だいななかい
「笠酒寄クン、キミはコダマの帰る場所になってくれないか?」
ヴィクトリアさんはタバコの煙をくゆらせながらそう言った。
百怪対策室の応接室。
ついこの間、わたしは夏休みから悩まされていた人狼という『怪』を空木君とこのヴィクトリアさんに解決してもらった。
今はそれから一週間後ぐらいだ。ちなみに空木君はいない。
ヴィクトリアさんにお使いに行かされている。
今日発売の新刊『水晶歌の守護者6 フローライトコンバーション』を買うためにちょっと遠くのショップに行っている。
だから、今ここにいるのはわたしとヴィクトリアさんだけだ。
「どういう意味ですか?」
わたしは訊き返す。
空木君の帰る場所、それは自分のお家なんじゃないのかと思う。
でも、ヴィクトリアさんはなにか違うことを考えている気もする。
「コダマのやつは今、境界線上にいる。常識の世界と非常識の世界、その間にね。だからどっちに向かうことだってできるんだが、常識の世界っていうのはつながりがないとそのうちに戻れなくなってしまうからね。キミにコダマと普通の世界をつないでいて欲しいんだ」
常識の世界って言うのはきっと夏休み前まではわたしが知っていた世界だ。
怪物も、怪人も、怪奇現象も、怪談もきっと科学的に解明できると信じていた世界だ。
夏休みに入ってからは人狼の能力が現れ始めてわたしもヴィクトリアさんたちがいる世界に踏み入れることになってしまったけど。
それでもわたしはまだ空木君よりも日が浅い。
ほんの少しの日数なのかもしれないけど、時々空木君とヴィクトリアさんが話している内容とか、夏休みに空木君が関わっていたと思われる事件の噂なんかを聞いてみると、とてもすごいことをやっていたみたいだ。
きっとわたしには想像もできないような大スペクタクルな冒険をしていたんだろう。ちょっとだけうらやましい。
それでも、空木君は時々、悲しそうな顔をする。
二朔高校に入学してから同じクラスだったわたしは夏休み前の空木君を知っている。
表面上は変わってない。
他のクラスのみんなも多分そう思ってる。
でも、わたしにはわかる。
空木君はなにか大きな出来事があったに違いない。
空木君の中に刺さる何かが。
その棘はまだ抜けてない。だからあんな顔をしてしまうことがあるんだと思う。
わたしは空木君とヴィクトリアさんによって棘は抜いてもらった。
わたし一人じゃ抜けなかったと思う。
もしかしたら大事な人を傷つけていた可能性だってある。こうしてお茶を飲みながらお菓子を食べることができるのだって、空木君たちのおかげだ。
わたしのために文字通り(わたしの)骨を折ってくれた空木君のためなら、出来る限りのことはしてあげたい。当然のことだとは思うけど。
「わかりました。わたしが空木君にしてあげられることならなんでもやります」
だからわたしは引き受けた。
ヴィクトリアさんはその返事を喜んでくれたみたいだった。
空木君と一緒にいる時には滅多に見せない優しい微笑みを向けてくれた。
「ありがとう笠酒寄クン。それがキミの『怪』を解決した仕事料にしよう。金銭ではあがなえないものだが、キミを信じて任せる」
頼んだよ。
ヴィクトリアさんはそう言って再びどら焼きに手を伸ばした。
わたしも一個もらう。
ふんわりとした皮に挟まれた餡がなぜかいつもよりも甘い気がした。
ぴりぴりぴりぴりぴり。
「ぅ……ん」
にわとりの形をした目覚まし時計のスイッチを押してアラームを止める。
朝だ。起きなきゃ。
なんだかちょっとだけ嬉しい夢を見ていた気がする。
覚えてないけど、なんとなく胸の中があったかい。
気のせいかもしれないけど。
覚えてないことはしょうがないから、とりあえずいつものように起き上がって、パジャマから着替える。
わたしこと笠酒寄ミサキは朝があんまり得意じゃない。
でも、起きるのがぎりぎりになりがちなのですぐに着替えないと学校に遅刻しちゃう。
遅刻すると体育の先生たちにお説教を受けることになってしまうからしょうがなく、わたしはぼやぼやした頭のままで着替える。
着替え終わった髪を梳かして、そのまま前の日に準備しておいた鞄を持って一階に降りる。
わたしの部屋は二階にある。元々はおばあちゃんが使っていた部屋らしいが、今はだいぶん足腰が弱くなってしまったので介護施設に入っている。割とエンジョイしているみたいで心配はしてない。
朝ごはんは家族全員でというのが笠酒寄家の決まりだ。
お父さんは仕事が早い時には許されているけど、基本的には守らないといけない。
いまどきやってる家庭はあんまりないと思うのだけど、習慣になってしまっているから誰も『やめよう』なんて言い出せない。
そんなわけでわたしは今日もテーブルに着く。
お父さんは新聞を読みながら待っていたみたいだ。
お母さんはわたしとお母さんの分の朝ごはんを用意していた。
お父さんの分はもう用意してある。
実はわたしのお父さんは冷めているご飯の方が好きだというちょっと変なところがある。
だからいつも朝ごはんはお父さんの分だけ先に用意されている。そして新聞を読みながらお父さんはご飯が冷めるのを待つ。
……他のお家もこうなのかな?
今度、空木君に訊いてみよう。
そんなことを考えている間に朝ごはんの準備はできた。やったのはお母さんだけど。
ついでに今日の分のお弁当も持ってきてくれる。
「ミサキ、ハイこれ今日のお弁当。おにぎりは鮭とおかかね」
「ありがとう。今度はツナマヨお願い」
忘れないうちに鞄に入れる。
何回か忘れたことがあって、その時にはお昼の購買戦争に巻き込まれることになってしまった。あれはもう嫌だ。
そして朝ごはんの準備が整ったので全員でいただきますを言う。
お父さんとお母さんとわたし。
現在この家に住んでいる人間はこれで全員だ。
いつものようにお父さんは静かに。お母さんは優雅に食べる。
食べ終わったらみんなの分をまとめて持っていくのはわたしの仕事だ。
すぐに食べ終わって、学校に遅刻しないように急いで流しに持っていく。
最後に歯を磨いて顔を洗って、わたしはいよいよ学校に出発する。
「いってきまーす」
通学路には特に面白いことはなかった。
だけど、わたしはふわふわした気分になっていた。
なんといっても、わたしと空木君は昨日お互いに告白して晴れて恋人同士になったのだ。
いつ頃空木君に惹かれだしたのか、というのははっきりしている。
九月の始まり。人狼を解決してもらった時だ。
あの時からわたしは空木君のことが気になっていた。
自分の気持ちにちゃんと気づいたのは最近だったけど、もうしっかりと告白したことだし気にすることじゃないと思う。
恋人。
その響きだけで自分が恋をしているんだということがわかる。
足元がふわふわしているような感じで落ち着かない。
早く空木君に会いたい。
昨日は帰ってからもボーっとしていたのであんまり気づかなかったのだけど、わたしは空木君のメールアドレスも電話番号も知らなかった。
連絡する手段がないことに気づいて、昨日の夜はちょっとイライラしていた。
だから今日必ず手に入れる。
恋人同士なんだから遠慮する必要なんてないはず。
そういう風に考えるとなんだかうきうきしてくる。
もし感情だけが見える人がいたんだとしたら、今のわたしは情緒不安定な人にしか見えないだろう。でも、これが恋なんだっていうことはわかる。
漫画や映画の中の登場人物が夢中になるのも納得できる。
恋はパワーだ。
いつもは学校に向かう足は重いのだけど、今日は羽でも生えているように軽い。
教室に着いたら一番に空木君にあいさつしよう。そして忘れないうちに連絡先を聞き出そう。
鼻歌を歌っているうちに学校の正門前に来てしまった。
恋は時間をも縮めてしまうみたいだ。
不思議だ。
ふとわたしは気づいた。
正門前に二人の男女がいる。
女子の方は同じ一年生だろう。セーラー服の襟に入っている色が同じ青だ。
男子の方はポニーテール。空木君だ。間違いない。
空木君が女子と一緒にいるだなんて珍しいな、なんてことを思いながら、わたしは空木君にあいさつするために近づく。
自然と二人の会話も耳に入ってくる。
「ああ、やはりお美しいお嬢さん、学校など放っておいて僕と一緒に出掛けませんか?」
「しつこいんだけど? いい加減やめないと先生呼ぶよ」
男子は間違いなく空木君だった。
でも女子は知らない子だった。他のクラスの子だと思う。
ただ、わたしは思った。
え? 告白一日目で浮気?




