第六怪 その6
拍子抜けするぐらいにあっさりとぬりかべは消えてしまった。
いや、正確にはぬりかべが具現化させていた壁は。
まったく邪魔されることもなく僕と笠酒寄は古い住宅地区画を抜けて、伊勢堂に到着することができた。
「何だったんだ……」
結局、変わったのは僕と笠酒寄がこっぱずかしい愛の告白をしてしまったということだけである。
なんだそれ。ぬりかべっていうのは嫌がらせの妖怪なのか?
あの後、二人して気恥ずかしくなってしまい、ここまで最小限の会話しかしていない。
お互いに顔も見れやしない。
小学生の恋愛じゃあるまいし、なんだろうこれは。
いや、僕は別に初恋っていうわけじゃないし、女性というものに対して特には幻想を抱いているというわけでもない。主に妹のおかげで。
それでもなんだか面と向かってしまうのは避けたい。
どうにもスマートにはいかないものだ。
これが百戦錬磨のつわものだったら気の利いたセリフの一つでもかけている場面だったのかもしれないが、生憎と僕は恋愛に関しては素人だった。
恋人同士がどういう会話をするのかなんて全く知らない。
恋愛本で勉強でもしておくべきだったか?
そんなことをしている奴はいないか。
いたとしてもそういった人種は玄人ではあるまい。きっと知識だけだろう。
……僕にはその知識さえもないが。
とにかく、僕と笠酒寄は伊勢堂に到着できた。
明るい内装の店内には色とりどりのお菓子が並べてあったのだが、目的の新製品はやはりというかなんというか……売り切れていた。
「やっぱり売り切れちゃってるね。どうしようか?」
「まあ、室長の要望通りにシュークリームでいいんじゃないか? 六個買ってこいって言ってたからそれでいいだろ」
ちょいとばかり室長の機嫌が悪くなってしまうかもしれないが、買って戻らないともっと悪くなる。僕には地雷を踏む趣味はない。
僕の分はないらしいが。今日はシュークリームという気分でもないので別にいいが。
陳列されているシュークリームが六個以上残っていることを確認して、購入する。
真っ白な箱に詰められたシュークリームを持って僕は伊勢堂を後にした。
……店内にいた買い物客や店員さんからなんだか生暖かい視線を感じたが、気のせいだろう。
ハイツまねくね二〇一号室、またの名を百怪対策室。
いつものようにソファでタバコをふかしている室長がいた。
人が『怪』に遭遇しててんやわんやになっていたのに、この人はどうやらずっとゲーム攻略に忙しかったらしい。応接室の端に置いてあるノートパソコンでは攻略途中のゲームが起動していた。
「新製品は売り切れていたんで、シュークリームを買ってきました。ちゃんとチョコ&カスタードですから確認してください」
「ああ、ごくろう。しかし、流石にこの時間には売り切れているか。今度は休み時間に行ってきてくれ」
たっぷりと嫌そうなエッセンスを詰め込んだ顔をしてやったのだが、室長は涼しい顔で切り返してくる。
ぬりかべよりもお菓子のほうが優先のようだ。
本当に専門家なのかどうか疑わしくなる。
いそいそと箱を開けて中身を取り出して更に置き、室長は飲み物を取りに行った。
三枚の皿と、それに乗ったシュークリーム。そして僕と笠酒寄。
なにを話していいのかわからない。
僕と笠酒寄は今、向かい合わせになっているソファの対角線上に座っている。
いつもなら室長の隣に笠酒寄が座って、その対面に僕が座る形になるのだが、今日は違う。
なんとなく距離が近いのは遠慮してしまう。
案外、付き合いたての男女というものなんていうのはこんな感じなのかもしれない。
周りから見てみたらじれったく感じてしまうのかもしれないが、本人的には精一杯やっているのだ。勘弁してほしい。
お互いに無言である。
室長は今日に限ってやたらと手際が悪い。絶対にわざとやっている。
このまま沈黙を保ってもいいのかもしれないが、それはそれで室長の思惑の通りという気がするので癪だ。ここはひとつ、僕が少しは出来る人間だということを示さないといけないだろう。
「か、笠酒寄……あのさ……一応僕たちはお互いに告白したわけなんだし、確認しておきたいんだけどさ……僕たち、恋人になるよな?」
なんだこれ?
どこができる人間なんだ?
脳みそが腐っているのか、それとも僕は前世でなにか悪いことでもしたのだろうか?
完全に挙動不審者だ。場所が百怪対策室じゃなかったら通報されかねない。
そんなヘタレの僕だったが、
「え、えと、そう……だね。わたしたち恋人になるんだよね?」
笠酒寄の方も負けじとヘタレだった。
初々しいを超えてもはや見てて痛々しいレベルになってしまっている。
初めてのお使いにだされてしまった幼児か? 僕たちは。
そんな感じでお互いにどこか遠慮がちに笑っているとやっと室長が戻ってきた。
「やあやあお二人さん。なんとも初々しいな。私も若いころを思い出してしまうな」
それはそれはこっちの神経を逆なでする顔をしながら室長は紅茶を置く。
できることならぶん殴ってやりたい。
百倍返しどころじゃないだろうが。
室長だけは余裕の表情でいつもの席に座る。
迷うことなくシュークリームに手を伸ばし、ほおばる。
「んむ。やはり伊勢堂は間違いがないな。これで新製品が食べられたのなら何も言うことはなかったんだがな」
美味に酔いしれるのか皮肉を言うのかどっちかにしてほしい。
「そんなこと言っても『怪』に遭遇してしまったんならしょうがないんじゃないですか? 第一、僕たちが出発した時間にはすでに売り切れていたのかもしれないじゃないですか」
「それもそうだな。まあ、そういうこともある」
むかつく。人の貴重な放課後の時間を何だと思っているんだ。
「ところで室長。ぬりかべのほうは放っておいていいんですか?」
ぶつけたい怒りを抑えて室長に質問する。
そう。『怪』は終わっていないのだ。
僕たちはぬりかべの影響から脱出できたものの、他の人間が囚われてしまう可能性は十分にある。
そうなったら助けを求めることもできない。
僕が毎日あの区画を見回るなんてことはできないし、一体どうするつもりだろうか?
「ああ、コダマや笠酒寄クンだとまたひっかかるだろうから私が行く。今夜には解決しておくから気にするな」
初めからそうしてくれと言いたかったが、それを言ってしまうと何を言われるのかわからないので僕は黙って室長と笠酒寄がシュークリームに舌鼓を打つのを観察していることにした。
なぜこうも女子はお菓子を食べている時にはやたらといい笑顔になるのか?
誰か論文にしたら読んでみたい。僕はしたためるつもりはないが。
「どうしたコダマ? キミの目の前にあるのはキミの分だ」
「え? なんですかそれ。こわい。なんか変なモノ食べましたか?」
「失敬な。キミと笠酒寄クンの付き合い始めた記念日だ。私も少しは祝ってやろうというんだ」
「はあ、じゃあいただきます」
「ゆっくりと味わえ。初恋の味だぞ」
違う、と否定したかったのだがシュークリームにかじりついたところだったので出来なかった。
笠酒寄は「えぇ……」なんて言いながら顔を赤くしている。
誤解がだんだん深まっている。
まあしかし、シュークリームはたしかにうまかった。
恋の味なんていうモノはないのだろうが、こうやって舌の上で踊っているチョコとカスタードはもしかしたら恋の味に近いのかもしれない、なんてことを僕は思った。




