3.魔法使いの医者
エルヴィラは医学の授業の一環で、国立病院に出入りするようになった。
病院では鳥の様なマスクを被った人が何人もいた。
その中でもアイル出身のグラサヌス医師は著名な医師の家系だということで感染症研究について第一人者とも言われているという。
その助手でウェネティアからの留学生、ピラリニ医師も感染症の研究者として大変注目されているようだった。
また外科医のパレ医師はフランク王国出身で、その先祖は今日の外科手術の教科書でもある「大外科学全集」の著者で、宮廷医の家系でもあった。
錚々たる医師達の手技を間近に見られる中、やはり魔法医としてはルクロドが抜きん出ていた。
パレ医師には魔力がないが、外科医師としての知見があった。ルクロドはパレ医師と連携を取りながら魔法を使って患者の患部をどのように処置して行くかを決定し、多くの人達を救っていた。
魔法医の得意分野は体の中の悪い箇所を見つけ、取り除くことだ。内部の炎症や腫瘍など、普通の外科手術では難しいものをどんどん解決して行った。
エルヴィラ達、魔法医師の卵も、患部探しという点で入学早々実践が始まっている。
患者に魔力を流してその流れ方から悪い箇所を特定するという基本の医療だった。
今日はお腹が痛いという女性に手を当て、その原因を探っていた。
「はい、ではこれから魔力を流してどこが悪いのか調べます。痛い事はありませんから気持ちを楽にして寝ていてください」
エルヴィラは患者に優しく語りかけた。
患者の細部まで魔力を流し、そのイメージを保ったまま魔力の流れを患者の上部に引き上げる。
内臓の形まではっきり分かるそれはあたかも患者の血管の一本一本まで再現しているようだった。
「エルヴィラ、上手にできましたね。では皆さん、この中で明らかに下腹部に不自然に濃い場所があるのが分かりますか?このように患部には血液が多く集まり、魔力を流した時には不自然な濃淡が生まれます。この濃淡を如何に見つけるかが魔法医師と外科医の腕の見せ所です。ではヨーゼフ、該当箇所に魔力を流し、患部を特定してみなさい」
教師の指示に従って同級生が前に出てエルヴィラは後ろに下がった。
ノートを取って先程言われたことを書き留める。
「何度も失礼します。下腹部に患部があるようです。再度魔力を流しますので、そのまま力を抜いていてください」
ヨーゼフが患者に語りかけ、下腹部の上に両手を翳した。
今度は患者の下腹部内の様子がより鮮明に投影される。見ると左右にある卵のようなものが、左に比べて右側だけ歪で少し大きかった。
「ヨーゼフ、よろしいです。卵巣腫瘍のようですね。では、このような場合どのような処置をするのが適切か、こちらについては後ほど教室でご説明します。ご協力くださったご婦人に感謝を」
教師の号令に従って生徒達は頭を下げた。
この患者は今日ルクロドの手術を受けることが既に決まっていた。
エルヴィラは外科手術も見学したことがあったが、その時は血の多さに気分が悪くなり、途中退席してしまった。他の学生達も多くがそうだったが、こんなことで医者になれるのかと落ち込みもした。
後日、テオフラストに相談すると、自分もそうだったと教えてくれた。
「僕は内科医の家系だから正直言って血は得意じゃないんだ。魔法治療も縫合以外で血を見ることはないし、外科手術の講義だけは最後まで慣れなかったなあ……」
「どうやって耐えたの?」
「絵の具だと思って見るようになったら不思議と耐えられたかな。あとは匂いだけど、マスクを二重につけたね」
テオフラストは指を二本立てて口元を押さえた。
「二枚も!?息苦しくない?」
「息苦しくて目を回しそうになったよ」
そう言って今度は自分の目に向かって指をぐるぐる回して見せた。
その様子が可笑しくてエルヴィラは思わず笑ってしまった。
テオフラストはそんなエルヴィラの頭をいつものように撫でた。
――暖かい。
やはりエルヴィラはテオフラストの手の温もりが好きだった。
薬学の授業では古代の薬物誌がまだ現役の教科書であることに驚いた。
また民間療法に関して多くの実験が行われていた。
マリーの両親は民間療法に長けており、製造所の重役でありながら、調合などの研究現場でも活躍していた。
感染症病棟で感染予防の為に用いられる薬草酢や芳香剤もマリーの両親を始めとして持ち寄られた民間療法の知見から実証されたものだった。
医学の授業では教師の助手としてテオフラストが度々来てくれるのも嬉しかった。
ユーサーも魔導学の授業でよく会う機会があった。エルヴィラの勉強が忙しく、以前のように毎週三人揃ってのお茶会を開くことは難しかったが、学園で頻繁に二人と会えるので寂しくはなかった。
「えー、では患部の処置についてです。まずおさらいですが、患部には大きく三つの種類があります。炎症、腫瘍、壊死でしたね。炎症や腫瘍の場合は先ほどのように色が濃くなります。逆に壊死の場合は、あるべきところが薄くなる、或いは全く無くなります。壊死した箇所は速やかに切除する。そして壊死の広がりを防ぐ薬の処方が必要になります。これは良いですね?」
教師はそこで一旦切った。
「では炎症についてはどうだったでしょうか。炎症についてはその原因を探る必要があります。外部から何らかの刺激を受けて結果として炎症を起こしている場合は治癒魔法で炎症を静め、骨折など、内部に炎症要因がある場合は骨の位置を直す必要があります。また感染症で炎症を起こしている場合などは、薬物療法を用いる必要があります。これらについては判断が非常に難しく、複数の角度から検証する必要がある事を覚えておいてください」
皆真剣にノートを取っている。実際炎症が一番多いのだが原因を掴むことは容易ではない。多くの場合感染症であるからだ。患部を鎮めても感染源がなくならない限り、またすぐぶり返すのが特徴らしい。
「では腫瘍はどうでしょうか。アヴァロンの魔女の魔導書には腫瘍についていくつか記載があります。体の外部にはみ出したものは切除せよと、体の内部で弾力性のあるものは取り除けと、そして、弾力性の無いものには魔力を流し続けて消滅させよとあります。弾力性の有無については境界線がはっきりしたものは弾力性があるものとします。無いものについては境界線が曖昧で、これはとても質が悪く死の危険性もあるものです」
――アヴァロンの魔女の魔導書!
いよいよご先祖様に近付いてきた事を感じ、エルヴィラは逸る心を押さえるのが難しく感じた。
その 授業の夜、エルヴィラは食事の席で魔導書についてルクロドに尋ねた。
「今日の授業でアヴァロンの魔女の魔導書について触れられたの。腫瘍の扱いについてなんだけど、どんな記述なの?」
ルクロドは格闘していた蟹の殻を置いて答えた。
「ああ、魔法治療の書だな。取るべきか消すべきかという話なんだけど、腫瘍には古来から温熱療法が効くと言われているんだが」
「古来から?」
「ああ。もう二千年以上前からだ。それを魔法で再現するのが『消す』方法なんだ」
腫瘍の治療にそんなに歴史があることに驚いた。
「二千年前なんて凄いのね」
「古代の医学書に記載があるからな。医学の父とも言われる人は『熱を高めればあらゆる病気が治る』と記述を残してるぐらいだし、旧帝国人が風呂好きなのも関係してるのかもしれないな」
ルクロドは冗談めかして言った。
「アヴァロンの魔女も腫瘍は熱に弱いことを知っていたようだ。魔力を流すと身体が温かくなるだろ?」
「ええそうね」
確かに、魔力を体内で循環させると熱が上がる気がする。
「それを応用して患部の熱を集中的に上げるんだ。患者に無理のない範囲だったらゆっくり十日程繰り返せば腫瘍は消えていく。急ぎの場合は直ぐに焼き切るが、それだと患者に痛みがあるし、後遺症も残る」
「時間を掛ければ、痛みはないのね?」
「ああ。境界線がはっきりしているものは取り除けば良いだけだが、境界線がはっきりしない場合は正常な部位と混ざり合ってるから無理に取ると酷く痛むし血も出るからな」
なるほどと思った。早くゲール語を習得しなければならない。今のエルヴィラではまだチンプンカンプンなのだ。
「まあ、ゲール語のテストで優が取れるようになったら、魔導書の写しをプレゼントしよう」
「本当に!?私頑張るわ!」
思い掛けないルクロドの提案にエルヴィラは笑顔になった。
十二月も半ばを過ぎ、冬至の祭りが始まった。
十二月十三日の聖ルチア祭は同じだが、王国の冬至祭りと違って、こちらではユール祭と呼ばれる。
各家で樺の木の薪が焚かれ、ユールブレッドなどの保存食を食べる。街は市が出て賑やかになり、冬至の日にユールが終わると、今度はホグマネイと呼ばれる大晦日の祭りに向けて準備が始まる。
王国では冬至祭りで王侯貴族が臣民に料理を振る舞い酒を注ぐ。
ユール祭ではそのようなものはないようで、大公の城で大規模な宴会があるぐらいらしい。
今年はエルヴィラはルクロドと共に城の宴に招待されており、参加予定だ。ユーサーはもちろん、テオフラストも来ると聞いており楽しみにしていた。
「ねえ、おかしい所は無いかしら?」
「エルヴィラ、もう三度目ニャ。綺麗だから安心するニャ」
久しぶりにドレスらしいドレスを着たせいで落ち着かない。髪も綺麗に結い、化粧も綺麗に施して貰ったが、不安でしょうがなかった。
「全く、テオもユーサーも大絶賛すること請け合いニャ。それとも他に気になる人でもいるかニャ?」
「そんな人いるわけ無いじゃない!」
「じゃあ、もう気にせず下に行こうニャ。ルクロド様が待ちくたびれてるニャ」
エルヴィラはつれないマヘスに少なからず不満を感じたが、全般的にマヘスが正しい事はわかっていた。
扉を開けてダイニングで待つルクロドにドレスをお披露目すると、「綺麗だ」と褒められやっと安心できた。
「さあ、行こうお姫様」
ルクロドが杖を振り、瞬きする間に城に着く。
「エルヴィラ!」
水色の髪と茶色の髪が笑顔で手を差し伸べ、エルヴィラも両の手を伸ばした。
「とても綺麗だ」
「見違えたよ」
口々に褒めそやされ、不安を感じていたことなど完全に消し飛んでしまう。
キラキラとした光の中で美味しいものを食べて、踊り、おしゃべりをしてエルヴィラ達は心からユール祭を楽しんだ。
※上記医療知識はあくまでファンタジーということでツッコミは無しでお願いいたしますm(_ _)m
さて今回色々人名が出てきましたが、厳密に実在のモデルがいるのは実は一人です。誰でしょう?




