入籍の日
3月30日は大安だ。
この日は源一郎と康子の婚姻届を提出し、このみも源一郎と養子縁組を結び、正式に家族としてスタートする事になる。
『お母さま、お姉さま、おはようございます。』
『このみさん、おはようございます。』
春休みなのでゆっくり満開になった庭の桜を眺めながら朝食を摂る。
『今日は何時にお出掛けするのですか?』
『お父さまの時間に合わせますのでお昼前に出掛けますわよ。』
源一郎は市会議員であるから市役所で待つ形である。
朝食を済ますと、頼子から声を掛けられた。
『お嬢さま、今日はこのワンピースをお召し下さい。』
この日のために作られた桜の花を連想させるピンクのワンピースが用意され、このみは袖を通す。
『麗お嬢さまも同じワンピースですよ。』
麗とお揃いの服で改めて姉妹になった事を強調するのだ。
『麗お嬢さまのお部屋に参ります。お仕度が終わりましたら広間にお越し下さい。』
頼子は淡々としている様に見えて、嬉しそうな気がする。
このみが源一郎の娘になる事を一番喜んでいるのは頼子なのかもしれない。
メイドの頃はこのみに厳しく接していたが、頼子にとっては自分の娘の様に思っていた。
このみは姿見に自分のワンピース姿を写しポーズを取ってみる。
(うん、可愛い。)
このみが広間に降りると、育三郎と幸代が待っていた。
『おじいさま、おばあさま。おはようございます。』
『おはよう、このみ。可愛いワンピースね。』
幸代から言われ、少し照れる。
『上田の苗字でなくなるのはちと淋しいが、康子とこのみが幸せになるのなら仕方ない。』
育三郎はそう言うが、康子は最初駆け落ちをして勝手に苗字を変え、いつの間に元の苗字になった訳なのでさほどの淋しさはかんじていない。
麗も準備が終わり、このみたちの前に現れた。
『お揃いだな。二人ともよく似合っている。』
『おじいさま、ありがとうございます。』
康子と麗とこのみは上西が運転する車に乗り、市役所に向かった。
市役所までは車で10分ほどで到着する。
障害者用の駐車スペースに車を停めリフトで麗を下ろし、3人まで1階の市民課に行く。
市役所の庁舎は新しく建て替えられたばかりで、バリアフリーになっている部分も後付けではないのでスムーズに通る事が出来た。
受付の前で待っていると、ほどなく源一郎がエレベーターで下りて来る。
『書類は持って来たか?』
『はい。』
このみの戸籍上の名前は仁科康太だ。
親権は康子だが康太の戸籍上は離婚した遼太の子となっているため源一郎と康子の婚姻届を提出する他にこのみが源一郎と養子縁組をする必要がある。
ただし、これで完全に遼太との縁が切れる訳ではなく、養育費の義務は残っている。
遼太は離婚をする際康太と定期的に会う条件を示したが、会えなくなった事を理由に養育費の支払いを拒んでいた。
本来、条件は関係なく親権を持つ元妻が再婚しても元夫の養育費の支払い義務は残るが、逆に将来遼太が負債を持った場合このみが支払う義務が生じてしまう。
源一郎は康子を働かせないで入籍し、このみの養育権を完全に握る事で調停で遼太との縁を完全に切るつもりなのだ。
『このみはなんの心配もいらない。全ては私に任せなさい。』
『分かりました。』
細かい事はよく分からないが、康子とこのみが不利にならない事だけは分かった。
源一郎と康子が二人で窓口に向かい、このみは麗と共に後ろで待つ。
市議会議員の源一郎が窓口に来た事で職員がみなお辞儀をし出し、後方の席で執務をしていた課長が立ち上ってお祝いの言葉を言っている様だ。
婚姻届と養子縁組届が受理されるが、まだ戸籍に反映されないのでそれぞれの受理証明書を発行してもらう。
『上西に言ってあるが帰りにパスポートを申請に行きなさい。このみは戸籍変更の届けを出さないといけないからな。』
このみは以前今井家でタイに行った時にパスポートを作っているが、戸籍が変わったのでそのまま渡航する事は出来ない。
『海外に行くのですか?』
康子もこのみも聞いてはいなかった。
『ゴールデンウィークは議会も休みになるから新婚旅行でもと思ってな。私も忙しくて決めかねていたので言えなかったのだ。』
今回は新婚旅行なので麗とこのみは行くが上西夫妻は留守番だという。
その後、源一郎より市役所内の食堂に案内され、昼食を摂る。
食券を買って、トレイを持って並ぶ方式だ。
『お父さま、毎日こちらで召し上がられるのですか?』
どのメニュ1食500円に満たない金額で、普通の市職員や一般市民も利用する食堂で毎日食べているのが麗には信じられない。
『毎日ではないが、週2回は食べている。安いが美味いぞ。リカルドはいつも2人前食べる。』
地元特産のネギを使ったメニューもあり、評判だそうだ。
このみはカレーライスを注文した。
『美味しいですね。』
ピリッとするが特別辛くもなく、濃厚である。
正式に家族となって初めて一緒に食べた食事をこのみは忘れる事はなかった。




