第十二怪 その7
ヴィクトリアのクルマまで戻ってきたコダマと笠酒寄はやっと、ヴィクトリアが拘束されてしまったのだということを実感する。
あまりの唐突さに実感がわいてこなかったのだ。
しかし、こうして乗ってきたクルマを見ると、今この場にヴィクトリアが居ないということを否応なしに思い知らされてしまう。
「クリシュナ、お前は私のクルマを運転して着いてきなさい。私は空木クンと笠酒寄クンを乗せていくから」
「承知しました、マスター」
クリシュナは迷いのない動作で近くに停めてあったスポーツカーに乗り込む。
「さて、空木クン、笠酒寄クン。乗りなさい。話はクルマの中でしよう」
クルマが発進してから数分。
車内の誰も、何も言わなかった。
百怪対策室に到着するまでの間に、コダマには訊きたいことがあった。
だが、訊くのが恐ろしくもあったのだ。
ヴィクトリアがなぜ、あれほどに回収した本に執着したのか。
それは自分や笠酒寄の安全よりも優先するほどに重要なことだったのか。
ヴィクトリアが自分たちのことをどう思っていたのか。それを知ってしまうのは正直、恐ろしかった。
「躊躇うということは、人間だれしもある。しかしね、一歩を踏み出せない者には真実は見えてこないものだよ」
前を見たまま、ヘムロッドは言う。
後部座席のコダマと笠酒寄にははっきりと聞こえた。
それが、コダマの背中を押した。
「……ヘムロッドさん、今回室長が回収した本。あれは一体何なんですか? あの本は室長にとって何なんですか?」
「あれは統魔設立以前に書かれた本だということはヴィクトリアから聞いているかな?」
黙ってコダマも笠酒寄もうなずく。
ルームミラーでそれを確認すると、ヘムロッドは続ける。
「そういった類いの本はたくさんあるんだけどね、あれはヴィクトリアの師匠が執筆したモノなんだ。もっと言うなら統魔を設立した八人の偉大なる魔術師の一人、だね」
「ちょ、ちょっと待ってください。統魔を設立したのは七人の魔術師で、七人の偉大なる魔術師だって室長には聞きましたよ?」
統魔という組織についてレクチャーされたときにヴィクトリアに教えられたことの齟齬に、コダマはうろたえる。
ヴィクトリアとヘムロッド、どちらかが嘘をついていることになる。
「なるほど。さすがにヴィクトリアもそれについては教えていないか。なら空木クン、そのことに関しては一旦おいておこう。キミは統魔の魔術師に対して行う指定は知っているかな?」
唐突なヘムロッドからの質問にコダマはやや戸惑う。
しかし、これにはきっと理由があると考え、素直に従うことにした。
「危険度が低い方から、無害指定、観察指定、拘束指定、殲滅指定の四つです」
ふむ、とヘムロッドは顎をなでる。
ほんの少しだけ何かを迷っていたようだが、すぐに口を開いた。
「実は統魔が定める魔術師に対する指定はもう一つある。抹消指定、だ」
コダマも、そしてもちろん笠酒寄も聞いたことはなかった。
「この抹消指定というものはね、指定された魔術師の一切合切を抹消するという指定だ。記録も、痕跡も、業績も全て、ね。そしてこの指定を受けた魔術師に関連する物品はすべて抹消される。破壊できるものは破壊し、破壊できないなら徹底的に隠す。統魔はそうやってきた」
一度ヘムロッドはそこで言葉を切った。
短く、息を吐く。
「そして、この抹消指定を受けた魔術師は三人。一人は未だに見つかっておらず、二人は死んだ。その死んだ二人の内の一人、マヌゴリー・リトレッド・J・ローグアイゼン。彼が統魔設立に最も尽力し、私たち白林檎の園第一期生の教鞭を執り、ヴィクトリアの師匠であり、そしてヴィクトリアが愛した男性だった」
「「!」」
コダマも笠酒寄も驚きを隠せなかった。
あのヴィクトリアにそういった話があったとは想像も出来なかったのだ。
「統魔を設立した彼がなぜ統魔から離反し、そして最初の抹消指定になってしまったのかを私は知らない
。しかし、彼を討伐する任務にヴィクトリアが任命されたことは知っている」
そこで何があったのかも私は知らないな、とヘムロッドは自嘲するように呟いた。
「とにかく、抹消指定を受けた彼の痕跡は徹底的に破壊された。彼は数々の著作物を残していたんだが、見つかり次第処分された。そして、統魔は更に彼が存在していた事実も抹消した。偉大な業績はすべて書き換えられるか、消された。あのころのヴィクトリアはひどく落ち込んでいたよ」
コダマはなぜ偉大なる八人の魔術師が七人になってしまったのかを理解した。
「それじゃあ、あの本はもしかして……」
「ああ、ローグアイゼン師の著作だろう。どうやって統魔の手を逃れたのかはわからないが。そして、なぜ人手に渡っているのかもわからない。魔術師にとっても古い上にかなりの時間をかけないといけない術式が中心だから大して役に立つモノでもない。だが、ヴィクトリアにとっては最愛の人の形見のようなものだね」
最愛の人、という単語にコダマは笠酒寄を見る。
笠酒寄もコダマを見ていた。
「まだキミたちにはわからないだろう。こればっかりは失ってからしかわからない。その上にヴィクトリアはその手で最愛の人を殺しているわけだからね。その胸中は他者には理解できないだろうね」
三者とも、沈黙する。
沈んだ空気が車内に満ちていた。
「ヘムロッドさん、室長は貴方に何を頼んだんですか?」
コダマが質問を変える。
ヴィクトリアが多少なりともきな臭いものを感じ取っていたのならば、ヘムロッドには何らかの対策を授けているはずだと考えたからだった。
「ヴィウトリアから頼まれたのはだね、ヴィクトリアが殺害もしくは拘束されてしまった場合、私がキミたちを守ってくれ、ということだ。皮肉なことに実現してしまったのだけどね」
ほんの少しだけ、ヘムロッドのハンドルを握る手に力が入っていた。
表面上は平静に見えても、ヘムロッドもやはり旧友を拘束されたということには多少なりとも感じるものがあった。
「……ヴィクトリアさんはこれからどうなるんですか?」
弱々しい声で笠酒寄が尋ねる。
「統魔に回収されて施設で保管だろうね。あの魔術はこの上なく強力だ」
「……ミサトちゃんの氷、ですか? そんなに強力なんですか? でも、ヘムロッドさんならなんとかできるんじゃないですか?」
涙声で笠酒寄は訊く。
しかし、ヘムロッドは首を横に振った。
「残念ながら、あれはおそらく時間ごとヴィクトリアを凍結させている。術者が解除するか、
死ぬかしない限りは解けない」
「そんな……だって、ヴィクトリアさんは愛した人の形見を持っていたかっただけじゃないですか……そんなのって……ひどいですよ……」
こらえきれなくなったのか、笠酒寄はしゃくり上げ始める。
それをヘムロッドに見せないためにか、コダマの胸に顔を埋めるようにして、静かに涙を流し始めた。
コダマは笠酒寄をどけようとはしなかった。
「ヘムロッドさん、室長が解放される可能性はありますか?」
笠酒寄の頭をなでながらコダマはヘムロッドに尋ねる。
「ない、とは言えないが、難しい。今回の一件を仕掛けた人物が存在しているはずだ。ソイツはヴィクトリアがローグアイゼン師の著作を発見したら統魔に回収させるつもりはない、と確信していた。その上で八久郎たちを派遣したわけだからね。つまり統魔内にヴィクトリアを排除したい奴がいる、ということだ。ソイツの企みを暴くことが出来ればヴィクトリアを解放できるかもしれない」
「可能性があるなら、僕はやります。だって僕は室長に救ってもらったんですから」
「……わたしも、ヒグッ……やる」
コダマに同意するように、笠酒寄も泣きながら宣言する。
二人の言葉を聞いて、ヘムロッドは笑みを浮かべた。
「どうやら、ヴィクトリアは正しく人を救ったようだね。なら私も協力しよう。ただ、時間はかかるだろう。それでもいいかい?」
「「はい」」
二人の声はきれいに重なった。
ハイツまねくね二〇一号室。またの名を百怪対策室。
明け方になって、コダマたちはやっと戻ることが出来た。
今はヘムロッドが主になっている百怪対策室のドアを開け、中に入る。
まるで我が家のようにヘムロッドは迷い無く応接室に入り、紅茶の準備を始めた。
クリシュナは冷蔵庫の中の使えそうなモノを使って料理を始めていた。
コダマと笠酒寄はソファに座り、そんな二人の様子を眺めていた。
やがて、ヘムロッドが紅茶を運んでくる。
コダマと笠酒寄の前にティーカップを置くと、自分の分も置いてソファに座る。
「さて、これからは私がヴィクトリアの代理として百怪対策室の室長をやっていこう。最終的な目標はヴィクトリアの解放だが、それには調査が必要になってくるからね。そっちは私とクリシュナに任せてほしい。キミたちには引き続き『怪』の情報を集めてほしい」
「僕たちに手伝えることはないんですか?」
今まで通り、という言葉にコダマはほんの少しだけ不満感を覚え、質問する。
「今回の件、一つ未解決なコトがあるだろう? 合成獣で作ろうとしていた五芒星だ。ヴィクトリアを狙った人物が間違いなく関わっている。それはこれからあの合成獣の製造者に、おいおい統魔が尋問するだろうがね。だが、間違いなくほかにも何かしらの仕掛けはしてある。それは『怪』になって人々に影響しているはずだ。手がかりはある。だから空木クンと笠酒寄クンにはそっちを調べてほしい」
ヘムロッドの視線はまっすぐで偽りを含んでいるようには見えなかった。
コダマも笠酒寄も歯がゆい気持ちはあったが、少しでもヴィクトリア解放の役に立つために、今は出来ることをやろうと考えた。
「わかりました。ヘムロッドさん。僕たちのできる限りをやります」
「ありがとう。空木クン、笠酒寄クン」
年の瀬も迫ってきた十二月。
ヴィクトリアを解放するために彼らは誓った。
――――――――――――空木コダマの苦闘録に続く




