8.魔法使いとデート
十一月のある週末、エルヴィラはテオフラストと出かけることになった。
「デートなんて素敵じゃない!どこに行くの?」
テオフラストと晴れて恋人同士になったことの報告を兼ねてマリーに告げると、マリーは興味津々という風に身を乗り出した。
「それが、『見せたいものがある』と言うだけでどこに行くか教えてくれないの」
「へえ。『見せたいもの』ねえ」
マリーはしばらく思案したあと「あっ」と言って何か思い当たった顔をした。
「ああ、もしかしたらあれかもね。わあ、もしあれならエルヴィラも驚くこと間違い無いと思うわ」
マリーはニヤニヤと笑ってそう言ったが、エルヴィラが「あれって何!?」と何度聞いても頑なに教えようとしなかった。
「当日のお楽しみね!」
マリーのウィンク付きのその言葉は、エルヴィラをヤキモキさせた。
そして週末になり、ルクロドから意味有り気に、「何も心配せずに行っておいで」と言われてエルヴィラは首を捻ることになる。
確かに何か失敗してテオフラストに嫌われはしないか心配だが、ルクロドの言葉はそういう風な感じではなかった。
一体テオフラストは何処に自分を連れて行くつもりなのか?
疑問符が募るまま、迎えに来たテオに連れてこられたのは、カレドニアの郊外の丘に作られた大きな作業所だった。
そこでエルヴィラは信じられないものを見た。
「……これは船?でもどうして浮いてるの……?」
それは大きなガラスのボールが沢山ついた小さな帆船だった。
紐が幾つか垂れ下がり、地面の杭に繋げられているが、船自体がどう見ても浮いている。
「十年程前に発明家のテルツィという人がね、『真空飛行船』という概念を発表したんだ。彼の理論のように真空の船はまだ実現できていないのだけど、最近発見された『燃える空気』がとても軽くて、ボールの中に入れたら、船や人を浮かせることもできるって分かったんだ。それでテルツィのデザイン画を元にして燃える空気を使って作ったのがこの空飛ぶ船さ。ボールはガラス製だけど、魔法で割れない様に強化してるから安心して」
テオフラストは驚くエルヴィラを見て満足げにそう言った。
「燃える空気」とは以前ルクロドの実験室で見たもののことだろう。あの時は動力源としてと言っていたが、こんな利用方法もあるのかとエルヴィラは感心した。
「すごい……。本当に浮いてるわ」
「魔法使いじゃないと危ないから、まだ輸出はできないけど、将来的には魔力のない人たちの移動手段として革命を起こすと思うよ」
「私乗っていいの?」
そんなに凄い物なのだと思うと怖気付いてしまう。
マリーはこれの事を知っていたのだろう。きっとマシューの工房が関わっているに違いない。エルヴィラはその浮き船を見上げてそう考えた。
「もちろんさ!僕らなら途中で空気が爆発しても、船から振り落とされてもまあ身は守れるからね」
「……そんな物騒なことを言われたら乗りたくないわ」
爆発や振り落とされるなんて、いくらなんでもごめんだ。いくら助かる術を持つと言ってもそれとこれとは別だ。
頬を膨らませたエルヴィラを見て、テオフラストは焦って取りなそうとした。
「ごめん、ごめん!大丈夫だよ。こう見えても僕は魔力が多いし、僕の魔神も優秀なんだ。何しろパラケルススの時代から僕ら一族を守ってくれてる」
パラケルススの魔神と聞いてエルヴィラはハッと顔を上げた。
「短剣の魔神?」
パラケルスス が召喚した魔神を短剣に封じ込めて使役していた話は召喚魔法の授業で習った。自動人形の元になったということだった。
「よく知ってるね!そうだよ。ホーエンハイムの守護神さ。滅多に姿は見せないけど、魔神の中でも高位だそうだよ」
「魔導学の授業で習ったの。……そうね。何かあっても魔神が、……テオが守ってくれるのよね」
エルヴィラの不安は少し晴れた。確かにエルヴィラ自身も浮遊を使えるし、マヘスも守ってくれるだろう。
そういう意味では魔法使い以外には危険すぎる乗り物だが、魔神と契約できるような魔法使いなら問題はない。
「さあ、じゃあエルヴィラ、手を出して」
テオフラストが両手を差し出し、エルヴィラはその手を掴んだ。二人の体がスーッと浮き上がり、船の甲板に降り立つ。
船の中には二人用のソファがあり、テオフラストはエルヴィラを誘って着席した。
それを合図にしたように、杭から紐が解き放たれ、船がどんどん浮上し、開け放たれた天井から空に飛び出した。
「凄い!空を飛んでるわ。まるで鳥のようね!」
「今日は風が無くて良かった。天気も良いし」
眼下にカレドニアの街や城が見える。
川の先に見えるのは海だろうか。
初めて見る雄大な景色と、不思議な浮遊感にエルヴィラは興奮した。
ルクロドのスネイムでもこれほど高く舞い上がったことはない。
テオフラストが杖ではなく短剣を取り出し何か唱えるとパッと光って船がより安定したような気がした。
「それがホーエンハイムの短剣なのね」
「ああそうだよ。ホーエンハイムでは子が産まれると短剣を作り、与えられた子は魔神の守護を得るんだ。パラケルススの短剣は彼の墓に納められてるけど、魔神の守護は続いている」
テオフラストは柄に埋め込まれた水晶に大事そうに触れた。
「自動人形とは大分違うのね」
「契約内容が違うからね。マヘスやマリアのように身の回りの世話をしてくれる訳ではないんだ。パラケルススとその子孫を未来永劫災いから守ってくれるという契約だ」
「未来永劫って凄いわ。どんな報酬で契約したのかしら」
「……家伝ではパラケルスス自身の魂が報酬だったそうだけどね。今も魔神と共にパラケルススがあると言われているよ」
「……!」
魂が報酬というのは衝撃だった。教会の教えでは、魂は良いことをすれば死後天国に行くという。パラケルススの魂は死後も魔神に囚われたままなのだろうか。
ルクロドも女神と約束をしたと言っていた。あと三十年ほど経ったら迎えが来るとも。
ルクロドは何故そんな約束をしたのだろうか?
優雅な空の旅が続き、二人は浮き船の上でエルヴィラが持ってきたランチを楽しんだ。
ロスマリヌスと果実オイルをかけて焼いた白パンに切り目を入れ、野菜と魚の酢漬けを入れたマリー直伝のそれは、とても美味しかった。
やはりロスマリヌスとリモーネの砂糖付けを刻んで入れたクッキーも甘過ぎず爽やかな味で、食後に食べるとスッキリとして美味しい。
「へえ、ロスマリヌスをクッキーに入れてるんだね」
「ええ、リモーネの皮も一緒に入れてみたの」
「なるほど、ロスマリヌスの爽やかな香りがリモーネとよく合うね。これは新たな発見だ。考えてみれば薬草を料理に入れるというのは昔からよくある手法だけど、メリッサは飲み物ばかりだな」
「テオのエリクサーの研究はどう?」
メリッサと聞いてエルヴィラは気になっていたことを口に出した。まだ出来たとは聞いていないが、当たりは付いたのか知りたかった。
「いいや、全然進んでないんだ。色々な素材と化合してみてるけど、これという決め手がない」
「そうなのね。何かヒントが有れば良いのだけど……」
エルヴィラはテオフラストの役に立ちたいと思った。
危なげもなく浮き船での一時は終わりを迎え、家に帰る時間になった。
日没までには家に戻る約束になっているが、十一月の夕暮れは早く、まだ一緒に過ごし足りない気がした。
「今日はありがとう。忘れられない一日になったわ」
「僕の方こそありがとう。また一緒に乗ろうね」
「ええ、約束よ!」
二人は小指を掛け合った。
どちらからともなく顔が近付きあって唇がゆっくり重なった。
テルツィは実在の人物です。
真空飛行船のデザインは面白いので是非検索してみてください。
現実で水素気球が初めて登場するのはこの物語(17世紀)から約100年後になります。




