第六怪 その5
初対面以来の笠酒寄の丁寧語に少しばかり僕は驚いていた。
笠酒寄がこの場面で僕に告げたいことというのはなんだろう?
まだまだ付き合いの浅い関係だが、多少は笠酒寄のことも知っているつもりであるものの、予想はできない。
……こんな状況でもなければゆっくりと聞いてやってもいいのだが。
「おい、笠酒寄。いまはこの『怪』、っていうかぬりかべをどうにかすることのほうが先決だ。その他のことだったらここを抜け出してから聞いてやるから」
特に時間的な制限はないのだが、室長にからかわれる理由を作ってやる必要はない。
「今聞いてもらいたいの。この『怪』から解放されるためにわたしの話を聞いて」
「どういうことだよ? 笠酒寄」
さっきの室長の電話で告げられた内容に関することだろうか?
僕にはよくわからない、あまりにもざっくりした内容だったのだが。
もしかして笠酒寄に対してはもっと具体的な内容を説明してくれたのだろうか?
だとしたら男女平等の精神に基づいて室長には徹底的に抗議しようと思う。
そんな僕の心情などもちろん笠酒寄が知るはずもなく、真っ赤な顔をこっちに向けながらなにかもごもごと言っていた。
「……の」
聞こえない。
辛うじて最後の一音は聞こえたものの、それで何を言ったのかわかるはずがない。
「なんだよ? 聞こえないぞ。もっと大きな声で頼む」
つい、僕は笠酒寄のほうに耳を向けて少しばかり近寄ってしまった。
「わたし……空木君のことが……」
多少は聞こえるようになったものの、まだ少しばかり聞こえづらい。
僕はさらに笠酒寄の、具体的には口のほうに耳を近づけるようになる。
身長差が少しあるのでやや身体を折る感じになってしまう。
「……きなの」
「あん? 樹? 何の関係があるんだ?」
「好きなの!」
いきなりの最小音量からの最大音量を食らってしまい思わずのけぞる。
耳がキンキンする。
「おい! いきなり大声はやめてくれよな! 僕も普通の人間よりも耳はいいんだからな! ダメージ大きいんだ……ぞ?」
ここまで条件反射的に抗議して、やっと僕の脳みそは笠酒寄の言葉意味を解釈する作業を終了する。
好き?
好きっていったのか?
笠酒寄が? 僕に?
「ああそうだな。僕も笠酒寄のことは好きだよ。室長に振り回されている体験を共有できる貴重な友人だしな」
「わたしは、異性として、空木君が好きなの!」
誤魔化すつもりが一瞬で逃げ道をふさがれてしまった。
なんてこった。
やはりそっちの意味でだったのか。
そうでもないとこんなにも躊躇することはないだろうし。いや待て、もしかしたら英語で表現した場合には違うのかもしれない。
そうだそうだ。日本語という言語においては『好き』という単語が表す概念の範囲が非常に広い。ゆえに厳密な意思疎通が難しいのだが、この場合もそうかもしれない。
確認するまでもないことだろうが、一応は確認しておこう。
「そ、そうか笠酒寄。あの、一応聞いておきたいんだが、英語でいうとlike……だよな?」
「loveのほうだよ」
Oh my god!
思わず出てきたのも英語になってしまう。
ちょっと待て、落ち着こう。
僕たちは話すようになってから精々一か月ちょっとぐらいしか経っていない。
それなのにこう……恋仲というかそういう関係になってしまうのはちょっと早すぎるのではないだろうか? もっとこう男女の関係というやつは時間をかけてゆっくりと育んでいくものではないのか?
そう、刹那的な感情に身を任せてしまってもろくなことにならないことを僕は今までの人生で学んできたのだろう? そもそも恋愛をするにはまだ僕たちは子供過ぎるのではないか?
恋愛というものが確かに青春であることは認めよう。しかしながら、僕の中ではそういった甘酸っぱいイベントに関しては完全に視野の外にあったため、脳がどう対応していいのかわかっていない。
そもそも笠酒寄が僕のことを異性として好きだからといってそれがどうした、と言われてしまえばそれまでだ。
だがしかし、僕にとってある意味では笠酒寄は特別なのだ。
百怪対策室に一緒に行ける関係にある人間の知り合いというものは笠酒寄の他にはいない。
この先に現れるかどうかもわからない。
笠酒寄はそんな存在なのだ。
ゆえに、僕はこの好意に対して応えるのに戸惑っている。
どうやって対処していいのかわからない。
正解が見えない。
笠酒寄はうっすらと涙を浮かべて僕のほうをじっと見ている。
耐えられなくて、思わず壁のほうに視線を向ける。笠酒寄の顔を直視し続けることはできなかった。
壁が、変化していた。
さっきまで整然と並んでいたブロックはところどころに亀裂が入り、ぽろぽろと破片がはがれ始めている。
その変化に驚いて壁を見上げると、明らかにさっきよりも高さが増していた。
倍以上の高さになっている。
ひびが入り、つなぎ目に隙間が目立つようになっているというのに壁はまだ存在していた。倍以上の高さに変化して。
(なんなんだよ! 一体!)
笠酒寄の突然の告白に続いて、ぬりかべの方にも起こった変化に僕は戸惑いを隠せない。
「ねえ、空木君はわたしのこと、女の子として好き? それとも嫌い?」
そんな僕をどうにもじれったく感じてしまったのだろう。笠酒寄から最後通牒にも似た質問が突きつけられる。
お前の告白と、『怪』の変化でいっぱいいっぱいなんだよ! と叫ぶことができればよかったのだろうが、僕は頭の中が完全にカオスの様相を呈しておりできなかった。
こんなにも追い詰められているのは夏休み以来だ。キスファイアとやり合った時にもここまでじゃなかったぞ!
崩壊が進みながらも、壁はどんどんと高さを増していく。まるで何かを象徴するかのように。
ぬりかべが具現化するのは心の壁。ならば、この僕の心の壁は、いや、笠酒寄に対する壁がいまのボロボロになりながらも高さを増している状態なのか。
僕は一体何を守っているのだ?
「お願い、空木君。教えて。わたしが嫌いならそういって。でもわたしは好きだから」
笠酒寄は静かに泣き笑いの表情だ。
……こんな顔をさせてしまうだなんて、僕はある意味では失格なのかもしれない。
だが、僕は思い出す。
人狼が解決した時の笠酒寄の笑顔を。
あの時僕は思った。
僕はこの笑顔が好きだ。
今もその気持ちは変わっていない。
……なんだ。初めから答えは決まったいたのだ。
僕がいつまでも答えないものだからとうとう笠酒寄はしゃくりあげ始めてしまった。
そんな笠酒寄に僕は手を伸ばす。
そっと、頭に手を置く。
言葉は決まっていないけど、伝えたいことはわかる。
「僕もお前のことが好きだ。お前の笑顔の惚れちゃったんだ。だから泣かないでくれ。僕はお前が笑ってくれている方がいい」
しばらく僕も笠酒寄も動かなかった。
やがて、少しは落ち着いたのか呼吸が元に戻った笠酒寄は流れた涙を乱暴に拭って、あの時よりも輝く笑顔を浮かべてくれた。
「わたし、うれしいよ」
「僕もだ」
ふと、気になって壁の方を見てみると、きれいさっぱりとなくなってしまっていた。
あるのは僕たちがやってきた道だけだった。




