ネコとクッキー
次の日の朝。
子供たちを送り出し、一通りの家事を終わらせたぼくは、ミワコさんの住むマンションへ向かった。
夜勤から帰った妻は、寝室でぐっすりと眠っている。買い物に行くついでにちょっと寄ってみるだけで、べつにやましい気持ちはない、と自分に言い訳をした。
六階の、この辺だと思う部屋の、表札を見てみる。思った通りだ。「相田ミワコ」と名前があった。
「相田」という名字か。ぼくは感心しながら、ドアの前を行ったり来たりして、部屋の様子をうかがった。しかし、在宅か留守かもわからなかった。
でも、名字がわかったことに、ぼくは満足してマンションを後にした。
夕方、夕食の準備をしながら、ミワコさんの部屋の電気が何時につくか、以前よりも一段と気にかけて観察した。そのかいがあって、その日、ミワコさんの部屋の電気がつく瞬間を見ることができた。「午後五時四十五分」ぼくはメモ帳に日付と時間を記入した。
その後も観察を続けた。一週間のうち四日は、午後五時三十分~六時ぐらいに電気がついた。八時についた時もあったし、暗くなりかけた時間についた時もあった。
ミワコさんはどんな仕事をしているのだろう。帰宅時間からして、そう遠くない所に仕事場があるのかもしれない。パートタイマーだろうか。
朝に、何度かマンションにも行ってみたけれど、いつも、部屋は静かでミワコさんが部屋にいるのか、いないのかわからなかった。
ぼくは、日付と時間が書かれたメモ帳を見ながら、
(まるで、ストーカーだな)
と苦笑いをした。
相変わらず、夜中にミワコさんのベランダに来ている。悪魔とネコは、ぼくがこんなことをしているのを、知っているのだろうか。知っていたら、どんな風に思うだろう。ばかなやつだと笑っているのかもしれない。ネコなら、べつにいいさ。と言ってくれそうだけど。
明日は妻が夜勤だ。
ぼくがベランダに出ていたら、ネコはまた、ぼくの側に来てくれるだろうか。ネコにミワコさんの事をきいたら、教えてくれるかな。悪魔とネコのこともやっぱり、気になるけれど、今のぼくは、それ以上にミワコさんのことを知りたいと思っていた。
妻の夜勤の夜。
静かだけど、風がなく蒸し暑い。
例のごとく、ぼくがベランダに出ていると、悪魔とコウモリは現れた。コウモリ
は、ぼくに気付くとすぐにこちらに向かって飛んできた。
悪魔もきっとぼくに気付いたはずだけど、真っ直ぐ前をむいたまま振り向きもし
ない。わざとこっちを見ないのか、もしかしたら、ミワコさんのマンションに行って
いる、ぼくのことを怒っているのか。すごく気になる。
「よお」
コウモリがネコに変身して言った。
「こんばんは」
機嫌のよさそうなネコの声に、ぼくはほっとして言った。
ネコはぼくと話しがしたいんだ。そして、ぼくも、恋人にやっとに会えた時みたいに何か恥ずかしくて、嬉しかった。
「この間は、たくさん話しを聞かせてくれて、ありがとう」
ぼくは、そう言って笑った。
「別に、大したことじゃないさ」
あくびをしながらネコが言った。
「こんなの食べるかい?」
クッキーの入った瓶を持ち上げて、ぼくは言った。
「なんだ? それ?」
「クッキーだよ」
瓶のふたを開けながら、ぼくは言った。家族でも好評のぼくの手作りクッキー。
手のひらに乗せて、ネコの前に差し出す。
「おいしいよ。ぼくが焼いたんだ。食べてみて」
ネコはクッキーの匂いをかいでから、小さな口で一口かじって、
「まあまあだな」
と言った。
それからサクサクといい音をたてて、手のひらのクッキーを平らげた。
「もう一つくれ」
ネコが言ったので、ぼくはまた手のひらに乗せて差し出した。
「おいしいだろう?」
ぼくがきくと、
「まあまあだ。フフフッ」
ネコが笑った。手のひらに乗せた二つのクッキーも、すぐに食べてしまったので、
もっといるかときくと、もういいと言って、首を横に振った。
ネコは満足したように、舌で口の周りを舐めてから、丁寧に顔の毛づくろいをし
た。
その後、びっくりしたことが起こった。ぼくが肘をついている腕に、ネコが頭を
擦りつけて来たのだ。目を細めて、甘えた様子でのどをゴロゴロと鳴らしている。
テレビなんかでよく見る、ネコ特有の仕草だ。
ネコなど関わったことのないぼくは、ネコにこんなことをされるのは初めてで、
驚いて動けなくなった。それにこのネコは、ふつうのネコではないのだから。悪魔
の仲間で魔物なのだ。そんなネコがぼくなんかに甘えた様子を見せるなんて。
なんか変な感じだけど、かわいいい・・・・。魔物なんて思えない。今はどう見てもただのネコ。美しく、小さな甘えん坊のネコだ。




