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第一怪 その6

 前にこの公園に来てから数時間しか経っていないということが信じられない。


 いま、ここには猛烈な殺気が満ちている。


 どうやら室長の張った結界は中の音だけではなくて外の音も遮断してしまうものだったらしい。


 虫の声も、人間の生活音も、ない。


 厳密にいえば、少しは虫の鳴く声はするのだが、結界内部の虫たちはどうやらこの充満する殺気に鳴りを潜めているようだった。


 迷うことなく僕は中心に歩いていく。


 どうせ戦うことになるのならば開けていたほうがいい。


 それに、明らかにこの空気の発信源はそこだ。


 吸血鬼の視力は夜でも昼間と対して変わらずに視える。


 だから、僕が笠酒寄を見つけるのには時間はかからなかった。


 というよりもそれはもう笠酒寄ではなかったが。


 灰銀の毛に全身を覆われたそれは人間の体に似てはいたが、シルエットが違っていた。


 ……明らかに体格が変わっている。


 笠酒寄は僕よりも頭一つ分ちかくは背が低かったはずだ。目測でしかないが、それが今や僕が見上げないといけないぐらいにはなっている。二メートル近いだろう。


 自分よりも巨大な存在を相手にすることは生物的な本能で避けたいところなのだろうが、そうはいかない。とっととこいつをぼこぼこにして笠酒寄を開放してやらないといけない。


 僕は笠酒寄に頼まれたのだ。理由はそれでいい。


 深呼吸を一つ。


 それに反応したのか人狼の耳がピクリと動いた。


 ぐるり、とこちらを向く。


 どう猛さをこれ以上ないぐらいに表現した瞳が僕をとらえる。ぬらりと唾液に濡れた牙は獲物を待ち構えていたのだろう。その呼気はこっちまで生臭いにおいが漂ってきそうだった。


 狼の顔を無理やり乗せたとびきり野蛮な大男。僕が抱いたのはそんな印象だ。


 ひ弱そうで、不安がっていた笠酒寄の面影はない。


 よかった。


 遠慮なくズタボロにできる。


 「さっさと終わらせて帰らせてもらうぞ。笠酒寄」


 やや大きめの声での宣言。


 聞こえたのか聞こえてなかったのかはわからないが、人狼は咆哮した。


「■■■■■■■■■■■■■!!」


 同時に砂煙が上がり、人狼の姿が掻き消える。


 いや、消えたんじゃない。


 すさまじい速さで動き出したのだ。


 ぎりぎりで、それなりには吸血鬼の僕の視力はそれを捉えた。


 ガードの体勢を取ると同時に右からの衝撃。


 「が!?」


 それなりに予想はしていたつもりだった。


 しかし、まさかガードしていても宙を舞う羽目になるほどの威力だとは思っていなかった。


 そのまま吹っ飛ばされて僕は街灯にたたきつけられ、地面に這いつくばる。


 背中から打ち付けられたのが幸いだった。これが頭からだったらしばらくは動けなかっただろう。それでもダメージはあるが。


 というか、防御した右腕もどうやら折れていたらしい。めちゃくちゃかゆくて熱を帯びている。


 それも数秒で消える。修復完了だ。


 「!」


 すさまじく嫌な予感を覚えて地面を転がる。


 ドゴン、という音とともに地面が揺れた。


 回転を利用して立ち上がると拳を大地に突き刺した人狼がいた。


 (ったく、でたらめな速さだ)


 アレを食らっていたら流石に死んでいたかもしれない。どこが楽勝なんだ。


 ぐるるるる、と唸りながら腕を引き抜こうとしているが、そうはいかない。


 攻めるなら今だ!


 僕は駆ける。


 人狼ほどではないけれど、人間には不可能なスピードで。


 そのままの勢いで顔面にパンチを食らわせてやるつもりだったのだが、直前になって開けられた口を見て中止。


 あれに食いつかれたら腕を持っていかれそうだ。


 腕全部を再生するのには時間がかかる。その間にラッシュをかけられたら終了だ。


 体を無理やり捻る。


 攻撃部分を首から下に変更。


 後ろ回し蹴りもどきを放つ。


 手応え(足応えか?)はあった。


 しかし、足を掴まれる。


 「■■■!!」


 これまでの人生でもこんなに滞空時間が長いのは初めてだった。


 僕の体重は六十キロ以上あるのだが、そんなことはどうでもいいといわんばかりの無造作な投げ方だった。


 今度はなにもないところに着地、というか落下する。


 受け身は取れたのでそれほどのダメージもない。


 まずい。こっちの攻撃を食らわせることはできるが、その前にぶち殺される可能性のほうが大きい。


 速度は圧倒的に向こうの方が上。しかし、こっちには回復能力があるからといって、消耗戦を仕掛けてなにかの拍子に頭を砕かれでもしたらそこから回復できる保証はない。流石に頭を砕かれたことはない。となると―――


 「うぉッ!」


 とっさに身をかがめた。


 その上を風を切りながら剛腕が通過する。通過なんて生やさしいものじゃなかったが、そんなことを考えている状況ではない。


 距離をとる? いや、またあの速度の餌食だ。このまま接近戦でどうにかするしかないだろう。


 そう考えてとっさに選択したのは足払いだった。


 地面を削るように脚を伸ばして円を描く。


 どすり、と重い感触がした。


 チャンス! 今しかない!


 倒れている人狼に馬乗りになる。ラッキーなことに相手はうつ伏せになっていてくれた。これで牙を警戒する必要はない。


 「おおおおおぉぉぉぉお!」


 連打。


 身体能力をフル活用してのありったけの打撃を叩き込む。


 腰の入っていないパンチでもこれだけの数を後頭部に食らったらただでは済まないだろう。


 普通の人間だったら死んでいても不思議じゃない。だが、ここで普通の人間基準で考えるのは間違ってい

る。相手は人狼なのだ。


 全力で打ち込んで、呼吸のために手が停まった一瞬だった。


 僕は再び空に投げだされていた。しかもこんどはきりもみ回転をしながら。


 どうやら上半身のバネだけで僕ぐらいならば吹っ飛ばせるらしい。呆れるほどのスペックだ。


 本日三度目の墜落。


 今度も幸運なことに頭からではなかったので即座に体勢を立て直す。


 距離をとれば奇襲、組み付いても引きはがされる。となると、一撃で動きを止めるしかない。


 僕は走り出す。


 『あれ』を目指して。


 ほどなくして見つかった『それ』を背にして僕は叫ぶ。


 「来いよ、この犬モドキ! 鎖でつないで目の前でビーフジャーキーを食ってやるからな!」


 理解しているのかどうかはわからないが、どこからか咆哮が響く。


 公園内には飛び道具になりそうなものはなかった。つまり、やつは直接攻撃しかない。だからこそ、有効な手段だ。


 静寂。


 狙っているのだろう。


 捕食する動物はまず観察する。そして、獲物の隙をついて仕留めるのだ。


 だからこそ、わざとそれを誘う。


 誘って、刺す。


 ちらりと視線を横に向けた瞬間だった。


 瞬間移動でもしたかのように奴が目の前にいた。


 掠めただけで肉を抉られそうな剛腕が振るわれる。


 しかし、それが僕の狙いだ。


 紙一重でしゃがんで回避すると、伸びきった腕に突き上げるような掌底を放つ。


 ごぎり、と嫌な感触が伝わる。


 普通にやっただけではここまでの結果は生まれなかっただろう。しかし、今僕の後ろにはあるものが存在していた。


 ジャングルジム。


 その隙間に入り込んだ腕に下からの力を加えたらどうなるか?


 しかもそれは普通の人間の何倍もの力だ。


 当然、関節ぐらいは破壊される。人狼のそれも例外ではなかった。


 「■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」


 間違いなく、それは悲鳴だった。


 痛覚はあったらしい。まあ、なくても腕は使えなくなるだろうが。


 生憎と容赦している余裕はない。


 痛みでのけぞった人狼の右ひざに踏み抜く要領で蹴りを放つ。


 ばぎり、という生々しい音とともに膝の皿が砕けたようだった。


 体重を支え切れなくなったのか、膝が落ちそうになるところをもう片方の膝にも同じ攻撃を加える。


 先ほどと同じような音と感触。


 涎をまき散らしながら巨体が倒れる。右腕、両膝破壊。人体に近い構造をしているだろうから、これでまともに動くこともできないだろう。


 言葉にならない声で喚き散らす人狼の四肢のうち唯一の折れていない部位、つまりは左腕を踏みつける。すさまじい殺気がぶつけられるのだが、知ったことではない。


 これだけやれば十分だろう。


 「わかったろ? 僕の方が上だって」


 大分手こずらせられたが、この状況に持っていったら確定だろう。


 「手間かけさせるんじゃない。後でこの借りは返してもらうからな」


 笠酒寄に人狼の間の記憶があるかどうかはわからないが、とりあえず言っておく。


 いよいよ大詰めだ。


 左手にはまっている指輪を外す。


 あとはこれを嵌めさせて『命令』すれば完了だ。


 迅速に任務を遂行するためにかがんだ瞬間だった。


 人狼が嗤った気がした。


 同時に僕の腹に獣の右腕が突き刺さった。

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