03
「ゾーイ」
夕食後、休むようにと早々に部屋に戻されたので仕方なく本を読んでいると兄が訪ねてきた。
私が机に向かっているのを見て眉をひそめる。
「休むようにと言ったはずだが」
「ですから休んでいますわ」
「読書は休みに入らないだろう」
ひょいと手元の本を取り上げられて思わず口を尖らせる。
そんな私の顔を見ると、兄はくすりと笑った。
「…何ですの」
「いや…ゾーイのそんな顔久しぶりに見たと思って」
そんな顔?
首を傾げるとますます笑みを深める。
「幼い頃、勉強の時間だからと絵本を取り上げられるとそうやって頬を膨らませていただろう」
「…そうだったかしら」
「熱を出してから変わってしまったかと心配していたが、大丈夫そうだな」
内心ぎくりとした。
「…変わったとは…?」
「一度も殿下の事を口にしていないだろう」
兄は言った。
「前は事あるごとに殿下殿下と言っていたのに」
私は無言で視線を滑らせた。
視線を移した先には大きな花瓶と、そこに活けられた鮮やかな花々が飾られている。
殿下からお見舞いにと贈られたものだ。
アルバート殿下からは一日置きにお見舞いの手紙と贈り物が届く。
お見舞いに行くとも言ってくれているのだが…弱った姿を見せたくないとお断りしていた。
「学園での殿下の様子を聞こうともしない」
兄の鋭い、探るような視線を感じる。
「…聞きたくありませんもの」
その視線につられるように、思わず言葉が漏れてしまった。
私がいない間に、きっとヒロインは殿下との距離を詰めているのだろう。
そんな事考えたくもない。
それに…
「殿下はゾーイの事をとても心配しているよ」
優しい声で兄は言った。
「毎日様子を聞かれる。いつになったら学園に来られるのかと」
「…私が殿下に怒鳴られた直後に倒れたから責任を感じているのでしょう」
「ゾーイ…」
「———お兄様。私、強くなろうと思いますの」
花を見つめたまま私は言った。
「強く?」
「一時の感情に流されないように、自分を見失わないように…心も身体も強くなろうと思いますの」
弱いゾーイの心と前世の私の心が入り混じり、揺れている。
負けたくない。
自分の心に。
ゾーイを破滅させたくない。
「…そうか」
ぽん、と頭に何かが乗る感触。
「無理はするな、また倒れたらかなわない」
目線だけを上げると、兄が私の顔を覗き込んできた。
その目はとても優しくて、私を心配してくれている事が伝わってくる。
「ありがとうお兄様」
そういえば…兄はヒロインの事をどう思っているのだろう。
記憶を取り戻してから彼女の行動を振り返ってみると、攻略対象全員と接触し、それぞれのイベントをこなしているようだった。
———いわゆる「逆ハー」を狙っているのだろうか。
そうだとしたら…彼女も私と同じように、転生した可能性が高い。
だってこの世界の常識で考えて、貴族令嬢が幾人もの男性と親しくするなんてありえないもの。
もしも兄がヒロインに惹かれて…それで私と疎遠になったら。
正直、殿下よりもそっちの方が耐えられないかもしれない。
そう思って思わず笑みを漏らすと兄は訝しげに眉をひそめた。
「どうした」
「いえ…私、殿下よりもお兄様の方が好きかもしれないと思って」
兄とは家族という永遠に切れない絆がある。
生まれた時…いや母のお腹の中にいた時から一緒に過ごしてきた大切な存在。
もしも兄に切り捨てられたら…死んでしまった方がましだと思うだろう。
「……それは嬉しいが、殿下には絶対言うなよ」
兄は照れたように目を細めた。