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第一怪 その7

 「がっ……は……っ」


 ごぼり、と喉奥から鉄さびの味がする熱い塊があふれ出す。


 貫手のような状態で刺さっていた手が抉るような形に変わり、重く、鈍い痛みが強まる。


 関節を折ってやったはずの右腕は全く問題なく動いているようだった。


 再生能力。


 僕が持っているのだから、こいつが持っていても不思議ではない。


 流石に一瞬で治るとまではいかないものの、すさまじい再生速度ではある。


 内臓は痛点があまり存在しないということを聞いたことがあるが、痛いものは痛い。正直、気絶したいぐらいだ。


 再生能力があるとはいえ、突き刺さっている部分は再生しない。融合して再生しだしたらそれこそホラーだ。


 ぐるぐると頭の中が回転する。


 考えがまとまらない。


 この負傷はまずい。腕を抜かないと再生もできない。いまも上ってくる血液で呼吸困難に陥りかけている。


 そんな僕を嗤いながら人狼は立ち上がる。僕の腹に腕をぶっ刺したまま。


 足が浮く。


 宙づりになってやっと頭の位置が同じぐらいになる。


 ぐるるるる、と嬉しそうに唸りながら人狼が僕の頭のほうに空いている右手を伸ばす。


 僕の頭を握りつぶすつもりだろう。


 流石にそれをやられたら生きている確信はない。室長はどうだか知らないが。


 死ぬわけにはいかない。まだ僕は死ねない。まだまだやりたいことは沢山あるし、ここで僕を殺してしまったら、たとえ人狼が解決しても笠酒寄は僕を殺したという業を背負っていくことになっていく。


 人にそんな重いものを負わせるのはごめんだ。


 だから僕は手段を選ぶのをやめることにした。


 僕の頭に伸ばされていた右腕の動きが停止する。


 不思議そうに自分の腕を見る人狼の動きは無視する。


 まるでリンゴを握ろうとするように開かれていた指が手の甲のほうに反っていき、やがてぱきりという軽い音を立てて折れる。


 「■■■!」


 驚きなのか、恐怖なのかはわからないが人狼が声を上げた。


 指が使い物にならなくなった右腕が今度はあらぬ方向に曲がる。前腕が、上腕が、ぼきぼきと音を立てて変形する。最終的に肩を外したのでだらりと脱力する。


 視線を腹に突き刺さっている左腕に移す。


 今度はいっぺんに曲げる。


 あっけなく僕には見えない、刺さっている部分以外がぼきぼきと音を立てて変形する。


 人狼の左腕から力が抜けて僕の足が地面に着く。


 動くだけで鈍い痛みが走るが、歯を食いしばって腹から人狼の手を引っこ抜く。内臓が多少引きずりだされたようだが無理やり突っ込んで戻す。どうせそのうちに再生する。ついでに左の指も全部折っておく。少しの間ぐらいは時間稼ぎになるだろう。


 「■■■■■!!」


 大口を開けて噛みついてくるが、喉元を掴んで制する。


 気道を握りつぶすようにしておいて両脚のほうにかかる。


 右足、左足。どちらも瞬時に複雑骨折を起こす。


 人狼が再び倒れる。


 さっきはなかった怯えの色が顔に現れていた。


 腹の穴がふさがるまで多少は時間がかかりそうなのでそのまま見下ろして四肢を折り続ける。


 一切、僕は触れていない。


 これは僕の能力だ。


 触れることなく物体に干渉する能力。


 室長曰く、サイコキネシスらしい。


 干渉する対象を目視する必要があるが、視線さえ通ればそのまま干渉することができるという人間には過ぎた能力だ。


 自分がとんでもなく危険な存在だということを確認させられているようで使いたくなかったが、もはやそういったことは言ってはいられない状況だ。仕方がない。後悔しないように行動すると僕は決めたのだ。


 二分もすると腹の穴もふさがったらしく痛みが消えた。その間、ずっとぼきぼきと人狼の骨を折り続けていたのでもはやこちらに攻撃しようという意思は感じられなかった。


 そこにあったのはただの怯えだ。


 獣も恐怖を感じるらしい。


 そして、今度こそ十分だろう。


 なんとか落とさずに握り締めていた指輪を今度こそ使う時だ。


 「少しでも抵抗したら今度は首から下をベキベキに折ってやるからな」


 宣言しながら右腕を折る。


 もう悲鳴も上げられなくなっているが知ったことじゃない。


 今度は割り込まれないように素早くかがんで左手の中指に指輪をはめる。


 「命令だ、笠酒寄。人狼の能力を制御しろ。僕たちはそうして生きていくしかないんだ」


 かすかに指輪が光った。


 同時に人狼の身体が縮んでいく。僕の二回りは大きかった体躯が小柄な少女のそれに変化していく。


 数秒後にそこにいたのは凶悪な人狼ではなく、ほっそりとした女の子だった。


 目を閉じて、気を失っているらしい笠酒寄の肩を掴んで揺り起こす。


 「おい、起きろ。夏でもこんなこんなところで寝ていたら流石に体調を崩すぞ」


 「ん……んぅぅ……」


 どうやら気づいたらしい。全く、最後まで手間をかけさせてくれる。


 「……あれ? 空木君?」


 目を開けたものの、いまだに意識ははっきりとはしていないらしい。


 「終わったよ。これでお前の『怪』は終了だ。あとで室長に礼を言っとけよ」


 依頼料のこともあるしな。


 どんな対価を払うことになるのかを僕は知らないが、それなりのものを払うことになるのだろう。


 しかし、それは笠酒寄が負わないといけない。


 残酷なのかもしれないが、それがなにかを求めるということだ。


 ヴィクトリア・L・ラングナーという人外に助けてもらうための条件だ。


 「あの……空木君、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど……」


 人が感傷に浸っていたのに無粋な奴だ。


 「なんだよ? 言っとくけどおんぶして連れて行ってくれっていうのは却下だぞ。そのうちに回復するだろうからそれを待って行けよ」


 「そうじゃなくて、あの、ベンチの下にあるから、とってきてほしいの」

 「あん? 何をだよ? 秘密の日記帳でも置いていたのか?」


 寝転がって向こう側に体をむけて笠酒寄ははっきりとは言わない。なにかもごもごとつぶやいているだけだ。肩のあたりまで真っ赤になっている……ん?


 人狼は服のようなものを纏っていなかった。


 何も着ていない状態から人狼化が解けたらどうなるか?


 当然、服が自動的に生成されるなんてことはあるまい。


 「悪い! 今すぐとってくる!」


 反転からの全力ダッシュで僕はベンチに向かっていったのだった。




 服をとってきてから渡すのにひと悶着あったのだが、それ以外はすんなりいってくれた。


 服を着て、骨折も治った笠酒寄と一緒に公園の出口に向かう。


 「ん、どうやら終わったようだな。しかし、なんだか時間がかかった気がするなぁ。どうせ最初から本気を出せなくて不覚を取ったといったところか?」


 室長がニタニタしながら待っていた。


 「いいじゃないですか、そんな細かいことは。解決したんだから結果的には同じでしょう」

 「おぉーっとぉ、これは図星だったな? そうだろう? しかもそのあとに笠酒寄クンの裸を見てしまってドキドキのCHTだったかな?」

 「なんですかCHTって」

 「ちょっとエッチタイム」

 「ギャグセンスが中年のおっさんレベルですよ……」

 「約四百歳だ」

 「そうでしたね……」


 疲れる。人狼の相手をしていた時とは違うベクトルで疲れる。


 「というか結界はどうしたんですか? 誰も入れないんじゃなかったんですか?」


 室長は外で結界を維持していたはずだ。それなのにいま公園の入り口とはいえ、中で待っているということはおかしい。


 「なあに、結界の中で指輪の魔力が発動したのがわかったからな。終わったのはわかる」


 なるほど。結局は僕がまた甘かった、というだけだったらしい。


 室長の助手になって一か月ぐらいにはなるし、色々な『怪』にも関わってきたつもりだったが、まだまだ敵わないらしい。


 ハン、と僕を鼻で笑って室長は笠酒寄の方をみる。


 「どうだ? 笠酒寄クン。なにか体に異常はないか? 服はちゃんと全部あったか? ないならコダマの所持品チェックをしたほうがいいぞ」


 「一回色々と話し合わないといけないみたいですね」

 「あ、あの、異常はありません。服もあります」


 笠酒寄も微妙にしどろもどろになるのはやめてほしい。身に覚えのない疑いがかかりそうだ。


 だが、室長はその辺はいじることなく、


 「そうか、なら帰ろう。明日も学校だろう?」

 「は、はい!」


 無駄にいい返事だった。


 だが、確かにまだ新学期が始まったばかりだというのにいきなり遅刻というのは参る。


 僕たちはまだまだ生きていくのだ。


 こうして九月最初の『怪』、人狼は幕を閉じたのだった。




 百怪対策室。


 放課後に僕はここで室長の手伝いをする。


 特に取り組んでいる案件がなければ大体はお茶くみと室長の無駄話と容赦のないからかいに対応するのが仕事だ。一応給料はでる。


 今日も先日仕入れたパイプの自慢をうんざりしながら聞き流していた時だった。


 キンコーン、とチャイムが鳴った。


 「あれ? また通販ですか?」

 「んー、今は何も注文していないんだがな」


 めんどくさそうに室長はインターホンに対応する。


 「だれだ? ああ、キミか。鍵は開いているから入れ」


 そのままパネルの映像を消すと再びお気に入りのソファに座り直す。


 「誰だったんですか?」

 「すぐわかる」


 室長の言ったとおりに訪問者はパタパタと足音を立ててこの応接室を目指しているようだった。


 扉が開けられ、そいつはずかずかと室長に近づいて行った。


 「こんにちはヴィクトリアさん。大変です! 変な噂が立っているんです!」


 笠酒寄だった。


 人狼が解決して以来、百怪対策室に入り浸るようになってしまったのだ。


 稲木公園で会った時のあの暗い影はない。


 多少、引っ込み思案なのは変わってないが、今は日常生活を満喫しているように見える。


 はあ、とため息を一つ。


 それから僕は笠酒寄の分のコーヒーを入れにキッチンに向かうのだった。


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