だいじっかい そのご
「書いてあるとおりだよ。さあ、佐奈平心優君、そこの親友に思いの丈をぶつけていいんじゃないかな。たまには思いっきり言わないとわからないことだって、ある」
紙に書いてあることを知っているような口ぶりでコダマさんは言います。
わたしじゃなく、二口女のほうに向かって。
コダマさんは教室の入り口のほうに立っているので、後頭部の大口がそっちを向いているので、自然と心優ちゃんの顔はわたしの方を向いています。
コダマさんの髪の毛がふわふわ浮いていて、なんだかファンタジーな感じになっていましたが、それはこ
の際関係ないでしょう。
問題は、心優ちゃんの方です。
両手に消臭スプレーの缶を持った心優ちゃんはややうつむき加減になって、目を閉じています。
おそらくは、後頭部の大口がぎゃあぎゃあ喚いているからでしょう。
その心優ちゃんの目がうっすらと開きました。
「心優ちゃん! 大丈夫?」
思わずわたしは心優ちゃんに駆け寄ります。
どうやらコダマさんが何かして、二口女の動きを止めているようなので近づいても大丈夫でしょう。
机の上に乗っている状態の心優ちゃんは、だいぶ見上げないといけませんでしたが、それでもわたしは心配で、近づいてしまいます。
「ギャアアアアッ! ヤメロオォォ!」
大口が叫びます。
これはもしかしたらわたしの清浄なオーラが二口女を浄化しているとか、友情パワーが妖怪に対しては効果的とかそういうことでしょうか?
ならばもっと密着する必要があります。
「心優ちゃん!」
わたしは心優ちゃんの足にすがりつきます。
本当は抱きつきたかったのですが、今の心優ちゃんは机の分、身長がプラスされているので仕方ありません。
それでも有効らしくて、大口はさっきから苦しみの声を上げています。
わたしは更に、ぎゅっと心優ちゃんの足にくっつきます。
「あー、佐奈平君、多分黙っていたらそのまま地獄が続くと思うし、君はずっと我慢していなくちゃならないよ」
なんだかコダマさんが訳のわからないことを言っています。
何のつもりでしょうか?
こうやって二口女は浄化され始めているというのに。
「く、臭えんだよ! テメエは! ちゃんと風呂入ってんの!?」
なんだか後ろの口が言いがかりをつけてきました。
しかし、そんなことでわたしの心優ちゃんを救いたいという気持ちは揺るがすことはできません。
「あー、ほら。二口女の力を借りてないで、自分の口で言わないとだめだよ。友達を傷つけたくないって気持ちは尊重したいんだけど、時には厳しさも友情じゃないかな」
コダマさんにはこの女子同士の美しい友情が目に入らないようです。
ああ、それにしても心優ちゃんが早く二口女から解放されないでしょうか。
わたしはそれだけが心配です。
心優ちゃんの足にすがりついたまま、心優ちゃんの顔を見上げます。
うっすらと開いていた目が、だんだんと開いてきました。
もうすでに、ちょっと眠そうなぐらいの目つきにはなっています。
「心優ちゃん! わたしだよ! 花帆だよ! わかる? 二口女なんかに負けちゃだめ! 心優ちゃんにはわたしがついているんだから!」
一所懸命にわたしは心優ちゃんを応援します。
わたしの声が届いたのか、心優ちゃんはカッと目を見開きました。
「……花帆」
「心優ちゃん……!」
「あなた、くさい」
……………………え?
「ずっと思ってたの。花帆ってちゃんとお風呂入ってる?」
……………………は?
「なんていうかね、獣みたいなニオイがするの。野生動物系のね。その上に花帆って運動した後にちゃんと制汗スプレーとか使わないでしょ? だから更に汗臭いのも加わるの。正直近づいてほしくない」
心優ちゃんがナニヲイッテイルノカわかりません。
何を言っているのでしょうか? わたしは心優ちゃんの親友なのです。
その上に美少女なので、くさいなんてことはないはずです。
……きっとこれは二口女が心優ちゃんに言わせているに違いありません。
そうやってわたしの心を揺さぶる作戦なのでしょう。
「あー、室長曰く、二口女っていうのは過剰に抑圧されたストレスが原因らしいんだよ。それが『二口女』っていう存在に成ってしまうぐらいに佐奈平君は我慢してたってことらしいね」
コダマさんがのんきに解説のようなことをしてますが、頭に入ってきません。
「ついでに言うと、もともと二口女っていうのは女房の後頭部に大きな口ができて、そいつが握り飯を次々とむさぼり食うっていう話が多いんだよ。まあ、女性のダイエット願望とその抑圧の象徴らしいね。それが今回は浦原君のニオイに対しての我慢が限界に達して、二口女を生んでしまった、っていうところみたいだ」
コダマさんの解説を。わたしの、脳みそは、拒否します。
女子に対して、くさいとか臭うとか発言するだなんて、コダマさんにはデリカシーというものがないのでしょうか? ないんでしょう。きっとモテないに違いありません。
するり、と心優ちゃんの足がわたしの腕から抜けました。
そのまま机から華麗に降りて、心優ちゃんは床に降り立ちます。
わたしと心優ちゃんは大体同じぐらいの身長なので、目線も同じです。
まっすぐに、心優ちゃんの目がわたしを見ています。
「はっきり言って、花帆のニオイってすごいよ。知ってる? クラスでの花帆のあだ名」
知りません。そんなものは聞いたこともありません。というか聞きたくありません。
「歩く悪臭爆弾、だよ。略してあるばく。そのぐらいには花帆ってくさいんだよ。いい加減にしないと無理矢理に洗浄されそうだよ。ちなみに言い出しっぺはわたし」
「がふっ!」
衝撃的すぎる事実にわたしは殴られたみたいなリアクションを取ってしまいます。
たまにクラスメイトから聞こえていた『あるばく』なる単語の意味を知ってしまいました。
やけにわたしがいるときに聞く単語だと思ったらそういうことだったのですか。
泣きそうです。
「花帆の半径五メートルは悪臭圏内だから、みんな近寄らないでしょ?」
……そうです。きっとわたしの美少女オーラにみんなが圧倒されて近寄れないんだと思っていました。
人生で最大にショックを受けています。
でも、心優ちゃんはそんなわたしに対しても、いままでちゃんと友達でいてくれたのです。
それはきっと、とても素敵なことなのでしょう。
それだけが今のわたしには救いです。
「……心優ちゃん!」
思わずわたしは心優ちゃんに抱きつこうと「ぷしゅー」ん?
心優ちゃんの右手が、いえ正確にはその手に持った消臭スプレーの缶がわたしに向けられていました。
その発射口からは霧状のものが噴射されています。わたしに。
「やっぱこの距離だとものすっごく、くさい。悪いけど、さすがに抱きつくのはやめて。ニオイが移りそう」
「……ぁぅ」
心優ちゃんのその言葉はわたしの意識を刈り取るのに十分の威力でした。
「なんか気絶したらもっとくさくなったんだけど。花帆って普段なに食べてるの? ちゃんと人間の食べ物を食べてる?」
意識が途切れる直前に聞いたのは心優ちゃんのそんな容赦のない追い打ちでした。
あの二口女との激闘から数日。
わたしは心優ちゃんと喫茶店に来ています。
あの後、わたしはコダマさんにたたき起こされて心優ちゃんからやけに距離を取られた状態で帰ることになりました。
その翌日から、心優ちゃんによる徹底的な身だしなみチェックが始まったのです。
少しでも臭うようなら容赦のない消臭スプレー攻撃がわたしを襲うようになりました。
なぜか心優ちゃんがやけにいい顔をしているのが気になりましたが、あれ以来、二口女は現れていないみたいです。
……二口女の原因はわたしだったのです。
心優ちゃんはあんなものを生み出してしまうぐらいには悩んでいたのでしょう。
親友をそこまで悩ませてしまったことには後悔しかありません。
なのでこっそりわたしの机に消臭グッズを仕込んでおくのはやめてほしいと思います。
ある種のいじめではないのかと思ってしまいます。
ともあれ、元通りとまではいかなくとも、心優ちゃんが妖怪になってしまうことはないようです。
コダマさんのおかげ、いえ、ヴィクトリアさんのおかげなのでしょう。
ただし、あの後、小唄ちゃん経由でしっかりと請求書が届きました。
支払い期限がかなり先なので、そこは温情だと思います。
……支払わなかったらどうなるかは保証しない、とも書いてありましたが。
そんなことは置いておくことにして、今日は心優ちゃんのおごりなのでしっかりと楽しもうと思います。
「ねえ、花帆。コダマさんって弐朔高校なのよね」
突然、心優ちゃんがそんなことを訊いてきました。
「ん? たぶん。他校の制服をコレクションしていて、なおかつそれを着用する趣味がない限りは」
ザッハトルテに心を奪われながらもわたしは答えます。
「ふーん、そう。それならどうにかなりそう……」
「?」
よくはわかりませんが、心優ちゃんが笑顔を浮かべているのでいいことなのだと思います。
……願わくば、わたしに被害が及びませんように。




