第六怪 その7
夜も深まった時分、一人の人物が街灯に照らされていた。
闇夜の中でもはっきりと目立つ白衣。そして透き通るように白い肌に、うっすらと光る碧い目をした少女だった。
百怪対策室室長、ヴィクトリア・L・ラングナーであった。
「……」
静かに、まるで風のようにヴィクトリアは狭い路地に入っていく。
そこは昼間に空木コダマと笠酒寄ミサキがぬりかべに遭遇した区画であった。
迷いなく、というよりも目的地がなく、ただただ歩くことだけが目的であるかのようにヴィクトリアの歩みに迷いはない。
道が分かれていればどちらかに入り、行き止まりになっていたら戻る。
そういったことをあてどなく繰り返していた。
そのうちにヴィクトリアは足を止める。
いつの間にか目の前には壁があった。
しかし、それは通常の壁ではなかった。
書物を抱えた無数の骸。
老若男女を問わずまるで絡み合うようにして壁をなし、ヴィクトリアの進路をふさいでいた。
上を見上げてみるが、高さはわからない。それほどまでに高い。
「ふん、コダマはブロック、笠酒寄クンはレンガ、そして私は死体か。壁の材質は何かしらの心理的要素を含んでいると考えるのが妥当だな。恐らくは記憶に影響を受けているな」
面白くもなさそうに呟く。
ぬりかべが現れることも、コダマや笠酒寄とは違う壁が出現すこともヴィクトリアは予想していた。予想通り過ぎてつまらない。
(こんなことなら統魔にでも報告してやればよかったな)
自ら足を運んだものの、思った以上の成果のなさに落胆する。
何かしらの手がかりが得られることを多少は期待していた。
しかしながら、この『怪』はどうやら天然ものらしい。当てが外れてしまった。
怪奇製造者。
そう名乗る集団が関わっているということはなさそうだった。
ヴィクトリアはその集団と直接対峙したことはないが、何度か関わっているだろう『怪』を見てきた。
人外の領域の技術を用いるその集団は統魔にもマークされている。
それでもなお、全貌はつかめていない。
どのくらいの規模の集団なのか? 資金源はどこなのか? 『怪』を作り出してばらまいているのはなぜか? わからないことだらけだ。
わかっているのはその集団は怪奇製造者を名乗っているということだ。
個人なのかもしれないし、組織なのかもしれない。
実在は確信できるのに、証拠は全くと言っていいほどにない。
まるで雲をつかむような話なのだが、曲がりなりにも専門家を名乗っている以上は放ってはおけない。
ゆえにヴィクトリアはわざとぬりかべの対処法をコダマにも笠酒寄にも教えなかった。
二人の遅々として進まない恋愛事情をひっかきまわしてやろうという意図がなかったわけではないが。
とりあえず、今回は外れだったということでヴィクトリアはさっさと終わらせることにした。
「おい、ぬりかべ。今すぐこの壁を消してとっととこの町から出ていくなら見逃してやる。そうじゃないならお前を退治する。十秒やる」
言い終わるとすぐにカウントを始める。
静かな住宅地になげやりなカウントが響く。
「……ぜろ」
カウントダウンは終わったものの、依然として骸の壁はヴィクトリアの目の前にあった。
一ミリも動いていない。
「交渉決裂、だな」
言い終わるか否かのうちにヴィクトリアの着ている白衣の裾から刃が飛び出す。
しかし、その刃は手に握られるでもなく、壁に突き立つこともなく、ヴィクトリアの後ろに飛んで行った。
ずぶり、という生々しい音を立てて何もない空間に刃が静止する。
同時に骸の壁が音もなく消え去る。
壁が消えたことを確認してヴィクトリアは振り返り、飛ばした刃を回収に向かう。
空中に静止した後、刃が何かから抜け落ちたかのように地面に落下していた。
拾ってホコリを払い、再び白衣の内側に刃を収納する。
「何かを映し出すには元となるものを通さないといけない。それが人間の心の壁なら、対象となる人間を通さないとな。つまりお前はいつも壁を見せられている人間の後ろにいるっていうことはわかっているんだ。だったらどうとでもなる」
愚かな生徒に諭すようにヴィクトリアは言ったものの、それを聞いていた存在はいない。
すでに退魔用に拵えられた刃に貫かれた妖怪は消滅してしまっていた。
何年生きたかもわからないような超常の存在は、あっさりと吸血鬼に殺されてしまった。
ヴィクトリアは腕時計で時間を確認する。
午後十一時を示していた。
(コンビニにでも寄っていくか。結局、伊勢堂の新製品は喰い逃したからな。コンビニの新製品チェックといこう)
すでにヴィクトリアの中では解決済みの『怪』よりも未だ見たことのない新製品のほうが優先度は高かった。
壁の消えた路地を進み、ヴィクトリアは闇に溶けるように路地の出口の方に向かっていった。




