第十二怪 その6
「そんな……室長……なんで……」
「ヴィクトリア……さん……」
コダマも笠酒寄も呆然としていた。
ヴィクトリアは氷塊に閉じ込められていた。
以前にヴィクトリアが用いたようなただの氷の塊でないことは明らかだった。
なにしろ中のヴィクトリアが全く動かなくなっている。
吸血種であるヴィクトリアには単純な冷却は効果が低い。
普通に凍りづけにされたぐらいなら自力で破ってくるぐらいのことはしてくる。
それなのに、氷塊の中のヴィクトリアは微動だにしない。
時間ごと凍らされたかのように、静止していた。
「アンタ……ホント馬鹿ね」
八久郎は勝利の余韻になどは浸っていなかった。
ただ、その胸中にはヴィクトリアを説得できなかった無力感だけが残っていた。
そんな八久郎の後ろに六つの人影が出現する。
全員が黒のローブを纏い、顔を隠している。
初めから、潜んでいるのは六人だった。
三人で展開する三日月護法陣を二重に使っていたのだった。
「隊長、お怪我は?」
一人が八久郎に尋ねる。
「ないわ。大丈夫。それよりもこっちの被害は?」
「はい。三名負傷。命に別状はありません」
「そう……よかったわ。ご苦労様」
覇気の感じられない口調で八久郎は労う。
「して、残りの子供はいかがいたしますか? ここで始末しますか?」
「……コダマちゃんとミサキちゃんは一旦、統魔で身柄を預かるわ。特にコダマちゃんはヴィクトリア・L・ラングナーの弟子として登録してあるから、後任の導師が見つかるまでは統魔で保護。ミサキちゃんは記憶処理をして解放」
「承知いたしました」
黒のローブの六人がコダマと笠酒寄に近づく。
コダマは座り込んでしまっている笠酒寄と黒のローブの六人との間に立つ。
「抵抗するな、小僧。抵抗すれば痛い目を見ることになる」
コダマにもそれはわかっていた。
相手は魔術師との戦闘に長けている集団だ。
まともにやり合っても勝算はない。
あるとすれば、六人を一度に無力化し、その後に八久郎も無力化。そして、笠酒寄を連れて逃げるということしかできない。
……ヴィクトリアを置いて。
はっきり言って、その勝算は無いに等しい。
コダマの能力は一度に一つの対象にしか行使できない。
六人同時に無力化ということは不可能だ。
一人のやっている間に残りの五人が襲いかかってくる。
笠酒寄との連携も今は難しい。
ぎりり、とコダマは奥歯をかみしめる。
自分の無力さが憎かった。
六人は特に警戒もすることなく近づく。
(こうなったら僕が六人を引きつけている間にどうにかして笠酒寄だけにでも逃げてもらうしかないか……。だけど、きっと統魔は追っ手をかける。笠酒寄だけで逃げ切れるのか?)
様々な考えがコダマの頭の中で展開する。
どれも実現は困難だ。
ここで大人しく従っていた方が一番いいのではないのか、とさえ考えてしまう。
黒のローブの一人の腕がするすると上がり、コダマに向く。
(やるしかない!)
コダマの髪がふわりと浮いた瞬間だった。
「やれやれ、遅かったか。だが、最悪の事態は免れたようだね」
「マスターの幸運期待値を鑑みた場合、間に合ったことは僥倖であると考えます」
その声はいきなり割って入ってきた。
八久郎もコダマも笠酒寄も、そして黒ローブの六人も声がしたほうに向く。
長身痩躯の初老の男性と、メイド服に似た格好をした少女の二人がいた。
少女の方はなぜか背中にチェロケースを背負っていた。
「やあ、諸君。こんばんは。こんなところで派手に魔術を使って何をしているのか尋ねてもいいかな?」
初老の男、ヘムロッド・ビフォンデルフは柔らかな物腰で尋ねる。
後ろに控えている従者のクリシュナは黙って、チェロケースを背中から下ろしていた。
「あら、ビフォンデルフ最高評議委員。こんな場所にいらっしゃるなんて珍しいですわね」
「いやね、私の弟子たちがヴィクトリアに連れ出されてしまったようだからね。迎えに来たんだよ。私は弟子思いの師匠だからね」
八久郎のけん制に対してヘムロッドは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)で答える。
「弟子? 貴方のお弟子さんはすでに亡くなっているとお聞きしてるんですけど、間違いだったのかしら?」
「何を言っているんだ? そこに二人ともいるだろう? 死んでいるように見えるのかね?」
あくまで飄々(ひょうひょう)とヘムロッドは答える。
どこかいたずらっぽい笑みを浮かべて。
「コダマちゃんとミサキちゃんのこと? コダマちゃんはヴィクトリア・L・ラングナーの弟子として登録されているし、ミサキちゃんはそもそも魔術師見習いにさえも登録されてないわ」
「それは今日の朝までの話だろう? 私はね、『今この時間』の話をしているんだよ」
「……まさかっ!」
コダマと笠酒寄には話が見えていない。
コダマには、突然現れたヘムロッドがなぜ自分たちのことを弟子だと主張するのかについて見当もついていなかった。
笠酒寄も同じく、この偉いらしい紳士が自分のことを弟子だと主張する理由に心当たりはなかった。
二人の困惑をよそに、ヘムロッドは続ける。
「本日午前九時をもって空木コダマ、笠酒寄ミサキの両名は私の弟子として登録し直してある。これはきちんとヴィクトリアの同意も得ているし、統魔にも申請して、許可をもらったことだからね。正式な手続きを踏んでいる以上は全く問題がない」
チェスの詰み(チェックメイト)を仕掛けるように静かに、しかし、確実にヘムロッドは八久郎に言い放つ。
魔術師の弟子に関しては、基本的には権利も責任も、その導師にあたる魔術師が有する。
導師のほうが拘束もしくは殺害されて弟子を管理できなくなってしまった状態は別として、勝手に拘束することは禁じられている。
「いつの間に……!」
「なに、ヴィクトリアのほうも今回の統魔からの依頼に関してはきな臭いモノを感じ取っていたらしくてね。ちょうど私も日本に滞在していたことだし、都合がよかった。あとは統魔日本支部に赴いて、ちょいちょいと手続きをしてやれば終わりだ。簡単なことだろう?」
「手続きの所要時間は二時間三四分。統魔という組織の規模から考えた場合、日本支部の手続き処理にかかる時間は平均よりも長い、という結論です。またマスターが最高評議会に所属していることを申告してからの手続きの円滑さから統魔日本支部の官僚的構造も推察されます」
クリシュナは全く関係ないことを報告する。
「そういうわけだ、八久郎。私の二人の弟子たちを連れて帰るから、そこをどいてくれないかな? それとも、私とクリシュナも拘束するかね?」
ヘムロッドの言葉に反応するようにクリシュナは下ろしたチェロケースの留め金を外す。
数秒、誰も何も言わなかった。
この場の決定権は八久郎が握っていた。
再び魔術師同士の戦闘が起こるのか、それとも何事もなく終わるのか。
十把一絡げの魔術師が相手なら八久郎は躊躇せずに戦闘を選んだだろう。
しかし、ヘムロッドとクリシュナの組み合わせ、そして現状の自分を鑑みた場合、それは愚かな選択だった。
「いいわ、二人を連れて行かれてくださいな。でも、ヴィクトリア・L・ラングナーはアタシたちが回収するわ。それでいいかしら?」
「当然だ。ヴィクトリアは統魔の定める規則に違反したんだろう? 違反者を罰するのは組織として当たり前のことだからね」
肩をすくめた後に、ヘムロッドはコダマと笠酒寄の元に歩み寄る。
へたり込んでしまった笠酒寄に手を差し出す。
「さあ、笠酒寄クン。帰ろうか。今日は疲れただろうから、ゆっくり休むといい」
恐る恐る笠酒寄はヘムロッドの手をとる。
そして、なんとか立ち上がる。
次にヘムロッドはコダマの肩を叩く。
「空木クン、訊きたいことは数多くあるだろうが、それは後で答えよう。今、キミたちには休息が必要だ」
その一言でコダマの緊張の糸が切れる。
一気にやってきた疲れに足の力が抜けそうになる。
「おっと、大丈夫かね? 歩けそうにないならクリシュナに運ばせるが、どうするかね?」
「自分で……歩いて行きます」
崩れそうになる足に力を入れて、なんとかコダマは踏ん張る。
「では行こうか。ああ、そうそう。ヴィクトリアの資産については全部私に移譲されている。百怪対策室も同様だ。あの物件も、諸々(もろもろ)すべて私に所有権は移っている。一応は統魔にも伝えておいてくれ。荒らされても困るからね」
ヘムロッドは八久郎に釘を刺す。
百怪対策室に手を出せば、自分と敵対することになる、と。
八久郎の後ろに控えている黒ローブたちの一人が一歩、八久郎に近づく。
そして、八久郎にだけ、聞こえる程度の音量でささやく。
「隊長、このまま行かせてよろしいのですか? 七人がかりならば、いかにビフォンデルフ評議委員といえど……」
「ん? なにかね? やはり一戦交えるのかい? ならば、諸君らにはクリシュナの『演奏』を聞いてもらわないといけないな」
パチン、とヘムロッドが指を鳴らすと、クリシュナがチェロケースを開け、中のものを取り出す。
それはチェロではなかった。
無骨な外見。
合金と強化樹脂を用いて構成されているソレはFNミニミと呼ばれる軽機関銃だった。
帯のように垂れている弾帯は数百発を撃ち出すことが可能であることを示していた。
総重量は弾を入れれば十キロ程度にもなるソレをクリシュナは片手で微動だにせず構えていた。
「さて、二百発の『演奏』を聞くかね?」
ついでのようにヘムロッドの手には何枚かの金属片があった。
それにはすべて『emeth』の文字が刻まれていた。
つまりは、ゴーレムである。
ゴーレムは通常、人型である。
例外も多少あるが、それでも大きさとしては人間並かそれ以上になる。
携行できるサイズのゴーレムなどは八久郎も聞いたことがなかった。
これはヘムロッド独自の魔術だからであり、二百年以上に亘って研究を続けてきたヘムロッドが用いる魔術をすべて知っているのは、ヘムロッド自身だけである。
ゆえに、八久郎もヘムロッドが持つ金属片がどんなゴーレムなのかは知らない。
ただ、ここでやり合っても、自分たちが全員死ぬことだけはわかった。
「部下の非礼をお詫びいたします。しかし、ビフォンデルフ評議委員はいつまでも日本にいらっしゃるわけではないのでしょう? そのコたちも統魔本部に連れて行くつもりですか?」
「その心配はないよ。最高評議会なら辞めてきた。そろそろ飽きてきたことだしね。それに、ヴィクトリアが気に入っている国に住んでみたいという思いもあるしね」
建前であることは八久郎にもわかっていた。
本来の目的は百怪対策室を守るためだろう。
ヘムロッドがヴィクトリアと同期である、ということは聞いたことがある。
その頼みのために、自身の地位を捨て、慣れない国で過ごそうというのは八久郎には理解できない判断だった。
「ビフォンデルフ評議委員……いえ、ヘムロッド・ビフォンデルフ、一体何を考えているの?」
わからないからこそ、問う。
八久郎にとって、底知れなさという点ではヴィクトリアよりもこのヘムロッドの方が圧倒的に上だった。
「何って……そうだね、友人の頼みは断れない性質なんだ。それに、ヴィクトリアには借りがある」
おぼつかない足取りのコダマを支え、笠酒寄の手を取って先導しながらヘムロッドは答えた。
そのままヴィクトリアのクルマがある方角に向かっていく。
途中、ぴたりと足を止めた。
「八久郎、これはほんの少しばかり長く存在している者の戯言だと思って聞いてほしい。……今回の一件、根は深い」
八久郎の方を見ずに、しかし、ぎりぎり聞こえるようにヘムロッドは言うと、再びコダマと笠酒寄、そしてクリシュナを連れて去って行った。
八久郎は去って行った四人を見送ると、氷塊に閉じ込められたヴィクトリアを見やる。
驚愕の表情のまま停止しているヴィクトリアは、なぜか八久郎自身を見ている気がした。
「回収班を呼びなさい」
「はっ」
忠実な部下は即座に統魔に連絡を取り始めた。




