始まり
「デヴィルとおれは、ある日気が付いたら、雪がたくさん降る夜空を飛んでいた」
(ネコは悪魔のことをデヴィルって、呼ぶんだな)
ぼくは思った。
「そこは寂しい所で、離れた間隔で、家の明かりがぽつぽつ見えるだけで、あとは山や林があるばかりの土地だった。デヴィルとおれは、あてもなくただ飛んでいた。
おれたちはいつからか、人間の怖がる顔や、悲しむ顔を見るのにも飽きて、悪事をしなくなっていた。だから、たいして何もすることがなく、ぼんやりと毎日を過ごしていた。
時々は、退屈しのぎに、ちょっとしたいたずら、例えば、急に強い風を起こすとか、雨を降らせるとかして、人間が驚いたり、慌てふためく様子を見て笑うぐらいのことだった。
そんなおれたちだったけど、その日、デヴィルが一軒の家に目をとめたことが、始まりだった。デヴィルはその家に近づいた。だけど、興味があったのは、その家じゃなく、その隣りにある小さな物置小屋だった。
『なにするんだ?』
おれがきくと、
『小さな生命が消えようとしている』
って、デヴィルが言うんだ。
『それがどうした? そんなの別に珍しいことじゃないじゃないか』
おれは面倒くさくなって言った。
『看取ってやろうよ』
『えっ?看取る? 悪魔のおまえが?』
変なことを思い付くやつだよ。時々、デヴィルは気まぐれを起こして、そういうことを言うんだ。魂を盗むんじゃなくて、看取るだぜ。だけど、盗むのも看取るのも同じことだ。どうせ自分の物にするつもりなんだと思って、おれはデヴィルについて行った。
死にかけている命は小さな女の子だった。息も細くなって、心臓もすぐにでも止まりそうだった。おれはうれしくなって、久しぶりにほくほくした気持ちで、女の子が死ぬのを待っていた。
それなのに、デヴィルは、
『まだ、死なないよ』
そう言って、物置小屋から飛び出して行った。そして、戻って来たと思ったら、コップに水なんか入れて持って来るんだぜ。驚いたよ。だって、それは明らかに女の子に飲ませてやるための水なんだから。
呆気に取られているおれをよそに、デヴィルは女の子の体を起こして、水を飲ませた。デヴィルが持って来た水だ。どんなやつだって元気になるんだ。
すぐに、女の子の心臓が強く打ち始めて、呼吸が深くなるのが見えて、おれは、
『何するんだ。もう少しだったのに』
って言った。するとデヴィルは、
『いいじゃないか、たまにはな』
なんて言うんだ。まさかだよ。あのデヴィルが人を助けるなんて、信じられない。
あんな残酷で冷血だったデヴィルが、こんなことをするなんて。その極悪非道の行いで、仲間からも怖がられ、尊敬もされていたのに。デヴィルはもう、おれの知っているデヴィルではなくなったんだ。おれはがっかりして、そんなデヴィルは見たくないと思ったよ。
ちょっとしてから、女の子は目を開けて、びっくりした顔でおれたちを見ていた。
ガリガリに痩せていたけれど、美しい目をした女の子だったよ」
(ネコ、きみの目だって美しいよ)
ぼくは思った。
「デヴィルは、また小屋から飛び出すと、今度はパンなんか持って帰ってきた。そして、それを女の子に差し出した。
『ありがとう』
女の子は小さな声で言った。その時のデヴィルの顔! 泣くみたいな笑うみたいな顔をしてさ。その顔を見ておれは吹き出したよ。人間にありがとうなんて、言われたのは初めてだったから、どんな顔をしていいのかわからなかったんだな。
女の子はパンを受け取ると、パクパクとおいしそうに食べた。よっぽど腹が減っていたんだ。食べ終わると、女の子は両手を合わせて、
『ごちそうさま』
って言ってから、また、おれたちを見て、
『ありがとう』
って笑った。デヴィルはどうしたと思う? 今度はデヴィルのやつ、にこりと笑い返したんだぜ。おれはデヴィルのあんな顔は、あの時初めて見たよ。
でも、なぜか悪くないと思った。
外の雪は降り続いていた。風も強く吹いていて、小屋のすき間から雪が入って来る。女の子は腕を摩りながら、ブルブル震え出した。そりゃあ、こんなに寒い所で上着も着ないでいれば、そうなるだろう。デヴィルはそれを見ると、また、小屋を飛び出した。何をしに行ったか、おれにも察しがついたよ。
思った通り、デヴィルは毛布を抱えて、帰って来た。デヴィルは何も言わずに、女の子の体に毛布を巻き付けると、抱っこして自分の膝の上に乗せた。おれはデヴィルがなぜ、こんなことするのかわからなかった。気まぐれにしちゃあ度が過ぎる。
でも、女の子は、
『温かい』
って言ってにっこり笑った。その顔を見た時、おれもまあいいかって気持ちになった。それからおれ は、 女の子の膝の上に乗っかって丸まった。どうしてか、そうしたくなったんだ。女の子は疲れていたからすぐにクークーと眠ったよ。