5.魔法使いと再会
八月になり、今年の夏は王国の湖水地方で過ごすことになっていたので転移で移動した。流石に公国外を自動車で移動するのは目立ちすぎるという判断からだった。
途中を楽しめないのは残念ではあるが、湖水地方はとても美しい所だというのでエルヴィラはそちらを満喫することにしていた。
イニリ・ニシと同じように湖畔に建てられた貴族の邸宅のようなインを一棟貸し切りして、今年の夏を丸々過ごすのだ。
エルヴィラの誕生日のパーティーもそこで開く事にしており、ユーサー、テオフラスト、マリーとマシューが後から来ることになっている。
「本当に美しい所ね」
朝の森を散策するのが楽しい。湖畔の森は適度な湿り気を帯び、空気が澄み渡っている。
鮮やかな緑の隙間に妖精が見え隠れしそうな気がするほどだ。
「ああ、そうだな。……知ってるか?アヴァロンはこの湖の何処かにあるんだ……」
伝説の島について妙に確信的な口調でルクロドが触れた。
アヴァロンは林檎の実る場所という意味で、ヘスペリデスの園や常若の国と同一視されている。つまり実在の場所では無い筈だ。
しかし、ルクロドは「女神の愛し子」だ。
まさか行った事が有るのだろうか?
そんなまさかを思いついたエルヴィラは冗談めかして聞いてみてしまった。
「ルクロドなら行ったことがありそうね」
そしてルクロドはあっさりと「ある」と答え、信じ難い話を続けた。
「俺は若い時に、魔女、いや、女神モルガンに会いたくて、アヴァロンを探してこの湖に訪れた……。あれは冬だったな。夜で、底冷えするような寒さだった」
ルクロドはそこで一旦切ったが、エルヴィラは何も言葉を発せずに、ただ黙って聴き入った。
「俺は一人船を漕ぎ出しアヴァロンを目指したが、途中で湖に落ちたんだ。もう駄目だと思って意識を失ったが、気が付いたらアヴァロンにいて、モルガンが横にいた」
ルクロドと「女神」の繋がりの謎が解けた。しかし、千年以上前の人物に会うなんて、あり得るのだろうか?
「……彼女が助けてくれたの?」
「まあそうだが、前にも言ったようにメロウが俺を助けて、モルガンの所に連れて行ってくれたそうだよ」
ロッホネスで見た妖精を思い出す。
「どんな所だった?彼女はどんな風だった?」
エルヴィラは信じられない思いながらも聞きたかった。女神はどこでどんな風に過ごしているのかを。
「銀の枝に赤い林檎が実る美しい場所だった。赤毛と緑の瞳を持ったモルガンは、正に林檎の化身の様な美しさだったよ」
懐かしむ様なその口調は、恋人を恋しく思う男のそれにも聞こえた。
「エルヴィラ、まだ先の話だけど聞いてほしい。俺はその時女神と一つ約束をしたんだ」
「約束?」
「ああ。当時から五十年経ったら、今からならあと三十年近く経ったら、女神が俺を迎えに来る。その日が来たら、俺は忽然と消えるだろう。だけど悲しまないでくれ。俺はアヴァロンで女神の側にいるだけだから、お前をずっと見守れるから」
ルクロドは笑ってそう言ったが、少し寂しそうに見えた。
「嫌よ。ずっと一緒にいてよ。ずっと守ってくれると言ったじゃない!一人にしないで!」
エルヴィラは取り乱して叫んだ。涙が溢れ、ルクロドに縋り付くと優しく背中を摩られ宥められた。
「三十年も後の話だ。その頃にはお前も結婚して、もしかしたら孫までいるかもしれないだろ。大丈夫だよ」
「……結婚なんてするかどうか分からないわ」
エルヴィラはルクロドの胸に顔を埋めて言った。
「そうかね。最近妙に誰かさんとの距離が近過ぎる気がするけれど、気の所為だったかな?」
「まだそんなんじゃないわ!」
思いがけない口撃に顔を上げる。
「へえ〜、まだね」
ルクロドの意地悪な物言いに、エルヴィラは揶揄れてる事は分かっていたが焦りは治らない。きっと顔も赤いはずだ。すごく火照っている感じがするから。エルヴィラはそう思って、恥ずかしそうに顔を逸らした。
「エルヴィラ、どうか幸せになる事を恐れないで。お前の望む事を、心を伝えれば良い。心のままに」
――心のままに。
今のエルヴィラにはそれはとても勇気の要る事だった。
「お誕生日おめでとう!エルヴィラ!」
「十四歳おめでとう!来年には成人ね。貴重な一年よ。大事に過ごして!」
「おめでとうございます。今年もお招きくださりありがとうございます」
「お誕生日おめでとう。エルヴィラ、毎日、毎年、素敵になって行くね」
エルヴィラの誕生日、やってきた皆が口々にお祝いの言葉を述べてくれる。
静かなこのインに友人達が集まり途端に賑やかになった。
転移でカレドニアからわざわざやって来てくれているのだが、カールマン屋敷の玄関をこちらのインに繋げているので、感覚的には去年と同じ気軽さだったとのことだった。
しかし、今回は皆泊まって行く予定になので、明日は一緒に散策を楽しむつもりでもあった。
プレゼントは素敵なものばかりだった。
ユーサーからは守護の魔法陣が組み込まれた魔石のアミュレットだった。装飾としても美しいブローチの形になっていた。
テオフラストからはハーブやドライフラワーが詰め込まれ、美しい刺繍を施したクッションだった。
枕元に置くと安眠できる香りが調合されているとのことだった。
マリーからは美しい造形のインク壺で、マシューからはペン立てと青銅の軸に羽があしらわれた美しいペンが贈られた。お揃いの意匠になっており恋人同士の二人らしい贈り物だとエルヴィラは思った。
「みんなありがとう!今日は楽しんで行ってね!」
料理やお菓子、飲み物が所狭しと並べられ、音楽が奏でられる。
その内、マシューとマリーがボルタを踊り出し、エルヴィラもルクロドと踊った。
ルクロドが踊れると思わなかったエルヴィラは大いに驚きとても楽しんだ。
「まさかルクロドがボルタを踊れるなんて思わなかったわ」
一巡した時、踊りながらこっそりルクロドに囁いた。
「昔取った杵柄さ。これでも若い頃はモテたんだ」
ルクロドはニヤリと笑って、エルヴィラを大きくリフトした。魔法がかかっている様でエルヴィラはフワリとあり得ない高さで舞った。その様は妖精のようでとても華やかで美しく、そこにいる者達を魅了した。
「エルヴィラ、是非次は僕と踊って!」
「喜んで!」
曲が変わって、今度はユーサーがエルヴィラに申し込んだ。エルヴィラはその手を取り再び踊り出した。軽快な曲でステップが先ほどよりも速いが、エルヴィラもユーサーも難なく踊りこなした。
踊り終わるとマリーが今度はルクロドと踊ってみたいと言いだし、エルヴィラがしてもらった様に高く上げて欲しいと強請った。
ルクロドは「容赦しないぞ」とニヤリと笑い、マリーを高く舞い上げた。マリーがキャーキャー叫ぶ度に皆が歓声を上げた。
そしてエルヴィラは、お返しとばかりにマシューと踊り、最後に踊りは苦手だと言うテオフラストを引っ張り出した。
「エルヴィラ、僕は本当に踊った事が無いのだけど……」
確かにユールの時もテオフラストは踊らずに見ているだけだった。でもエルヴィラはどうしてもテオフラストと踊りたかった。
「大丈夫よ。私の言うとおりにしてみて!」
ボルタはターンとリフトで構成されるシンプルなペアダンスだ。ゆっくりとした音楽で練習がてら二巡した後に、普通のリズムで踊ってみた。ターンやリフトの度にどちらからともなく握る手に力が籠もり、リズムを確かめる様に見つめ合った。
最後に、ルクロドのそれに負けないほど、テオフラストの手によってエルヴィラは高く舞い上げられ、皆の拍手と歓声に包まれた。
翌朝、マシューとマリーは二人で湖で水遊びをしたいと別行動することになり、ルクロドも仕事の関係でマリアと屋敷に一旦戻った。
エルヴィラはユーサー、テオフラストと一緒にいくつかある別の湖に行ってみることにした。マヘスは今日は留守番だった。
馬車を借り、着いた先には小さな二つの湖があり、その間にこじんまりとした村があった。
なだらかな丘に緑の草原が続きとても美しい絵の様な風景のそこは、ピクニックに適しており、三人はティーセットを持ち出し、そこで簡易なお茶会を開いた。
夏の澄み渡った青空の下、木陰で開かれたお茶会は和やかに進んだ。
日差しが天頂に来た時にもう帰ろうとなり、馬車に戻ると、ちょうど思いがけない人達が前方からやって来た。
なんとルキウス王子とリーナがお付きの人達と視察に回っているところにかち合ったのだ。
「ルキウス!」
まず声をかけたのはユーサーだった。
二人は歳も一つしか変わらないので気安い仲のようだった。
「ユーサー!それにエルヴィラ?なぜこんな所に?」
「ハハハ!優雅な旅行さ。君こそどうしたんだい?それにそちらは噂の婚約者様だね。改めておめでとう!紹介してもらえるかい?」
六月のルキウスの誕生日に、リーナとの正式な婚約が発表された。日記よりも一年早かったが、対抗馬となるはずだったエルヴィラがいないので早まったのだろうと思われた。
「ああ紹介しよう。こちらは私の婚約者でエスティマ公爵家の次女のリーナだ。エルヴィラの異母妹に当たる。リーナ、ご挨拶を」
「エスティマ公爵が次女、リーナでございます」
リーナは、王太子の婚約者らしく優雅な礼をとった。
「初めまして。マーリン公国大公が一男のユーサーと申します。未来の王妃様に置かれましては、ご機嫌麗しく何よりでございます。こちらはシュバイツからの留学生で優秀な医学者でもあるテオフラスト・ホーエンハイムです。どうかお見知り置きくださいませ」
ユーサーは流れる様に挨拶した。あまりに鮮やかすぎてほとんど頭に残らないほどだった。リーナもその勢いに呆気に取られている様で、それに気付いた王子がさり気なく前に出た。
「時にエルヴィラ。良い所で会えた。もし時間がある様なら君達を私達の滞在先に招待したいと思うのだが如何かい?」
「勿体無きお言葉……、謹んでお受けいたしますわ」
エルヴィラは腰を落とし頭を垂れた。
そして五人は午後をルキウス達の滞在している貴族の屋敷で過ごすことになった。男達三人は撞球に勤しみ、エルヴィラとリーナは別室で二人きりで過ごすことになった。
二人は姉妹と言っても会ったことは片手で足りるほどで、ロクに言葉を交わした事は無く、気まずくはあったが、まだ婚約のお祝いの言葉も述べていなかったので良い機会だとエルヴィラは思った。
「リーナ、この度は王太子殿下との婚約おめでとうございます。姉として誇りに思うわ」
エルヴィラは緊張で声が上ずりそうになるのを抑えて、何とか素直な気持ちを口にした。
それに対してリーナは悲壮な顔で答えた。
「ありがとうございます。……あの、エルヴィラ様、私、今までのことを謝りたいのです……」
「謝る?それなら私の方よ。初めて会った時罵ってしまってごめんなさい。本当に申し訳なく思うわ」
エルヴィラは慌てて返した。
しかし、リーナは首を振った。
「いいえ。エルヴィラ様は何一つ悪くありません。悪いのは何も知らず、エルヴィラ様を傷つけて来た私と母です。罵られて当然です!」
エルヴィラはリーナが何故それほど罪悪感を持っているのか理解できず、目に涙を湛えて取り乱すリーナからゆっくり事情を聞き出した。
リーナはエスティマ領で生まれ育った。父である公爵と母に愛され、のびのびと育ち、十歳になって母が公爵の後妻に収まるまで、自分が正式な子供では無い事を知らなかった。
父には「愛する娘」と呼ばれ、屋敷の使用人達にはお嬢様と呼ばれた。時折、大切なお客様がいらっしゃる時だけは母と一緒に別宅で過ごした記憶はあるが、それも数度の話だ。
エルヴィラの実母であるアグネスが亡くなりリーナの母、ミーナは正式な公爵夫人となった。その時リーナは自分が私生児であったことを初めて知った。
王都に行き、生まれて初めて異母姉エルヴィラと対面した。顔を見るなり罵倒されとても恐ろしく感じ、幾日も経たずにリーナは両親と領地にすぐに戻った。
そして、十二歳になったある日、エルヴィラが公国に養女に行ったことを機に、再び王都に戻ることになった。
王都の使用人達は、丁寧だったが何処か余所余所しく、領地の者達とは全く雰囲気が違った。
まだ慣れないのだからしょうがないと思ったが、ある日メイド達が話していたのだ。「お可哀想なエルヴィラ様」と。
リーナはそこでやっと気付いた。自分が両親に愛されぬくぬくと暮らす間に、異母姉はどんな思いだったのだろうと。
この広い屋敷の中で二年近くほぼ一人で過ごした自分と同い年の姉……。
それ以前に自分が父を独り占めしていた間、姉はどの様に感じていたのだろうか。
そこに思い至って、自分と母の罪深さをリーナは思い知った。
姉の代わりに王太子の婚約者候補としてお城に行儀見習いに上がった先でも同様だった。
養女に出るまで筆頭候補だった姉。王太子がエルヴィラを婚約者候補から外す事に随分反対していたと聞いてリーナは、自分は疎まれているのではないかと候補を辞退したかったがそうもいかなかった。
王太子自身はリーナに辛く当たることもなかったが、候補者仲間達からは遠巻きにされた。
そしてそこでも耳にした言葉、「お可哀想なエルヴィラ様」。
自分は父親だけでなく王太子の婚約者候補という名誉まで姉から奪ったようなものだ。
聖女と呼ばれるようになって、トントン拍子に話が進み、今自分は正式な王太子の婚約者となった。
しかしリーナはずっと思い悩んだ。
――本来なら姉がこの立場にいる筈だったのに……。
それは消えることのない楔として胸に刺さったままだった。




