02
熱が下がったのは三日後だった。
ようやく起き上がれるようになった私は鏡の前に立っていた。
改めて見ると…美人だわ。
波打つ豊かな黒髪は腰近くまで伸び、瞳に宿る青い光はサファイアのよう。
ここ数日ろくに食べていないせいで顔はやつれてしまったけれど…それが妙に色っぽく見える。
白い肌、すらりと長い手足、細い腰。
だけど胸は…何だこのメロンは。
思わず二つのそれを持ち上げてしまう。
重い…こんなものぶら下げ続けないとならないのか。
前世はつるぺ…スレンダーだったのよね…
あまりの違いに思わず遠い目になる。
しかし…
改めて自分の手を見た。
前世でいう所の〝白魚のような〟白くてほっそりとした指、折れてしまいそうなほど華奢な手首…
「なにこの身体…これじゃあ竹刀が振れないわ」
ため息とともに思わず言葉が漏れた。
前世、私の家は剣道の道場だった。
私も幼い時から厳しい祖父に指導を受けていた。
鍛えるのは身体だけではなくて、心も。
だから陰湿な虐めを行うゲームのゾーイが自分だなんて、許せないのだ。
「せっかく記憶が戻ったのだから…鍛えたいわ」
この歳から始めるから前みたいには動けないだろうけど、自衛の技は身に付けたい。
決意すると私は拳を握りしめた。
「ゾーイ。回復して良かった」
私が家族と食卓を囲めるようになったのは、倒れてから十日後だった。
いつも忙しい宰相の父は、今日は回復祝いだからと夕食に間に合うよう帰ってきてくれた。
一緒に食事といっても、私の前に並べられているのは消化の良い病人食だけれど。
…どうせならお粥が食べたい。
前世を思い出したら向こうの食事が恋しくなって辛い。
「もう具合はいいのか」
「はい。もう学園にも行かれますわ」
「いや…それはまだ様子を見た方がいいな」
父はかぶりを振った。
「また倒れたら大変だろう」
「大丈夫ですわ」
「無理しちゃだめだよゾーイ」
「そうよ、もうしばらくお休みなさい」
兄や母までそんな事を言う。
倒れてから、前から私に甘かった家族がさらに過保護になってしまった。
今、剣の修行をしたいなんて言ったら絶対反対される。
こっそりと筋力作りや形稽古はやっているのだけれど、やっぱり竹刀———この世界では剣を握りたい。
でも黙って手に入れられるものでもないし。
もうしばらくしたらお願いしてみよう。
しかし、まだ学園には行かれないのか…
ヒロイン、殿下の事どこまで攻略したんだろう。
知りたいけれど知りたくない。
今まで考えないようにしていた事が頭によぎってしまった。
私の婚約者はこの国の王太子、アルバート・キングストン殿下。
金髪碧眼、優しくて爽やかな王子様でゲームのメインヒーローだ。
幼い頃から私は殿下の婚約者として定められていた。
前世の記憶が蘇るまでは、殿下第一でいつも一緒にいたくて、だから殿下に近づこうとするヒロインに苦言を呈していた。
その気持ちが高じ過ぎて、虐めなどという行為に走ってしまったのだろう。
前世の記憶を思い出し、自分自身を冷静に見られるようになった。
確かに殿下の事は幼い頃から知っていて、互いに励まし合いながら帝王学を学んできた仲だ。
そこに親愛の気持ちはきちんとある。
けれど…殿下の事を思う気持ちが「恋」かと問われれば…それは違うと今は思う。
記憶が戻る前のゾーイが殿下に固執していたのは、それしか進む道がなかったからだ。
幼い時から彼と結婚してゆくゆくは王妃になるのだと言い聞かされ、毎日そのための教育をされて。
十年以上積み上げてきたものが、突然現れた少女によって壊されてしまう。
自分から殿下を奪われたらゾーイには何も残らない。
それが怖くてなりふり構わない行為に出たのだ。
けれど今の私には、前世の記憶がある。
ゾーイとして生きてきた十七年の他に、二十数年間生きてきた知識と経験がある。
だから冷静に今の自分の立場を見つめられる。
私は宰相の娘だ。
宰相は王を支え、国を平穏に治めるのが仕事。
娘として父の仕事を邪魔してはならない。
私の役目は王太子の婚約者として淑女らしく振舞い、未来の王である殿下を支えること。
だから。
私はゲームから降りる。
己が為すべき事は、嫉妬する事ではない。