4.魔法使いと魔導書
エルヴィラは五月の学期末テストでゲール語の優を取ることができたので、約束通りルクロドから魔導書の写しをもらうことになった。
「ほら約束の魔導書だ」
「嬉しい!ありがとう!……あら?三冊あるのね」
テオフラストに聞いた時は薬物誌の翻訳と魔法治療に関する二冊を読んだと言っていた。
三冊目は何だろうと中を見ると、一番初めの日にルクロドに見せてもらった本だ。
「これって最初の日に見せてもらった物よね?」
「ああ、そうだよ。覚えていたか。それは薬物誌とは違う、魔女の独自の薬の魔導書だ。樹木を使った呪術なんかも載ってる。貴重な物だし、研究者じゃないと読まないような物だよ。他国では翻訳したものが出回ってるな。これは原本の写しでオーム文字だが」
テオフラストやユーサーから聞いたことの無い内容だった。彼らは読まなかったのだろうか。
「学生は読まないの?」
「これは薬として使える物も一部あるけど呪術が基本で、魔法使いだからといって再現出来るような内容じゃ無いんだ。まあまさに『女神の御技』だな。精霊の力を使うらしいが、これを使いこなせれば、見えない目が見えたり、聞こえない耳が聞こえたり、動かない足が動いたり、その他奇跡的な事が起こせることもあるらしい」
呪術というのはまさに魔女らしい。大陸では呪術を使ったと言って多くの人が異端審問を受けたと聞く。魔法使いにとって禁忌に近いだろう。手を出せば、邪悪な魔女として断罪されかねないのではないか。
「呪術は、教会に禁じられてるわ」
エルヴィラは少し怖くなった。
そんな陰りを労わるようにルクロドはエルヴィラの背中を摩った。
「この国で教会を恐れる必要はないよ。それに他国でも、……ロマナムとかは煩いが、シュバイツもフランクもその他多くの国が秘密裏に研究してるんだ。だって奇跡の御技を手にできたら、権威を高めることができるだろう?本当はロマナムだって、教皇だって、こっそり裏で研究してるに違いないね。もしこれが実現したら、正に救世主の再臨だ」
「そうね。とても恐れ多いことね」
エルヴィラの声は微かに震えていた。
「……エルヴィラならもしかしたら再現出来るかもしれないが、どうかその時は誰にも言わずに秘密にしといてくれ。俺はエルヴィラを聖人として教会に取られたら生きていけないから」
「まさか!きっと無理よ。……それに私、救世主と同等の力なんて怖くてとても欲しいと思えないわ」
それは素直な感想だった。ペンドラゴンはかつて聖杯を求めた程敬虔な教会の信徒の国だ。エルヴィラ自身もその一人なのだ。
神の御技は自分には過ぎたるものだと思った。
「そうだな。まあ読み物として楽しむと良いよ。いくつかは薬物誌と内容が被るものもあるし、ああ、樹皮を使った薬の中には実際に効果が確認されている物もあるから、よし課題を出そう。この書の中に登場した樹皮を使った薬で、どれが実際に使われてるか、一つ一つ調べてノートに書き記すんだ。できたら、報告してくれ」
それぐらいなら直ぐに取り組めそうだとエルヴィラは頷いた。
「期限は?」
「では、夏の旅行までに!特別にテオとユーサーに頼ることを許そう」
「わかったわ!そうと決まったらテオ達に連絡を取らないと。今日は研究所かしら?今から行ってきても良い?」
「ああ、もちろん!気を付けて行っておいで」
新しい目標に輝き出したエルヴィラをルクロドは眩しそうに見つめ、見送った。
「という訳なのよ」
テオフラストは思った通り薬物研究所にいた。ユーサーは今日は城だというが、テオフラストの方が適任であることは確かだろう。
「へえ、先生も面白い事を言うね。だけど残念だな。エルヴィラなら御技も再現できそうなのに」
「駄目よ!そんな恐れ多いことできないわ!過ぎた望みは身を滅ぼすのよ」
エルヴィラは散々悩まされた日記の事を思い出した。過ぎた望みが叶わず妬み、嫉みに狂って行く様が伝わって来るあれを。
あんな風にはならないと誓ったのだ。
奇跡の力はエルヴィラが求めるものでは無い。しかし、アヴァロンの魔女が伝えようとした薬については再現したいしこの課題はピッタリに思えた。
「じゃあ、まず魔導書を読んで樹皮を使った薬の箇所を読みやすいようにノートにまとめてみると良いよ。できたら帝国語に翻訳してみて。エルヴィラがどれぐらい製法の理解ができているか目安になるから」
「そうね。先ずはそこからよね。」
エルヴィラは素直に頷いた。
テオフラストは頷き返した。
「ああ。その後材料毎に調べて行けば良いからね。そこは僕も一緒に手伝うし」
「ありがとう!……オーム文字やゲール語でどうしても分からない時も聞きに来ても良いかしら?」
「もちろんだよ!いつでも来て!」
――テオフラストの笑顔はいつも勇気をくれる。だから私は頑張れる。
エルヴィラはそんな事を思った。
課題の話をマリーにすると自分も一緒にやりたいと言われてルクロドに許可を取り、マリーと手分けして翻訳を進めた。どうしても分からない箇所はテオフラストやユーサーに相談に行くと嫌がらずに丁寧に答えてくれた。二人には後日絶対に何かお礼をしようとエルヴィラは心に何度も誓うほどだった。
樫の木、柳、モミの木、白樺、ナナカマド、サンザシ、林檎、その他、全部で二十種類程の木々の記述がある事が判明した。
更にそれぞれの用法が幾通りもあり、翻訳は中々骨が折れた。時折木々を使った呪術もあり、これで何故病気や怪我が治るのか理解に苦しむ箇所も多々あった。
ナナカマドなどは、その実をジャムやゼリーをにして食べるのは今日でも一般的だが、この書には、「生命の実」とされ、枝は魔除け、落雷除け、火除けになり、魔女の呪術に欠かせない杖ともなるとあった。
火傷にも効能があると記載されていた。しかし、残念ながらそれは実際に確認されていないと直ぐに分かったが。
「予想以上に労力がいるわね。この後、実際に利用されている物を調べないといけないから、マリーが一緒にやってくれて助かったわ!」
「私も勉強になるし良かったわ。実は母さんからこの書を読んで、使えそうなものを探し出せと言われてるのよ。だから私の方こそ助かってるわ」
マリーの両親はかなりやり手だ。多様な薬物を調合し、日々公国の財政を潤している。
きっとこの魔導書の中から新たな金鉱を見つけるつもりなのだろう。
本人達も製造所の重役としてかなり裕福なのにもかかわらず、フランク王国で起こした事件のせいで公国から出ることは許されていないのが可哀想ではあるが。いや、マリーに言わせれば自業自得らしい。何しろ人の命を奪う直前にルクロドに捕まったそうだ。
マリーの親達はフランク王国で毒薬を売り捌く算段をした所で、当局に捕まった。
その指揮は何故か外国人であるルクロドが取り、司法取引があったようで、罪に問われる前に秘密裏に一家毎公国に移されたのだという。
結局、エルヴィラ達のノートが完成したのは夏の旅行一週間前のことだった。
ノートには一ページの左半分に魔道書の記載を書き出し、右半分に対応する現存の薬が書き出されていた。
エルヴィラとマリーがそれをルクロドに提出すると、よく出来ていると褒められ、印刷所に回して製本して薬物研究所でテキストとして使用することにまで話が発展した。
エルヴィラとマリーの二人には学生相手にしては高額の報酬が支払われることになるだろうとのことだった。
その日の夕食の席で、また課題の話になった。
「エルヴィラ、やってみてどうだった?」
「身近な樹木が医療の役に立つ事が分かって面白かったわ。あと、まだ効用が確認されてないだけで使えそうなものもあったし。それにしても白樺がとても役に立つ事を全く知らなかったので驚いたわ!ただ美しいだけじゃないのね」
白樺の皮は昔から消毒薬や鎮痛剤として重宝されているとエルヴィラは初めて知った。またその樹液も美容に良いとされているらしい。確かに白樺の入浴剤は肌が綺麗になると言われていてエルヴィラ自身もよく利用していた。
「そうだな。その他の樹皮もまだまだ調べ切れていない効用があるかもしれない。一つ調べるだけでも長い時間を要する。だが良いとされたものは、何らかの因子があるはずだと思う。それを見つけ出すのも醍醐味だな」
ルクロドは感慨深げに頷いた。
「ええ。私もこれで終わりじゃなくて、皆と一緒にこのノートの右側を埋めて行きたいと思うわ」
ご先祖様の残した言葉を自分で読んで理解したいという望みは叶った。そして、今度はそこで学んだ事をもっと深掘りして行きたいと思った。
エルヴィラはまた新たな目標を見つけたのだった。
マリーの両親の起こした事件についてはTwitterで少し触れています。
@joekarasuma




