19.魔法使いの国の冬
死者の日が過ぎると本格的に冬が到来する。
公国の首都カレドニアは王都よりも随分北にあるためか寒い日が続き、エルヴィラは以前買ったアラン編みの上着を重宝するようになった。
温室は暖かいので脱ぎ着しやすいこの上着があるとどこでも快適に過ごせた。
雪は降らないが曇天が多く、日照時間は極端に減ってしまう。
そんな中でも温室の中は魔石のお陰でいつも明るく快適だった。
最近のエルヴィラはゲール語とオーム文字を学び始めていた。
教師はユーサーだ。
毎週水曜日のお茶の時間にユーサーがゲール語を披露してくれるのでそれを耳で覚えるのと、オーム文字の綴り方や単語の意味を調べてノートに綴るのだ。これもユーサーが添削してくれる。
直線の組み合わせで形作られるオーム文字は覚えるのも書くのも難しくはないが、判読というと骨が折れた。
それ以上にゲール語はとても難しかった。お隣のアイルでは今も共通語として成り立っていると言うが最初はチンプンカンプンで、今も自分の口で正しく発音する事は至難の技だ。
「1、2、3……」
今日はゲール語の数字の読み方のテストだった。
エルヴィラは慎重に言葉を続ける。
「8、9、10!」
「おお素晴らしい!Nollaig Shona!」
「えっと グラマハグ(ありがとう)?」
「アハハ!素晴らしいね!Tá mé i ngrá leat!」
「トゥミィ……何?」
「愛してるよ。はい言ってみて」
「うーん、ツゥミゴナ?」
「惜しい!」
「ユーサー、巫山戯るのもいい加減にしてくれ。エルヴィラそんな言葉覚えなくて良いよ」
テオフラストが痺れを切らしたように言った。
心なしか眉間にシワが寄っているように見える。
「何か変な言葉だったの?」
エルヴィラは恐る恐る聞いた。
「いや、変じゃないけど……」
テオフラストの歯切れの悪い返しにユーサーが被せるように答えた。
「Tá mé i ngrá leat!あなたを愛してるって意味だよ」
ユーサーは勝ち誇ったような顔をして続けた。
「嬉しいよ!エルヴィラから愛の言葉をもらえて。Tá mé i ngrá leat!」
まさかそんな意味だと思わなかったエルヴィラは真っ赤になった。
「私そんな意味だって知らなかったわ!」
「じゃあ今度言いたくなったらいつでも言ってくれて良いよ。待ってるからね」
エルヴィラの怒りもご機嫌のユーサーには全く伝わらず、エルヴィラは溜息を吐くしかなかった。
「それにしても発音が難しいわ」
なかなか上手く発せられず、悔しそうに眉を寄せるエルヴィラの頭をテオフラストがそっと撫でた。
「大丈夫だよ。エルヴィラの発音はなかなか良いと思うよ。それにゲール語は会話ができなくても文書が読めれば良いのだから、発音を気にしなくて良いよ」
ユーサーも頷いた。
「アイルとの交流がないわけではないけど、基本的にあちらも帝国語を喋ることができるし、昔はこの国もゲール語で喋っていたけど、今は皆帝国語だ」
確かに大陸でもフランク王国やシュバイツ国も帝国語が共通語だ。東側の諸国は違う言葉も多いが。
ユーサーにゲール語を教えてもらう傍ら、テオフラストには数学を教えてもらっていた。
こちらはエルヴィラに才能があったようでスイスイと理解ができてすぐに入学に問題ないレベルにまで到達していた。
「エルヴィラは頭が良いから、きっと学園でも大丈夫だよ。分からないことがあったらいつでも聞きにおいでね。僕は卒業後も研究室に残る予定だから」
「ありがとう!頼りになるわ!」
エルヴィラはテオフラストの申し出を嬉しく思った。
「僕は卒業したら籍は学園には残らないけど、研究には参加するからその時会えるよ。エルヴィラに会えると思うと入り浸ってしまいそうだけど」
ユーサーは卒業後、公子として国の仕事に携わることが決まっていた。
その中に錬金術の研究は含まれるとのことで、籍は無くとも実質研究所長並みの権限を持つ事になる。
「ユーサーもいつでも会えそうで良かった。二人ともありがとう!私、二人が大好きよ!トゥメィグナリ!」
巫山戯て言ったつもりだったが、エルヴィラが思っていた以上にその言葉は男たち二人にとって衝撃だったようで、固まった二人が解凍するまで暫しの時間を有した。
それを見てマヘスが内心ニヤついていたことを誰も知る由はなかった。
年が明けて、エスティマ公爵家から弟が生まれたとの連絡が入った。
同時にルクロドがお祝いの手配をしておいたと報告があったが、またの日記の成就にエルヴィラは顔色を悪くした。
「大丈夫だ、エルヴィラ。未来は変わったんだ。お前が傷つくことは有り得ない。俺が守るから」
ルクロドがそっと抱きしめてくれたので、エルヴィラは心が落ち着くまでその胸に縋った。
「……ルクロド、ありがとう。私はもう大丈夫。私はもう以前とは違うわ。嫉妬に狂ったりなんかしない」
ややもして顔を上げたエルヴィラは、顔色を取り戻していたが、その指はまだ少し震えていた。
ルクロドはエルヴィラの背を優しく摩り、言った。
「不安も悲しみも俺が全て受け止める。エルヴィラはただ幸せになれば良い。差し当たって何かお望みはありませんか?お姫様」
戯けたようにそう言うルクロドの優しさにエルヴィラの指の震えが止まった。
「雪を見てみたいわ。オーロラも。旅行じゃ無くて、今」
少し我儘かと思ったが、思っていることを口にした。
「御心のままに」
ルクロドが杖を出し一振りすると二人は途端に暖かなマントに包まれた。
「さあ、行こう。緑の島辺りでよろしいかな?」
ルクロドは恭しく礼をしてエルヴィラの手を取り、転移した。
緑の島、ヴィリディスはアイルの北西にある大きな島だ。人の住う北限とも言われている。
夏でも雪が溶けない氷の島でもある。
エルヴィラが夜空を見上げるとそこには幻想的な緑のドレープが広がっていた。
「綺麗……」
「晴れていて良かった。吹雪いていたら直ぐに別の所に転移するつもりだったが」
目が慣れてくると星も見え始めた。
「雪はあるのか分からないわ」
地面は暗すぎて雪なのか土なのか判別はつかなかった。二人は宙に浮いていたので雪の感触も分からない。
「降りると雪に埋もれるか氷で滑って転ぶかしかないからお勧めできないな」
「残念。私、柔らかな雪に寝転がってみたかったわ」
「ハハハッ!ペンドラゴンは雪は殆ど降らないからなあ。俺は子供の頃何度かやったことがあるよ」
ペンドラゴンも公国も雪深くなる事は一年に一度あるかないかだ。貴族令嬢のエルヴィラは万一雪が積もっても外で寝転ぶなんて選択肢は今までなかったが、柔らかそうな雪を見るたびに寝転んでみたいと思っていた。
「どんな感じだった?」
エルヴィラが尋ねるとルクロドはそれには答えずに探るように言った。
「本当に経験してみたい?」
頷くとルクロドは杖を振り、エルヴィラの身体は宙で横向きになり、ゆっくりゆっくり雪に落ちていった。
キシキシと雪が固まっていく音が響き、ひんやりとした感触が伝わってくる。マントのお陰で想像していたほど冷たくなかった。もしかしたらルクロドの魔法のお陰かもしれない。
寝転がったせいでエルヴィラの視界はオーロラと星だけになった。
あまりに美しく雄大なその景色に、エルヴィラの目から涙が一筋溢れた。凍らなかったのでやはりルクロドが魔力で温めてくれているのだろう。
「ルクロド……ありがとう。大好きよ。トゥメィグナリ」
ルクロドは突然の言葉に目を白黒させたが、笑ってすぐ返した。
「どういたしまして、エルヴィラ。俺も大好きだよ。Tá grá agam ort !」
エルヴィラは聞き慣れない言葉にルクロドの顔を見た。
「どういう意味なの?」
「愛してるって意味さ。でもTá grá agam ort は良いけど、Tá mé i ngrá leatは男に簡単に言ってはいけないよ」
「どうして?」
「Tá mé i ngrá leatだと恋愛的に愛してるという意味になる」
「えっそうなの!?」
今度はエルヴィラが目を白黒させてしまった。既に男二人に言ってしまっている。
全くそんなつもりはなく、ただの親愛の情のつもりだったが。
「どうせユーサーだろ。全くあいつは油断も隙もない」
ルクロドは呆れながらも弟子の仕出かしのお陰で、生まれて初めての幸福を感じて笑顔になった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
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さて、第一章完結です!
如何でしたでしょうか?
エルヴィラの心の成長ぶりが伝わっていれば良いのですが……。
来週から始まる第二章は学園と恋とエルヴィラの家族の3つのテーマで構成しています。
こっそり実在の人物が出てきます。
誰が実在か全部分かった人は相当な歴史好き!
答えは先日始めたtwitterで紹介します。
私が読んだ「なろう」等のお勧め小説も呟いてますので、是非チェックししてみてください。
@Joekarasuma




