10
「お兄様!殿下に何を吹き込んだのですか!」
家に帰ると私は兄を問い詰めた。
「お前が言った事をそのまま伝えただけだ」
「それもどうかと思いますけど!それよりもどうして私が殿下を見捨てる事になるんです?!」
「そう受け止められても仕方ないだろう」
「どうしてですの?!」
「今までゾーイは殿下が最優先で、全面的に殿下の事を信頼していただろう。それがあんな事があった後に自分の話を聞きたくないなどと言われれば、殿下からすれば自分が見放されたと思うだろうな」
静かな口調で兄は言った。
「私が殿下を見放すなんて…そんな事あるはずないではありませんか」
むしろ見放されるのは…こちらの方なのに。
「殿下はそうは思っていないという事だよ」
兄はふっと笑みを漏らした。
「まあ、殿下も今までゾーイが隣にいるのが当然だと思っていたのが、実は当たり前じゃなかったと気づいたんだよ」
「…どういう事ですの?」
「ゾーイだけじゃなくて殿下も強くならないといけないって事だよ」
首を傾げる私に、兄はそれ以上は答えてくれなかった。
「身体はもう大丈夫なの?ゾーイ」
「はい。ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」
にこやかに出迎えてくれた王妃様に私はドレスの裾をつまんで挨拶をした。
「長期間お休みしてしまい申し訳ございません」
「いいのよ、ゾーイは頑張りすぎなのだから。これからはあまりあなたの負担にならないよう予定を組むわ」
「いえ…そのようなお気遣いは不要です」
「駄目よ、今度倒れたら宰相がこの婚約はなしにするって言い出しそうだもの」
「…分かりました…ありがとうございます」
確かにあの父なら言い出しかねない。
ありがたく提案を受け入れさせて頂くことにした。
いつも厳しくお妃教育を指導する王妃様が今日はとても優しい。
———どうやら私が倒れた事は王宮でも問題になってしまったらしい。
多分倒れた事とお妃教育は関係ないとは思うのだけれど、まさか前世の記憶を思い出したせいですとは言えず…。
それに正直な所、お妃教育で疲れが溜まっていないとは言えない部分もあるので、減らしてくれるというのならありがたい。
でも殿下は公務もあるし、私よりももっと大変なのよね…。
だから甘えた事は言ってはいけないとも思うのだけれど。
今日は久しぶりという事で座学はなく王妃様とのお茶会だ。
お茶会とは言っても国内外の情勢などについての話を聞き、それに対しての意見を聞かれるので気は抜けない。
「アルバートがごめんなさいね」
今年の作物の生育状況についての話が途切れた所で王妃様が言った。
「あなたに酷いことを言ったのでしょう」
「いいえっそのような事はございません」
慌てて首を振る。
あれは私が何度もキャロルに態度やマナーについて言うものだから、殿下が見かねて口を出したのだ。
確かに殿下にしては珍しく声を荒らげていたけれど…。
倒れる直前の事を思い出すと胸が痛くなる。
「———あの子、世間では優しいと言われているし怒った事などなかったでしょう」
王妃様はため息をついた。
「そんなあの子があなたに声を荒らげるなんて…驚いたわ。あなたもびっくりしたのでしょう」
「え…あ…」
そうか…私、ショックだったんだ。
殿下はいつでも優しかった。
それがあの時…初めて声を荒らげられたんだ。
あの瞬間、殿下に今まで私がやってきた事を全て否定されたような気がして———
そして殿下に見捨てられる未来を、ゲームの結末を思い出して。
世界が終わったかのような絶望感を感じたんだ。
ぽろ、と涙がこぼれた。
「まあ。ごめんなさいね、思い出させてしまったのね」
王妃様が慌ててハンカチを差し出してくれる。
「いえ…っすみませ…」
かぶりを振って涙を止めようとしたけれど…一度流れ始めた涙は止まることなく溢れ出してしまう。
ダメなのに。
私は強くならないとダメなのに。
弱さで身を滅ぼしてしまうゾーイは…もういないはずなのに。
「ゾーイ…?」
涙を拭っていると、今一番姿を見られたくない人…殿下の声が聞こえた。
慌てる内にすぐ側に人の気配と肩を抱く手の感触。
「母上、これは…」
「…辛い事を思い出させてしまったの」
「辛い事?」
「あなたに声を荒らげられた事がとてもショックだったみたい」
殿下が息を呑んだ気配が伝わった。
「ゾーイ…ゾーイ。すまない」
ぎゅっと抱きしめられる。
「———本当にすまなかった」
殿下の腕の中で私は涙が止まらなかった。




