13
「…なんで…」
キャロルの瞳には明らかに怒りの色が浮かんでいた。
「なんでシナリオ通りに動かないのよ!」
「……え?」
「あんたがちゃんと動かないからイベントが起きないのよ!今日だってここでニコラス様のイベントが起きるはずなのに!」
いつもの、どこか怯えたような可憐な印象のヒロインの姿はそこになく…どちらかというと悪役令嬢という肩書きの方が似合いそうな、憎悪を隠そうともしない表情。
———ああ、やはり彼女もこの世界に転生した人間だったか。
そういえば図書館のイベントがあった。
図書館にいると悪役令嬢ロザリーが現れ、罵られた挙句本を投げつけられる。
それをニコラス様がすんでの所で止めて助けてくれるのだ。
…でもそのイベント、私は関係ないわよね。
ロザリー様も確か今日はもう帰っているはずだけれど。
「何をおっしゃっているのか分かりませんわ」
私は訝しげに眉をひそめた。
こちらまで転生者だとバレたら絶対面倒な事になる。
「あんたは今まで通り私を虐めていればいいのよ!」
「…あなたを虐めた事などございませんわ」
あれは言動を注意していただけだ。
ああもう、本当に…この人には関わりたくないのに。
私はもう乙女ゲームとは関係ないのだ。
「失礼いたしますわ」
「待ちなさいよ!」
通り過ぎようとした腕をキャロルが掴んだ。
そのあまりの強さと痛みに思わず顔をしかめる。
「…離して下さい」
それなりに筋力をつけてきたつもりだったが振り払えない。
「あんたが…あんたがちゃんと悪役令嬢の仕事しないから…」
背筋がぞくりとした。
頭の中で警告音が鳴る。
思いつめたようなこの目…これは危険だ。
「離して…」
「あんたのせいで!」
突然キャロルは私をまるで投げつけるように力任せに押した。
仰向けに倒れそうになり思わず固く目を閉ざす。
だが来ると思った衝撃はなく、代わりに背中が何か温かなものに包み込まれた。
「何をしているのですか」
冷ややかな声が頭の上から聞こえる。
「あ…」
目を開くと、キャロルが目を見開いていた。
「あ、あの…クリフォード様、これは…」
「ずいぶんと乱暴な令嬢ですね」
仰ぎ見ると氷のように冷えた薄水色の瞳がキャロルを見据えていた。
私は倒れそうになった所を背後からクリフォード様に抱きとめられたようだった。
「ゾーイ嬢、大丈夫ですか?」
打って変わって優しい瞳が私を見下ろした。
「え…ええ…ありがとうございます」
私を自力で立たせるとクリフォード様はキャロルを見た。
「何故ゾーイ嬢を突き飛ばしたのです?」
「わ、わたしそんな事してません!」
途端に瞳を潤ませ身体と声を震わせる。
突然の攻略対象の登場に、瞬時にヒロインモードに入る…この人前世は女優なの?
「ずいぶんと露骨に嘘をつくのですね」
だが渾身の演技もクリフォード様には全く効果がなかったようだ。
「嘘なんて…そんな…」
「どうした?」
騒ぎを聞きつけたのだろう、奥にいたニコラス様が姿を現した。
「クリフォード?これは一体…」
「っ!」
これ以上誤魔化せないと思ったのか、キャロルはくるりと背を向けると図書館を飛び出していった。
「おい?」
反射的に追いかけようとしたニコラス様は、けれど私を見てその足を止めた。
「ゾーイ嬢、随分と顔色が悪いが…」
「…大丈夫ですわ」
ほう、と私は息を吐いた。
「驚いただけですの…」
「何があった」
「キャロル・アシュビーがゾーイ嬢を突き飛ばしたんです」
「は?」
クリフォード様の言葉を聞いてニコラス様の顔が険しくなった。
「何でそんな事を?」
「…分かりませんわ…苛立った様子で意味の分からない事をおっしゃって…」
私はゆるゆると頭を振った。
実際はあの言葉の意味する事は分かるけれど…だからって腕を掴まれたり突き飛ばされるのは理解できない。
「苛立っていた?」
ニコラス様は眉をひそめた。
「女の子の日ってやつか?」
———おい。
ロザリー様が聞いたらきっと叱り飛ばされるであろう言葉を言ってのけるニコラス様に呆れてしまう。
「ニコラス」
言葉の出ない私の隣でクリフォード様がにっこりと笑った。
「それはセクハラですよ。ねえゾーイ嬢」
「ええ…」
本当に。って。
…あれ?
「セクハラ?」
「女性に対して失礼な発言という事です」
首を傾げたニコラス様にクリフォード様は笑みを浮かべたまま答えた。
「では私は今の件を学園に報告してきます。ニコラス、ゾーイ嬢を送っていただけますか。まだキャロル・アシュビーがその辺にいるかもしれませんので」
「ああ」
ニコラス様の顔が引き締まった。
「ゾーイ嬢、お気をつけて」
「…ええ…ありがとう…」
去っていくクリフォード様の背中を私は見つめた。
さっき…『セクハラ』って言ったよね…。
そんな言葉、この世界にはないはずなのに。




