黒ネコ
昨夜は妻が、午前一時をまわっても、ウイスキーをちびちびやったりして、起きていたのでベランダに出るのはやめた。
別にぼくがベランダに出ても、妻はきっと何とも思わないだろう。
でも、ぼくがベランダに出たら、ほろ酔いの妻もぼくに付いて来て、ベランダに出るかもしれない。そうなると面倒だ。
ちらりと部屋の中から向うのマンションを見てみると、あの部屋の明かりがまだついていて、悪魔の姿はどこにもなかった。
あの部屋には、どんな人が住んでいるのだろう。女の人か、男の人か、それとも家族が住んでいるのだろうか。洗濯物が干してあるのを見たことがないけれど、最近引っ越してきたのかもしれないし。
住んでいる人がわかれば、悪魔の目的も少しは想像できるかもしれないけど。
まだ、電気の消えない部屋を見て、ぼくはほっとしていた。
そして、やっと今夜だ。妻は早めの夕食を食べて、仕事に出かけた。
ぼくは何度も部屋の中から、あの部屋の明かりが、ついているか、ついていないかをチェックした。
明かりが消えたのは午前零時を過ぎた頃だった。
悪魔が来るだろう時刻には、まだ一時間ほどあったので、ぼくはそわそわと時間になるのを待っていた。
待つこと数分。悪魔は現れた。コウモリも一緒だ。悪魔は時間に結構、きっちりしているらしい。
悪魔は、前に見た時と同じように、ゆっくりと飛んで、やっぱり向いのマンションのあの手すりに座った。コウモリは前と同じにいつの間にかいなくなっていて、悪魔の隣には黒ネコが座っていた。やっぱりあのネコはコウモリが、変身した姿なののだ。
しばらくは、悪魔もネコもじっと同じところを見ていたけれど、ネコが悪魔に何か話しかけた。
悪魔は首を傾けて、ネコの話しをきいて頷いている。
少しすると、ネコはふわっとジャンプして、コウモリに姿を変えた。コウモリはくるりと向きを変えると、一直線にこちらに向かって飛んでくる。
「ええっ? 何だよ」
小さく見えたコウモリの体が一瞬にして、大きくなって目の前に見え、ぼくは、驚いてうわっと声を上げた。
「おい、おまえ」
コウモリが口をきいた? ぼくの鼻先に飛んでいる、この小さな動物が?
「何、見てんだ?」
また? でも、コウモリがしゃべるなんて、ぼくは信じられず、どこかちがう所から声がしと 辺キョ ロキョロ見回した。
「何をキョロキョロしてんだ」
コウモリは、ぼくが肘をついた手すりに近づくと、パッと黒ネコに変わり、手すりに舞い降りた。
ネコの真っ黒な毛並みは、濡れたように輝いて銀色に光っていた。小さな頭に大きめの耳。ガラス玉をはめ込んだような透き通った金色の目。長い四本の脚に細くしなやかな胴体は均等がとれていて,ピンと張ったひげや、よく動くしっぽの先までも、何もかもが美しいネコだった。
「ニャーッ!」
ネコはいきなり大きな声で鳴いた。ネコの口の中が見えて、それがやたら赤く、白い大きな四本の牙はナイフみたいに尖っていた。
「なっ、何だよ」
ぼくはうろたえて後ずさりした。
こいつも悪魔なのか。
ネコは足をきちっと揃えて、手すりに座った。そして、ぼくを睨むように見据えてから、前足で顔を洗い始めた。
顔を洗いながら、
「おまえ」
と言った。
今度はネコがしゃべった? それも男の太い声だ。こんなに美しいネコが、こんな声で話すなんて!悪魔だ、悪魔に違いない! (ネコが話すこと事態、驚くことだ。その声が変だからって、悪魔と決めるぼくも、ちょっとおかしいけれど)
「何でいつも見てんだよ」
ネコは顔を洗うのをやめて、じっとぼくを見た。
「べっ、べ、別に、たっ、たまたま外を見ていたら、あっ、あ、悪魔が空を飛んでいて、そ、それで・・・」
ぼくはしどろもどろになりながら、やっと声を出した。
「ニャーッ!」
また、ネコが大声で鳴いたので、ぼくはまたしても驚いて体をびくりと、びくつかせた。
「生かしてはおけねえ。おれたちの姿を見たものはー」
ネコは立ち上がって、獲物を襲うときみたいに体を低くして身構えた。
まさか、そんな・・・。