9.魔法使いの弟子達
訓練を受けた夜、エルヴィラは少し熱があった。
翌朝には熱は引いたが、その日の街への外出を禁止されてしまった。
ルクロドもあいにく大公邸に行かなくてはならないとのことで、エルヴィラは暇潰しに薬草の勉強をすることにした。聞けばマヘスは薬草に詳しいようで、教師を買って出てくれた。
ルクロドが初心者向けの薬草図鑑とノートをくれた。薬草はまず特徴と効能を覚える必要がある。似たように見えて実は違う場合も多いので、図鑑と実物を比べ、更に特徴をノートに書き出すよう課題を出された。
エルヴィラは自室のノブを回して、マヘスと温室に入った。
温室の中は前回来た時とはまた姿が変わっていた。
もしマヘスが居なかったらエルヴィラは直ぐに回れ右をしただろう。
「どれが薬草かどうかも分からないわ」
エルヴィラは弱気になった。
「植物はどんな物でも毒にも薬にもなるニャ。ただ物によって齎される効能が違うニャ。
もしかしたらまだ知られていない薬効もあるかもニャ!それを調べるのが魔導師の仕事ニャ!」
マヘスは何故か自慢気にそう言った。小さな子猫のようなマヘスがそういう風にすると、逆に可愛らしくて抱きしめて撫で回したいと思ったが、怒られそうなのでエルヴィラは思い留まった。
「そうなのね。でもこれじゃあ図鑑の何がどこにあるかも分からないわ。」
「マヘスに任せるニャ!」
マヘスは図鑑を受け取り順番に見た。
「えーと、これはない、これもない、これも、う〜ん。あっこれニャ!」
マヘスはしばらく唸った後、一つを指差した。
「これはここにあるニャ!」
奥に進むマヘスに付いて行くと大きな鉢から長い枝が沢山飛び出た見慣れない植物があった。
「ロスマリヌスというニャ。大陸の南で多くある木にゃ。この国では珍しいニャ」
図鑑を見ると、確かに枝葉が良く似ていた。
図鑑には青い可愛らしい花が載っていたが、残念ながらこの木には花は生っていなかった。
「あら、この匂い嗅いだことあるわ」
少し強い香りはどこかで嗅いだことがあった。
「精油も、葉っぱもこの国でよく使われてはいるニャ。葉っぱは料理によく使われるからエルヴィラも食べたことあるはずニャ」
エルヴィラは葉を一枚ちぎって食べてみた。
爽やかな香りと同時に苦味が広がり、直ぐに食べた事を後悔した。
エルヴィラの文字通り苦虫を噛み潰したような顔を見て慌ててマヘスが水の入ったグラスを差し出した。
エルヴィラは水を受け取るとゴクゴクと一気に飲み干した。
程よく冷えた水はとても美味しく感じられた。
「エルヴィラには苦かったニャ。確かに生で食べる人は珍しいニャが」
マヘスは眉をハの字に下げて言った。
「大丈夫よ。お水をありがとう。魚の臭み消しで使われていたものとよく似た香りだわ」
「乾燥させて細かく刻んだものはクッキーなどに入れても美味しいニャ。食べると血行が良くなるし、料理に使うときは毒消しの効果もあるニャ。乾燥したものをお茶にして飲むと、若返るとも言われてるニャ」
「そんなに素晴らしい葉っぱなのね」
エルヴィラは不思議そうにその細く、薄い緑の葉を見つめた。ルクロドに言われた通り、ノートに書き留めておく。簡単に絵を添えたところ、マヘスに上手だと褒められ、嬉しかったが同時に恥ずかしくもなった。
ーールクロドもこの絵を褒めてくれるかしら。
夜にノートを見せることになっている。どうせなら褒められたかった。
その後、次々にマヘスが図鑑に載っている植物の所に案内してくれ、あっと言う間にお昼になった。
マヘスの提案で、温室の中で食事をとることになった。エルヴィラが承知した途端に、温室の片隅に丸テーブルがセットされ、上にはフライドブレッドのカナッペが並んだ。もちろんハーブティーもある。
「マリアにロスマリヌスのブレンドティーを入れてもらったニャ」
確かに先ほど嗅いだのと同じ香りがする。口をつけると苦味はなく、仄かに甘かった。
カナッペを堪能し、寛いでいたところ、急にマヘスの様子が変わった。耳がピンと立ちヒゲがピクピク動いている。
「誰か来たニャ……。ああ、ルクロド様のお弟子さんニャ。」
「マシューさん?」
一昨日会った気の良い男を思い出す。
「別の人達にゃ。この温室の世話をしている人ニャ。通しても良いかニャ?」
「もちろんよ。私たちの方が出た方が良くはない?」
エルヴィラは残ることは我儘のような気がして不安になった。
「大丈夫ニャ。危なそうなら直ぐに外に連れ出すから安心するニャ !」
マヘスがそう言った瞬間、温室の扉が開いたようで、人声が聞こえてきた。
若い男性の二人組のようだ。
マヘスが茂みの向こうに出て二人を迎えた。
「いらっしゃいませ。自動人形のマヘスにございます。奥にルクロド様のお嬢様がおられますので、奥へのお立ち入りはご遠慮いただけますでしょうか」
「あれ、初めて見る自動人形だな。先生のお嬢様がいらっしゃるなら是非挨拶したいけど、駄目かな?御主人様に聞いてみてくれない?こちらはユーサー・マクマーリンとテオフラスト・ホーエンハイムだ」
エルヴィラは微かに聞こえてくる会話に耳を傾けた。マクマーリンとはこの国の大公家の姓では無いのか?それにホーエンハイムの名も公爵家で家庭教師から聞いた覚えがある。
マヘスがエルヴィラの所に戻って来た。
「ユーサー・マクマーリン様とテオフラスト・ホーエンハイム様がいらっしゃいましたニャ。お二人ともルクロド様のお弟子さんですニャ。お会いになりますかニャ?」
「会うわ。私、変なところない?」
エルヴィラは声を抑えて急いで姿を確かめた。今日は先日買った膝丈のワンピースにロングブーツだった。髪は今朝、マヘスがハーフアップに整えてくれていた。
「お美しいですニャ!ではお客様をご案内しますにゃ」
マヘスは一礼して、茂みの向こうに戻り、二人を連れて来た。珍しい水色の髪に、同じ様な澄んだ水色の瞳の男性と、彼より少し背が高くて茶色の髪と瞳を持った男性だった。二人ともまだ少年と言って良い様な年齢に見えた。
エルヴィラは二人の前に立った。
「お初お目にかかります。ルクロドが養女、エルヴィラにございます」
「はじめまして、ユーサー・マクマーリンと申します。美しいお嬢さん」
そう言って、水色の髪の男性が片膝をついてエルヴィラの手にそっと口付けた。
物語の騎士の様なその仕草にエルヴィラの胸は早鐘を打ったが、表に出さない様に努めた。
「はじめまして。テオフラスト・ホーエンハイムです」
テオフラストは慣れていないようでぎこちなく膝をつき、そっと手を取り口付けするフリをした。薄い眉毛が困った様にハの字になっているのを見て、エルヴィラの心も落ち着きを取り戻した。
「エルヴィラ嬢、僕たちはルクロド先生の弟子で、ここと錬金術室への出入りを許されています。どうかお見知り置きください」
「こちらこそ。錬金術室には入りませんが、ここにはこれから度々入ると思います。お邪魔になる様なら、仰ってください」
そんな挨拶を交わしていると、いつのまにか椅子が増えて、テーブルにはお茶とお菓子が並んでいた。
「お茶のご用意をいたしましたので、皆様どうぞお掛けになってお話しされてはいかがでしょうか」
マヘスがよそ行きの話し方で声を掛けた。
エルヴィラはマヘスの語尾がいつもと違うことが可笑しくて、笑いをかみ殺すのに苦労した。
「ありがとう、マヘス。ではお二人ともこちらへどうぞ」
「では、せっかくだからいただこうか、テオ」
「ああ」
三人が席に着くと、ユーサーがすぐにノートに気付いた。ページを開いたままだったので、エルヴィラの描いた絵も見られてしまった。
「これ、君が描いたのかい?上手だね」
ユーサーが絵を指差して言った。
「本当だ。よく特徴を掴んでいるね」
テオフラストも頷いた。
「あら、恥ずかしいわ!あまり見ないでくださいまし」
「ごめん、ごめん。エルヴィラ嬢は薬草に興味があるの?」
ユーサーの口調は随分気安くなっていた。エルヴィラの予想通りなら公子様なので失礼があってはならない。釣られないようにしなくてはとエルヴィラは気を引き締めた。
「ええ、学園に入ったら医術を学びたいと思っております」
「そっか。ところでもっと気楽に喋ってくれて良いよ。呼び名もユーサーで」
「僕もテオで結構だよ。ユーサーは公子だけど僕は大した身分じゃないし、逆に失礼かもしれないけど……」
「そんなことありません!テオ様の家名は、あの偉大なるパラケルススに連なる方ということでしょう?」
ホーエンハイムは大陸にあるシュバイツ国の偉大な学者、パラケルススの家名だ。確か本人は帝国から貴族位も得ていたはずだ。
「そうだよ。彼はパラケルススの末裔だ。でも君もアヴァロンの女神の末裔だろ。僕もマーリンの末裔だし、末裔同士仲良くしようじゃないか!」
ユーサーが優雅にお茶を飲みながらそう言った。
「ああこれはロスマリヌスの香りが良いね。マリアかな」
「そうでございます。マリアが淹れました」
「ふふ、可愛い仔猫がしっかり喋るとこれはこれで可愛らしいね。撫でて良いかい?」
言い終わる前にユーサーがマヘスを撫で回し始め、マヘスがニャーと弱々しく鳴いた。
自動人形が撫でられて気持ち良いのか分からないが、嫌がってはいなさそうなのでエルヴィラは見守ることにした。
「僕はパラケルススの家系だけど貴族じゃないし……。まあ、この国では身分は関係ないから、ユーサーにも気安くさせてもらってるんだ。僕たちは今学園の三年生だからこれから仲良くしてもらえるかな?」
「私も来年入学予定なんです。こちらこそどうぞよろしくお願いします!」
エルヴィラは顔を輝かせた。三つ上なら同年代の範疇だろう。マヘスに続いて思いがけず友達ができて嬉しかった。
その様子を見てテオフラストも嬉しそうに微笑んだ。優しく、柔らかな微笑みにエルヴィラは和んだ。ペンドラゴンの男性に比べて優しげな顔立ちなのはシュバイツ人の特徴だろう。
「じゃあお互い敬語や敬称は禁止だからね。この国にそんな堅苦しいのは似合わない」
マヘスを撫でながらユーサーが宣言した。
ついに三角関係開始
でもシリアスにはなりません
あくまでほのぼの




