三人は一瞬でルクロドの部屋に移動した。
「まあ、まずは座れ。マリアがお茶を直ぐ用意する」
ルクロドがまだエルヴィラを抱きしめたままのテオフラストの肩を強く握った。「痛っ!」とテオフラストは声を上げたが、エルヴィラをなかなか離さなかった。
「テオ、貴方のエリクサーを見せて」
エルヴィラが身体を離そうとしながらも強請るように首を傾げた。するとテオフラストは顔を輝かせ、いそいそとガラス瓶を取り出した。中には艶のある飴玉の様なものが入っていた。
「これは?」
「僕のエリクサーだよ。さあ食べてみて!先生もお一つどうぞ」
瓶を差し出されて、二人は顔を見合わせながら一つずつ取り出し口に入れた。
飴は直ぐに溶けて、中から甘い粉菓子とメリッサの爽やかな香りが飛び出した。
「!」
「おお、これは素晴らしいな。メリッサの香りが新鮮なままだ。どうやって作ったんだ?」
「はい、メリッサをすり潰してそこにソーダ灰と粉砂糖、澱粉を混ぜました。それを木型に詰めて低めの温度のオーブンで数分乾燥させた後、リモーネの果汁を加えた糖衣で包みました」
「なるほど、ソーダ灰か。良い所に目をつけたな」
「ええ、澱粉だけでは吸湿性がありませんから。ソーダ灰は吸湿性も吸臭性もありますし。これなら、水にも溶けやすいので病人にも飲ませやすいですし、糖衣することによって香りも逃げません!」
「凄いわ。私のキャンディは香りが残らなかったのにこれは新鮮な香りがするのね」
「キャンディでは砂糖が高温になるからメリッサの成分が壊れてしまうんだ。加熱しすぎると香りが無くなってしまう性質なんだよ」
「素晴らしい。『石』と呼ばれていた所もこれならクリアだ。それに、この製法は他の薬草にも使えそうだな。直ぐに論文を書いて発表しろ。薬効がどれくらい残るのかも調べるんだぞ」
「わかりました!」
テオフラストは満面の笑みで答え、そのままエルヴィラを振り返り跪いた。
「エルヴィラ、何もかも君のお陰だ。僕の女神様、僕は永遠に君に全てを捧げると誓うよ」
「そんな!私は何もしていないわ!これは全て貴方一人の功績よ」
「いいや、君がいなければ僕はこんなこと思いつきもしなかった。パラケルススがメリッサ自体を霊薬と考えていたことは明白だ。でもいくら手に入りやすくても、その保存期間は極めて短いことが課題だった筈だ。それを解決する方法を考えたら答えが見えたんだ。これは全て君のクッキーとキャンディと君自身の言葉がヒントになったんだよ」
テオフラストはそこで言葉を切りエルヴィラの手を両手で握った。
「……それだけじゃない。君の優しさが何時も僕に勇気をくれるんだ。エルヴィラ、心から君を愛している」
「テオ……」
エルヴィラは感極まって涙した。
「……私も貴方を愛しているわ」
しばらく見つめ合う二人にルクロドが居心地悪そうに咳払いした。
「馬には蹴られたくはないが、続きは外でやってくれないかね。俺は茶を飲みたいんだ」
翌年発表されたテオフラストの論文は高い評価を受け、その製法は薬草の長期保存に関する物として特許登録された。今までは粉薬かただ丸めて固めただけの丸薬が主流だった。
糖衣もあったがそれは種子に直接飴を絡めるだけのものだったので、飲みやすく、保存しやすいこの製法は忽ち製薬現場に広がり、重宝されるようになったのだった。
メリッサ自体が伝説に語られるほどの万能的な効果がある訳ではなかったが、テオフラストの「エリクサー」は、多種多様の薬草にも応用され、新たな『霊薬』となったのだった。
今回もツッコミなしでお願いしますm(_ _)m
(注)本当はソーダ灰じゃなくて重曹にしたかったのですが、この時代重曹がまだないです。一応 ソーダ灰が重曹に変化すると言われる手順を踏んでますが、絶対に作ったり、口にしたりしないでください!
ソーダ灰は食品添加物ですが強アルカリなので身体に悪いです。




