第二怪
「空木君、今日もヴィクトリアさんのところに行くの?」
二朔高校一年四組。放課後。やっと今日の授業から解放されて荷物をまとめていたところ、笠酒寄にそんなことを訊かれた。
「ああ、一応は行ってみるよ。たぶん掃除して室長の与太話に付き合って終了だろうけどな」
つい最近、『怪』絡みで知り合って以来、彼女はなにかと僕や百怪対策室に寄り付くようになった。
あまり勧められたものじゃないとはおもうが、個人の意思は尊重したい。いざとなったらどうにかなるだろう。そんな風に考えているせいか、どうにもなめられている気がしないでもない。
「じゃあ、わたしもついて行っていい? ちょっと気になることがあって」
「気になること? なんだよ?」
「あ、わたしのことじゃないから大丈夫だよ。噂だよ、噂」
「噂、ね」
なにかしらの珍妙な噂でも仕入れたのかもしれない。
『怪』絡みならいいが、もしこれが惚れた腫れたの話だったら室長もさすがに専門外だろう。
その場合の精神的安全は保障しない。
「いいよ。どうせ断っても来るんだろ?」
「うん」
「……なんか室長が移ってきてないか?」
あんまり影響を受けないでほしい。主に僕の胃痛の種が増える意味で。
さて、噂とやらが一体どんなものなのかは知らないが、とりあえず室長に報告するのが先決だろう。
奇妙な話の裏には『怪』が潜んでいることも多い。そういったことは可及的速やかに報告するように言われているのでとっとと向かうとしよう。
「そういえば、どういう噂なんだ?」
気になったので訊いてみる。
「秘密。百怪対策室に着いたら教えるね」
にひひ、と笑いながら笠酒寄は笑う。
マジで似てきているからやめてほしい。
が、そういう思いは顔には出さずに僕はカバンを背負って昇降口に向かう。
笠酒寄もついてくる(当然だ)。
「なあ笠酒寄、調子はどうだ?」
何気ない風を装って僕は質問する。
「え? なにが?」
きょとんとしている当人は本気で気づいていないようだ。
周りに人がいないことを確かめてから僕は小声で言う。
「指輪のことだよ。ちゃんと人狼の力は制御できているのか?」
「大丈夫だよ。最近はちょっとだけ変身するとかいうこともできるようになったんだから」
笠酒寄も小声で返してくる。
しかし、ちょっとだけ変身ってなんだ? 気になる。
「あ、じゃあ後で見せてあげるね。なんかね、すごいよ。萌え萌えって感じ」
意味がわからない。
あと、その言い方だと僕が変な趣味の持ち主みたいに誤解されそうだ。肉体こそまともとはいいがたいが、僕の精神は健全な高校生男子である。
「……室長がなんて言うか楽しみだよ」
「わたしもー」
嫌味のつもりだったのだが、通じていないようだ。なかなかに強固なメンタルをしているらしい。
昇降口で靴を履き替えて百怪対策室に向かう。
放課後に男女が一緒に歩いているということはそれだけで周囲の関心を引いてしまうものなのだが、他の生徒たちは部活動やらに忙しいらしく特に囃し立てられるみたいなこともなく学校から出ることができた。
こういう平穏さというものが続いてくれないだろうか。無理だろうな。
どうも最近あきらめの境地に近いものに至っている気がする。まだ若いのに。なんということだろうか。
てくてくと歩きながらどうでもいい話をする。
「テストどうだった?」
「んー。理数系以外はどうにかなったかな」
「ふーん、理数がだめなのか。じゃあ、僕と逆だな。僕は理数系科目以外だめだな」
「大体おかしいんだよ! 因数分解とかできても将来絶対何の役にも立たないから! なに? 因数分解って? 記号の分解と展開とかどうでもいいじゃない! 学生時代が終わってから因数分解を使った回数を数えたらきっとゼロの人だっているはずだよ!」
「そりゃいるだろうけど、学問っていうのはつながりが大事だからな。数学できないと物理も化学も厳しいんじゃないのか?」
「う。たしかに。で、でも文系科目なら将来豆知識として役立つこともきっとあるはずだよ!」
「そりゃ、得意な人間はそうだろうけどさ。不得意で豆知識を披露する機会がなかった人間は因数分解使ったことない人間と同じぐらいはいるんじゃないのか?」
「ぐぐぐ……空木君って典型的な理系だね」
「いや、ちょっと考えればわかるだろ。こんなことで文系理系を分けられても困るんじゃないのか? 全国の教育関係者は」
「なんか空木君って、『所詮この世の中なんて数字と記号できてる』とか思ってない?」
「いや、流石にそれはな……」
い、と言おうとして僕は気づいた。
音がする。
しかもそう滅多に聞く音じゃない。
樹木が軋むような、倒れるような。そんな音だ。
ぎぎぎぎぎ、ぎしぎしぎしぎし、ぎぎぎぎぎ。
文字で表現するならそのようになる音が突如として聞こえてきたのだ。
右側には川。
左側は住宅地だ。
とてもこんな音が響くようなロケーションではない。
それに、明らかにこれは大木から発せられる音だ。民家の庭先に生えているような樹が発するような音ではない。
「……笠酒寄、聞こえたか?」
「……うん、聞こえた」
僕の幻聴という可能性はこれで消えた。
「その辺で大木を切り倒している可能性とかないよな?」
「わかんない。あ、そうだ。周りに人いる?」
「?」
笠酒寄の突然の質問に戸惑いながらも僕はきょろきょろと周りを見渡して人影がないことを確認する。
「いないぞ」
「ありがと。でも一応こっそりやるね」
なにをだよ? と訊こうとするとその変化は現れた。
笠酒寄の髪がざわざわと動いてピンと上を向いた三角形の耳を形成したのだ。
「おいおい、なんだそれ……」
「ほんとは後で見せたかったんだけど、緊急事態だしね」
まるで上手くいった悪戯を披露する少年のような顔で笠酒寄は答えた。
そのまま、目を閉じて、なにかに集中する。
しばらくはそのままだった。
二分ほど経過して、笠酒寄の頭の上に形成された耳がほどけるようにもとの髪の毛に戻った。
「やっぱりまわりで木を切ってるみたいなことはないみたい」
残念そうに言う。
「まわりってどのくらいの範囲なんだ?」
「んーと、たぶん周辺五百メートルぐらいは」
さらっととんでもないことを言ってのける。
つまりは半径五百メートル圏内ならこいつはなにが起きているのかが音でわかるらしい。
いよいよもって僕の周りはおかしなことになっているらしい。
「とにかく、どうも変だ。これは室長に相談しないとな。悪いけどお前の持ってきた噂の件に関してはまた今度ってことで頼む」
「えっとね、その噂なんだけど……」
なぜか歯切れ悪く笠酒寄は食い下がる。
「どんな噂なのかは知らないけど、いまの怪現象を体験したんだからそっちが優先っていうことはわかるだろ? 学生の間で流れているどうでもいい話なんて後だ」
ばっさりと切り捨てたつもりだった。しかし、笠酒寄は言ってきた。
「噂っていうのはね、いまの現象のことなの」
……ああそうかい。




