1.魔法使いの学園
八月、誕生日が来てエルヴィラは十三歳になった。その前後は再びイニリ・ニシのインで過ごしていたが、当日だけは屋敷に戻り、親しい人を呼んでこじんまりとした誕生日パーティが開かれた。
いつも通り、伯父や従兄からもプレゼントが届き、とても楽しい一日となった。
そして、いよいよ来週から学園に入学となった日に、ルクロドからローブが贈られた。
学者が着るようなその漆黒のローブは学園の制服という意味もあるようで、エルヴィラはいよいよ始まる学びに、不安になったり、楽しみになったり忙しかった。そしてそれは、いつもの三人のお茶会でネタになった。
「昨日、ローブをルクロドから貰ったの、袖を通すと『ああ、いよいよ学園に行けるんだ』って、ワクワクしたのだけど、途端に不安になってポロポロ泣いてしまったの。私どうしよう!ちゃんとやっていけるかしら?」
「ああ、だから先生の顔が今朝暗かったのか。大丈夫だよ、エルヴィラ。学園の新入生で君ほどできる子はほとんどいないから。自信を持って!」
苦笑いしたテオフラストがエルヴィラの頭をポンポンと撫ぜた。エルヴィラはこうされると温かい気持ちが込み上げてくる気がして、テオフラストについ甘えてしまっていたが、学園に入るならもう弱音は吐けないと勝手に思い込んでもいた。
だからこそ、「不安」になったのかもしれないとも思う。十三歳は成人こそしていないが、もう働きに出ることも一般的な歳だ。貴族女性でも低位であれば働きに出ることもあるし、高位なら嫁ぎに出る者が一気に増える歳でもある。
エルヴィラ自身も先日十三歳になり、もう子供のようではいられないと自覚があった。それでも学園に入るまではまだ猶予期間だと感じていたが、それがいよいよ終わりが近付いた。
「ねえ、エルヴィラ。不安な気持ちはよく分かるよ。だから、泣きたくなったら無理せず泣けばいいよ。この国では王国のように『貴族らしく』なんて誰も言わない。心のままの君を君自身が受け入れるだけで良いんだ」
ユーサーもいつもの軽い口調ではなく、穏やかにエルヴィラに語りかけた。
「心のままに?」
「そうだよ。君の心は自由なんだ。心が感じたことを素直に認めてあげれば良い。こんなこと考えちゃ駄目だなんて思う必要はない。悲しい気持ちも、嬉しい気持ちも、不安な気持ちも全部僕らの愛しい『エルヴィラ』だ。それを忘れないで」
ユーサーもエルヴィラの頭を撫ぜる。「愛しい」なんて言われて鼓動が早くなる程度にエルヴィラも二人のことを意識し始めていた。
「……心のままになんて言われたら、私きっと嫌なことばかり考えてしまうわ」
エルヴィラは俯いて去年までの日記を思い出した。この一年は随分楽しく過ごし、エルヴィラ自身もかなり前向きになったが、元来妬み深い、陰湿な性格だったのだ。嫌な自分を意識し始めた男性たちに見せるのは躊躇われる。
「まず、君の心が本当に何を望んでいるのか聞いてあげたら良いよ」
テオフラストが言った。
「何を望んでいるか?」
「そう。何故不安になったんだと思う?」
エルヴィラは考えた。
「えっと、上手くやれるかどうか分からなくなったから?」
「そうか。じゃあ、何故上手くやらないとと思ったのかな?」
それは予想外の質問だった。誰しも上手くやりたいものじゃないのか?でも誰に対して上手くやりたい?褒められたい?誰に?
――あら私は何故「上手くやらないと」と思ったのかしら?
学園は学ぶ所のはずだ。発表会の場ではない。もちろん、課題に対して発表することもあるだろうが、それさえも学びなのだ。誰でも上手くやれないから学ぶのではないのか?上手くやれるなら学ぶ必要はない。
どこかの国の職人制度のような資格制でもない。ただ純粋に智を得る場所が公国の学園だとルクロドから聞いている。
「……なんだか不安に思ってたのが馬鹿馬鹿しくなって来たわ」
エルヴィラがそう口に出すと、ユーサーとテオフラストが吹き出した。
「それでこそエルヴィラだ!」
「百面相可愛い……」
「えっ百面相!?」
エルヴィラは咄嗟に両手で頬を押さえた。
「気付いてなかっただろうけど、考えてる間、表情がコロコロ変わってたよ。眉根を寄せたかと思えば、キョトンとしたり、納得するように頷いたり、ああちょっと涙が出る」
笑いを無理矢理抑え込んだようでテオフラストが目尻を拭った。
そんなに笑わなくてもとエルヴィラは口を尖らせた。
「ああ、怒らないで!君が素敵だって言いたいだけなんだ。僕たちの前ではずっとそうしていて。『心のままに』ね」
テオフラストがまたエルヴィラの頭を撫ぜたので、エルヴィラはほんの少し機嫌を治した。
そんな会話のお陰かエルヴィラの気持ちは入学式にはすっかり落ち着き、学園長であるアイザック・バロー教授の講話も心穏やかに聴くことができた。
バロー教授は元はアングル国の高名な数学者で聖職者でもあったが、数年前に公国に移住してきたそうだ。
大陸では聖職者主導で学問の弾圧も度々ある。それに魔女狩りなども行われていると聞くので、聖職者がこの魔法使いの学園の学園長になっていることにエルヴィラは不思議に思った。
魔法使いと魔女は異なるというのが聖職者側の主張らしいが、「魔女」を先祖に持つエルヴィラは複雑な気持ちになってしまう。
エルヴィラは、医学と魔導学を選択した。最初に基礎学力テストがあり、それにクリアしなければ、必修が増えるのだが、エルヴィラはテオフラストとユーサーのお陰で、オーム文字の初級クラスと数学は受講を免れた。
同級生は「十三歳以上の男女」であり、老若男女入り混じっていた。聞けば他国からの留学生や魔女狩りを免れるために移住してきた者などそれぞれに理由があった。
そして初めて人間の女性の「友達」ができた。
マリー・ヴォワザンはフランク王国からの移住者だった。母親が毒薬の実験、媚薬や堕胎剤の製造に長けており、魔女狩りの対象になりかねなかったところを、事件を起こす前に保護され、家族で公国に移住することになったという。
両親は学園の薬物研究所の製造部門に勤めており、マリーも薬学を学ぶために学園に入学した。歳は二十二で、数年前に移住していたが、基礎学力が足りず今年入学になったのだ。
マリーは医学の中でも薬学のみの聴講生であり研究生だったが、それでも初めて女性の友達ができたことはエルヴィラにとって大事件だった。
「ルクロド様には大恩があるの。正直うちの両親は善人ではなかったけど、取り返しがつかないことになる前に、諭して公国に連れて来てくれたのよ。あのままフランクにいたら火炙りだったと思うわ」
マリーは笑顔でそう言った。
「そうなのね。でも嬉しいわ。女性は歳の離れた同級生が多いから、お姉さんみたいなマリーがいてくれて心強いわ」
「私こそよ!女は魔力持ちでも基礎学力が足りなくて、なかなか入学が難しいのよね。ペンドラゴンの貴族は学園に入らずに家庭教師を雇うでしょ?エルヴィラがいてくれて嬉しいわ」
学園では帝国語の読み書きが必須で、数学もかけ算ぐらいは理解していないと入れない。違う学年に公国の魔法使いや錬金術師の娘がいたが、最近増えた他国からの魔女狩りを避けた移民の女性の入学者は、もともと文盲が多く、働きながら予備校のようなところに通うので入学が遅くなるらしい。人によっては出産、育児を終えてから入学してくるので更に遅くなる。
二人は学園の食堂でお茶を飲みながら自己紹介を兼ねてお互いの身の上を語り合っていた。
出会って間もないのに昔からの友人のように会話が弾んだ。
「……それに私、エルヴィラのことを以前から聞いてたから知り合えてよかったわ」
マリーは悪戯そうに笑った。
「聞いてた?ルクロドから?」
「いいえ。魔道具工房のひょろ長い男がいるでしょ?彼、実は私のいい人なの!」
「えっ、まさかマシューさん!?」
「正解!!」
まさかマシューの恋人がマリーだとは驚きだった。でも愛嬌のあるマリーと穏やかなマシューはよく似合う気もした。
「結婚はしないの?」
「私が薬草師として一人前になれたらかな。忙しいのに勉強を見てくれていたのも彼なの。とても応援してくれているから期待に応えたいわ」
はにかみながらそう言ったマリーは、とても穏やかで幸せそうな顔で、エルヴィラも心から応援したいと思った。
講義はついて行くのは簡単ではなかった。
魔導学については魔法と魔法陣、魔石の用法、占術などの実技に加えて、魔導史学などの座学もあった。
医学については薬学、医術、魔法治療の三つであり、魔導学も医学も全講義を受講する必要はないのだが、エルヴィラは初年度はできるだけ幅広く受講し、将来的に魔法治療と薬学に絞っていきたいと考えていた。
教師たちも疑問をぶつけると丁寧に答えてくれたが、やはりルクロドのフォローは大きかったし、学園でほぼ毎日ユーサーやテオフラストとも会えることが嬉しく、エルヴィラの学園生活は想像以上に充実し楽しいものになって行った。
お読みいただきありがとうございます。
いよいよ第二章突入です!
さて、誰が実在の人物かわかりましたか?
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