13.魔法使いと旅
「さあ、では出発しようか」
「はい」
ルクロドの言葉に従い、マリアが自動車を動かした。
この日の為にどこからか借りてきたという四人乗りの自動車は、三輪で前方に一つ、後方に三つの座席がある。
屋根は無く、景色もよく見えるし、風を感じる事も出来る。
かなりの魔力が必要だと言う事で、マリアが運転してくれているが、今回、マリアは途中滞在予定のクロックリーという町の酒を目当てに運転を引き受けたそうだ。
クロックリーにはいくつかの醸造所があり、飲み比べる事を楽しみにしているという。
十月のある週末、ルクロドとエルヴィラは遂にイニリ・ニシへの旅に出た。
転移で一瞬で行けるのだが、それでは旅らしくないと言って、ルクロドが自動車を借りてきて、マリアとマヘスも連れて行くことにした。
イニリ・ニシ迄はとても遠く、自動車を動かす魔力は人間ではとても保たないということで、ルクロドは魔神のマリアに運転を依頼することにした。
本来契約外である為、エルヴィラは心配したが、ルクロドが最初から特別報酬としてクロックリーの酒を提案したので、マリアは二つ返事で引き受けてくれた。
「マリアは本当にお酒が好きなのね」
心なしかウキウキとしているようなマリアを見て、エルヴィラはフフッと笑って言った。
「はい。こちらの世界のお酒は本当に素晴らしいです。エールもワインもアクアヴィテもどれもそれぞれの良さがあります。魔神の世界は一種類しか飲み物はないのです。多くの魔神が契約してまでも自動人形に宿る事を望むのは、ひとえにこの世界のお酒を楽しむ為だと言っても過言ではないでしょう!」
「……はあ。マヘスはお酒よりもお菓子の方がいいニャ。お酒の良さがイマイチ分からないニャ」
いつもの落ち着いた風情とは別人の様に酒について熱く語るマリアを尻目に、マヘスは酒に興味が無さそうに呆れた声でそう返した。
エルヴィラは魔神がなぜ人間の命令に従うのか常々不思議に思っていたが、謎が解けた気がした。酒にしろ、お菓子にしろ魔神の世界にはない物なのだろう。
エルヴィラはエールとワインはよく知っているし、その匂いも美味しそうだと思うが、クロックリー名物のアクアヴィテは匂いが苦手だった。蒸留酒なのでアルコール度数が高く、それ自体の匂いにもクセがあるのだ。
しかし、大人達は皆美味しそうにそれを飲む。
同じ蒸留酒でもケーキなどに使うブランデーの香りはエルヴィラも良いと思うので、アルコール度数の問題ではない。
そんな会話をしながらも、初秋の穏やかな日差しの中を自動車は軽快に走っていった。
クロックリーは山間部にあり、道はうねり、細くなっていったが、マリアの腕が良いのか自動車の性能が良いのか、終始快適だった。
途中で時々休憩を取ったが、無事に日が沈む前に町に着くことができた。
クロックリーの町は小さいながらも賑わっており、保養のために訪れた人たちだけではなく、アクアヴィテを買い付けに来た商人達も多いそうで、宿屋も高級なホテルタイプから、パブの二階にある昔ながらのものまで多種多様だ。
ルクロドはその中の食事に定評があるインを選んだ。続きで二部屋取り、早めの夕食を摂った。
「さあ、ではルクロド様!報酬をいただきとうございます」
マリアがルクロドに迫る。
「いや、エルヴィラ達を置いて行くわけにはいかんだろう。もう暗い」
「いえ、エルヴィラ様にはマヘスがついておりますので、大丈夫です!この時期は醸造所は夜中まで開いてますので、時間もたっぷりありますから、さあ参りましょう!」
結局、ルクロドはエルヴィラをマヘスに任せて、マリアと一緒に醸造所巡りに行った。
正確には、ルクロドはマリアに引きずられて行ったのだが。
マリアの気迫のこもった様子にエルヴィラはとてもではないが養父を庇い立てすることは出来ず、大人しく二人を見送った。
インには備え付けのスパ施設があるので、エルヴィラはそこでマッサージを受けることにした。
旧帝国の末裔でもあるこの国では、スパは人気の保養施設だ。
ペンドラゴンの貴族達も屋敷にスパを持つものも多く、エスティマ公爵家にもスパとマッサージ設備があったので、エルヴィラには久しぶりの馴染んだ習慣になる。
スパは予約制になっていた。一人でゆったりと楽しめる作りになっており、大きめの個室に湯船とマッサージベッドがある。
男性は街中にある広い公衆浴場を好むそうで、個室は専ら女性用だ。
服を脱いだエルヴィラがスパに入ると、自動人形がマッサージベッドに案内して香油を塗ってくれた。マヘスは湯には浸かれないので、隣にある脱衣所で待機している。
香油を全身に塗り終わったら油かき棒でマッサージが始まる。
最後に蒸しタオルで拭われ、軽くシャワーを浴びる。
薬草の浮かんだ湯船に浸かると今度は髪に香油が垂らされ、頭部にマッサージを受けながらエルヴィラは微睡み始める。
お湯を優しくかけられ、髪を洗い上げられると湯船から出て再びベッドで保湿のための香油を全身に塗られた。
柔らかなタオルで包まれた後、脱衣所に移り、浴衣を着せられ、髪を整えられた。
これで終わりではない。
今度は椅子に座り、マヘスが肩を優しく揉む間、自動人形がエルヴィラの手と足の爪を磨き上げる。
二時間が過ぎる頃やっとエルヴィラは部屋に戻れた。
「気持ち良かったわ!マヘスも入れたら良かったのに」
「マヘスが入ったら身体がふやけて、えらい事になるニャ。顔も崩れるに違いにゃいニャ!」
「ウフフ、そうね。濡れたらそのフワフワの毛並みも台無しね」
エルヴィラは笑ってマヘスが淹れてくれた冷たいハーブティーを飲んだ。
「エルヴィラがスパ好きなら、家でもやるかニャ?」
「マリアが毎週マッサージはしてくれるの。あれで十分だわ。こういうのは偶にの方が良いわね。気持ち良いけど疲れてしまうもの」
公爵邸にいた頃も三日に一度はスパを利用して全身マッサージを受けていたが、久しぶりのせいか今日は随分疲れてしまった。
「エルヴィラ、眠そうにゃ。もう眠ると良いニャ」
「そうね、明日は町を見たいし、お休みなさい」
「お休みニャ!」
ベッドに横になり瞬く間に眠りに落ちたエルヴィラをマヘスが優しく見守った。
翌朝、エルヴィラはとてもスッキリと目覚めた。
顔を洗い、服と髪を整えて食堂に向かうとルクロドが疲れた顔でコーヒーを飲んでいた。
「おはよう、エルヴィラ」
「おはようございます。ルクロド、顔色が悪いようだけど、大丈夫?」
「……ああ、大丈夫だ。少し飲み過ぎただけだ。魔神の酒に付き合うもんじゃないな……」
遠い目をしてそう言ったルクロドの顔は心なしか青ざめて見えた。昨夜は三軒の醸造所を周ったのだろうか。
「マリアは?」
「あいつはピンピンしてるよ。今は屋敷に戻っている。今日はゆっくり町を散策しよう。出発は明日の朝早くだから、あまり遅くまでは周れないが」
マヘスと三人でクロックリーの町に繰り出すことになったエルヴィラは、腕を差し出したルクロドにそっと手を添え、本当の親子のように仲睦まじく歩き出した。
実際は、まだ残るアルコールに若干ふらつくルクロドが心配で支える意味もあったのだが。
クロックリーの町はこじんまりとしており、商店などはすぐ見終わり、一番近い醸造所を見学しに行った所で昼時となった。
醸造所に備え付けのパブで昼食を摂り終わる頃にはルクロドの顔色も良くなり、エルヴィラはやっと安心できた。
「午後は町の外を見てみよう。美しい所なんだ」
「何があるの?」
「小さな湖と川と旧帝国の遺跡が少しかな。まあ大した遺跡じゃないから期待しないように」
ルクロドはニヤリと笑って見せた。
町の外に続く道を歩くと、すぐに小さな石橋が現れた。下を流れる川には滑りを帯びたような不思議な黒い艶があった。
「さあ、これが旧帝国の遺跡の一つの石橋だよ」
ルクロドが大袈裟な仕草で指し示したその橋は何の変哲も無い石橋に見えた。
「これが?」
エルヴィラは恐る恐るといった風に足を踏み入れた。
橋は頑丈でピクリともしなかった。
「千年以上ここにあるのにとてもしっかりしてるのね」
「ああ、それとあの岸辺の所に石垣が見えるだろう」
ルクロドの指差す方向を見やればその石垣は低く、
水の中迄続いていた。
「もしかして運河なのかしら?」
「ご名答!これも旧帝国の遺跡だ。我が国の水運は帝国の遺構に依るところが大きい」
ルクロドはしたり顔で頷いた。ペンドラゴン王国には旧帝国の遺構が多く残っており、現役のものも多い。
上下水道や水運は、その技術を含めて当時から脈々と受け継がれている。周辺国で水洗トイレや公衆浴場、上下水道がこの国ほど整っている所は一つもない。
「この運河が町と町の間の物流を担っている。所々に船があるだろう。今は魔石で動かすけど、昔は馬に引かせてたんだ。荷車を引くより馬は少ない力でより多い荷物を運べるんだ。恵まれたこれらの遺構含めて帝国から引き継いだもののお陰でこの国の繁栄は成り立っていると言っても過言ではないな」
ルクロドは感心したようにそう言った。
「水の色がなんだかアクアヴィテのように見えるのだけど、お酒が流れてる訳ではないの?」
エルヴィラは真面目に聞いたつもりだったがなぜかルクロドは吹き出した。
「酒が流れる川か!マリアが喜びそうだな……。いや、すまん。良い質問だ。この色はこの辺りの泥炭層から滲み出た養分の色だ。酒ではないが、飲めばとても美味い水だ。美味いアクアヴィテ作りもこの水が欠かせないんだ。多分宿やさっきのパブで出た水も同じものだ。あとでよく見てごらん」
ここに着いてからエルヴィラ達が使ったコップは全て金物だったので色に気付かなかった。確かに美味しかった気もするが、ペンドラゴン王国自体が他国に比べて水が美味しくて有名であまり違いがわからない気もした。
エルヴィラはそんな事を思ったが、「あとで味わってみるわ」と答えるにとどめた。
三人はしばらく運河沿いに歩いた。少し大きめの川に出て、今度は川の上流に向かって歩くとそこには池に近いようなこじんまりとした湖があった。
岸辺にベンチがあり、座って先ほど蒸溜所で買った砂糖菓子を食べることになった。
「うっニャー!アクアヴィテ入りの砂糖菓子美味しいにゃ!いくらでも食べられるにゃ!」
マヘスは気に入ったようで自分用に買った箱の中身をあっという間に全部食べてしまった。
確かにシャリシャリとした砂糖菓子の中からトロリと溢れるアクアヴィテはいつものように匂いも気にならずエルヴィラもとても美味しいと感じたほどだった。
帰りがけにマリアへのお土産とマヘスの報酬用の砂糖菓子を再度購入し、三人は宿に帰った。明日はいよいよ目的地だ。




