二話
太陽の頭だけが山の向こうにあるのだろう。
太陽が見えないが赤く染まる西の空を見る。
目の前には、山の陰になり、暗く染まる闇が広がる森がそこにはあった。
生唾を飲み、闇の奥底を凝視するが、そこに何かがあるようにも見える。見えない何かがうごめいているような。
突然、風が吹き、森がざわざわと鳴る。
「さて、行きましょうか」
「え?」
「いや、え?じゃないよ。早くとってこないと日も暮れてるし、ご飯も遅くなっちゃう」
俺の不安と恐怖をよそにスレンジャーは、何気なしにいう。
こいつに怖いって感情はないのかよ。
もちろんそんなわけないんだろうけど、躊躇なく森に入るその後姿を見ると、そう感じざる得ない。
どれくらい歩いただろうか。じっとりと額に汗がにじむ。
左手で額の汗をぬぐうと、いらいらしながら俺は言った。
「おい、まだかよスタービーの巣は!」
「あ、ばか大声出すな!もうすぐ着くわよ」
スレンジャーが声を潜めながら怒る。
そういったってもうこっちは疲れてるのに。
こんなことなら素直に家帰って自分で飯を作ればよかった。
そんな後悔していると、目の前をすたすた歩いていたスレンジャーが茂みの前で止まった。と、思ったら急にその場に座り込むと同時に、俺に座るようこっちを見ずに手で合図してきた。
「な、なんだよ、どう」
「いいから!」
言い終わる前に、俺の手を引っ張り無理やり座らせた。
「いてぇよ、なに?どうしたの?」
「あ、あれ見て」
そういって、茂みをすこしかき分けて前を指さす。
そこから見えたのは、いや聞こえたのは、とても不快な音だった。
何かがつぶされる音。
恐る恐る覗くとそこには大きな影が居た。
夜になれてきている目は、それが何かわかった。
丸太のように太い手足。
悪臭漂う醜悪な姿。
豚鼻を鳴らし、手には巨大なこん棒。
オークだ。
思わず声があがりそうになるが、懸命に抑え込んだ。
オークは知能が低いが、凶暴で、なおかつ高い戦闘力を持っていると聞いた。
時には村一つを滅ぼすほどの・・・。
その危険性ゆえ、協会の討伐リストに載り、積極的に討伐されている。
「あ、あれ、オークじゃないか・・・。」
俺の言葉に隣で頷くスレンジャー。
「・・・でも、どうしてこんなところに?それになにしてるの?」
スレンジャーの問いの答えは、すぐに分かった。
オークの足元に落ちている、大きな昆虫の羽。
その横につぶれたキラービーの死骸。
もう半分つぶれているというのに、オークは何度もその死骸を足で踏みつけている。
何度も森に響く不快な音。これはキラービーがつぶされる音だったのか・・・。
どれほど時間がたっただろうか?
俺はスレンジャーの方を向き、どうする?と言おうとした。
そう、言おうとした。
言いかけた。
スレンジャーの目が、大きく見開き、恐怖におびえる目を見て言えなかった。
その視線の先を追うと、俺とスレンジャーの目の前にオークが立っていた。
「フゴオオオオォォォォォォォオォォォオォォォオォ!!!!」
どこからか男と女の悲鳴が聞こえた。
絶望から必死の逃亡をする男女の悲鳴だ。
その悲鳴が自分とスレンジャーの物だと気づいたのは、オーク雄たけびを背に受けながら、走り出してすぐだった。
生い茂る草木が、体のあちこちを打ち据える。
だが、痛みはない。それよりも恐怖が勝っている。
後ろから木々がなぎ倒されている音が耳を。
倒れた木々が起こす地面の振動が足を。
すぐ後ろまで迫ってきている恐怖が背筋を。
震わしている。
「うわっ!」
無我夢中で走っている俺の脚に、衝撃が走る。
瞬間、体が宙へ舞った。
世界がゆっくりとひっくり返る。
舞う俺の脚を、オークのこん棒がかすめる。
ドスンと自分の体に衝撃が走り、一瞬遅れて肺から息が漏れた。
「・・・っ!」
痛みに顔をゆがめながら、体を勢いよく起こし立ち上がる。
と、俺の脚があった場所にオークのこん棒が振り落される。
こん棒が地面を抉るのと同時に俺は駆け出した。
獲物を逃がしたことに怒るオークの叫びが遠ざかっても、俺は駆けるのをやめなかった。
スレンジャーとはぐれたことに気付いたのは、大きく口を開けた洞窟の入口を見つけてからだった。
乱れる息を整え、狭まっていた視界が徐々にクリアになっていく。
「っは、っは、っは・・・はぁ~、ふぅ・・・。痛っ!」
恐怖から逃れたことによって、徐々に他の感覚が戻ってきた。
足や腕を見るとあちこちから血がにじんでいた。
ぶつけながらも走っていたのか。
痛みに悪態をつけながら、周りを改めて見回す。
「スレンジャーがいない・・・。くそっ!どこ行ったんだ?」
オークから逃げている間に、はぐれてしまった。
左右、後ろ、どこを見ても木、木、木。
そして、目の前には洞窟。
無我夢中に走ったせいで、もう村がどこの方角かわからない。
適当に森をさまようのだって危険だ。
さっきのオークもそうだが、今現状自分は遭難しているのだ。
危険なのは、魔物だけじゃなく野生の動物。食料もない。
走り回って体力もそんなに残っていない。
もうこの中に入って、助けを待つしかない。
スレンジャーもこの中にいるだろう。
・・・それが希望でしかないことは俺が一番わかっている。
もう中に入るしか俺には選択肢がないことも。
そんなことを考える俺の耳に、ある音が洞窟内から聞こえた。
どこからか川の流れる音が反響している。
ひんやりとして空気が、中を歩く俺の熱を持った体を冷やしてくれるのが心地よかった。
いくら暗闇に目が慣れたからと言って、洞窟内が見えるわけでもないし、明かりもない状態で洞窟内を歩くのは危険なのは百も承知だ。
だが、入り口で待っていたらいつオークに見つかるかわからない。
それにこの川は、もしかすると村につながっている可能性があった。
うちの村のそばに川が流れている。
それは山から流れ、森の中にある洞窟を抜け、そして村へと流れる川だと聞いた事がある。
川沿いに進めばもしかすると村に着くかもしれない。
もし泳ぐ羽目になったとしても、泳ぎは得意だ。よく川の魚を取るために泳いでいたし、川の先にある湖でもよく泳いでいたからなんとかなるだろう。
そして、洞窟の入口からも音が聞こえたってことはそんなに遠くはないはずだ。
スレンジャーがもしこの洞窟を見つけたら同じことを考えるはずだ。
あいつも俺ほどじゃないけど、泳ぐのがうまい。
そんな自分の予想に、期待を抱き、川が流れる音の的についた俺の目の前にあったのは、絶望だった。
川の音は、足元の深い穴の奥から聞こえていた。
「うそ」
思わず出た自分の声は、思っていた以上に情けなかった。
飛び込むこともできるだろうが、どれほどの深さか全くわからない。
川底もどれほどのものか。もし浅ければ自分の全身を打ち、死んでしまうかもしれない。
目の前の現実に打ちのめされ、その場に座り込む。
じんわりと水がズボンに染み込む。
冷たいな・・・。
俺は、ぼんやりとそんなことを考えていた。
もうどうしようもない状況に思わず、笑った。
このままここに座って、助けを待とうか。
どうせもう一歩も動けない。
そのまま死ぬならそれもそれで有りだ。
そうしたらお母さんと顔も知らないお父さんに会える。
それも悪くないな。
そう考える俺は、遠くから聞こえる地響きをとらえた。
オークだ。
直感的に感じた。
そして、それは洞窟に響き渡る雄たけびで確信に変わる。
だが、それと同時に悲鳴も聞こえた。
「ウオオオオオオォォォォォォ!!!」
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」
聞きなれたその声に、俺の体は弾かれるように声のもとへと走って行った。
「スレンジャー!」
そう声をかけた相手は、洞窟の入り口にへたり込んでいた。
その前には、さっきまで嫌というほど追いかけっこをしたオーク。
オークのこん棒がまさにスレンジャーの体を磨り潰そうと振り上げられていた。
考えるより先に体が動いていた。
俺はスレンジャーに飛びつき、打ち下ろされるこん棒をよける。
「立て!スレンジャー!こっちだ!」
こん棒の初撃を避けた俺は、そう言ってスレンジャーの体を抱き上げる。
だが、スレンジャーは腰を抜かしたのか、うまく力が入らず、立ち上がらない。
仕方ないと俺は、スレンジャーを肩に抱きかかえ、洞窟の奥へと走った。
オークはまた自分のこん棒が外れたのに怒り、地団駄を踏んでいたが、すぐに俺たちの後を追ってきた。
もう覚悟を決めるしかない。
急いで川の音が響く穴に着き、スレンジャーを下ろし、肩を抱き揺らした。
「おい!スレンジャー!しっかりしろ!」
暫く放心していたスレンジャーは、やっと我に帰り静かに泣いた。
「ご、ごめ、んなさい…。私、が、誘ったから…」
普段からしっかり者の姿からは想像がつかないほど、スレンジャーは泣いていた。
唇を噛み締めて励まそうと口を開いたが、洞窟の入り口の方からオークの唸り声ですぐさまスレンジャーに自分の考えを言った。
「泣くのは後だ!いいか?今からこの穴に飛び込む!中は川が流れている!どれくらい落ちる深さの穴か、川がどれくらいの深さのものかわからない!もしかすると底に体を打ち付けて死ぬかもしれない!それはここに居ても変わらない!なら、少しでも可能性のあるこの穴に落ちようと思う!いいな!?」
早口で捲したてる俺に、スレンジャーは頭を両手で抱え、横に振った。
「そんなの、無理よ!怖い!」
「大丈夫だ!」
俺はスレンジャーの手を握って続けた。
「俺を信じろ!」
暗くてスレンジャーの顔は見えなかったが、覚悟を決めたのだろう。
何も言わず俺の手を、強く握り返してきた。
俺とスレンジャーは穴の前で立ち上がった。
後ろからは今にも迫ってきているオーク。
「いくぞ?いち、に、さんで飛ぶぞ!息を吸え!いくぞ!いち、に、さん!!」
俺の合図で、2人同時に穴へと飛び込み、数秒で体は川に沈んだ。
良かった、落ちる深さは浅く、川の深さはだいぶ深いようだ。と思ったのも一瞬だった。
深さばかりに気を取られていたが、その流れはまさに激流だった。
俺とスレンジャーは、あっという間にきりもみにされ、とんでもないスピードで流されていった。